殺人鬼inIS学園
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番外編:殺人鬼の昔話2 上
前書き
今回の番外編は、作者の妄想がふんだんに含まれた話になってます。気をつけて下さい。
忘年某月某時刻-2年。真夏の日本の某所にて。
良く言えば牧歌的な、悪く言えば時代に取り残されたかのような町の片隅に、一際古びた屋敷があった。元々江戸の後期から続く地主の家系の所有物であったが、先の大戦の敗北によって進駐してきた異国人によって土地を召し上げられた事を皮切りに、筍の皮を剥くかの如くその財を失い続け、高度経済成長の頭打ちによって完全に破産した。最早、その住処に人の気配は絶えて久しく、物取りに荒らされた後は狐狸の類のささやかな憩いの場としてでしか機能しない有様となっていた。
ところが、此処数年のうちに都会からやってきた某と名乗るものによって、土地ごと買い叩かれた後、様々な建設会社や職人の類が町を訪れ、屋敷の修繕に取り掛かったのである。
町民らは何事かと大いに訝しんだが、訪問者達が大挙して訪れたこともあってか急速に景気が良くなった事もあり、深くは考えずに歓迎の方針を執ることにした。
屋敷の修繕が完了して数日後、一人の男性が屋敷へと引っ越してきた。果たしてどのような長者様かと町民が見に行くと、そこに居たのは少々陰りを湛えているものの、精悍な顔つきをした中年の偉丈夫だった。
篠塚と名乗るその男は隠居した武芸者と名乗っていたが、体格に衰えは見られぬばかりか、引っ越してきて一週間後には『篠塚流』なる道場看板を掲げ始めたのだ。当初、周囲は大いに怪しんだが、篠塚本人の愚直なまでにマジメな人格や、道場における懇切丁寧な指導も相まって、彼を訝しむものは居なくなった。
今となっては町内会における名誉会長なる役職に乞われ、町のものならば誰でもその人徳を知る人物となった。
そんなある日のこと、相変わらず蝉の声が鳴り響く昼過ぎに一人の青年が訪ねてきた。一日に3回しか通らないバスに乗って現れた青年は、迷うこと無く篠塚の屋敷へと足を進め、玄関先で打ち水をしている家主の姿を認めると、恭しく一礼した。
そんな青年の様子を見た篠塚の表情は驚愕に染まり、まだ半分以上水が残っていた手桶を道端に落としてしまった。軽快な水音と同時に通りの石畳に伸びる井戸水。それに誘われて涼しげな風が青空の彼方から吹いてきた。
先に口を開いたのは篠塚だった。
「生きていたのか……てっきり8年前に死んだものとばかり……」
青年は8年前と全く変わらぬ穏やかな笑みを以て答礼した。
「ええ、こうして生きています。お久しぶりです、柳韻先生」
久しく呼ばれることのなかった名前は篠塚の顔に漂っていた陰りを消し去っていた。八年間、偽りの名前を名乗ることを強いられ、住処を転々とする生活が、すっかり彼を参らせていたのだ。
──真名を名乗れぬことがこれほどの苦痛をもたらすとは。
篠塚は名を呼ばれた時、自らの肉体に血が通っていることを再認識させられた。心臓から押し出され、動脈を通して身体の末端へと行き渡る感覚がはっきりと感じ取れた。同時に、身体に掛かっていた負荷や凝りの様なものが抜け、まるで全身が新たなものへと生まれ変わっているかのような気分をも味わっていた。
彼の名は篠ノ之柳韻。今も尚、世を賑わせて飽かない『天災』たる、篠ノ之束の実父にて眼前の若者、編田羅赦の武術の師であった。
檜の香りが真新しい客間に来客を通した柳韻は、ラシャが持ってきた菓子折りの饅頭を皿に移し、煎茶を添えて机に置いた。ハウスキーパーが定期的に掃除や管理の為に訪問するも、真の意味での客人を通すのは初であった。そんなハウスキーパー達が勝手に机に敷いていく悪趣味なアラベスク模様のテーブルクロスも、今回ばかりは気が利いた事をしてくれたものだ。と、柳韻は感じた。
ラシャは、「失敬」と呟くと、毒味をするかのように、饅頭を一欠口に運び、ゆっくりと咀嚼した。
「そうかしこまらなくても良い、君と私の仲ではないか」
「いえ、お立場を考えるとどうしても……」
ラシャの言葉に、柳韻の表情に影が差す。長女の束が巻き起こした『あいえす』なる発明品による事件と副産物たる女尊男卑主義。それだけでは飽き足らず、政府による要人保護の一環で妻子達からは引き剥がされる憂き目に遭った事を思い出したからだ。今でも夢でうなされるその光景は、未だ柳韻の心を蝕んで止まない。
「止してくれんか、最早妻や箒とは生きて逢えぬのではないかと思い始めておるのだ。これでお前にまでそのような態度を取られると、流石に堪える」
常時の覇気がいつの間にかすっかり抜け落ちてしまったその姿は、年相応以上に老けて見えていた。
「束ちゃんとは逢って居られるので?」
その何気ない一言は、今の彼の痛点を確実に衝いた。柳韻の表情に赤みが戻る。
「『あれ』の話はやめろ!」
柳韻自身、思いもよらぬ大声が出た。我に返ったときには、ラシャの人の良さそうな表情は驚愕によってとうに失せていた。
静寂が耳に痛い。時折響く鹿威しの音が壊れた秒針のように聞こえる。
「す、すまんな……この8年、様々なことが起きすぎた…少々疲れてしまっているようだ」
「やはり、恨んでいるので?」
ラシャの表情は一貫して無表情だが、その目は真剣だった。柳韻は気まずそうにお茶を飲み干した。
「最早『あれ』とは縁を切ったも同然だ。箒に並々ならぬ執着を抱いていた事だけが気になるが、今となってはどうにもならない」
淡々と絶縁宣言を語る柳韻の心には些かの惑いも無かった。我ながら薄情なものだ。と、柳韻は心中で自嘲する。思えば物心ついてから束とはすれ違ってばかりだった様に思える。
興味を抱く物は自らの理解の範疇を超えたものばかり。自らの得意分野に於いては、当初は将来を期待するほど熱中したものの、驚くべき速度で飽きてしまった。発破をかけるために門下生と立ち会わせてみれば、大して努力もしていないのに軽々と一本を取ってしまい、自信を叩き折られた師範代が道場を辞めるのに時間はかからなかった。剣に宿る聖を汚す行為として柳韻が道場への立ち入りを禁じたのもこの直後であった。
学校では神童だ天才だともてはやされていたが、当の本人は全く意に介していなかった事も柳韻を気味悪がらせた。この時生まれた『まだまともな』次子の箒の存在も相まって、柳韻は束を避けるようになった。束はもう父なぞ眼中になかったからだ。
ここで、柳韻は眼前に正座する若者を見る。自らが示した篠ノ之流を余すこと無く身につけ、更に柳韻自身が修めること叶わなかった、戦国期から伝えられてきた真の篠ノ之流でさえモノにしつつあった。自らが子に抱く理想の体現したものがラシャだったのだ。
束とのすれ違いが日常に成り果てて久しいそんなある日、舞い散る桜の花弁を身に受けて道場に入門してきたのがラシャだった。この時から既に天涯孤独の身で、自らの居場所を探すためにやって来ていたようなものだったと柳韻は記憶している。
年相応の態度は微塵もなく、かと言って自らの不遇を周囲に当たり散らすほどの無軌道な乱暴さも無かった。しかし、修練に掛ける執念は並々ならぬものがあり、周囲には決して当たり散らさぬ態度に反して、試合や型稽古に見せる不自然とも言える凄みは不安定な火薬を連想させられた。周囲からは、自らを捨てた両親へのお礼参りを果たすべく稽古に励んでいると、絶えず囁かれていた。
親に捨てられたやるせなさを振り切るように修練を積むラシャに、柳韻は男子が欲しかったこともあって、何かと世話を焼いた。そんな厚意に応えるように、ラシャの表情からは禍々しさが抜けていき、それに反比例して実力は上がっていった。これらは、柳韻を大いに喜ばせた。
そんな彼が篠ノ之流の剣術以外の流派に興味を持ったと聞いた時、柳韻はある計画を練り始めていた。尤も、それが実を結ぶ前に、白騎士事件やラシャの失踪と言った凶事が立て続けに起こり、重要人物保護プログラムによる一家離散というトドメによって頓挫してしまった。
「先生?」
在りし日の郷愁じみた感慨に浸っていた柳韻は、愛弟子の一言で現実に引き戻された。眼前には此方を心配そうに覗き込む精悍な眼差しがあった。
「お加減がよろしくないのであれば日を改めますが?」
「……いや、大丈夫だ。そう寂しいことを言ってくれるな」
そう言うと、柳韻は壁に掛けられた時計に目をやった。既に午後を回っており、夕日が差し込む時間帯となっていた。
「ラシャ。お前はもう呑める年頃であったな」
ぽつりと柳韻が一言こぼす。
「まあ、嗜む程度には」
ラシャの返答を受け取った柳員は席を立った。奥に暫し引っ込んだ後、一升瓶を一本引っ提げて戻ってきた。
「もう遅い時分だ、泊まっていきなさい。ついでに一献付き合ってくれ」
「夢であった、こうして我が子同然のお前と酌み交わすのは……本当に、夢であったのだ」
どれくらい時間が経ったのであろうか、柳韻は恍惚とした表情で盃を飲み干した。久しく口にしていなかった酒は実に心地よく、他愛のない話を肴に瓶の酒は目に見えて減っていった。酔の回りはピークに達しているようで、柳韻の表情は異国人のように赤く火照り、さながら雛人形の右大臣染みた表情である。本来酒に溺れること無く過ごしてきた柳韻であったが、愛弟子の訪問が余程嬉しかったらしく、平時の彼ならば考えられぬほどの量を呑んでいた。
対するラシャは、眉一つ顰めること無く盃を傾ける。しかし、その表情は柳韻のそれと反比例しており、幾ら盃を乾かしても顔に酔いの色は見えない。しかし、その表情は穏やかなもので、長く会ってなかった親に漸く孝行出来た息子のような表情で、酔うかつての師の様子を見守っていた。
「しかし、よく私の今の住処がわかったな。妻や箒の居場所でさえ、よく分からん電話で月に一度連絡が取れるだけだと言うのに……どうやって知ったのだ?」
柳韻の問いに、ラシャの手が止まった。
「……新しい就職先で知ったのです」
「ほう」
ラシャの返答に、柳韻は驚愕と同時に、この若者を雇い入れた企業へ僅かばかりの妬心を露わにした。
──あの事件がなければこの子は……。
「私も、独り立ちしたということですよ」
呑み切らないまま、盃を置いたラシャは居住まいを正して思案に暮れる柳韻を見つめ返した。
「先生、貴方の家の蔵で史料を探していたときなのですが……気になるものを見つけたんですよ」
ラシャが机に広げたものを見た瞬間、柳韻の酔は身体から消えて失せた。同時に体の奥底から冷たい何かが水のごとく湧き出てきている感覚を覚えた。心の臓から凍てついていく様な感覚を示唆するかのように、柳韻の汗腺という汗腺からは冷や汗が吹き出し、身につけていた着流しに纏わり付いた。
「こ、これを……何処で」
打ち上げられた瀕死の魚が喘ぐがごとく、どうにか声を出す柳韻。対するラシャの表情は、この家を訪れた時と変わらぬ爽やかな微笑みを湛えている。何の意図があって『これ』を態々眼前に持ち出してきたのか。突如、眼前に正座する我が子のようにかわいがっていた青年が、得体の知れない怪物──長姉である束の姿に似た何かと重なって見えた。
「単刀直入に訊きます。『これ』は事実なのですか?」
ラシャの言葉が鋭い鎧通しと化して柳韻の胸を抉る。量を増していく冷や汗が、鎧通しによって流れ出る血のように柳韻の精神を蝕んでいく。
「この写真にはこう書いてあります『長姉ほうき』と……だが、『ほうき』は次女の名前のはずです。束ちゃんは何処へ?それともこの『ほうき』が後の束ちゃんなのですか?」
「そ、それを知ったところでお前に何が……」
ここでラシャは初めて声を荒げた。
「あるのです!知っておかないと死んでも死にきれない!」
この男は冗談の類を基本的に好まない性格だ。それは剣の振り方を教えたときから柳韻自身がよく知っている。だからこそ、この質問に迂闊な答えはできなかった。
だからこそ。
「わ……判った」
柳韻は時分の他には妻しか知らない秘密を打ち明けることにした。
後書き
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