八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百四十九話 夏は終わりでもその三
「そして勝海舟さんとはな」
「仲が悪かったんでしたね」
「共にアメリカに行ったがな」
幕末の咸臨丸でだ、この時二人は同じ船にいたのだ。
「勝さんはずっと船酔いに悩まされていたが」
「最後の最後で大きなことを言って」
「福沢さんが腹に据えかねてな」
それでだったのだ。
「福沢さんは生涯勝さんを嫌っていた」
「そうした関係でしたね」
「だから居合と直新陰流はな」
「そちらからもですか」
「また違う」
まさに水と油だというのだ。
「そのことも実感している、だが」
「だが、ですか」
「畑中さんの強さは本物でだ」
「免許皆伝をも超えた」
「そのお強さだ」
「だから九段にもなれたんですね」
「そうだろう」
十段は柔道でも完全にあえて空位にしているので実質的に最高段位である。
「まさにな」
「そうですか」
「しかもお心も鍛えておられる」
腕だけでなく、というのだ。
「そのことも素晴らしいことだ」
「確かに相当な人格者ですね」
「居合では流石に少ないが」
ここでだ、井上さんは眉を顰めさせてこんなことを言った。
「剣道でも鍛えた身体を浅ましい暴力に使う輩がいる」
「剣道でも空手でも柔道でもいるんだよね」
日菜子さんも言ってきた、やっぱりその眉は顰められている。
「見に着けた腕や力を暴力に使う奴って」
「嘆かわしいことにな」
「どの世界にも腐った奴はいてね」
そしてというのだ。
「生徒や後輩や弱い相手を殴ったり蹴ってね」
「痛めつけて喜ぶ輩がいるな」
「力が強い、しかも立場まで悪用してね」
先生や先輩に反撃出来るか、しかも自分よりも遥かに力が強く腕も備えている相手に。それが出来る人はそれはそれでかなりの勇気の持ち主だ。けれどそんな勇気の持ち主は滅多にいないものだ。
「殴って蹴ってとかね」
「外道だ」
「まさにね」
「居合では少ないがな」
「居合は切るだけだからね」
「型だ、型を備えるものだからな」
つまり腕だ、しかもそれは人を殴ったり蹴ったりするものではない。真剣で斬るものである。
「そこに暴力が介在する要素は少ない」
「空手とかと違ってね」
「剣道ともな」
「剣道の場合は竹刀もあるしね」
それで殴ることは言うまでもない。
「顧問の先公が竹刀蹴っ飛ばしたりとかね」
「あるな」
「空手でもそんな先公いるよ」
「心の修練が全く出来ていない奴がな」
「ああ、けれど畑中さんはね」
翻ってこの人はというと。
「そこもちゃんと出来てるからね」
「だから素晴らしい」
「全くだよ」
「本当の武道、というかスポーツはね」
「心もですね」
「鍛えるものだからさ」
それでというのだ。
「健康な肉体だけじゃなくてな」
「健康な精神もですね」
「育てるべきなんだよ」
「暴力を振るう様な先生や先輩は」
「それが全く出来ていないんだよ」
日菜子さんは蔑む顔でそういった連中を一言で否定した。
「それこそ空手何段でもな」
「そうした奴は」
「駄目なんだよ、それでな」
「それで?」
「飯食いに行こうな」
笑ってだ、日菜子さんは僕にこうも言った。
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