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外伝・少年少女の戦極時代

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デューク&ナックル編
  挿話 いとけなき雪夜


 雪が降った。
 当時6歳だった呉島碧沙は、肌をちくちくと刺す寒さに誘われてベッドを出た。

 部屋の窓を開いて、感嘆の声を上げた。

 外は一面の銀世界。見下ろす限り裏庭には真白の雪で敷き詰められている。
 藍色の空からはまだ、ふわ、ふわ、と(ささめ)(ゆき)が落ちては、庭の白い絨毯の仲間入り。

 幼稚園児にこのような光景を見せて、はしゃがずにいろというのが無理のある話で。
 碧沙は弾む胸に急き立てられるまま、長兄・貴虎と次兄・光実の部屋へ走った。一刻も早くこのすばらしい世界を兄たちに見せてあげなくては――

(たか兄さんはセージンシキで、みつ兄さんはおじゅけんにむけてジュクのトーキコーシュー)

 つまり、兄のどちらも呉島邸にはいない。

 碧沙は左右を見渡し。自分の家なのにまるで泥棒にでもなったかのような気持ちで、歩いていった。――父・天樹の部屋へ。

 このところ、天樹は自室を出ないことが多くなった。お手伝いさんたちに理由を聞いても、「旦那様はお体が悪いのです」と言うばかりで、いつの間にか父の部屋は近寄ってはいけない禁域のように刷り込まれていた。

 何より碧沙を天樹の部屋に近づかせないのは、天樹の部屋から漂う甘ったるい香りの濃度だ。あの、イヤな甘い香り。日増しにひどくなっていて、鼻が曲がりそうだ。
 最近は、ごく稀だが、大学から帰ってきた貴虎でさえ、あの香りに加えて、血のにおいまでさせている。

(やっぱり、よそう)

 碧沙は自室に取って返した。


 開け放しにしたままだった窓の向こうには、変わらず銀世界が広がっている。

 コドモが夜に外を出歩いてはいけない。貴虎にも使用人たちにも、口を酸っぱくして言い含められている。

(でも、こんなにきれいなんだから。ちょっとお庭に出るくらい、いいよね?)

 自室のクローゼットから、ほわほわボンボンのファー付きポンチョと、手袋とマフラーを出す。それから碧沙は私服に着替え、防寒具を全て重ね着した。

「これでよし」

 碧沙は先ほど以上にこっそりと自室を出て、こっそりと屋敷の外へ出た。




 藍色に静まり返った空の下に広がる、誰の足跡もまだついていない新雪の庭。

「えいっ」

 碧沙は三段しかない玄関の階段から、思い切って庭に飛び降りた。一番乗りだ。

「きゃーっ、あはは! ……あれ?」

 青年が一人、庭に立っている。
 家族とも屋敷のお手伝いさんたちの誰とも違う人だ。

 ――いつもなら人を呼びに行く。しかし、夜中にひとりで家の外にいることと、雪白の眩しさが、碧沙を大胆にさせた。

 碧沙は、ちらちらと降る雪を見上げて佇む青年に、声をかけた。

「こんばんは」
「――こんばんは。この家の子かな」

 碧沙は頷いた。

「ちょっとだけ、しゃがんでくれますか」
「ん。何かな?」

 しゃがんだ青年に対し、碧沙は自分のマフラーを外して青年の首に巻いた。

「あったかくしてないと、かぜ、ひいちゃいます」

 青年はぱちぱちと目をしばたいた。

「――キミ、この家の子なんだよね。名前は?」
「クレシマヘキサ。6さいです」
「僕は戦極凌馬」

 リョウマと名乗った青年の顔が親愛なるものへと変わった。

「ひょっとして、キミのお兄さんは呉島貴虎かな?」
「たかとら……たか兄さん、の、おともだちですか?」
「そうだよ。トモダチ。今日会ったばかりだけどね。最高の友人になれると信じてる」

 リョウマの手が碧沙の頭を柔らかく撫でた。
 兄以外にこういうスキンシップをされたのが初めてだった碧沙だが、ふしぎとイヤだとか怖いとかは感じなかった。

(だって、わかる。このひと、たか兄さんがダイスキだ)

「兄さんのこと、よろしくおねがいします」
「任せて。キミの兄さんは僕が責任を持って――最高の場所へ連れて行ってみせるから」

 リョウマの言っていることの意味は、碧沙にはまだ難しくて、きちんと理解できなかった。
 それでも長兄に彼のような素敵なトモダチが出来ただけで、碧沙にとっては、満面の笑顔になるくらいに喜ばしかったのだ。


                  ******


 ――特記する。

 ヘルヘイム抗体保菌者である呉島碧沙には、ある二つの特徴が見られる。

 一つは、嗅覚の発達。そしてもう一つは――直感力の高さである。
 この項では後者について言及する。

 ここで言う「直感」とは俗に言う「勘のよさ」である。精度はウソ発見器といって障りない。
 しかしその能力は決して透視だの千里眼だの未来予知だののオカルティックな超常能力ではない。危険察知のために発達した観察眼の延長に過ぎない。

 ゆえに――人の心変わりを見抜くことは、彼女にはできない。

 例えば、いずれ将来的に裏切るとしても、出会った時に最大の友愛と敬意を向けたことが真実なら、彼女はその相手を「危険なし」として信用してしまうのだ。


                         [故・戦極凌馬の手記より抜粋] 
 

 
後書き
 まだふたりが何も知らなかった頃にあったかもしれないこと。 
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