| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

高潔な教師

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

第四章

「そうした主義ですので」
「外相は受け取りますがね」
「タレーランですか」 
 ここでフーシェの顔に微かに嫌悪が宿る。彼とタレーランは犬猿の仲なのだ。
「彼は確かに賄賂を受け取ります」
「そうしていますね」
「しかし依頼された仕事が果たせなければその賄賂は返します」
 お世辞にも清潔ではないがそうしたことはするというのだ。
「そして私はです」
「別に賄賂ではないですが」
「生徒から何かを受け取る教師はいません」
 だからだというのだ。
「私は誰からも何も受け取りません」
「以前と同じくですね」
「はい、そうです」
 まさにだ。そうだというのだ。
「このことは変わりませんので」
「そうですか」
「ただ。私は有り難く思っています」
 生徒達にだけはだ。こう言うのだった。
「私のことを言って頂いて」
「真実ですから」
 それ故にだとだ。生徒達は切実に言うのが常だった。
「政治家としての私もです」
「その時の先生もですか」
「はい、事実ですから」
 真実、そして事実だというのだ。
「いいのです」
「ではお聞きします」
 生徒達も常に問うた。こう言う彼に対して。
「どの先生が本当の先生でしょうか」
「教師としての私、政治家としての私ですか」
「私達は先生を立派な方だと確信しています」 
 彼等にとっては心から尊敬している素晴らしい教師だ。恩師と言ってもいいまでの存在である。教師としてのフーシェは。 
 だが政治家としての彼、世間の者の殆どが言う彼はというのだ。
「あまりにも違いますので」
「ですからそれもまた私なのです」
「そうなのですから」
「私は教師であり政治家です」
 これもまたフーシェの持論だった。
「それが私なのです」
「そうですか」
 生徒達は穏やかでかつ知的な笑みから言われるこの言葉を聞くのだった。フーシェは常にこう語っていたのだ。
 ニコラス=フーシェはフランス革命の中で生まれた怪物の一人だと言われている。宿敵だったタレーランと同じく。彼の作り上げた秘密警察は後にナチスやソ連にも受け継がれハイドリヒやジェルチンスキーといった魔性さえ感じられる人間達を生み出すことにもなった。
 フーシェは多くの者を殺し多くの者から恐れられ憎まれ嫌われた。だがその一方で彼の教師として、家庭人としての高潔な顔もまた伝えられている。どちらが本当のフーシェなのか、はっきりとは言えない。しかしそのどちらの顔も伝えられて話に残っている。それもまた事実である。冷酷な秘密警察の創設者、粛清の立役者が高潔な教師であり温和な家庭人だったこともまた。


高潔な教師   完


                      2012・7・27 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧