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殺人鬼inIS学園

作者:門無和平
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番外編:殺人鬼の昔話2 下

 
前書き
今回グロいです。あと独自解釈マシマシです。 

 
「お前の察する通り、『あれ』は本来……篠ノ之箒を名乗る筈だった。だが、『あれ』は期待どおりに育つことはなく、周囲を下等と認識して無視を決め込む難物と成り果てた」

 ぽつりぽつりと、柳韻は語り始めた。長姉に込めた期待と失望を。そして込めていた期待は総て次女に継がせたということ。そして。

「そもそも、『ほうき』とは伯耆国に因んで付けた名前だったのだ。お前も知っておるだろう。日本最古の大業物を産み出した国の名前が伯耆国だ。新たな伝説を打ち立てるような子に育って欲しかったのだ」

 そこで柳韻は嘆息する。

「鳶が鷹を生むという言葉があるが、『あれ』はもう鷹の次元を超えた存在だ。謂わば産み落としたのは化性の類。鬼や鵺の様な奴よ」

 渇いた口中を潤すべく、柳韻は瓶の酒をラッパ飲みで以って飲み干した。灼熱の奔流が胃を荒らしたが、不思議と熱は体内に広がらなかった。

「だからこそ……『あれ』を常人に戻すべく努めた。だからこそ、与えた名前が『束』であったのだ。戦国期に濫造されたなまくら刀、『束打』にあやかるかたちで、ナ。」

 ひぃっく。と大きなしゃっくりを一つ零した柳韻は、再び酒瓶を煽った。既に中身は尽きていたが、柳韻にとっては最早どうでも良かった。

「『あれ』が何を考え、何をなそうとしているかについて、今更知ろうとは思わん。ただ、『あれ』が凡愚と罵る者達にまかり通る理を識らねば、決して世の中は渡れないということを知って欲しかったのだ」

 柳韻はここで大きく息を吐くと、机に広げられた写真に目をやる。蔵の蟲や鼠に所々を食い荒らされ、それらの糞と小便によって色褪せたそれは、家族写真だった。まだ妻共々若く、子を育てるという行為に不安以上の希望を抱いて輝いていた時代の残滓が目に痛かった。


「それでは、此処で御暇しましょう」

 黙して聴き入っていたラシャは、柳韻ほどではないにしろ、それなりに呑んでいたにも関わらず、しっかりとした足取りで立ち上がった。唐突の態度の豹変に、柳韻も慌てて立ち上がる。

「ま、待ちなさい!いきなりやって来たのはこの事を訊くために……」

 しかし、加齢に加えて酒の酔いが回った脚に充分な力は入らず、無様にバランスを崩して膝を折る体勢になってしまった。

 それがいけなかった。

「いいえ、もう一つやり残したことがあります」

 その時、柳韻の世界が極彩色に包まれた。同時に下肢全体に形容しがたい鈍痛が寝小便のように広がる。消えたラシャよりも、不快なまでに訴えてくる鈍痛よりも、眼前の悪趣味な風景に柳韻は一瞬困惑した。
 すぐに柳韻は気付いた。眼前の風景はテーブルクロスの模様。今、自分は机の上に突っ伏しているのだ。
その瞬間、背中に「ひやり」とするものを感じた。剣一筋に生きて来たとは言え、真剣勝負の経験の無い柳韻にとって、初めて感じた殺気であった。
 がばりと跳ね起きると同時に、眼前のアラベスク模様に深々とアイスピックが突き刺さった。その柄を握るは、先程まで酒を酌み交わしていた息子同然の愛弟子だった。

「貴方を殺してお暇致します」

 その声は、初めて聞く声色のように思えた。


 柳韻は、呆然と殺気の残滓を孕んだアイスピックと、自らへの殺気を微笑む儘に撒き散らすラシャを交互に見つめていた。下半身を尚揺るがす痛みは、客間の壁と机に身体が挟まれてしまっているのが原因だった。机の縁に無作法に乗せられたラシャの片足がそれをさせたのだ。

「な、何故?」

 口をついて出てきた疑問は、ラシャの突き出された掌によって静止された。

「始めに言わせて頂きますが、貴方を殺すということは私の私怨であり、どうしようもない我儘です。見下げ果てた願望だと言っても良い」

 そこで、ラシャの表情は初めて憤怒の形相を見せた。

「だが、貴方が『あれ』と呼ぶ怪物によって、俺の未来は塗りつぶされました。何れ引導を渡すつもりですが、その前に怪物を産み、放置した諸悪の権化には報いを受けて貰わなければならないと思いましてね」

 編田羅赦は冗談を言う男ではない。だからこそ、柳韻に相対しているその姿は悪鬼羅刹そのもので、その眼に爛々と輝く憎悪の炎が、今まさに柳韻を焼き殺さんと灼熱の手を伸ばしていた。



 突き立てた凶器には目も呉れず、ラシャは懐からナイフを抜き放った。柳韻はその一瞬の隙きを衝いて、机を蹴り返した。バランスを崩したラシャは、畳を転がるも、達磨のように直ぐ跳ね起きた。とても先程まで酒を呑んでいたとは思えない動きに、柳韻は舌を巻いた。

「侮ってた。意外と動けたんだな、先生」

「抜かせ!」

 ラシャの嘲笑に歯を剥く柳韻は、床の間に飾られていた太刀を手に取る。同時に、体の奥底から形容し難い歓喜に似た高揚感が、恐怖や緊張を塗りつぶすかのように湧いてくることに気がついた。かつて息子同然に鍛えたこの男に真剣を向けることが出来る事に、暗い喜びの様なものを感じたのだ。
 勢いに任せて柳韻は太刀の鞘を払い、ぴたりと正眼に構えた。堂々とした篠ノ之流剣術の構えだ。刀そのものも、江戸時代前期の無銘刀とは言えそれなりの業物だ。信頼できる得物を手に、ラシャと向き合う柳韻。

「最後の警告だ、大人しく縄に付け」

 そこには理不尽に憔悴する父親の姿も、痛飲により悪酔いした老人の姿も無く、篠ノ之流を背負った一剣士の姿がそこにあった。
 如何なる理由があったのかは知らないが、かつての愛弟子はこの数年で悪い意味で様変わりしてしまったと見て間違い無い。ならば、自らにしてやれることは唯一つ。先人として、大人として、この男が更なる堕落に身を委ねる前に道を正してやることのみ。

「断る。篠ノ之束の息の根を止めるまでは、死ぬわけにも捕まるわけにもいかない。その後は磔だろうが鋸挽きだろうが堂々と受け入れる」

 柳韻の差し伸べた救いの手は無情にも払われた。

「そうか……ならば、腕の一本は覚悟しろ」

 一瞬の諦念と共に、柳韻は構えを変える。正眼の構えから脇構えに変えたのは、眼前の若者が自ら丹念に育ててきただけあって、御するのは容易では無い存在であると判断したからだ。だがしかし、剣における道は自らに一日の長がある。若さというハンデがあるも、篠ノ之流を今日の今日まで背負ってきた柳韻に敗北の文字は無かった。

「だあっ!」

 先に動いたのは柳韻だった。脇構えを崩すこと無く、すり足で間合いを詰めた。鈍感な者には畳の上を滑るように動いたかのように見えただろう。正面から相対した時、脇構えは刀の位置を気取られにくいというメリットが存在する。相手の得物が見えなければ、誰しも不安を抱くものだ。長期戦が悪手な状況な今、柳韻はこの一刀に賭けていた。狙うはラシャの両腕。渾身の逆袈裟斬りで以って斬り飛ばす腹づもりであった。
 しかし、柳韻にとって予想外の事態が発生した。ラシャは机を蹴りつけたその足癖の悪さで以って、盆の急須を柳韻に蹴り飛ばしたのだ。すっかりぬるくなった薄緑の飛沫が柳韻の顔面に叩きつけられる。

「ぬ!?」

 剣以外の奇襲に怯んだ柳韻。だが、この程度で怯むほどの弱兵ではなく、渾身の逆袈裟を繰り出した。
剣先に確かな手応えは感じた。だが、柳韻はこの一撃が人体の手応えではないことはすぐに判った。視界が正常さを取り戻した時、眼前には真っ二つに両断されたサバイバルナイフが宙空を舞っていた。
 同時に、柳韻の身体がふわりと浮いた。同時に肝臓の位置に鈍痛が走る。ラシャは急須を蹴り飛ばすと同時に、柳韻のがら空きになった懐へ潜り込み、左肘を叩き込んだのだ。
 
──馬鹿な。

 渾身の一太刀を外すばかりか、手痛い反撃を食らった柳韻は、床の間の壁に背を強かに打ち付けた。それでも利き手の太刀を手放さなかったのは、剣客としての意地であると見て間違い無い。
 咄嗟に構え直そうとするも、峰をラシャに踏みつけられる形で封じ込められてしまった。畳に切っ先がめり込み、柄本の鍔が床板にまで達して止まった。

「あんたは老いた、動きが遅い。もうやめろ、今なら苦しまずに葬れる」

「刀を足蹴にしおって、曲がりなりにも皆伝を受けた篠ノ之流を……邪道で以て辱めるか!!」

 柳韻はラシャを叱るというより、自らを鼓舞するかの如く一喝した。

「これも篠ノ之流ですよ。貴方の家の蔵に眠っていた古文書……篠ノ之組手甲冑術の刀封じの一手です」

 ラシャは柳韻の一喝を呆れ顔でいなし、失望の色を露わにした。

「さて、私の憎悪の捌け口になっていただく覚悟は出来ましたか?」

 ──何故そこまで腐った。

 柳韻の心には様々な感情が蛆虫のごとく這い回っていた。篠ノ之流を弄された怒り、愛弟子を歪めた長姉への憎しみ。そして、自らを此処まで追い詰めた若き愛弟子の才能への嫉妬。
 此処で柳韻は、ラシャの指導をするうちに胸の中にしこりのように蠢いていた違和感の正体に気付いた。剣の道を志した自らより遥かに遅い時期に、素振りから始めた少年が、自らの全盛期を遥かに凌ぐ高みに悠々と立っている。

「っは、ははははははっ……」

 出来れば幼子のように泣きわめきたかった。しかし、現実には渇いた笑いが口から溢れるばかりだ。剣の道においては常人以上に傾倒していたと思っていた。しかし、心の根底に於いて、彼は誰でもなく自分に嘘をついていたのだ。
 自覚すると、総ての辻褄が合っていく。同時に剣の聖を汚す邪道にどっぷり浸かっていた事実が、柳韻の心を空っぽにしていった。
 その心を新たな感情が満たしていく。自覚したばかりの妬心と、理不尽に対する憎悪だ。

「キェアァ!!」

 猛禽が嘶くが如き気合の一声と共に、柳韻の手は稲光の様に走った。貫手と読んだラシャは咄嗟に第二のナイフを取り出して、防御の構えを整えた。柳韻の一撃は徒労に終わるばかりか、自らの掌をいたずらに傷つけるだけに終わるだろう。
 しかし、ラシャの読みは外れた。飛び散った血飛沫は柳韻のものと思いきや、ラシャ自身のものであったのだ。

「!」

 予想を超える事態に、ラシャは凄まじい勢いで後退した。シャツの亀裂から迸る命を、何とか押し留めようと、左手で胸を抑える。

「形勢は逆転、勝敗は既に決したな」

 僅かな愉悦の色を滾らせた柳韻の手には、床の間に飾られていたはずの脇差しが握られていた。大刀同様それなりの業物であるそれは、柳韻の技に応え、ラシャのナイフの刀身を半ばから両断していたのだ。

「まだだ」

 不敵な笑みを浮かべたラシャの表情に、柳韻の顔筋がピクリと痙攣する。

「まだ俺が死んでいない」

 挑発とも取れるその一言は、柳韻にとって看過できぬ響きを孕んでいた。

「貴様っ!!」

 柳韻の鉄拳がラシャの側頭部を打ち据える。畳と障子戸に血の梅華を撒き散らしながら、床の間の壁に打ち付けられたラシャ。皮肉なことに、形成は完全に逆転していた。

「左様な無様を晒しても、その生意気な笑みを浮かべるか!多少才に恵まれた程度の青二才風情が!」

 脇差しを振り上げる柳韻。その表情にはラシャに期待をかけていた師父の顔も、篠ノ之流を背負っていた武芸者としての顔もなく、眼前の若者の才覚と若さに対する嫉妬心によって醜く彩られていた。

「娘と同じでロクデナシだな、あんた」

 ラシャの顔に張り付いた笑みは、はっきりと嘲笑の色を濃くみなぎらせていた。

「そのにやけ面、これを受けても浮かべておられるか!!」

 激昂した柳韻が脇差しを振り下ろした。電光石火の勢いで降ろされた白刃は、ラシャの頭を真っ二つに叩き割るはずであった。

「ぐっ!?」

 しかし、脇差しはラシャの鼻先を僅かにかすって畳に鋒を深く埋めることになった。そして、遅れて噴き出た鮮血が、床の間の掛け軸に毒々しい彩りを加えた。

「ば、馬鹿な……」

 柳韻は己の手を呆然と見つめることしかできなかった。自らの剣道を終始支えてくれた右腕は、手首から先がすっぱりと斬り落とされていたからだ。
 しかし、それよりも不可解な部分があった。追い詰めたはずの若造の手には、畳を貫いて抜けなくなったはずの大刀が握られていたからだ。最早痛みは脳に入ってこなかった。

「何故……それを握っているんだ!?」

 どうにか言葉を紡ぎ出した柳韻。対するラシャは歯を見せて嗤うと、まるで魔法か何かのように、手から大振りの鉈を取り出してみせた。次の瞬間には、鉈は光に包まれて文字通り霧散した。

「驚きました?」

 幼子が親の前で手品を披露するように、次々と懐中から武器を取り出しては霧散させていった。

「こんな奇特な体になったのも『白騎士事件』……あれがすべての発端です」

 既にラシャの表情から笑みは消え失せ、憤怒のためか僅かに紅潮の色を残したまま話を続ける。

「あの日、俺は一夏と一緒に家でゲームをしていた。その時、轟音とともに目の前が真っ暗になり、気がついたら病院のICUの中だった。そこで篠ノ之束に『こいつ』を埋め込まれた!」

 ラシャは、柳韻によって斬られたシャツを破り捨てるように脱いだ。顕になった上半身には地獄絵図が描かれていた。心臓が『あった』であろう箇所には腐ったひき肉を塗り固めたようにグズグズに崩れており、変色した血管や壊死した皮膚で入れ墨のような色合いを醸し出していた。そして、その中央は不規則なリズムで脈動しており、ラシャの身体が自然の定めた在り方から逸脱させられた状態にあることが嫌でも見て取れた。

「あいつは『これ』を出来損ないと言った。次に目が覚めた時、どこかも判らない国の路地裏で放置されていた。日本に帰りたかったが出来るわけがなかった……」

 興奮するラシャに同調するように、胸に埋まっている『それ』が激しく脈動した。

「殺したくて、殺したくて堪らなかったからな!!殺さなきゃ飢えや渇きなんてメじゃない程の苦痛に苛まれた!この8年間世界中を彷徨い続けてたが、この苦しみに勝る不幸は無かったぜ」

 「『それ』は……『それ』は一体何なんだ!?」

 柳韻は、この世の理を微塵も感じさせない光景に目を奪われていた。かつて精一杯の期待を込めた長姉が、愛弟子だった男に埋め込んだ異物。唯でさえ理解の範疇を逸脱した世界に生きていた束の事が更に分からなくなった柳韻は、既に自らは死して涅槃に居るのではないかとさえ思うようになっていた。

「インフィニット・ストラトス。略してIS。篠ノ之束が創り、提唱した宇宙での活動を想定したマルチフォーム・パワードスーツ。しかし、社会の凡愚共から理解を得られず、白騎士事件によって兵器としてデビューを飾り、核兵器に代わる抑止力として注目されつつあるオーバーテクノロジー。最大の欠点は篠ノ之束にしか製造が出来ず、量産性が効かないという点。女性にしか操作が出来ないという点。現存するISの核部分は467個。未だに模倣すら出来たという情報はない」

 放心する柳韻の前で、ラシャは、やる気のない生徒のようにISの概要を音読する。世間にとって大半が周知の内容であったが、束を鬼子としか見ていなかった柳韻にとっては、何らかの呪文のように聞こえた。

「だが、一つだけ間違いがある。467個しかコアは無いとあるが……所謂ロストナンバーが存在している……俺の体内にな」

 その言葉に反応したのか、胸の傷跡がぴくりと痙攣した。そして、怨念を吐き出すように墨汁のように黒く濁った血を吹き出した。

「ISのコアには意志があるという。その御蔭で操縦者に合った成長をし、進化すると言われている。半信半疑だったが、これは事実だ。最初は生命維持しか出来ない心臓の代替品だった『こいつ』が、徐々にIS特有の能力を発揮できるようになっていった。物体の粒子化による格納もその一つだ」

 ラシャは机に突き刺さっていたアイスピックに手を触れる。根本まで突き刺さっていたアイスピックが光りに包まれて消えていった。恐らく柳韻の大刀もそうやって手中に収めたのだろう。そして、唐突にその大刀を柳韻に投げ渡した。

「……何のつもりだ?」

 残された左手で柄を握りしめつつ、柳韻はラシャを睨みつけた。かつて愛弟子だった男は、出来の悪い生徒に呆れる教師のような嘲弄じみた笑みを浮かべた。

「なに、あんたたちが好んでいる武士の情けってやつですよ。無抵抗のまま死ぬのは嫌でしょう?俺も嫌です。あんたが自らの怠慢を悔やみ、運命を呪いながら死んで頂くためには……やはり、剣で以て引導を渡すのが一番だと思いましてね」

 柳韻は人知れずに闘志を取り戻していた。最早八徳や剣に宿る聖云々などは消え失せていた。怪物と化した男を叩き斬る。その一念のみが胸中に焼き付けられていた。

「覚悟!!」

 柳韻は隻腕であるにも関わらず、大刀を逆袈裟に振り上げた。ラシャは薄皮一枚を斬らせて後ろに下がる。柳韻も避けられる事を読んでいたのか、畳ごと床板を踏み割らんとする勢いで左足を前に進ませつつ大上段に振り上げる。その構えに応じてかラシャの右手が光に包まれ、無骨な刀が現れた。
 微塵になれと言わんばかりに脳天目掛けて叩きつけられた一撃を、ラシャは不動のまま、手の刀をまるではたきを振るうようにして逸らせた。柳韻の眼が驚愕の色に塗りつぶされた瞬間、ラシャの刀が半ばまで喉を貫いていた。一刀流系列に伝わる極意、『切落し』と呼ばれる一手が決まったのだ。

「ラ……シャ」

 口から血泡を吹きつつ、手首を失った柳韻の右腕が喘ぐように空を掻いた。傷口から噴き出た血が、失くした手指の代替のように宙を泳ぐ。
 しかし、ラシャは刀から手を放すと、飛び立たんとする猛禽の様に両腕を広げた。その掌に無数の光の粒子が乱舞したかと思うと、様々な凶器が形を成して現れた。

「かあっ!!」

 憎悪を込めた掛け声とともに、柳韻の脾腹目掛けて短刀が深々と突き刺さった。そこからは矢継ぎ早且つ箇所を問わず、刀剣類から工具に至る様々な刃が海中に臨まんとする鳥の群れのごとく叩きつけられた。ラシャは柳韻の消え行く生命の最後の一瞬までをも、苦痛で埋め尽くし続けたのだ。
 そして、柳韻の肉体が最後の命を吐き尽くした時、ラシャの手は初めて止まった。


 数分後、街は蜂の巣を突いたような大騒ぎに沸いていた。街の顔たる篠塚こと柳韻の屋敷が大火に包まれるだけでなく、篠塚自身の行方が杳として知れないからである。
 何人もの市民が燃え盛る屋敷に飛び込み、救出を試みようとするも、屋敷を飲み込む炎は何人たりとも受け付けず、夜が明けても尚空を焦がし続けていた。消火作業が完了した時は既に正午を回っており、屋敷の焼け跡から遺体の類が見つからなかった事が判明したのは更に日を跨がねばならなかった。
 何故焼けたのか。そして、家主は何処へと消え失せてしまったのか。街人は様々な憶測を並べ立てたが、事態は決して好転することはなかった。更に、都心から急遽呼ばれた警察の特別捜査員を含めた大捜査線が展開されたが、容疑者の割り出しさえも叶わずに、いち早く捜査は暗礁に乗り上げたという。


 同時刻、地球の何処か。

 闇を押し固めたかの様な空間を、ディスプレイの明かりが切り裂いた。その光源に刺激されたのか、暗闇の一角が動きを見せる。ひたり、ひたりと裸足が床を踏みしめる音が響くと同時に、目元に濃い隈を浮かべた少女が椅子に身を投げ出す。
 半分覚醒しきってないのか、行儀の悪い座り方をしながら指をキザに鳴らす。同時に周囲から様々な光が浮かび上がると、闇一色だった空間は灰色の研究室へと変貌した。周囲には所狭しと機材が並べられ、床には時に乱雑、時に整頓されて部品やメモが散らばっており、部屋の主の脳内の無法振りを顕著に表していた。
 部屋の主は、例え全裸になっても外さない鉄の兎耳カチューシャを揺らしながら端末から入ってくる情報をチェックする。かつて自らが組み上げたプログラムが、世界のあらゆる場所から発信された情報を拾い上げ、重要そうなものを主である自らに報告してきたのだ。

 ──今回も大した事ないや。

 そろそろこの役立たずな情報ばかり集めてくるおせっかいなプログラムを消去すべきかどうかを考えかけた時、ふと目に止まった記事があった。自らの故郷で行方不明者が出てしまったという知らせだ。普段の彼女なら気の迷いとして次の情報に目を通すのだが、この情報は一般メディアではなく政府内での極秘情報処理端末から拾ってきた一報である。只の人間一人の行方不明をここまで内密に扱っている事に言い様のない違和感を覚えた少女は、自らキーを叩いて情報収集に乗り出した。
 数時間後、少女は大体の全容を把握すると、黙って情報収集プログラムを削除した。なんてことはない、いつもどおりの有象無象の失踪記事だ。この女尊男卑の世界において男の失踪なぞ珍しくない。どうせ愚か者に因縁をつけられて秘密裏にもみ消されたかのだろう。
 苛立たしげにベッドに寝転ぶ少女はしばらく瞠目していたが、ついに自らの胸に小骨のごとく支えている不快感の正体について、遂に気づくことはなかった。
 
 

 
後書き
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