ラジェンドラ戦記~シンドゥラの横着者、パルスを救わんとす
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第二部 原作開始
第二章 王子三人
第二十二話 一行離散
エステルが既にアルスラーン一行と行動を共にしていると耳にした直後には、一刻も早く一行と合流してエステルを守らなくては、と思ったものだった。
だが、そうしてしまうとナルサスとアルフリードが出会う機会がなくなってしまう。実際のところ、アルフリードは貴重なのだ。その神算鬼謀ゆえにナルサスは味方からも恐れられることが多かったはずだ。弟子のエラムでさえも、ナルサスがヒルメス王子が何度挑戦してきてもその度叩き潰すとうそぶいたときには戦慄したものだった。画才のなさとそれでいて画家として認められることを熱望するという可笑しみが無ければ、無欲で何を楽しみに生きているか判らぬ得体の知れない策謀家とただただ恐れられた事だろう。貴族諸侯としても彼を娘婿にするのは躊躇したのではないだろうか。そんなナルサスを、強くてしかも頭もいいということだけで好きになってくれたアルフリードは稀有の存在だ。出会わぬようにしてしまうのは勿体無い。
故に俺たちはニームルーズ山脈にもその間近にあるカシャーン城塞にも近寄らず、ただただ一路ペシャワールに急いだ。アドハーナの橋、まずあれをザンデに落とされないようにしなくては。
ちなみにカシャーン城塞で、城主ホディールに娘を差し出されそうになったアルスラーンは、傍らにいたエステルを抱き寄せ、
「有り難い申し出だが、私はこの娘に夢中なのだ。他の女に構っている暇などないな」と一言のもとにはねのけたのだそうだ。直後に怒ったエステルに太ももをつねられたそうだが。
実にいい兆候だ。このままエステルにはアルスラーンと共にあり続けて、彼を王ではなく人間の側につなぎとめておく楔となって欲しいものだな。
◇◇
我ら九人(赤子のシャーヤールも一応数に含めておる)が三組に分かれてペシャワールでの再会を期して夜道を東、南、北の三方向へと走り出した後、私、シンリァンの隣で馬を走らせていたのは、我が良人ダリューンじゃった。これ、露骨に当てが外れたような顔をするでない。私としても、殿下や少年少女たち、それと弓以外は不得手というラクシュ殿を守るつもりだったのじゃから。
私たちを待ち受ける包囲網の中には、万騎長カーラーンの子、ザンデと名乗る者がいた。なかなかの豪勇の持ち主のようじゃ。私も馬を一頭やられたしの。それにしても見上げた闘志じゃ。それなりに傷を負っているはずはずなのに、動きが一向に衰えぬ。十合、二十合、三十合…なかなか埒が明かぬの。本人の動きが衰えぬなら、馬の方をどうにかしようか。先程の返礼にもなるしの。
私の射た矢は狙い過たず、ザンデの乗馬の右目に命中した。が、そこからがまずかった。精々動きが鈍る程度かと思いきや、矢が脳にまで達したのか急激によろめき横転するとは。
ザンデの巨体が剣を手にしたまま勢いよく地面に投げ出された。受け身を取る間も無かったのであろう。したたかに背中を打ち、うめき声を洩らしている。
馬が目を射抜かれ、棹立ちになっている隙に、ザンデが馬上から斬って落される。そうなると思っていたのに、思った以上に馬があっさりと倒れすぎた。我が夫は無双の勇者だが、落馬した敵を、立ち直る隙も与えずに斬殺するのは好まぬだろう。そのような甘さは人として好ましいとは思うが、今はま―
私がとどめを刺そうと駆け寄ろうとする間もなく、我が夫の剣が兜を両断してザンデの頭蓋ごと叩き割っていた。そのすさまじい光景を目の当たりにした手下の兵は算を乱して逃げ散っていく。後には彼らの死体のみが残された。
「…意外じゃったのう。お主ならあのザンデとやらが馬に落ちたとき、剣を振り下ろすのをためらうと思ったのじゃが…」
「ああ、俺が独り身ならそうだったろうな。あいつ程度ならいずれ討ち取れる。後日また正々堂々と雌雄を決すればいい。そう考えただろうな」
「だったら何故じゃ?」
「さっきお主が馬を斬られたとき、肝が冷えた。お主を失うかと思った。あいつを生かしておいては今度はお主が本当に斬られるかもしれない。そう思ったからな。寸毫も迷わなかった」
…そうか、そういうことか。だとしたら私はお主を変えられたのじゃな。あの時別れずにいて本当に良かった。
「ほほう、それは嬉しいことを言ってくれる。わざわざパルスくんだりまでついて来た甲斐があったというものじゃ」
「い、いや、そういうことではない!ただ、お主が死んだらシャーヤールの子守は誰がするのだと思っただけだ!」
そうか、これがラクシュ殿が言っていた「つんでれ」とかいうものか。ふふふ、殿方のそれは確かにかわいいものじゃの。
怒ったかのように無言で先を急ごうとする夫の背中を、私はこみ上げる笑いを堪えながら追いかけた。
◇◇
俺、ナルサスはエラムと共に、南の尾根を越えんとする山道に馬を駆けさせていた。夜明け前までに、幾つかの包囲を抜け、追跡を振り切り、どうにか落ち着いたように思えた。
それにしてもうまくいった、と俺は思う。自分はエラムを伴い、殿下は驍勇のダリューンに委ね、もう一組はエトワール、ラクシュと言った今ひとつ強さに不安がある者たちをシンリァンやギーヴが守る、そういう形が一番自然だと思っていたが、まさにその通りになった。さすが俺だと思わざるを得ない。
が、エラムにそれを話したら、この道に限ってはそうかもしれませんが、他の道を進んだ組み合わせもそうとは限らないのでは?と冷水をぶっかけられた。そ、そうだな、その可能性もあるな。まずい、失敗したかもしれん。いずれにしても早く先に進んで合流しなくては。
しかし、計算違いというものは重なるものであるらしい。ゾット族がヒルメス一党と戦っていたこと、ゾット族の娘と行動を共にすることになってしまったこと、そして、何故だかそのゾット族の娘、アルフリードに気に入られてしまったこと。
「お主は年の離れた女性と縁がある」と何年か前に、シンドゥラのラジェンドラ王子に言われたことがあった。そのときは何を馬鹿なことをと内心思ったのだったが、ことダリューンに限ってはラジェンドラ王子の言葉は的中していた。確かに、遥か遠方の国にいた運命の女性を、手を離すこと無く連れて帰ってきた。
だとすれば、俺の運命の赤い糸はこの俺とはちょうど十歳違いのこの少女の小指につながっているのだろうか。それにしても年下か、俺はむしろ…。いや、何も言うまい。
正直、ダリューンが結婚したというのは衝撃だった。何という絶世の美女と思ったが、それもそのはず実は絹の国の公女殿下なのだという。事あるごとにのろけられるというのがこれ程辛いものだとは思ってもみなかった。俺もこの戦が片付いたら、と思わないでもなかった。
それにラクシュ殿にも言われたのだ。
「多分、ダリューンさんは親子二代に渡ってアルスラーン殿下に仕えるつもりだろうに、ナルサスさんは自分一代限りにするつもりなの?不忠者だねー」と。
いや、エラムがいるではないか。あれはよく出来た子だ。十分俺の後釜が務まるとは言ったのだが、
「でもあの子と一緒なのはここ数年だけなんでしょ?生まれたときからじゃないと、親の背中を見ながら育つんじゃじゃないと伝わらないものってあるんじゃない?まだ若いんだからちゃんと相手見つけなよー!」というのだ。
確かにその通りかもしれないとは思う。それに軍師なんて因果な商売だ。謀を帷幄の中に運らし勝つことを千里の外に決す、などと言うが、逆に言えば、戦場から千里離れても心は戦場から決して離れることはないのだ。常在戦場なんてうそぶく戦闘狂と大差ない、度し難い生き物なのだ。そんな俺を好いてくれる女性など果たして他に現れるのやら。
そうだな、あと二年待とう。他に俺を好きになってくれる妙齢の女性が現れるかもしれないし、アルフリードが俺の想像を超えるほど素敵な女性に成長するかもしれないし、アルフリードが別の男性に心惹かれることもあるかもしれないし。そのときを待って結論を出そう。俺はそう決めたのだ。だからエラム、そんなに俺を睨むな。青い果実にうつつを抜かす見下げ果てた最低野郎めが!と言わんばかりの視線を向けるのは頼むからやめてくれ。
◇◇
パルス暦320年12月12日、急ぎに急いだ俺たちはようやくペシャワール城塞に到着した。したのだが…。
ちょっと待て!何で完全武装、臨戦態勢で待ち構えているんだ?ちゃんと先触れだって出しただろう?
は?何だよ、ジャスワント。何をクスクス嗤ってるんだよ?
「自分の胸に手を当てて考えてみてはどうですか?」ってどういうことだよ?
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