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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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脱領

制服に着替え、竹刀ケースを下げて剣道部の部屋から出ると、校舎の谷を抜けてきた微風が直葉(すぐは)の頬を心地よく撫でていった。

午後1時半、すでに5時限目が始まっているので学校はしんと静まり帰っている。1、2年生はもちろん授業中だし、自由登校の3年生も、学校に来ている者は高校入試直前の集中ゼミナールを受講しているので、今頃校内をのんきに歩いているのは直葉のような推薦進学組だけだ。

気楽な身分ではあるが、同級生に出くわすと必ず皮肉の1つも言われてしまうので、直葉としては無闇(むやみ)に学校に来たくない。しかし剣道部の顧問が実に熱心な人物で、強豪校に送り出す愛弟子(まなでし)のことが気になって仕方ないらしく、1日おきに学校の道場に顔を出して指導を受けるよう厳命(げんめい)されている。

顧問いわく、最近直葉の剣には妙な癖がある、らしい。直葉は内心で首を竦めながら、そりゃそうだろうなぁ、と思う。短時間とは言えほぼ毎日のように、アルヴヘイムで型もなにもないチャンバラ空中殺法を繰り広げているのだ。

しかしそれで剣道部員としての直葉の腕が落ちているかと言うと幸いそうでもなく、今日も、かつて全日本で上位に入ったことのある30代男性顧問から立て続けに2本取って密かに快哉(かいさい)を叫んだ。

なんだか、近頃相手の打倒がよく見えるのだ。強敵との試合で、神経が極限まで張り詰めると、時間の流れが(ゆる)やかになるような感覚すら覚える。

数日前の、和人(かずと)との試合を思い出す。あの時、直葉の本気の打ち込みは和人はことごとく(かわ)してみせた。まるで、彼だけが違う時間流の中にいるかのような凄まじい反応だった。ひょっとして__、と直葉は考える。フルダイブ中の経験が、現実の肉体にも何らかの影響を及ぼすということもあり得るのではないか……。

物思いに耽りながら自転車置き場に向かって歩く直葉に、校舎の陰からいきなり声をかける者がいた。

「……リーファちゃん」

「うわっ」

ビクッとして一歩飛びすさる。現れたのは、ヒョロリと痩せた眼鏡の男子生徒だった。レコンと共通の特徴である、常に困ったように垂れ下がった細い眉毛(まゆげ)が、今日は一層急角度を描いている。

直葉は右手を腰に当てると、ため息混じりに言った。

「学校でそう呼ばないでって言ってるでしょ!」

「ご、ごめん。……直葉ちゃん」

「この……」

竹刀ケースの蓋に片手を添えながら一歩詰め寄ると、男子生徒は引きつった笑みを浮かべながらぶんぶん首を振った。

「ごごごめん、桐ヶ谷さん」

「……何?長田(ながた)君」

「ちょ、ちょっと話があって……。どこかゆっくりできるとこ、行かない?」

「ここでいいわよ」

長田(ながた)慎一(しんいち)は情けない顔をしながら肩を落とす。

「……ていうか、そもそも推薦組のあんたが何で学校にいるのよ?」

「あ、すぐ……桐ヶ谷さんに話があって、朝から待ってたんだ」

「げげ!暇な奴……」

直葉は再び数歩後退し、背の高い花壇の(ふち)に腰を下ろした。

「で、話って?」

長田は微妙な距離を保って直葉の隣に座ると、言った。

「……シグルド達が、今日の午後からまた狩りに行こうって。今度は海底洞窟にしようってさ、あそこはサラマンダーがあんまり出ないし」

「狩りの話はメールでいいって言ったじゃない。……悪いけど、あたししばらく参加できないわ」

「え、ええ!?なんで!?」

「ちょっとアルンまで出かけることに……」

アルヴヘイムの中央にそびえる世界樹、その根元には大きな中立都市が広がっている。それが央都アルンだ。スイルベーンからはかなりの距離がある上に、途中に飛行不可能な区域も多く、辿り着くには数日を要する。

長田はしばらく口をガクーンと開けて硬直していたが、やがてズリズリと直葉ににじり寄りながら言った。

「ま、まさか、昨日のスプリガンとインプと一緒に……?」

「あー、うん、まあね。道案内することになったの」

「な、何考えてんのさリー……直ぐ……桐ヶ谷さん!あんな怪しい男2人と、と、泊りがけで……」

「あんたこそ何赤くなってるのよ!妙な勘違いしないでよね!」

すぐそばまで接近してきた長田の胸を竹刀ケースでどつく。長田は極限まで眉に八の字を描かせ、直葉を恨みがましい眼で見つめた。

「……前に僕がアルンまで行こうって言った時はあっさり断ったくせに……」

「あんたと一緒じゃ何回全滅するかわかったもんじゃないでしょ!……ともかくそういうわけだから、シグルド達にはよろしく言っといてね」

直葉はぴょんと立ち上がり、「じゃあ!」と手を振って自転車置き場を目指して走り出した。長田の、叱られた犬のような情けない顔がちくりと胸を刺すが、そうでなくても学校では色々と噂されているのだ。これ以上距離を縮める気にはならない。

……道案内するだけ。それだけよ。

自分にも言い聞かせるように、胸の中で呟く。あの2人__特にキリトという少年の謎めいた黒い瞳を思い出すと、妙にソワソワと落ち着かない気分になる。

広大な駐輪場の片隅に停めてある自転車のロックを素早く外す。えいやっとまたがる、立ち()ぎで猛然(もうぜん)とダッシュ。冬の冷たい空気がピリピリと頬を叩くが、気にせず裏門から飛び出して、急な下り坂をノーブレーキで駆け下りていく。

速く飛びたい、と直葉は思った。キリトと並んで、全開パラレル飛行をすることを考えると、少しだけワクワクした。











「リンク・スタート!」

接続ステージを経て、妖精剣士リーファへと意識を移してパチリと瞼を開けると、すずらん亭1階の風景が色鮮やかに広がった。

テーブルの、向かいの席にはもちろん誰もいない。待ち合わせまではまだ数十分の余裕がある。それまでに旅の準備を整えなければならない。

店から出ると、スイルベーンの街は美しい朝焼けの空に覆われていた。

毎日決まった時間にしかログインできないプレイヤーのための配慮が、アルヴヘイムでは約16時間で1日が経過する。そのため、現実の朝晩と一致することもあればこのようにまったくずれることもある。メニューウィンドウの時刻表示は、現実時間とアルヴヘイム時間が併記(へいき)されており、最初は多少混乱したが、今ではこのシステムが気に入っている。

あちこちの店をバタバタと駆け回り、買い物を済ませると、ちょうどいい時間になっていた。宿屋に戻ってスイングドアを押し開けると、奥のテーブルにはすでに紫衣(しい)の姿が席に腰をかけており、続いて黒衣の姿が実体化しようとしていた。

ログインを完了したキリトは、数回瞬きをしてから、すぐ側にいたネザーと近づくリーファを認めて微笑んだ。

「よぉ、速いね」

「ううん、さっき来たとこだから」

「俺は15分前からここに座ってたけどな」

「そうか。それじゃ、アルンに出かける前に色々と準備しないとな」

リーファは、2人の簡素な初期武装に視線を落とす。

「確かに、2人には色々と準備が必要だね。お金、持ってる?」

「えーと……」

キリトとネザーは左手を振ってウィンドウを出し、チラリと眺めて、なぜか顔を引き攣らせた。

「……この《ユルド》っていう単語がそう?」

「そうだよ。ない?」

「い、いや、結構ある」

「……俺も」

「なら、早速武器屋に行こっか」

「う、うん」

妙に慌てた様子で立ち上がったキリトは、何かを思いついたように体のあちこちを見回し、最後に胸ポケットを覗き込んだ。

「……おい、行くぞ、ユイ」

するとポケットから黒髪のピクシーがちょこんと眠そうな顔を出し、大きなあくびをした。

リーファ行きつけの武具店でネザーとキリトの装備一式をあつらえ終わった頃には、街はすっかり朝の光に包まれていた。

と言っても、特に防具類に()ったわけではない。キリトは防御属性強化されている服の上下にロングコートだけ。

ネザーは防御よりもスピード強化を重視し、インナーの上に紫色の胴着(どうぎ)を身に纏い、防具として両腕に金属の籠手を装着した。黒布をパレオのように腰に巻き付け、おまけとしてフードが付いた短めの黒いマフラーを被る。

2人の衣装選びにはそれほど時間はかからなかったが、武器の選択はそうもいかなかった。

プレイヤーの店主にロングソードを渡されるたびに「もっと重い奴」と言い続けたキリトは、最終的に彼の身長に迫るほどの大剣だった。先細りになった刀身は、いかにも重そうな黒光している。おそらくこれは、土妖精(ノーム)に多い巨人型プレイヤー用装備だ。

ネザーの選んだ武器は普通サイズの片手剣だが、店主に剣の強度、スピード、使った素材、攻撃力などと、色々と詳細な質問を続けた上でようやく決めた片手剣だ。大きさもそうだが、自分とバランスに合うかどうかも重視しているのだろう。

インプは完全ダークタイプな種族。闇属性の上級魔法が扱えるのはインプのみであり、スプリガン並みのデバフ系特殊スキルも豊富に使える。暗闇でも飛行できる暗視能力が高く、夜の奇襲も簡単にこなすと言われてる。魔法と剣技の2つをバランスよく使う種族として知られている。

ALOでは、与ダメージ量を決定するのは《武器自体の攻撃力》と《それが振られるスピード》だけだが、それだと速度補正に(まさ)るシルフやケットシーのプレイヤーが有効になってしまう。そこで、筋肉タイプのプレイヤーは、攻撃力に優る巨大武器を扱いやすくなるように設定してバランスを取っている。

シルフでも、スキルをあげればハンマーやアックスといった重い武器を装備できないことはないが、固定隠しパラメーターの筋力が足りないためにとても実戦で使いこなすことはできない。スプリガンはマルチタイプの種族だが、キリトはどう見てもスピードタイプの体型だ。

「そんな大きな剣、振れるのぉー?」

呆れつつリーファが訊くと、キリトは涼しい顔で頷いた。

「問題ない」

……そう言われれば納得するしかなかった。2人はそれぞれの剣の代金を払い、片手で器用に剣を回したネザーは、ベルトの後ろ腰に装備された斜め状の鞘にしまう。キリトは受け取った大剣をよっこらしょうと背中に吊ったが、鞘の先が地面に(こす)りそうになっている。

まるで剣士の真似をする子供だ。ネザーの場合は剣士というより忍者__暗殺者(アサシン)と言ったところだろう。そう思った途端に込み上げてきた笑いを噛み殺しながら、リーファは言った。

「ま、そういうことなら準備完了だね!これからしばらく、よろしく!」





2人を連れ立って歩くこと数分、リーファの眼前に、翡翠(ひすい)に輝く優美な塔が現れた。

シルフ領のシンボル、風の塔だ。何度見ても見飽きることのない美しさだ__と思いながら隣に眼を向けると、黒衣のスプリガンは先日自分が張り付いた辺りの壁を嫌そうな顔で眺めていた。飛行のコントロールが完全でなかった故に塔に激突したことがトラウマになっているのは、ネザーとリーファにもすぐにわかった。リーファは笑いを噛み殺し、キリトの肘を()()いた。

「出発する前に少しブレーキングの練習しとく?」

「……いいよ。今後は安全運転することにしたから」

「この場合は安全飛行と言うべきだ」

「あ、ああ、そうだな」

キリトが唖然とした表情で答える。

「それはそうと、なんで塔に?用事でもあるのか?」

「ああ……長距離を飛ぶ時は塔の天辺から出発するのよ。高度が稼げるから」

「なるほどね」

頷くキリトの背を押しながら、リーファは歩き出した。

「さ、行こ!夜までに森を抜けておきたいね」

「俺達はこの世界の地理がわからないからなぁ。案内よろしく」

「任せなさい!」

トンと胸を叩いてから、ふと思いついて視線を塔の奥へと移す。

そこには、シリフ領主館の壮麗(そうれい)なシルエットが朝焼けに浮かんでいた。館の主人である《サクヤ》という名の女性プレイヤーとは旧知の仲なので、しばらく街を離れると挨拶しておこうかと一瞬考えたのだが、建物の中心に屹立(きつりつ)する細いポールにはシルフの紋章旗が()がっていない。滅多にあることではないが、今日は1日領主が不在だという印だ。

「どうかしたのか?」

首を傾げるキリトに、ううん、とリーファは首を振った。サクヤには夜からメールしておこうと考え、気を取り直して風の塔の正面扉をくぐって内部へと進む。

1階は円形の広大なロビーになっており、周囲をぐるりと色々なショップの類が取り囲んでいる。ロビーの中央には魔法力で動くとおぼしきエレベーターが二基設置され、定期的にプレイヤーを吸い込んだり吐き出したりしている。アルヴヘイム時間では夜が明けたばかりだが、現実では夕方に差し掛かっているので、行き交う人の数がそろそろ増え始める頃だ。

ちょうど降りてきた右側のエレベーターに駆け込もうとした、その時。

不意に傍らから数人のプレイヤーが現れ、3人の行く手を塞いだ。激突する寸前で、どうにか翅を広げて踏みとどまる。

「ちょっと危ないじゃない!」

反射的に文句を言いながら、目の前に立ち塞がる長身の男を見上げると、それはリーファのよく知った顔だった。

シルフにしてはずば抜けた背丈に、荒削りだが男っぽく整った顔、この外見を手に入れるためには、かなりの幸運か、かなりの投資が必要だったと思われる。体はやや厚めの銀のアーマーに包み、腰にはおお振りのブロードソード。額に幅広の銀のバンドを巻き、波打つ濃緑の髪を肩の下まで垂らしている。

男の名前は《シグルド》。ここ数週間リーファが行動を共にしているパーティーの前衛だ。見れば、彼の両脇に控えているのもパーティーメンバーである。レコンもいるのかと思って更に周囲に眼をやったが、目立つ黄緑色の髪は視界に入らなかった。

シグルドはシルフ最強剣士の座をいつもリーファと争う(ごう)の者で、また同時に、主流派閥に関わるのを忌避(きひ)しているリーファと違って政治的にも実力者だ。現在の《シルフ領主》__月1回の投票で決定され、税率(ぜつりつ)やその使い道を決める指導者プレイヤーはサクヤだが、シグルドは彼女の側近としても名を()せる、言わば超アクティブ・プレイヤーである。

その恐るべきプレイ時間に裏打ちされた各種スキル数値とレア装備はとてもリーファの及ぶところではなく、シグルドの1対1デュエルはいつも、運動性に優するリーファがいかにして彼の頑強な防御を打ち砕くかというしんどい戦いになる。それだけに、狩りではフォワードとして実に頼もしい存在感を発揮するのだが、反面その言動はやや独善的で、束縛(そくばく)を嫌うリーファを辟易(へきえき)とさせる局面も少なからずあった。今のパーティーでの稼ぎは確かにかなりの効率なのだが、そろそろ抜ける潮時かな、と最近は考えないでもない。

そして今、リーファの前にずしりと両足を広げて立つシグルドの口元は、彼が最大限の傲慢さを発揮させる時特有の角度できつく結ばれていた。これは面倒なことになりそうだ__と思いながら、リーファは口を開いた。

「こんにちわ、シグルド」

笑みを浮かべながら挨拶したものの、シグルドはそれに応える心境ではないらしく、唸り声を交えながらいきなり切り出した。

「パーティーから抜ける気なのか、リーファ?」

どうやら相当に期限が悪いらしいシグルドを、ちょっとアルンまで往復するだけ、と言って(なだ)めようと一瞬考えたが、なんだか急に色々なことが面倒になってしまって、気づくとリーファはこくりと頷いていた。

「うん……まぁね。貯金もだいぶできたし、しばらくのんびりしようと思って」

「勝手だな。残りのメンバーに迷惑がかかるとは思わないのか」

「ちょ……勝手……!?」

これにはリーファも少々かちんと来た。前々回ののデュエルイベントで、激戦の末シグルドを下したリーファを試合後にスカウトに来たのは彼自身である。その時リーファが出した条件は、パーティー行動に参加するのは都合のつく時だけ、抜けたくなったらいつでも抜けられる、という2つで、つまり束縛されるのは御免だとしっかり伝えてあったつもりなのだが__。

シグルドはくっきりと太い眉を吊り上げながら、なおも言葉を続けた。

「お前は俺のパーティーメンバーとしてすでに名が通っている。そのお前が理由もなく抜けて他のパーティーに入ったりすれば、こちらの顔に泥を塗られることになる」

「………」

シグルドの大仰(おおぎょう)な台詞に、リーファはしばし言葉を失って立ち尽くした。唖然としつつも、やっぱり__という思いが心中に去来(きょらい)する。

シグルドのパーティーに参加してしばらく経った頃、リーファの相方扱いで同時にメンバーになったレコンが、いつになく真面目な顔で忠告してきたことがあったのだ。

このパーティーに深入りするのはやめたほうがいいかもしれない、と彼は言った。理由を訊くと、シグルドはリーファを戦力としてスカウトしたのではなく、自分のパーティーのブランドを高める付加価値としてほしがったのではないか__更に言えば、自分に勝ったリーファを仲間、というより部下としてアピールすることで勇名の失墜(しっつい)を防いだつもりなのではないか、と。

まさかそんな、と笑い飛ばしたリーファに向かってレコンは力説(りきせつ)したものだ。(いわ)く__ALOのようなハード志向のMMOでは女性プレイヤーは希少(きしょう)な存在であり、それ故に戦力としてよりアイドルとして求められる傾向にあり、ましてリーファのような可愛い女の子は伝説(レジェンダリー)武具(ウェポン)以上にレアであり見せびらかし用にほしがられて当然なのであり中にはそれ以上の下心を抱いている者も多い。

リーファも一応真剣に考えてみたのであるが、自分がアイドル扱いされているなどという状況にはどうにも現実感がわかなかったし、ただでさえ覚えるべきことの多いMMORPGが更にややこしくなりそうだったので、それ以上考えるのをやめ、今日までさして大きな問題もなくパーティープレイをこなしてきたのだったが__。

怒りと苛立ちを滲ませて立つシグルドの前で、リーファは全身に重苦しく絡みつくしがらみの糸を感じていた。ALOに求めているのは、全ての束縛から脱して飛翔するあの感覚だけ。何もかも振り切って、どこまでも飛びたいと、それだけを望んでいるのに。

しかし、それは無知ゆえの甘さだったのだろうか。全ての人が翅を持つこの仮想世界なら、現実世界の重力を忘れられると思ったのはただの幻想だったのだろうか。

リーファ/直葉は、小学校の頃よく自分をいじめた剣道部の上級生のことを思い出していた。入門して以来道場で敵なしだったのが、いつしか年下でその上女の直葉に試合で勝てなくなってしまい、その報復として帰り道で仲間数名と待ち伏せては卑小(ひしょう)な嫌がらせを行った。そんな時、その上級生の口元は、今のシグルドと良く似た憤懣(ふんまん)に強張っていたものだ。

結局、ここも同じなのか__。

失望に囚われ、リーファが俯いた、その時だった。背後に下がり、影のように気配を殺していたキリトが、ボソリと呟いた。

「仲間はアイテムじゃないぜ」

「え……?」

その言葉の意味が咄嗟に掴めず、リーファは眼を見開きながら振り向いた。同時にシグルドが唸り声を上げた。

「……なんだと……?」

キリトは一歩踏み出すと、リーファとシグルドの間に割って入り、自分より頭1つ分ほども背の高い男に向き合った。

「他のプレイヤーを、あんたの大事な剣や鎧みたいに、装備欄にロックしておくことはできないって言ったのさ」

「きっ……貴様っ……!!」

キリトのストレートな言葉に、シグルドの頭が瞬時に赤く染まった。肩から下がった長いマントをバサリと巻き上げ、剣の柄に手をかける。

(くず)(あさ)りのスプリガン風情がつけあがるな!」

そこまで言った途端、沈黙を貫き通していたリーファの隣からシュッという静音が流れ、気がつくとネザーがキリトの前に立っていた。

「うっ……!?」

自分の目の前に突然現れたネザーに、シグルドは驚きを隠せずにいた。

「こいつを斬るつもりなら、まずは俺が相手になるぜ」

ネザーは片手剣の柄を掴みながらも冷静な声を放つが、口から飛び出す言葉は相手を煽るような怖い台詞。

「スプリガンの次はインプか。腹黒い種族が2人とは、お似合いだな。どうせ領地を追放された《レネゲイド》どもだろうが!」

ネザーの登場が引き金になったかのように、今にも抜刀(ばっとう)しそうな勢いでまくし立てるシグルドの台詞に、ついカッとしたリーファも思わず叫び返した。

「失礼なこと言わないで!その2人は、あたしの新しい仲間よ!」

「なん……だと……」

額に青筋を立てながらも、シグルドは声に驚愕を滲ませて唸った。

その言葉に、リーファはハッとして眼を見開いた。

ALOプレイヤーは、そのプレイスタイルによって大きく二種に別れる。

1つは、今までのリーファやシグルドのように領地を本拠西て同種族のパーティーを組み、稼いだ金の一部を執政(しっせい)部に上納して、種族の勢力を発展させようとするグループ。もう1つが、領地を出て中立都市を本拠とし、異種族間でパーティーを組んでゲーム攻略を行うグループだ。前者は後者を目的意識に欠けるとして蔑視(べっし)することが多く、領地を捨てた__自発的、あるいは領主に追放された場合を問わず__プレイヤーを脱領者(レネゲイド)と呼称している。

リーファの場合は、共同体としてのシルフ族への帰属意識は低いのだが、スイルベーンが気に入っていることと、後の半分は惰性(だせい)で領地に留まり続けていた。だが今シグルドの言葉によって、リーファの中に、解き放たれたいという欲求が急速に浮かび上がってきたのだった。

「ええ……そうよ。あたし、ここを出るわ」

口をついて出たのは、その一言だった。

シグルドは唇を歪め、食い縛った歯をわずかに剥き出すと、いきなりブロードソードを抜き放った。燃えるような眼でネザーとキリトをねめつける。

「……小虫が這い回るくらいは捨て置こうと思ったが、泥棒の真似事とはな。いかにもインプやスプリガンのやりそうなことだ。のこのこと他種族の領地まで入ってくるからには斬られても文句は言わんだろうな……?」

「どうかな?こいつはともかく、俺はタダじゃ斬られねぇぜ」

芝居がかったシグルドの台詞に対抗しようとネザーは口を動かし、キリトは肩を竦めるだけの動作で応じた。

そのクソ度胸に半ば呆れつつも、リーファは本当に戦闘になったらシグルドに斬りかかる覚悟で腰の長刀に手を添えた。緊迫した空気が周囲に満ちた。

と、その時、シグルドの背後にいた彼の仲間が小声で囁いた。

「今はやばいっすよ、シグさん。こんな人目があるとこで無抵抗の相手をキルしたら……」

周囲にはいつの間にか、トラブルの気配に引かれたように見物人の輪ができていた。正当なデュエルだったり、相手が明らかなスパイだったりするならともかく、この場では攻撃権を持たない観光者然としたネザーとキリトをシグルドが一方的に攻撃するのは確かに見栄えのいい行為ではない。

シグルドは歯嚙みしながらしばらく2人を睨んでいたが、やがて剣を鞘に収めた。

「せいぜい外では逃げ隠れることだな。__リーファ」

ネザーとキリトに捨て台詞を浴びせておいてから、背後のリーファも視線を向けてくる。

「……今俺を裏切れば、近い内に必ず後悔することになるぞ」

「留まって後悔するよりずっとマシだわ」

「戻りたくなった時のために、泣いて土下座する練習をしておくんだな」

それだけ言い放つと、シグルドは身を翻し、塔の出口へと歩き始めた。付き従うパーティーメンバー2人は、何か言いたそうにしばらくリーファの顔を見ていたが、やがて諦めたようにシグルドを追って走り去って行った。

彼らの姿が消えると、リーファは大きく息を吐き出し、2人の顔を見た。

「……なんか、ごめんね。妙なことに巻き込んじゃって……」

「いや、俺達も火に油を注ぐような真似しちゃって……」

「俺も別に気にしてないが、あれでよかったのか?領地を捨てるって……」

「あー……」

リーファはどう言ったものか迷った挙句、無言で2人の背を押して歩き始めた。野次馬の輪をすり抜けて、ちょうど降りてきたエレベーターに飛び乗る。最上階のボタンを押すと、半透明のガラスでできたチューブの底を作る円盤状の石がぼんやりと緑色に光り始め、すぐに勢いよく上昇を開始した。

数十秒後、エレベーターが停止すると壁面のガラスが音もなく開いた。白い朝日と心地よい風が同時に流れ込んでくる。
 
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