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Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
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新たな冒険

《エギル》が経営する喫茶店バーは、台東区御徒町のごみごみした裏通りにある。(すす)けたような黒い木造で、そこが店であることを示すのは小さなドアの上に造り付けられた金属製の飾り看板に刻まれた店名は《Dicey・Cafe》。

カラン、という乾いたベルの音を響かせてドアを押し開けると、カウンターの向こうで禿頭(とくとう)巨漢(きょかん)が顔を上げ、ニヤリと笑った。客が約1名いた。

「よぉ、意外に速かったな」

客の1人は、俺にメッセージを送ってきた黒髪の少年。キリトだった。

そしてもう1人が、この店を経営する大柄な男、エギル。

「久しぶり、あ、いや。こっち側では初めてだったな、ネザー」

2ヶ月が過ぎて俺が顔を合わせたSAO生還者は、キリトだけ。エギルとはたった今顔を合わせたばかりだが、キリトに続く2人目には違いない。

「……そうだな」

俺の態度を見たエギルに__

「なんだよ、こっちでも暗い奴だったんだな。ドイツ人ってのはみんなそうなのか?」

と言われた。

俺がドイツ人であることはキリトから事前に聞いていたと悟り、逆に言い返してやった。

「不景気な店を営むお前に言われたくねぇよ」

「うるせぇ、これでも夜は繁盛しているんだ」

まるでSAO世界に戻ってきたように、安い遣り取りを交わす。エギルとこの店は、第50層《アルゲート》の雑貨屋を思い出させる。しかも店内にいる客は俺とキリトの2人だけ。隅っこにさえ他の客の姿が見えなかった。

先日、病院から自宅に戻った際に俺はZECTに連絡を入れ、SAOサーバーの維持を委託された会社《レクト》__フルダイブ技術研究部門を調べるよう指示を出した。本来なら長官の《ネイサン・ブライス》に連絡を入れるものだが、組織のトップは立場上忙しく、連絡を取れる暇もないことがある。故に保険として長官補佐官の《菊岡誠二郎》に連絡を入れた。更に菊岡との会話で、驚くべき事実を知った。

菊岡がSAO事件の情報をキリト__《桐ヶ谷和人》から自身の知る範囲内から提供してもらったという事実を。

つまりZECTは俺だけではなく、他の生還者達からも事情聴取を行ったということだ。キリトの場合はSAO情報を提供する引き換えとして、アスナの入院する病院の場所、自分の思いつく限りの知り合いの本名と住所のリストを入手。事情聴取を公平な取引に利用したのだ。

知り合いの生還者達と再開するつもりは毛頭(もうとう)なかった上に、身元を積極的に調べなかった俺が、運命のイタズラに晒されたかのように再会してしまった。何より気掛かりなのは、エギルが俺の正体を知った生還者の1人ということだ。ヒースクリフを倒すためだったとは言え、アインクラッド第75層でカブトに変身したのは不味かったかもしれない。先が思いやられるが、とりあえずその件を解決することは後回しにした。俺はキリトの隣のカウンター席に位置するスツールに腰掛けた。

その後、エギルが楽し気に話し始めた。自分の本名は《アンドリュー・ギルバート・ミルズ》だ、とわざとらしく名乗り、人種は生粋(きっすい)のアフリカ系アメリカ人だということも教えた。俺が来る前、すでにキリトに話したようだが、自分のことを知ってもらおうとする奴の行動は明白だった。

住み慣れた御徒町に喫茶店バーを開いたのが25歳の時。客にも恵まれ、美人の奥さんを貰って、さあこれからという時にSAOの虜囚(りょしゅう)となった。生還後は店のことを諦めたそうだが、奥さんが細腕で暖簾(のれん)を守り抜いたという。

エギルの話など俺にはどうでもいいが、こういった人気(ひとけ)のない店は俺の好みだった。人が多い所にいると、他人から変な眼で見られることがある。おそらく顔の傷痕のせいだと思うが、数年も経てばそれほど気にならなくなった。

実際、固定客が多いのだろう。木造の店内は、行き届いた手入れによって全ての調度が見事な(つや)を纏い、テーブル4つにカウンターだけの狭さもまた魅力と思える居心地のよさを漂わせている。

だがそろそろエギルの話に区切りをつけたいと思った途端、キリトが「わかったわかった、もう充分だ」と途中から口を挟んでエギルの話を止めさせた。エギルも、正気を取り戻したように落ち着き、真剣な顔を作った。周りが落ち着いたところで、早速キリトは写真のことを問い質した。

「で、あれはどういうことなんだ?」

エギルはすぐには答えず、カウンターの下に手をやり、長方形のパッケージを取り出すと2人のほうに滑らせた。俺がそれを右手で受け止め、キリトとの間の中央に置いた。

手の平サイズのパッケージは、明らかにゲームソフトのものだと思われた。プラットフォームは何だろうと眼を凝らすと、右上に印刷された《AmuSphere》なるロゴに気づく。

「聞いたことないハードだな……」

首を傾けたキリトに、俺が答えた

「《アミュスフィア》だ。俺達がSAOにいる間に開発された、ナーブギアの後継機だ」

「……マジかよ?」

複雑な心境でその2つのリングを(かたど)ったロゴマークを見つめるキリトに、俺が簡単な注釈を加えた。

あれだけの事件を起こし、悪魔の機械とまで言われたナーブギアだが、フルダイブ型ゲームマシンを求める市場のニーズは誰にも押し留めることはできなかった。SAO事件勃発からわずか半年後に、大手メーカーから「今度こそ安全」と(めい)()たれた後継機が発売され、俺達が異世界に囚われてる間に従来(じゅうらい)据置型(すえおきがた)ゲーム機とシェアを逆転するまでになった。それがこの《アミュスフィア》で、SAOと同じジャンルのタイトルも数多くリリースされ、全世界的な人気を(はく)しているようだ。

それらの事情はあまり理解できていないが、俺自身はまだ仮想世界に諦め切れないような感情を抱いているため、詳しく知ろうとした。

「こいつも、VRMMOなのか?」

キリトは呟きながらパッケージを手に取り、眺めた。描かれているイラストは、深い森の中から見上げる巨大な満月。黄金の円盤を背景に、少年と少女が剣を(たずさ)え飛翔している。格好はオーソドックスなファンタジー風の衣装だが、2人の背中からは大きな透明の羽根が伸びている。イラストの下部には、()ったタイトルロゴで__《ALfheim Online》。

「アルフ……ヘイム・オンライン?」

「アルヴヘイム、と発音するらしい。妖精の国、っていう意味だとさ」

エギルの訂正を聞いた途端、すぐ本題に入った。

「このゲームだが、妖精ってことは、まったり系のMMOなのか?」

「いや、そんな感じじゃないぜ。ネザーなら何か知ってるんじゃないのか?」

エギルは俺に話を振った。アミュスフィアのことを知っていた俺なら、専用ゲームのこともある程度入手していると思ったのだろう。

「あいにく、発売されてるゲームにまで眼は通していない」

「そうか、なら説明しとくぞ。このゲーム、ある意味えらいハードなんだぜ」

エギルは、2人の前に湯気を上げるカップを置くと、ニヤリと笑った。持ち上げ、カップ内に入ったコーヒーの芳香(ほうこう)を嗅ぎながら俺が更に訪ねる。

「ハードというのは……?」

「どスキル制。プレイヤースキル重視。PK推奨」

「ど……」

「つまり《レベル》が存在しない、ということだな」

「ああ。各種スキルが反復使用で上昇するだけで、育ってもヒットポイントは大して上がらないそうだ。戦闘もプレイヤーの運動能力依存する」

「確かに、ある意味ハードだな」

「ソードスキルなし、魔法ありのSAOってとこだな。グラフィックや動きの精度もSAOに迫るスペックらしいぜ」

かの浮遊城アインクラッドは、狂気の天才《茅場晶彦》がその情熱の全てを注ぎ込んで築き上げた代物だ。彼以外のデザイナーが同レベルのVRワールドを生み出せたとは、中々に信じ難い。晶彦以外で精密なVRワールドを作り出せる人間がいるとすれば、それば間違いなく一番弟子だった俺しかいない。だがSAOを帰還してからの俺はVRゲーム開発には一切関わっていない。

「PK推奨ってのは?」

「プレイヤーはキャラメイクでいろんな妖精の種族を選ぶわけだが、違う種族間ならキルありなんだとさ」

「でも、いくらハイスペックでも人気ではないだろ、そんなマニア向けな仕様じゃ」

キリトが眉を寄せながら言うと、エギルは厳つい口元にもう一度笑みを浮かべた。

「そう思ったんだけどな、こいつが今大人気なんだと。理由は、《飛べる》からだそうだ」

「飛べる?」

「妖精だから羽根がある。フライト・エンジンとやらを搭載してて、慣れるとコントローラなしで自由に飛び回れる」

それを聞いた瞬間、キリトは思わずへえっと感心した声を上げた。ナーブギア発売直後から、飛行系のVRゲームは数多く出たが、その全てがゲーム内で何らかの装置を操って飛ぶタイプだった。プレイヤーが生身でそのまま飛行するゲームが出なかった理由は簡単で、現実の人間には羽根がないからだ。

仮想世界に於いて、プレイヤーは現実の体と同じように動ける。それは裏を返せば、現実の人間に不可能なことは同じく不可能、ということでもある。それがVRゲームの魅力と言える。

「飛べるっていうのはすごいな。羽根はどう制御するんだ?」

「さあな。だが相当難しいらしい。初心者は、スティック型のコントローラを片手で操るんだとさ」

「………」

キリトは一瞬、挑戦してみたいと思ってしまったが、すぐにその気持ちを打ち消すように熱いコーヒーを飲んだ。

「まあ、このゲームのことは大体わかった。本題に戻るが、あの写真は何なんだ?」

エギルは再びカウンターの下から1枚の紙を取り出し、2人の前に置いた。プリンタ用の光沢(こうたく)フィルムだ。問題の写真が印刷してある。

「どう思う?」

エギルに訊かれ、俺とキリトはしばらくプリントを凝視してから互いに頷き合い、言った。

「似ている……。アスナに……」

「似ていると言えば似ているが……これがアスナ本人だという確証があるわけじゃないだろ」

「やっぱりそう思うか。ゲーム内のスクリーンショットだから解像度が足りないんだけどな」

「速く教えてくれ。これはどこなんだ?」

キリトは焦りながら問う。

「その中だよ。アルヴヘイム・オンラインの」

エギルはカウンターからパッケージを取ると、裏返して置いた。ゲームの内容や画面写真が細かく配置されている中央に、世界の俯瞰(ふかん)()と思えるイラストがある。円形の世界が、いくつもある種族の領土として放射状に分割され、その中央に1本の巨大な樹が(そび)えている。

「世界樹、と言うんだとさ」

エギルの指が大樹のイラストをこつんと叩いた。

「プレイヤーの当面の目標は、この樹の上のほうにある城に他の種族に先駆けて到着することなんだそうだ」

「普通に飛んで行くことはできないのか?」

「なんでも滞空時間ってのがあって、無限には飛べないらしい。この樹の一番下の技にも辿り着けない。でも、どうにもバカなことを考える奴がいるもんで、体格順に5人が肩車して、多段ロケット式で樹の枝を目指した」

「……なるほど。確かにバカだが、頭を使ったもんだ」

「だが、それでも一番下の枝には到着はできなかったそうだが、5人目が到達高度の証拠にしようと写真を何枚か撮ったんだとよ。その1枚に、奇妙なものが写り込んでいたらしい」

「それが、この写真なのか」

「本当は、枝にぶら下がる巨大な鳥籠の写真だったんだ。そいつをギリギリまで引き伸ばしたのが、この写真ってわけだ」

「写真のことは理解した。だがこいつは正規のゲームだ。アスナと何の関係がある?」

俺はパッケージを取り上げ、もう一度眺めた。

すると。

「……これは……。おい、キリト」

俺は隣に座るキリトに長方形のトールケースの下部を見せる。そこには《RCT・progress》というメーカー名があった。

「レクト……プログレス……」

思わず呟いたキリトは、唇を噛み締めた。

「……なあエギル、他の写真はないのか?アスナ以外の《SAO未帰還者》が、この《アルヴヘイム・オンライン》で同じように幽閉されてる、みたいな」

キリトの質問に、エギルは分厚い眉丘(びきゅう)(しわ)を寄せると首を振った。

「いや、そういう写真はないぞ」

「そんな写真があるなら……俺らより警察に連絡を入れるものだろ」

「ああ、そりゃそうだな……」

俺の突っ込みに、キリトは苦笑いを浮かべながら納得した。

《レクト・プログレス》というメーカー名を見た時、俺もキリトもあの男__《須郷(すごう)伸之(のぶゆき)》の言葉を思い出していた。だが同時に、俺は昨日戦った《ダークカブト》が気になっていた。

現在SAOサーバーを管理しているのは自分だ、と須郷は言った。しかし管理と言ってもサーバー自体は相変わらずブラックボックス。ハッキングにも限度があった。裏でダークカブトが糸を引いているなら、事態はそう単純ではないはず。

アスナに似た少女が目撃されたVRMMO、その運営体がレクトの子会社、ダークカブトからの不吉なメッセージ。

全ては単なる偶然とはとても考えられない。ZECTに伝えたほうが都合が良い。

すると、キリトが顔を上げ、巨漢(きょかん)のマスターを()()った。

「エギル……このソフト、貰っていいか」

「構わんが……行く気なのか?」

「ああ、この眼で確かめる」

エギルは一瞬気遣わしげな顔をした。その憂慮はキリトにもわかる。まさかと思いつつも、また何か起きるのではないか、という恐怖が足元からじわりと湧き上がってくる。

「……入った情報は眼で確かめなければな」

恐怖を振り払うように、俺はグイッとコーヒーを飲み干す。

「お前も行く気なのか?」

エギルが先ほどの気遣わしげな顔で言う。

「俺も、自分の眼で確かめておきたいことができた。それに一応、キリトには74層での借りがあるからな。今回の件でそれをチャラにしてもらう」

無愛想に言うが、その言葉を聞いたキリトが微笑みながら顔を向ける。

「相変わらず素直じゃないな、ネザー」

最後辺りでニッと笑ったキリト。

「死んでもいいゲームなんてヌルすぎるぜ。……ゲーム機を買わないとな」

「ナーブギアで動くぞ。アミュスフィアは、ナーブギアのセキュリティー強化版でしかないからな」

「そりゃ助かる」

肩を(すく)めるキリトに、今度はエギルがにやりと頬を動かした。

「ま、もう一度アレを被る度胸があればの話だけどな」

「どうってことねえよ」

自慢気に言うキリトだったが、一方の俺は2人の頭の中に存在するある記憶を気にしていた。

「………」

だがそれを口に出すことはなかった。

俺は残りのコーヒーを全て飲み干し、ポケットからコインを取り出してカウンターにパチリと置き、席から立ち上がる。

「俺は帰る。じゃあな」

「おい、ちょっと待て」

突然エギルに呼び止められ、悪い予感が的中した、と思いながら顔をわずかに振り向けた。

「実は俺、調べたんだよ。……《赤いスピードスター》に関する情報をな」

エギルが真剣な眼差しで俺を見つめる中、キリトも後につられるように眼差しを向けてきた。

「SNSやブログ記事に記述されてたんだが、世界中のあちこちで猛スピードで動く鎧の戦士の目撃情報があった。そいつらが見たことのない怪物と戦っていて、しかも1人だけじゃなく、閃光のように速く動ける鎧の戦士は他にもいたそうだ」

そこまでエギルが話したところで俺が口を挟んだ。

「俺は英雄でもなんでもない。単なる噂の産物に過ぎない」

俺の行為が誰かを救うという結果を生んでも、俺は自分をヒーローとは思っていない。カブトでも__正せない過ちはある。

すると、キリトが気を楽にしようと、言った。

「……まだ俺達は、お前のことが理解できないけど……お前が何者であろうと、俺達にとってお前は、SAOをクリアした救世主だ」

「……救世主?」

その最後の一言が、俺を戸惑わせた。

救世主__そんなことを言われたのは初めてだった。その戸惑いを吹っ飛ばすように、エギルの声が店全体に響いた。

「ネザー、お前は間違いなくヒーローだ。だから必ずアスナを助け出せよ。いつかここでオフ会をやるから、お前も是非(ぜひ)来い!」

「………」

この場から逃げ出すように再び振り向いてドアを押し開け、店を出て行った。











自宅の部屋に戻った俺は、ラフな格好に着替え、ベッドの上に座った。ZECTに連絡を入れ、《アルヴヘイム・オンライン》、略称ALOのゲームソフトを送り届けてもらった。

エギルから聞いた話の限りでは相当な歯応えがありそうな内容だ。僥倖(ぎょうこう)なのはレベル制ではないということで、ステータスが足りずに自由に動けないという事態はある程度避けられそうだ。

ウォールラックに置いてあったナーブギアを持って自室を出た俺は、廊下の壁の側面前に立った。その壁に掌を当てると、すぐ横の壁面がハッチのように開き、大型四角形のタッチパネルが現れた。

パネルに人差し指でちょこんとタッチすると、電話機などでよく見られる1から0までの数字キーが表示された。4桁の暗証番号を入力後、手形のグラフィックが表示された。暗証番号を打つと自動的に指紋認証システムが表示される仕組みになっており、俺は透かさずパネルに掌を当てた。スキャンが完了すると扉が横にスライドして開き、地下に通じるエレベーターの内部空間が見て取れた。

俺を乗せたエレベーターはスイスイと地下へ降りていき、数秒を経て眼前の扉がスライド開閉した。外に出ると、面積が9000平方メートル__サッカースタジアム並みの広さ__の秘密の地下室が姿を現した。

実際は地下室と言うより、作業室や研究室といった感じだった。

元々この邸宅は茅場晶彦が所有していた別家(べっけ)だったが、養子ということで俺が数年前に晶彦から貰い受けた。その後、スターライダーの活動拠点として色々とリフォームを施した。

特に手を加えたのが__今立っているこの地下室。

物置として使われていたこの地下室を大幅に改造し、カブト専用の秘密基地に早変わりさせた。

言うなれば__《スターベース》。

ベース内はそれぞれドアや壁で区画されており、それぞれの仕事スペースが設けられている。壁やキャスターに設置されたモニターが四方八方にいくつも設置され、地下室全体の7割が映像に囲まれていた。

部屋の中央には、C字型の長いコーナーデスクと、その上に置かれた5台のパソコンとキーボード。部屋の中央の端っ子には巨大なタッチパネル式のメインモニターが設置されている。この中央区画がスターベースのメイン__《モニタールーム》だ。

最大4人まで座れるソファーが2つと、巨大な円形テーブルに椅子が設置された会議場に、壁やキャスター上のモニターが設置された《ミーティングルーム》。

作業台として使われる別の金属製デスクの上には半田ごてやドライバーなどの工具がいくつも置かれた《メカニックルーム》。

手術台にも見て取れる大型ベッドの周辺には無影灯、天吊モニター、術野カメラ、麻酔器、生体情報モニターなどの医療機器が配備されている。ベッドの上辺りには、血管造影を解析するためのX線装置、放射線を利用して物体を走査しコンピューターを用いて処理するCT装置、身体の内部情報を画像にするMRI装置までも設置されている。これほど最新の医療機器を取り揃えた《メディカルルーム》は、どう見ても本格的な病院施設としか言えない。

あらゆる事態に対処できる設備と装備を取り揃えた基地で、早速ALOへのダイブを準備する。

パッケージを開封して小さなROMカードを取り出し、ナーブギアの電源を入れ、スロットにカードを挿入する。数秒で主インジケータが点滅から点灯へと変わる。俺は手術台にも見て取れるベッドに横たわり、両手でナーブギアを目の前に持ち上げた。

かつて濃紺に輝いていたその機械は、今や塗装があちこち剥げ落ち、傷ついている。このマシンの危険性は俺が一番理解してる。これは俺が開発に携わった代物であり、俺を2年間も捕縛(ほばく)した(かせ)であるが、同時に俺の中の欠けた何かを埋めてくれた道でもある。

……また、お前が必要になるな。

胸の奥で呟き、俺は因縁の装置を頭に装着した。顎の下でハーネスをロックし、シールドを降ろして眼を閉じる。

そして異世界に飛び込む際に言う、あの言葉を吐いた。

「リンク・スタート」





閉じた(まぶた)を透かして届いていた(おぼろ)な光が、さっと消えた。視神経からの入力がキャンセルされ、真の暗闇が俺を包んだ。

しかしすぐに、眼の前に虹色の光が(はじ)けた。不定形の光はナーブギアのロゴマークに形を変え始める。最初はぼんやりと(にじ)んでいたそれが、脳の視覚野(しかくや)との接続は確立されるにつれてクリアに浮き上がる。やがて、ロゴの下に視覚接続OKのメッセージが小さく表示される。

次はどこか遠くから、奇妙な多重音が近づいてくる。歪んだサウンドもまた、徐々に美しい和音へとピッチを変え、最後に荘重(そうちょう)な起動サウンドを(かな)でて消える。聴覚接続OKのメッセージ。

セットアップステージは、次に体表面感覚へと移り、重力感覚へと進み、ベッドの感触と体の重さが消える。その他、各種感覚の接続テストが1つ1つ実施され、OKマークが増えていく。いずれフルダイブ技術が進歩すれば、人の記憶を操作することも可能ではないか、と思わず考えてしまいそうだ。

そしてついに最後のOKメッセージがフラッシュし、次の瞬間、俺は暗闇の中をまっすぐに落下した。やがて下方向から虹色の光が近づき、そのリングを潜った俺の仮想の足が、すとんと異世界に着陸する。

頭上に《Welcome to Alfheim Online》というロゴが描き出され、同時に柔らかい女性の声でウェルカムメッセージが響き渡る。

『アルヴヘイム・オンラインへようこそ』

胸の高さに青白く光るホロキーボードが出現し、まず新規IDとパスワードの入力を求められる。SAO開始時にも使用した偽造ID。長い間使って指が記憶している文字列を流用することにして素早く打ち込む。

次いでキャラクターネームの入力。《Nether》と入力しようとしたが、なぜか一瞬躊躇って指を止めた。

SAOでネザーと名乗っていたことはともかく、カブトに変身したことを知る人間は元攻略組に限られてるはず。ZECTの救出チームはもちろん、キリトやアスナ、エギルなど、他にも多くいるだろう。仮想世界の出来事と言って話を投げ出してくれればいいと、つい考えてしまう。

しかし、幸いなことはSAO世界の出来事がニュースで公表されてはいない。当然キャラクターネームに関する情報も公表されていない。あの世界ではプレイヤー同士の戦闘が発生し、その結果現実世界で恐ろしい数の人間が死亡しているからだ。誰が誰を殺した、という話が無制限に流布(るふ)すれば、(おびただ)しい訴訟(そしょう)が起きることは想像に(かた)くない。

VRおよびフルダイブ技術の根幹(こんかん)はZECTが管理下におかれるというのが法的により定められたが、フルダイブ型ゲームマシンを求める人々を押し留めるのは困難だった。VRMMOの人気は、想像以上だった。

現在、法的にはSAO事件で発生した殺人の(とが)は全て行方不明の茅場晶彦1人に負わされている。また、プレイヤーの親族からの賠償(ばいしょう)訴訟(そしょう)は運営会社のアーガスを相手取って起こされ、その結果アーガスは解散してしまった。つまり、茅場はほぼ独力で最大手メーカーへと育てたアーガスに自らその幕をも降ろしたわけだが、ともかく今後プレイヤー間レベルでの訴訟(そしょう)は続発する事態は避けたい、というのがZECTの意向らしい。

あの須郷という男に俺のことが知られているのが気に食わないが、それよりも警戒すべきなのは、須郷の裏にいると思われるダークカブトだ。SAOに何度も出没したヴァーミンも、おそらく奴の仕業だろう。だから当然俺のことも知っているはずだ。ならばむしろ、キャラネームを同じにすべきだと思う。こちらから相手を誘うためには、餌を撒いてやらなければ。

俺は逡巡(しゅんじゅん)を押し切り、《Nether》と入力した。性別はもちろん《male》。

次に、合成ボイスはキャラクターの作成を(うなが)した。

『それでは種族を決めましょう。9つの種族から1つ選択してくださ』

プレイヤーの分身とも言えるキャラクターは、妖精をモチーフにした9種族。それぞれに多少の得手不得手(えてふえて)があるという説明がある。

火妖精族サラマンダー、風妖精族シルフ、土妖精族ノーム、影妖精族スプリガン、猫妖精族ケットシー、水妖精族ウンディーネ、工匠妖精族レプラコーン、音楽妖精族プーカ、闇妖精族インプ。

9妖精種族の中から選択しようとする。今の俺は真剣にゲームをプレイする気などないので種族はどれでもよかったが、それなりにこだわりがあったので、闇妖精の《インプ》を選択し、OKボタンをタッチした。

全ての初期設定が終了し、幸運を祈ります、という最後の人工音声に送られ、俺は再び光の渦に包まれた。事前に調べた結果、それぞれの種族のホームタウンからゲームがスタートするらしい。床に立つ感触が消え、浮遊感、次いで落下感覚に見舞われる。光の中から、徐々に異世界が姿を現す。深い闇に包まれた小さな町の上空に俺は出現する。

2ヶ月ぶりに味わうフルダイブ型ゲームの感覚が、仮想の全身の神経を甦らせていくのを感じながら、俺は洞窟のある町の中央に近づいていく。

__その時。

いきなり全ての映像がフリーズした。あちこちでポリゴンが欠け、雷光(らいこう)めいたノイズが視界のそこかしこを這い回る。モザイク状に全オブジェクトの解像度が減少し、世界が溶け崩れていく。

「なんだ!?何が起こってるんだ!?」

驚く暇もなく俺は、再び猛烈な落下状態に陥った。途方もなく広い暗闇の中を、果てしなく落ちていく。

虚無の空間に吸収されていく。まるで、自分の心の闇に吸い込まれていくようだった。
 
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