ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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OVA
~暗躍と進撃の円舞~
HERO →→ ???
「歪みなど最初からあった、少なくとも私達が彼に焦点を合わせたその時から」
ホロウエリア管理区。
デジタルコードで構成された海のただ中に浮かぶ円形の空間。
その上に立つ、大小二つの影。
燕尾服を着た男は、白濁した少女に向けて語り掛ける。
「全知への道標がイヴ……君だとすれば、扉たりえるのはマイだ。そして、マイの操作権限を持つのは小日向相馬ただ一人」
「……えぇ、そうだったわ」
神たる全知。
扉の先。
眼前の男がそう評す事象は一つしかない。
「アカシック・レコード」
零れるように落ちたその言葉に、カーディナルと呼ばれる男は重々しく頷いた。
「天理に迫る権利は、私達にはない。だが、小日向相馬の実の弟ならば。その一端に迫る可能性はありうる。だが――――」
カーディナルは、スツールに腰かけるようにコンソールの石碑に体重を預けながら、言葉を紡ぐ。
「あの権利は、とてもではないが正気で扱えるものではない。目の前の個人を救うために全を平気で切り捨て、それを正面から直視してなお心の底からの笑顔を浮かべていられるような、そんな自己矛盾を孕んだ狂気を持たねば扱えない」
「だからあなたはマイを様々なタイプのプレイヤー達のもとへ送ったのでしょう?この子の中にある対人防衛システム――――つまり私の力を使って、強制的に友達以上の関係性となった後、カグラを使って取り上げる。それによって、小日向蓮の方向性をより正確に偏向させるための、狂気に関する研究をするために!」
少女の叫びに、嗚呼と男は闇がわだかまる天宙を仰いだ。
「そういう意味では、あの世界はモラルハザードとして極めて有能な実験場だった。とりあえずの安全を保障された、誰も管理していない現実から、害意ある個人に管理されたデスゲームに放り込まれ、皆は否応なしに他人より自分という個を優先し始めた。当たり前だ、当たり前だとも。誰だってあの状況に陥れば、そうせざるを得ない。だが、普通からズレた時点で、それは立派な狂気だ。しかし、人間とは中々頑丈でな。一口に狂うといっても、人の精神構造上、逃げる、目を逸らす、などの自己防衛本能が働き、簡単に壊れることはない」
だが。
「人間という種は、その根幹部分からイカれている欠陥種なのだよ。蛇のように狡猾で、猫のようにずる賢く、そして悪魔のような底冷えするほどの利己主義。だがそのくせ自分以外が心底どうでもいいとも割り切れない。その中途半端さが、人間という生物の根底に普遍的に埋まっている原罪だ」
「……人間は、理屈で考え、感情で動く生き物よ」
それは、鋼鉄の魔城の二年もの歴史の中で、人の心を自由に改変できる少女が辿り着いた、真理にも似た結論かもしれない。
どこかもの寂しそうに目を細め、顔を伏せるイヴに、燕尾服を着た男は吐き捨てるように言葉を放つ。
「しかし、それは《ヒーロー》であって、《英雄》ではない」
「………………」
「ヒーローと英雄は、決して同一軸上にあるモノではない。むしろ、元来それらは二律背反していなければならない存在だ。ヒーローが自らの中の身勝手な正義に基づく究極の自己中であったならば、英雄とは全を理由に個を切り捨てる自覚なき大量殺人鬼……」
「それとこれが、どう繋がるというの?」
眉根をひそめるイヴ。
だが男はそれに構わず、返答のようでそうでない、独白のような言葉を口にする。
「分からないか?小日向蓮――――あの少年は紛れもないヒーローだ。自らの仲間のみを助け、他には目もくれない典型的で真っ当に外れている異常者だ」
「だから何?それでこそ《鬼才》の域に到達できる。たった一人の女のために世界を敵に回すあの男に。そのために、わざわざ彼のその側面を伸ばしてきたんでしょう?」
全ての発端。
とある小さな黒猫が死んだ、第二十五層フロアボス戦だけではない。
《災禍の鎧》や、そこから派生した要注意ギルド《尾を噛む蛇》は、強大な力に対して、自身の周囲にしか目線がいかないようにするための誘導方式。
その他、大小様々な事象があの少年を追い詰める、ただそれだけのために行われていたのだ。
「正確に言えば、小日向蓮のヒーローとしての狂気を育むために、だ。だが、彼はその特性がなくなった。私はそう判断したからこそ、まだあの少年にすがっている君を完全に諦めさせるために此度の事を起こしたのだ」
少女の眼が見開かれる。
「な、にを……言って?」
周回遅れになるイヴに、カーディナルと呼ばれる男は突き放すように口を開いた。
「予兆はあった、前々から。それこそ第一層、あの《黒の剣士》を助けたその時から。先刻言ったように、ヒーローとは自身に近しい人間のためにそれ以外を切り捨てられる人種だ。だがあの時、小日向蓮は黒の剣士を助けた。わざわざ、危険地帯のド真ん中――――あの時点で近しいと呼べる唯一の人間、紺野木綿季の命を危ぶめる形でな」
「…………」
「まだあるぞ。ALO、あの世界樹の天辺で起きた一大事。あの少年は大切な庇護対象であるべきマイをああまで閉じ込め、その心を傷つけた存在――――《狂楽》を、搾取するという形であれ、赦した。あの時点では、仲間とは欠片とも呼べないような輩を、だ。他者に己の正義の天秤を押し付けるヒーローがそんなことをするだろうか?」
「………………………………」
「そして、決定的なのは此度のGGO。……なぁ、あの少年はそもそも、なぜ災禍の鎧と戦っていた?あんなものが存在してはいけない?馬鹿馬鹿しい。全体論を語るヒーローがどこにいる。ヒーローとは個人間の、極めて狭い世界で完結するモノだ。全を考え、己の善を押し付ける。それはもはや、ヒーローなどではない」
「それは、英雄のすることだよ」と燕尾服を着た男は忌々しげに吐き捨てた。
「……そして、狂気の度合いでもあの少年には、懸念があった」
とある鍛冶師との邂逅。
あの時、少年は言っていた。人を殺すことは、怖かった、と。
怖かった。苦しかった。辛かった。
そう言って、叫んで、喚いて、ちっぽけな少年は泣いていた。
だが、それではダメなのだ。
殺人の罪悪感に苛まれるなど、あってはならない。それを笑顔で酒の肴にできるくらいの人材でなければ、神たる全知には届き得ない。
「小日向蓮は、もはや神を受け入れる器たりえていない」
「――――ッ!」
断定し、断頭するようにカーディナルは言葉という斧を振り下ろした。
「ああ、そうだ。本当に最初から、懸念事項はあったのだ。マイを守ろうとする君に引きずられる形で目を逸らしていたツケかもしれない」
例えば。
とある少年が、SAO――――あの鋼鉄の魔城の最期。第七十五層フロアボス戦で、蟻使い《異端者》エクレアに言い放った言葉。
自身の手でこのデスゲームをクリアする。
エクレアはこれを、勇者願望と評したが、それは違う。
全のために努力するそれは、紛れもない英雄の芽だ。
必死で肯定する心を抑えつけた。
ソレが、SAOに閉じ込められた一万人のためのモノではなく、あくまで現実で比較される実兄、小日向相馬に対抗するための、いかにも人間らしい愚鈍で愛おしいほどの愚かしさだと信じたかった。
まだ彼は、ヒーローなのだと。そう思いたかった。
だが。
もう手遅れだ。
もう種は発芽し、完全に芽吹いた。
その上、《災禍》に汚染されてしまった上では、計画の核に据えるには絶対的に役に立たない。
そうなってしまった原因。それに思いをはせ、イヴは顔を歪めた。
「冥王の堕日……また、またあの矢車草の呪いか……!」
怨嗟のように。
慟哭のように。
少女はドロドロした言葉を吐き出す。
確かに、カーディナルが言うように、もともとあの少年の中には《種》はあった。英雄となるための、ささやなかな発芽の前兆は。
だが、それが具体的に殻を割り、芽吹くまでに至ったのは、あの《願い》によるものだ。
人を助ける。
あの青色の髪を持つ女性が願ったのは、たったそれだけだ。
だがそれは、今まで身内にのみ向いていた力が、不特定多数のために振るわれることと同義。
それは、ヒスイが憂い、恐れていたことそのもの。
人を助けるうちに、あの少年の中にある助けるべき対象の定義が曖昧になっていったのだ。やがて、助ける対象はマイやカグラを初めとしたNPCによって、人外にも渡り、そして今回のGGOにて顔も知らない他人のために力を振るう一面が顔を出した。
小日向蓮は、ヒーローとして期待されていた。
英雄としての彼は必要とされていない。
もはや彼は使えない。
「破棄……、するの?ここまで来て!!」
「その通りだ。小日向蓮を小日向相馬に相似させる方程式は完全に瓦解した。彼を中心に据える第一次計画は完全廃棄。次点に有用性の高い第二次計画に移行する」
「ま、待って!第二次計画は小日向相馬の計画に便乗した形で、その方向性を歪める計画でしょう!?完全に独立した第一次計画と違って、それじゃあ不確定要素が多すぎる!あの男が二手三手先を繰り出して来たら簡単に揺らぐわよ!!それに……、何より!その計画じゃあ、マイが――――ッッ!!」
必死で食い下がる少女に、しかし男は不動の体勢だ。
意見は変えない。
そう言外に告げられているようなその態度に、イヴと呼ばれる白濁した少女はキッと睨みつけた。
「……絶対に、させない。計画は、このままで」
追い詰められた者特有の、ブツブツと途切れ途切れの声。
だが、それを断ち切るように燕尾服を着た男はこう言った。
「《チケット》は、余っているのかね?」
「ッ!」
男は、体重を預けていたコンソールから立ち上がり、身体を固まらせる少女にゆっくりと近寄っていく。
「君がマイの身体を操るために設定した《チケット》という名の回数制限。だが、本来ならそんなものはない。人の心を掌握する君において、そんなチープな立入禁止テープなどあるワケがない」
床がないにも関わらず、革靴が石床を叩くコツ、コツ、という音が耳朶を打つ。
それが少女には、処刑人の足音にも聞こえた。
「怖かったんだろう?なまじ君自身が好き勝手に精神を弄繰り回せられる立場だ。そういう意味での脆さには一家言あるだろう。君自身が表に出るごとに、マイは強制的に沈みこまれる。一回ならまだいい。だが、二回三回と重ねていくにつれ、主人格は希薄になっていく」
主人格とは、いわば精神というシステムに対しての管理者権限のようなものだ。
人には本来、自身の身体や精神に対し、操作権は自分にあると無意識レベルで刻み込まれている。だが、それが揺らいだらどうだろうか。
気が付けば全く知らない場所にいて、全く知らない人と知り合いになっている。
身体と精神が乖離していく。それが精神学上、どれだけ危険な状態かは言うまでもない。
イヴが設けた《チケット》は、イヴ自身に対してではない。マイに対しての安全措置なのだ。
ずい、とカーディナルはイヴの眼を覗き込むように顔を近づけた。
「あと何回だ?何回残っている??それで私の計画を阻むだけの一手が打てるとでも???分かっていると思うが、私の計画は一つの道が閉ざされた程度でドロップアウトするような脆弱性は持っていない。樹形図のように無限に分岐し、最終的には目的に集約される。君がどれだけ致命的な隠し玉を持っていたとしても、それを迂回できる手は山ほど揃っているのだぞ」
さて、と男は言う。
さんざん、さんざんさんざんさんざん焦らし、激昂させ、絶望を与え、その上でそれ以外の道を示さない。その道以外に行くという選択肢を冷酷なまでの速度で削り取っていく。
神は言った。
「さて、君に残されたのは二つの選択肢だ」
実際には、二つではない。
「一つ。私の手から逃れ、君自身が本当に守りたかったマイという一人の無垢を見捨て、自分ひとりだけでいつ消されるとも分からない、出口の見えない逃亡生活という名の無限回廊の中に陥るか」
そう言いながら、男は右手の人差し指を見せつけるように立てる。
詐欺とかそういうものではない。立派な商法の一種だ。
二つの商品を並べ、その悪い方をことさら悪く見せ、本当に売りたい目玉商品の方を強制的に買わせる。情報源がその場限りの客に、初めから選ぶ権利など与えられていない。
だが。
分かった上で。理解した上で。
その上で、逃れられない。
「二つ目は、マイを危険にさらすことになるが、全て計画通りに事が運ぶと私の目的と君の目標。全部が全部丸く収まり、皆が笑うハッピーエンドになるという」
今度は左手。
焦らすように立てられた人差し指を見、イヴは思わず笑った。
どうしても、逃げられなかった。
データコードが水面を形作る不可思議な空間の中、肩を震わせる白濁した少女はゆっくりと悪魔の指を取る。
後書き
はい、前回から引き続きGGO編の答え合わせでやんす。というか、GGO編通して内容の重要度でいえば今回が最重要かな?裏方……というか黒幕ポジのキャラの立ち位置というか目的が徐々に明らかにされていきますからねw
とはいえ作者的には、GGO編で災禍の鎧に挑むレン君に違和感を抱いていたような人には刺さると思います。彼、そんなボランティア精神持ち合わせてないしね今まではw
あぁそうそう、作中でのヒーローと英雄の概念については、カーディナルおじさんが言う捻くれた定義が作中統一見解と思っておいてください。しかし、あくまでこの作品の中だけですから、他作品に当てはめてはダメッスよ?(笑)
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