八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第百十八話 大浦天主堂その十一
「坂道が多いのです」
「そうですね」
「では」
「ここを上って」
「行きましょう」
その神がいる場所にだ。
「今から」
「はい、この坂道を上がって」
とにかく普通の場所にはないその坂道を上がってだ、僕達は天主堂に向かった。そしてその天主堂の前に来るとだ。
ふとだ、僕は早百合さんにこんなことを言われた。
「ここには長い間キリスト教徒がおられたそうで」
「ああ、江戸時代の間も」
「長い間禁じられていました」
キリスト教への信仰がだ。
「江戸時代は」
「そうだったんですよね」
「奴隷のことを警戒されて」
それでだ、豊臣秀吉が日本人がキリスト教を通じて海外に奴隷として売り飛ばされていることを聞いて仰天してその奴隷になっていた人達を買い戻して救ったことがあった。豊臣秀吉一代の善行と言える行いだ。
そしてこのことからだ、秀吉は切支丹即ちキリスト教を禁止して徳川幕府も暫く考えてから禁止したのだ。島原の乱でそれが一層強まったのだ。
「それで」
「それは奴隷はですね」
「警戒されても仕方がないですね」
「そうですよね」
本当にそうした意味で太閤さんと徳川幕府の決断は激しい。民衆を奴隷にすることを完全に否定したことは。
「それ自体は、ですが」
「はい、正しい信仰はです」
「その禁止の中でもですね」
「残っていまして」
話をしていて矛盾していると思った、信仰を利用しての奴隷化と奴隷を禁ずる為に信仰を否定することに対しての正しい信仰。どうにも話が合わないと思った。
そのことを思いつつだ、僕は天主堂を見てまた言った。
「二百年以上禁じられていて」
「残っていました」
「それも凄いですね」
「江戸時代の禁止令は厳しかったですが」
踏み絵までさせてそして踏まないとかなり残酷な処刑を行っていた。処刑の前に信仰を捨てれば助けると言っていても当時では世界的に見てかなり人道的だった徳川幕府も切支丹には別だったということか。何しろ民を奴隷にされて売られてはたまったものではないから。
「残っていました」
「そうだったんですね」
「そしてここで二十六人が殉教していまして」
「二十六聖人ですね」
「そうした意味でもです」
「歴史的な場所ですね」
「原爆でも残りました」
長崎のそれだ、幸い爆心地から離れていて坂道が多かったお陰でだ。
「そうなりました」
「それもよかったですね」
「はい、あの原爆ではです」
早百合さんは今回は観に行っていない原爆の話もした、こうした話も大事だとは思うけれどすぐに変な団体が出て来るので最近はどうかとも思っている。
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