いたくないっ!
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第九章 伝説のはじまり
1
ぶーー。
「お、またきたっ」
定夫たち四人の携帯電話が、一斉に振動した。
メールが届いたのだ。
アニメに対しての感想であった。ストーリーと作画、及びほのか役の声優についてベタ褒めの内容だ。
ぶーー。
また、携帯が振動する。
今度は、ダメ出し及び続編要望だ。
ここは山田定夫の部屋である。
定夫、トゲリン、八王子、敦子殿、の四人は、なんともいえない幸せ極楽な気分で、携帯電話の画面を眺めていた。
毎日毎日大量に届いているというのに、いささかも飽きることなく。
アニメを発表してから、今日でちょうど一週間。
反響は実に大きく、公開しているアドレスに毎日、大量のメールが届く。
ごちゃんねるなどのインターネット掲示板も、専用のスレが立てられ、賑わっている。オープニングのみを投稿した時も凄い反響だと思っていたが、それを遥かに上回っていた。
話題が話題を呼んで、Webサイト「コノアニメヲミロ!」に、アマチュアの自主制作物にもかかわらず異例のランクインを果たしてからというもの、話題が話題を呼ぶ好循環が急加速、現在とてつもない賑わいになっているのである。
「お、おっ、ネットニュースにもなってむんぞ!」
マウスカチカチWebチェックしていた定夫が、びっくりしたような大声を出すと、「え?」と、三人ともモニターへ顔を寄せた。
「うわ、本当ですね。トップページの、エンタメ欄の記事になってる」
「『自主制作アニメ、話題が話題を呼んでアクセス殺到! 記録破る快進撃!』 ……うう、感無量でござーる!」
「コメント欄があるね。読んでみようよ」
「おれもみてみた。さわいでっから」
「すげーな。」
「なにこれ。」
「こんなアニメあったっけ」
「知る人ぞ知る『神アニメOP』で、結構騒がれただろが。」
「お前がイバルことじゃない。」
「あのオープニグ、女の子が転んでるだけで、てっきり神社でゆるゆるトークしてるだけのかと思ったらバトルものだったんだな。」
「パイロット版の時の、オレのダメ出しがかなり生きている。だから、これ作ったの実質オレ。」
「なんか、懐かしい雰囲気のアニメだよね。」
「だってOPの曲からしてモロ大昔のオシャレアニソンだもんな。」
「ぽよよよと円形の窓型に画面が残って終わる、って昭和かと思った。『なんでこーなるの!』みたいな。」
「野郎の声はヘボでクソでしゃーないけど、女の子の声、かなりイイ!」
「女子の声、全部一人なんだろ、エンドロールによると。『あつーん』って人。みんな違って聞こえるんだけど、エフェクトかけてんのかな。」
「エンディングもその女なんだろ。あの歌も、かなりいいよな」
「全体的に古臭い。センスない。つまらん。みる価値なし」
「センス分からんお前に贈る言葉がある。『市っ 根っ』」
「むしろ、技術的には素人なのを、それをセンスだけであそこまでに高めてんだよ。」
「そうそう。時代逆行もいいとこな内容を、それを最先端センスでやってんだよな。だから、ありそうでない作品になってる。」
「女の子の声、とってもイイ!」
「確かに。」
「あつーんモエズム!」
「有名な声優だったりして。実は。」
「映像もだよ。ほんとにアマチュアの作品なのかな。」
「チャチといえばチャチなんだよな。でもプロが、わざと制限された環境でのアニメ作りにチャレンジしているようにも思える。」
「どこかの企業の、ドッキリ企画とか。」
「そうでなくとも、ゼンダイとか佐渡川とかが飛び付くかもなこれ。」
「ありそう。やりかたによっては、こんな美味しいシチュエーションないからな。ネット生まれというのも含めて。」
「も一回アニメみよーっと。」
「つか混んでてまともに再生されないんだが」
「ローカルに落とせよ。負荷凄くて新規さんがかわいそうだろが」
2
アニメ部門アクセスランキング、トップ独走。
ごちゃんねるアニメ板、一日書き込み数最高記録達成。
その他の掲示板や、アニメ評論家からの高評価。
絶えることなく届き続ける、感想や激励のメール。
とくれば、そう、
続編、
テレビアニメ化、
OVA化、
サントラ発売、
劇場版制作決定、
アニメアワード受賞、
メディアミックス、
つまり、
ゲーム、
コミック、
小説、
ミュージカル、
そして、
世界進出!
夢ドリームッ!!
と、胸の奥の夢ドリームが無限に膨らんでゆく四人であった。
天井を見上げ、みんな呆けたような変な顔で。
「でもとりあえずのところ、続きどうしようか。真面目な話」
定夫が素に戻り、問う。
膨らむ夢はそれはそれとして、まずしっかり地に足をつけないことには始まらない。
にまにま顔で携帯電話を握り締めていた八王子が、ぷるぷるっと顔を振って、
「この野望をどんどん大きく広げていくのだったらさあ、誰か他に、絵を描ける人を探したいよね。トゲリンの負担を減らす意味で」
「そうでござるな。負担云々というより、得意分野の住み分けということで、背景を上手に描ける人を。拙者はキャラ以外はとんと苦手で、今回の製作では写真を撮って上からなぞってみたりするなど、相当な苦労を要したところであるので」
最初は、撮影した背景用写真を取り込んで、手書き風のエフェクトをかけてみたのだが、合わせてみるとどうにもキャラクターの絵柄になじまず、最終的にはすべてトゲリンが自らの手で描いたのだ。「下手だが味がある」といったいわゆるヘタウマ風にすることにより、なんとかごまかして。
「声なら、あたしの知り合いが何人か紹介できるかもです」
敦子にアニメファン仲間はいないが、以前に短期ボイトレなどを受けた際に知り合った、声優を目指している女子とメールアドレスを交換してあり、いつでも連絡は取れるとのことだ。
「キャストの変更はしたくないから、新キャラ次第ではお願いするかも知れない」
「続編、と簡単にいってもさあ、同じような内容のをダラダラやるだけじゃ、なんだよね」
「そうでござるな。いくら昔のテレビアニメを目指したからといっても、昔のように四クールも見させらては飽きるでありござるからなあ」
トゲリン、語尾が奇妙になってしまったのをごまかすように、はははとニチョニチョ声で笑った。
「そこは別に、現代っぽく一クールものでいいんじゃないか? 五十話作るなんて、どのみち無理だし。今回作ったのを第三話くらいとして、前と後ろを考えよう」
「どうせなら、ショッキングな展開がいいなあ。観る人を驚かせたいし」
「ほのかの正体は異世界古代のロボットだった、とかでござるか? 自分も親も、その事実を知らずに普通の人間と思って生きてきた」
トゲリンが、八王子の案に食いついた。
「でもお、体内に機械の部品があれば、気づくと思いますよ」
敦子がささやかなツッコミを入れる。
「しからばそこは、空間元○固定装置のパターンで。まあとにかく、そういうのは設定でいくらでもごまかせるでござるよ」
「そんなもんですか。人類こそが実は侵略者だったあ! とかそんな感じですかね。ありがちですけど」
「ありがちでいいんだよ。で、衝撃の事実を知ったほのかは、仲間に反旗を翻し、血みどろの戦いの上、最後は共倒れで消滅、とか」
八王子。自分の発言した、ショッキングという言葉に、どんどんイメージを膨らませているようである。
「いやいや、さすがに悲しすぎるだろ! 却下却下」
「でも素人が無難にインパクトを狙うには、最低これくらいやらなきゃあ」
「ならば、少しそのテイストを残しつつも、根本からしっかり練り直そう。といっても既存作品の修正はもう無理だから、矛盾なく詰め込めた設定を膨らませる感じで」
「背景設定を熟考するより前に、残りメンバーの変身のモチーフ。水と風と地、誰が誰でというところを考えようではござらぬか? ここが適当なままであったから」
「適当過ぎて、色々やっちゃったところがあるもんね。髪の色からして、らせんは水なんだけど、性格的にはどう考えても火だもんね」
「『ほのかのほのかな炎が』、って超パワーアップのところの台詞やイメージから入ったからな、キャラ作りが。だからほのかは炎キャラで赤なんだけど、でもそのシーンどうしても敬語で喋っているところ以外想像出来なくて、そのせいで、ほのかが炎のくせに敬語キャラになっちゃったんだよな。みんなで掛け合いするところは、敬語ということにいまだ違和感あるけど、まあ四人の個性を出すという意味では、よかったのかな」
キャラ作りの苦労を語るは山田レンドル定夫総監督。
「レンドル殿、不意に一つ気になったのでござるが、『かるんには、ひょっとして精霊の姿が見えているのか』、のようなオチにするといっていたが、なっていなかったでござるな。いかような理由での変更であったか」
「ああ、あれな。確かに最初は、バイト先の神社で四人がゆるゆるの掛け合いをしながら終る予定で、脚本も起こしたんだよ。だけど、その前の悟の香織への告白のとこが『うやむや』『期待あり?』『ひょっとして?』という感じだった初稿が、どんどん変わってしまって最終的には『明確な失恋シーン』になってしまった。なら、そこをオチに持ってきてしまった方がいいのかな、古いアニメっぽく終わらせられるし、ってことで予定していた最後の掛け合いがなくなり、従ってかるんのそのシーンもなくなった」
「得心いったでござる。ところで反旗を翻して云々という八王子殿の案であるが、それを膨らませるとするならば、まず対立関係をはっきりさせたい。ほのかが、残り三人の魔法女子と戦うということなのか、それとも二人と二人に分裂するのか、それとも新魔法女子もしくはヒューマンタイプ女性タイプのマーカイ獣などを出して、ほのかたち四人全員が人類の敵ということでその新キャラと戦うことにするのか」
「そりゃあ当然…………どうしようか」
八王子が腕を組んでうんうん考えていると、敦子がおずおずと小さく右手を上げてぼそり、
「あのお、一つ確認をしておきたいんですが、今回ネットに公開したお話、作品が完成したその時点では、いま皆さんがおっしゃっているような設定はまだまったくなかった、ということでいいんですよね? 戦い合うとか、人類の敵とか」
「そうだね」
野郎三人を代表して、八王子が答えた。
「ならあたしは、続編の構想が固まるまでは、単なるほんわかバトルヒロインアニメだと思うことにします。もちろん最終的な決断に従いますけど、それまでは好きなイメージに浸らせてください」
というと敦子は、自分の胸にそっと手を当てて柔らかく微笑んだ。
「そういうふうにも思えるラスト、って出来ればいいんだろうけど、どこかで斬り捨てはしていかないとな」
「そうだね。よくさ、ラストをうやむやにするという手法があるじゃない? でもさ、そういう終わらせ方を嫌う人も多いんだよね。だから、『視聴者全員の期待に沿う』というのは無理だよね」
「そうでござるなあ」
などと四人が話し合っている間にも、彼らの携帯がぶーっぶーっとひっきりなしに振動し、メールの到着を知らせている。
定夫がなんとなくパソコンの掲示板を更新させてみると、ほんの五分ほどの間に、もう三百件近い書き込みがされていた。
ネット上に、大きな掲示板やコメント欄は一つではなく、また、ほのかを語るはネットのみにあらず。
現在どれだけの人が、「魔法女子ほのか」を語っているのだろうか。
「続きをどういった展開にするか、なんか責任重大な気がしてきたよ」
定夫は、ごくり唾を飲んだ。
「気がする気がしない、ではないでござるよ。続きを作るのであれば、これだけの人がいることをしっかり受け止めて、よりよい作品を作る義務があるでござるよ。ニンニン」
モニターに映る掲示板のメッセージへと、トゲリンは脂肪まみれの手のひらを差し出した。
「な、なんか凄いことになってきましたね。本当に」
「ぼくたちのように、グループとして小さいからこそ可能な、視聴者とキャッチボールが出来るような、そんなものを作れたら最高だよね」
「いやいや、既に半分それだろ。だってネット民たちの反響が、本編を作る原動力だったんだから。……しかし返り見るに、ほんと凄いアニメを作ってしまったんだなあって思うよ。我ながら。いや、我々ながら」
「アニメマニアのアニメマニアによるアニメマニアのためのアニメでござるな」
「そうだね。もちろん一般も歓迎だけど。なんかやる気が出てきたあ! よおし、しっかりプロット固めて、矛盾点も吸収して、後世に残るような凄い作品を作るぞお!」
八王子、すっかりハイテンションであった。
「伝説を作るでござるでばざーる!」
そのハイテンションっぷりを受けて、トゲリンもネチョネチョ声を張り上げ絶叫した。
「ほのか、ウイン!」
敦子が唐突に右腕を突き上げた。ほのかの勝利ポーズだ。
「あたしの、生涯の代表作です!」
「ウイン!」
八王子とトゲリンが同時にズバッと、ちょっと遅れて慌てたように定夫も腕を突き上げ、敦子と腕を並べた。
「ほのかあ、ウインッ!」
三銃士とダルタニャンの大声が、むさ苦しいオタ部屋にバリバリ轟くのだった。
3
ある晴れた日の晩。
まあ家の中なので天気はあまり関係ないが、沢花祐一は家の居間でソファに腰掛けのんびりテレビを観ていた。
アニメではない。健康情報バラエティだ。
彼は別に健康オタクというわけではないが、この番組は出演者や演出の面白さが好きで、よく観ている。
テレビの音声に混じって階段の方から、
「ふんふんふーん」
と、微かな鼻歌が聞こえてきた瞬間、祐一の顔がピクリ痙攣した。
ふーーっ、とため息、条件反射的にげんなり顔になっていた。これが漫画なら、顔に無数の縦線入っているくらいの。
鼻歌が大きくなってきた。
二階から降りてきた妹の敦子が、すーっと滑るように軽やかな足取りで居間へと入ってきた。
ふっふふっふふーん、笑顔鼻歌、祐一の前を行ったりきたり。祐一の膝とテーブルとの、狭い間を強引にスキップで抜けようとして突っ掛かって思い切りコケたり。
この数日、いつもこんな調子である。
尋ねて欲しいのだろう。
聞いてもはぐらかして教えないくせに。
絶対に無視してやる、と思っていた兄であったが、目の前でくるくるくるくる回り出すなど妹のあまりのうっとうしさに忍耐限界、
「機嫌がいいじゃんかよ」
結局、話しかけてしまった。畜生。
「いやあ、普通だよお」
にまあーっ。敦子は、まるで加熱したバターのようにとろける笑みを浮かべた。
「ちょっといいことあったとかあ、そんなこと全然ないよお。だってあたしまだ夢のスタートラインにも立ってないしい」
ふんふん、くるくる、スキップでコケると、ぐおっと勢いよく立ち上がり(兄の視界を完全に塞ぐように)、
「さーて今日もはりきって発声の特訓だああ! まずはキャラ百本ノック! 『なにやってんだよお』を、女子大生でえ、なにやってんだっよーーっ!」
「テレビ観てんだよ! 邪魔だあ!」
怒鳴り声を張り上げながら、妹の頭を容赦なく二度ほど殴り付けると、部屋から叩き出した。
どうせまた三十秒くらいで、何事もなかったようにニヤニヤしながら戻ってくるのだろう。うおーっ、とか部屋の中を小走りしたりして。
ふーー、とため息ひとつ。
三十秒後、祐一の予言は的中した。
4
「魔法女子ほのか」という壮大な物語を完成させるべく、四人は日々集まっては、着々と構想を練り続けていた。
四人、
レンドル 山田定夫。
トゲリン 梨峠健太郎。
八王子 土呂由紀彦。
敦子殿 沢花敦子。
構想の大枠は、もうだいたい固まりつつあった。
まず決定事項としては、大きく次の三つ。
続編構想会議の初期に八王子が提案した、血で血を洗うドロドロ展開で行こうということ。
四人の魔法女子は、異世界しかも既に滅んでいる古代人が作り出した元素種から生じた人造人間であるということ。
対立の構図としては、「ほのか、ないき」対「らせん、かるん、ありむ(魔法女子の新メンバー)」。
現在検討中なのは、シリアル路線への移行タイミングと、ラストである。
特にラストが喧々囂々、いくら話し合ってもなかなか方向が定まらない。
地球が滅び、宇宙すらも消滅してすべて無に帰すのが、定夫の案。
ほのかたちは滅ぶが、地球は救われて終わるのが、ネチョネチョの案。
地球もマーカイも魔法女子も滅ぶが、ほのかたちの起こした奇跡に、地球が異世界と融合を遂げて復活するのが、八王子の案。
敦子は、自分で考えた案はないが、どれかを選ぶのであれば八王子派だ。姿形こそ別物とはいえ、元気なほのかたちを見ることが出来るからだ。
会議初期には、「それは悲しすぎるだろう」と、八王子案を否定していた定夫であるが、救いのなさという点では定夫の案が一番酷い。
その救いのなさから、何を学ぶかだ。と定夫は思っている。
第一作目(エピソード3)であるが、設定が完全でないまま見切り発車で作り上げてしまったものだから、振り返って見るまでもなくかなりの矛盾点を含む作品になってしまっている。
その矛盾を解消するのみならず、むしろ昇華させるような、巧みかつ斬新な設定を作ること、
ラストをどうするかということ、
ほのか側にも新魔法女子を作るべきか否か、
と、いった点をはっきり決めきってから、コンテ作りやビジュアルデザインに取り掛かろう。と、日々熱く語り合いながらシリーズとしての概要を煮詰めていく定夫たちであったが、
青天の霹靂に、彼らのアニメ作りは急転直下の展開を迎えることとなった。
いや、予見出来ないものでは、決してなく、むしろこの活動の真っ直ぐな延長上に用意されていたもなのかも知れない。
いずれにしても、彼らを驚愕させる衝撃が襲ったのは間違いのないことだった。
なにが起きたのか、説明しよう。
ある一件のメールが届いたのである。
もう三日も前のこと、ただ、気付いたのはほんの少し前だ。
ほのか制作委員会(正式名称は、スタジオSKY&A)として取得公開しているメールアドレスが一つあり、それを各々の携帯電話に転送して各々閲覧しているのだが、毎日毎日あまりに膨大な件数が届くため、四人ともすっかり見落としていたのだ。
気が付いたのは、敦子である。
新キャラのキャスティングに備えて、知り合いからのメールを検索していた際に、たまたま発見したものだ。
差出人は、あるアニメ制作会社の担当者であった。
メール内容を単刀直入に説明すると、
魔法女子ほのかを、テレビアニメ化したい。
どむっ!
涙目で狂乱したように慌てふためく敦子に急かされるようにメールを目にした瞬間の、定夫の、心臓の音であった。
とてつもなく分厚い脂肪の奥なので、聞こえるはずもないかも知れないが、でも確かに定夫は、自身の胸のたかなりを聞いたのである。
どむっ!
どむっ!
続いて、トゲリンと八王子の、心臓が爆発した。
他人の心音がこうして聞こえてしまうくらいだから、自分の音が聞こえるくらいは当然というものであろう。
心臓の音などかわいい方で、トゲリンなどギョンと槍のように鋭く飛び出した目玉が眼鏡のレンズを突き破っていた。咄嗟に避けなければ、定夫の脳天はほぼ間違いなく槍に貫かれて即死していただろう。
現実に心が戻るまでに、どれだけの時間を要したであろうか。
定夫は、そおっと手を伸ばし、トゲリンの腕をぎゅうっと思い切りつねってみた。
「痛い!」
ネチョネチョした悲鳴が上がる。
夢じゃない。
ごくり、と定夫は唾を飲み込んだ。
ネットでの高評判を受けて、テレビアニメ化という野望は夢として抱いてはいたが、そう簡単にかなうようなものではないことも理解していた。
続編を作るにしても、あくまで同人誌のような、分かる人に分かってもらえばよい、というそんなレベルの代物であろうと心の奥では思っていた。
それが……
こんなにあっさりと、他から展開の話が来て、
しかも、それがいきなりテレビアニメとは。
ネットでもOVAでもない、王道の中の王道であるテレビアニメ。
夢としか思えないが、だが現実なのだ。
このメールを信じるのであれば、という前提付きではあるがこれは現実なのだ。
嗚呼、
テレビアニメ化。
どこだろう。東京TXかな、やっぱり。深夜枠かな、やっぱり。贅沢はいっていられないが。
意外と人気が出て、一期、二期、三期、とシリーズ化したりして。
OVA化、したりして。
劇場アニメに、
ゲーム化、
スピンオフ、
漫画、
落語、
意表ついて紙芝居、人形劇、
カード入りほのかスナック、
トレーディングカード、
山手線で、車体広告、
小説、
フィギュア発売、
制作者インタビュー、
海外で放映、
つまり、
世界征服!
伝説の、始まり……
そんな言葉を胸に唱えながら、
定夫は、
ぎゅっと、脂っぽい拳を握りしめたのである。
5
「おお、押す、押すでござるよっ」
震える定夫の声。トゲリンのようなサムライ言葉になっているのは、いかなる理由か。
同じ長椅子にぎゅうっと肩寄せひしめき合うように座っているトゲリン、敦子、八王子が、緊張した面持ちで定夫の言葉にこくこく頷いた。
定夫を含め四人とも、バリンバリン割れそうな顔だ。
テーブルの反対側には一人掛けの椅子が二台並んでおり、うち一台に、薄い色のサングラスをかけた背広姿の中年男性が座っている。
その隣は空席。サングラスの男性が、「こっち空いてるから」と促したのに、定夫たちが「メッサーラ、じゃなくてメッソーもないっ!」と、首と手をぶんぶん振って断固拒絶したのである。
と、そのようなわけで定夫たちは現在、米も餅になりそうなほどにぎゅううーっとくっつき合っているのであった。
ここは東京都杉並区和田にある、小さなビルの四階。
星プロダクション。
日本アニメが好きな現代人ならば知らない者はいないくらいに有名な制作会社の、自社ビルだ。
代表作は、「爆王伝ガイ」「くじゃくピーコック」「はにゅかみっ!」など。
「おお、押すっ、押すでござるよ」
定夫は、もう一度いうと、ぶっとい指につままれた判子を、ゆっくりと下ろしていった。
緊張した表情でトゲリンたちが見守っているが、四人の中で一番緊張しているのは、間違いなく判子を手にしている定夫自身であろう。
指先どころか全身が、雨に濡れた子猫の身震いのようにぶるぶるぶるぶる。子猫と違うのは、撒き散らすのが雨粒ではなく汚らしい脂汗というところか。
ちょっと気を落ち着けよう。ふーっ。落ち着こう。ふーっ。と、いったん手を引っ込めると、ポケットからハンカチを取り出して、眼鏡の下にもぐらせて顔面をぐりぐり拭った。
拭っても拭っても、脂汗がとめどなく滲み出て来る。
緊張からの汗だ。
脂肪に揉まれながらどくどく動く心臓が、その脂肪をぶちゅぶちゅ押し出しているのだ。そうかどうかは分からないがおそらく間違いない。
定夫は、この杉並区の地に降り立ったのは、今日が初めてだ。通り過ぎて秋葉原に行くのはすっかり慣れっこだが、地に降りたのは初めて。
世田谷とか、渋谷、新宿、池袋など、いわゆる山手線の西側やその近辺といったオシャレゾーンはただの一度も利用したことがない。いつも行くのは秋葉原、上野。行く用事はないが一番心が落ち着くのが新橋と巣鴨。
という事情というか性癖というか、からくる緊張もなくはなかったが、彼を現在襲っている緊張は、また別の、もっと、格段に、遥かに、とんでもないものであった。
何故ならば定夫たちは、
「『魔法女子ほのか』の著作権を譲る」
という契約書に判を押しに、ここまできたのだから。
譲渡にあたっては満場一致で即決したものではなく、色々と揉めた。
当然だろう。著作権を譲り渡すということは、自分たちに制作・発表の権利がなくなる、自分たちの所有物ではなくなる、ということなのだから。
せっかく続編構想を練っていたというのに。
定夫は最初から譲渡賛成派であったが、葛藤もあった。
だが彼は、こう考えた。
「コノアニメヲミロ!」で、ネット配信アニメながらもその他一般のアニメを抜かしてランキング一位を獲得してしまった時から、テレビアニメ化は夢ではなく現実に起こるのではないか、と考えていたはずだよな、と。
そうであればこそ、まずは地に足をつけて一本ずつ前進しようということで、続編計画に乗り気であったのだから。
つまりは、花開くのが予想していたよりも早くなっただけなのだ。
作品が産みの親である自分たちの手を離れるのは寂しくもあったが、「魔法女子ほのか」をよりたくさんの人々に知ってもらえる喜びが勝り、反対派の八王子を説得、中立派の二人を含む四人全員が、最終的には賛成の方向で一致し、かような地にてかような運びと相成ったわけである。
さて、
キャラクターや舞台背景などの設定書、前後のストーリー展開、などはもう向かい合っている星プロの増田さんに差し出してあり、後は判子を押すばかり。
定夫はいよいよ決心したか、南無と小さく呟くと、判子を持った右腕をぶいんと高く勢いよく振り上げた。
その際にガスッと敦子の頬に思い切りパンチをくれてしまったが、定夫も敦子も凄まじいまでの緊張のためか全然気付いていなかった。
「ままよっ!」
人生で一回いってみたかった、ままよの叫びの勢いと裏腹に、定夫の手はそおーーっと静かに降りていき、
そして、
ついに、
契約書に、判子が押されたのであった。
それは、「魔法女子ほのか」のテレビアニメ化がほぼ決定した瞬間でもあった。
6
なお彼は高校生つまり未成年であるため、あらかじめ自宅で保護者の判子も押してある。そんな得体の知れぬ物に誰が押すか、と父親が渋りに渋って、説得には相当な苦労を要したのだが。
とにかくそんなこんなも苦労は昔、これにて契約は締結。
作品に関する権利の譲渡は確約された。
なお、定夫たちへ支払われる契約金は五十万円。
「妥当なのか、少ないのか」
契約処理をすべて終えて、星プロのビルを後にしながら、八王子が呟いた疑問である。
「多くはない、と思う。でも、ふっかけるってことをしたくなかったんだよなあ」
と、定夫は遠い視線で、故郷武蔵野よりほんのちょっぴり微妙に汚れているであろう青空を見上げた。
かっこつけでいったのではなく、本心だ。
でないと、「ほのか」という作品、その存在が汚れてしまう気がして。
自分たちの血と汗、涙が、すべて台無しになってしまう気がして。
「ま、そうだよね。ワクワクしたかったから、作品を作ったんだもんね」
「ワクワクどころじゃないです! あたしは途中からの参加ですけど、自分たちの作ったものがテレビアニメになるんだから、こんな素敵なことはないですよ。普通の高校生には、そうそう出来ない体験です」
敦子は、ふふっと満足げに笑った。
「ある意味、五十万は悪くないでござるよ。自主制作アニメをブルーレイ販売しようものなら、流通経路の確保に相当な投資が必要になり、運がよくても儲けは些細、下手をすれば大損でござるからな。ネットに投稿というだけならば、コストはサーバーレンタル代だけであるため、有料アクセスにすれば幾らかの儲けは出るかも知れないが、視聴者がぐっと減ること間違いない」
「観てもらえなきゃ、なんのために作ったのか分からないからな。テレビアニメならば、観たい人はみんなが観ることが出来る。ということは、テレビアニメ化でみんなが観てくれる上に、こっちからお金を払うどころか逆に五十万円も貰えるんだから、トゲリンのいう通り悪くない話ということだよな」
「そうだね」
八王子が頷く。
「で、お金をどう分配するかなんだが。アニさくとUSBマイクで四十万円近くかかっているから、これを必要経費ってことでそこから払って、残りの十万を四分割ってことでいいと思うんだが。少し余るけど、それは祝テレビ化の打ち上げに使うってことで」
「うん。いいんじゃない、それで」
快諾する八王子とトゲリンであるが、
「いえいえいえっ、いただけませんっ! どうか三人で分けて下さい。あたし、なんにもしてないですからっ! 参加させて貰えただけで充分に満足なんです!」
と猛烈に拒絶しまくるのは敦子殿である。両手と首とをぶんぶん振って足元バタバタさせて、まるで滑稽なダンスを踊っているかのようであるが。
「なんにもしてないことないだろ。そもそも敦子殿の声がなかったら、ここまでの作品にはならなかったんだから。おれたちに声のトレーニングだってしてくれたし、エンディングだって歌ってくれた」
敦子に対して、なんだかかっこつけた台詞をぺらぺら吐いている定夫。
ほんの数ヶ月前まで、じょ女子イイィヒィなどと泥まみれで砂場を這っていたのが嘘のようである。
「でも……」
と、なおも渋る敦子に八王子が、
「生涯の代表作、って自分でいっていたじゃんか。その代表作で、プロアマ関係なく声優人生初の報酬をゲット、ってことでなんの問題もないんじゃない?」
その言葉に少し考え込む敦子であったが、やがて、申し訳なさそうに微笑んで、
「そう考えると、いただかなきゃならないのかなって気持ちになってきました」
「よし。じゃあ報酬分配の件はこれで解決だね。……でもさあ、よくよく考えると、権利を譲渡するのではなくて、放棄しないままで印税の話とかに持っていってもよかったのかもね」
「いやいや、これでよかったんだよ」
我々の生んだ作品を、プロがしっかりとしたものに作り直して世に送り出してくれるのだ。
ならばそれを信じて、我々は放送される日を楽しみに待とうではないか。
種を蒔いた、という誇りを胸に。
定夫は再び、東京の汚れた青空を見上げたのだった。
澄んだ瞳で。
鼻からは、ちょっと濃い目の鼻水が垂れていたが。
ちょっと遠回りして帰ろうか、という八王子の提案に、中央総武線で山手線の輪っかをぶっちぎって秋葉原へ直行。
それぞれ好きなグッズを買い、そのまま徒歩でぶらぶら雑談しながら神保町へ。
そこで本を買い、雑居ビル二階の古本屋奥にある有名な欧風カレー店へ寄り、テレビアニメ化について希望期待を熱く楽しく語り合い、それから帰路に着いたのであった。
6
そして、時は流れる。
長いような、短いような、半年という月日が。
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