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八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる

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第百三十二話 残暑に入ってきてその十二

「そのこともありまして」
「楽しかったですか」
「非常に」
「そうだったんですね」
「楽しいものです、ですから」
「ピアノも芸術であり」
「娯楽でもあります、自分も楽しんで」
 演奏してそしてというのだ。
「聴く人も楽しむものですね」
「素晴らしい音楽を」
「そうしたものなので」
 だからだとだ、早百合さんは僕に穏やかに話してくれた。
「私にしましてもそう考えています」
「裕子さんと同じで」
「芸術と娯楽の違いは大きくはありません」
「むしろ小さいですか」
「隔てているものもないかと」
 壁やそうしたものはというのだ。
「芸術というと高尚ですがそうしたものです」
「芸術と娯楽は違わなくて」
「漫画もそうですね」
「はい、そういえば文学も」
 こちらも芸術とされるけれどだ。
「昔はどうってことのない」
「娯楽小説だったりしました」
「そうした扱いでしたね」
 ここで僕は太宰治が織田作之助や坂口安吾と座談会で言っていたことを思い出した、織田作之助が東京に作品の取材に来ていたもう彼が亡くなる直前のことだ。
「哲学書を読むふりをして小説を読むとか」
「どちらでもいいのでは」
 裕子さんが言ってきた、僕のその言葉に。
「いいと思えば」
「そうですよね」
「私は哲学書は読まないですが」
「あっ、そうなんですか」
「ワーグナーでよく哲学の影響が言われます」
「ワーグナーで」
「トリスタンとイゾルデでショーペンハウアーが」
 確か森鴎外の作品で聞いた名前だと思うと裕子さんはすぐにこう言ってきた。
「厭世哲学ですね」
「厭世、ですか」
「この世に疎いものを感じている」
「もう嫌になっている」
「そうした思想があるとです」
 ワーグナーのその作品にはというのだ、この作品はワーグナーではかなり有名な作品というけれど実は僕はローエングリンとかの方が好きだ。クラスの女の子はジークフリートやこちらの方がいいと言う娘が多い。
「言われています、ですが」
「裕子さんは哲学書はですか」
「読みません」
 はっきりとした返事だった。
「小説は好きですが」
「そうなんですね」
「あとは漫画も読みます」
 こちらもというのだ。
「その二つで」
「小説と漫画ですか」
「それ以外はあまり読まないです」
「それで哲学書も」
「ですが小説とどちらが高尚か、それはです」
 そうしたことはというのだ。 
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