レーヴァティン
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第四十話 偸盗その九
「瓶詰めもな」
「それではそちらも」
「造っていこう」
「そうしましょう、そしてですね」
「今はだな」
「若し川魚でお刺身を食べたいなら」
その時はというのだ。
「一旦凍らせましょう」
「今は中の虫を殺す為だな」
「川魚の虫は非常に厄介です」
身体の中に入れてしまうとだ、実は人類はかつてこうした寄生虫達によって多くの犠牲者を出している。
それでだ、良太もこう言うのだ。
「ですから川魚を生で食べる時は」
「凍らせるか」
「そうして食べましょう、これは鮭も同じです」
「鮭も刺身でも美味い」
「鯉と同じく、ですから」
「鮭もか」
「生で食べたいのなら」
つまり刺身でだ。
「その時はです」
「一旦凍らせることか」
「そうして食べるべきです」
「わかった、ではな」
「そうして召し上がられますか」
「食うまで時間がかかっても後で嫌なことになるよりずっといい」
寄生虫に悩まされるよりはとだ、英雄は言い切った。
「だからな」
「では」
「その時は凍らそう、そして今はな」
「果物をですね」
「食おう、その都度食いものを手に入れてな」
「大江山までですね」
「行くか、その後で四人目だ」
その者がいそうな山にというのだ。
「行くか」
「そうしましょう、賊はです」
「後回しには出来ない」
「はい、後に回せば回すだけです」
その分だけだというのだ。
「悪事を働きます」
「その間にな」
「そして多くの人が困りますので」
「真っ先に出向いてな」
「成敗すべきです」
「そうだな、どうもこの世界は餓えには困っていない」
少なくとも室町時代の日本よりは遥かにいいというのだ、このことは英雄がこれまで歩いた中でわかっていることだ。
「至る場所に田畑があって見事なものだ、薩摩芋や馬鈴薯もある」
「芋類があるとです」
謙二もこのことについて言及した。
「痩せた土地でも多く採れるので」
「それだけ餓えから解放されるからな」
「実際に江戸時代に大々的に薩摩芋の栽培がはじまって」
蘭学者青木昆陽の功績である、蘭学者としてよりも薩摩芋の栽培により有名だがこのことにより多くの者が餓えずに済んだのであるから巨大な功績である。そしてその栽培を認めた徳川吉宗の功績でもある。
「多くの者が餓えから解放されています」
「馬鈴薯もだな」
「はい、そちらでもです」
「ドイツだったな」
「あの国が今に至る土台になりました」
民衆が餓えという究極の貧しさから解放されてそこからはじまった、これはプロイセンのフリードリヒ大王の功績だ。
「ですから」
「芋があるとな」
「餓えがかなり軽減されます」
「それでこの島はな」
「室町期や戦国時代の日本を思わせますが」
「しかし遥かに豊かだ」
餓えからもかなり軽減されていてというのだ、そしてこのことからさらに話す英雄だった。
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