俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか
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65.Again And Advance
前書き
特に異論もなかったので、ややこしいストーリーをカットして話を畳む方向でいきます。
アズ過去編の短縮、オーネスト過去編大幅カット等々。
最低限やりたいのはガウル主役の話と、いくつか。
即時打ち切り可能なイデ発動エンドも用意してたんですが、流石にそれはひどすぎるのでちゃんとします。ただ、最初に想定していた最終章は断腸の思いで諦めます。
人間――忌まわしい人間、神の劣化模造品。
何故貴様らは戦う。何故貴様らは命を賭して我等に立ちはだかる。
そのちっぽけな体にどれだけの可能性を秘めて、貴様らは戦士となる。
何故神々は、貴様らのような欠点だらけの生物に力を与え、我等と戦う先兵とする。
――貴様らは何を求めて此処に至り、何処へ向かおうというのか。
それは、或いは迷いだったのかもしれない。
故に――。
故に――。
= =
フィンたちかどうにか60階層に辿り着いた時、そこは予想だにしない状況を目にする。
「なんだこれは、黒い人間……!?」
無数に入り乱れる黒い人間たちの腕、足、剣。まるで狼の群れが羊を蹂躙するかのように荒々しい攻撃が縦横無尽に吹き荒れ、黒竜との戦いに生き残った勇者たちを食い散らそうとしていた。
「ぬ、う、う………ッ!!」
「ヒハハハハッ!!押してるぜぇ、俺たちがオラリオ最強をよォッ!!」
「それが宿命ッ!!それが必然ッ!!さぁ惨殺されよ、貴様は古き存在となったのだッ!!」
二人掛かりで押し込まれる二本の剣を一本の大剣で受け止めるオッタル。最強の猛者に恥じぬ心技体を揃えた彼の体は、凄まじい膂力を上回る破滅的な暴力によって押し込められ、足場が砕ける。同時に背後からオッタルの背を狙う別の黒装束が貫手で迫る。
「……小癪ッ!!」
しかし、レベル7は伊達や酔狂で得た称号に非ず。瞬時にそれに気付いたオッタルは上半身の力だけで強引に二つの剣を横に跳ねのけ、次の瞬間深く踏み込んだ斬り上げの一撃を背後に叩き込み、そのまま回転して正面の二人にも斬りかかった。
背後の一人は腕ごと両断されて吹き飛ぶが、正面の二人は剣を盾に後ろに飛んで衝撃を逃がし、生き延びる。その顔には醜悪な笑みが浮かんでいた。
「耐えられる、この体なら!!逆襲できる、この力なら!!いけるぞ、これならフレイヤ・ファミリアの皆殺しさえ容易いッ!!」
「お前たちは『彼女』を本気にさせたんだよぉッ!その報いを自分たちの命で払うがいいさ!」
「………力だけならレベル7クラス、か。それに加え――」
油断なく剣を構えなおしたオッタルは自らが切り裂いた背後の敵に眼をやる。
腕から腹にかけて致命傷に近い傷を負った黒装束の肉体は鮮血を噴出させていたが、負った傷が気泡のようにぶくぶくと膨れて蠢いたかと思うと、そこには斬られる前の肉体が再生されていた。僅か数秒での完全回復。魔物でさえあり得ない超再生能力だ。
「ゲッグ………カァ、ハはは………どうした猛者、さっきのそれは攻撃か?温いなぁ……哀れだなぁ……俺たちのような力を与えられないファミリアってのはぁッ!!」
「………………」
オッタルは、男の体を両断するつもりで切り裂いた。黒竜の首さえ切断した一撃に近い威力だ。しかし男は両断されず、その傷は再生している。二人掛かりとはいえ一度は自らを押し込んだ筋力、斬撃の威力を半減させるほどの耐久力、そしてダメージを感じさせない超速再生能力。ただ魔物化した人間程度の力を遥かに超えている。
《――『魔王』ちゃんの力ね》
「フレイヤ様……」
《神に対する強烈な殺意と敵対心の為せる業。仕組みとしては神がファミリヤに施す成長制限解除から更に踏み込んだ物……神を殺す為の力の欠片の欠片。簡単に言うと強制レベルアップね。それも人間換算で3は上がってるかしら?》
フレイヤの声は、ご機嫌とも不機嫌とも言えない平坦な声だった。別段オッタルが負けるとは思っていまい。だが、単純な能力値がレベル7に近い人間が十数名も現れての乱戦。ロキ・ファミリアが来たはいいが、この状況で戦えば犠牲を出しかねない。
ロキ・ファミリアの最優先救出目標であるアイズはリージュと共にどうにか猛攻を防いでいるが、既に魔力を切らせたリージュでは決め手に欠け、実戦経験とステイタスで劣るアイズはリージュの足手まといにならないよう敵をいなすので精一杯だ。オーネストに関しては戦えない筈――。
「阻めよ、護……!!」
ギャララララララララララッ!!と金属の擦れ合う音を立て、オーネストとアズのいた場所に膨大な鎖が出現し、黒装束の攻撃を防ぐ。その鎖の音を聞いたフレイヤが物凄く小さな音で舌打ちしたのが聞こえたが、聞こえなかったことにする。
『選定之鎖』。神さえ恐れる堅牢なる鎖の出現とは、それそのものがアズライールという男の覚醒を意味している。鎖の中から緊張感のないダレた声が漏れる。
「うごぉ……これ、ちょっ、駄目だ全然密度出ねぇ……一応前はサバトマンの攻撃防げたけどこれわっかんねぇぞ……」
「なんだ、目を覚ましたと思ったら使えねぇ。帰ったら一度鍛え直してやるからそのつもりでいろ」
「そういうお前も動いてねぇじゃねーか!」
「戯け。神殺しの竜血を浴びて命がある方がおかしいのだ。あのクソ竜め……道理で力が出ん訳だ。あれは相手を燃やす血ではなく、『神を焼き尽くす為に一からそうあれと作られた力』だった」
「ふーん。じゃあ普通の奴が浴びたらファミリア契約切れたりすんのかな?」
「それより先に魂が燃え尽きるだけだ」
平常運行すぎるほど平常運行な上に黒竜の凄まじい秘密にサラッと気付くオーネストと、死の淵を彷徨っていた癖に相変わらず暢気なアズの復活。どうやら戦力的にはまだ充てに出来るものではないらしいが、彼らの態度によって戦場で巻き起こる変化は劇的だった。
「やっぱり生きてやがったか、オーネストぉ!!よっしゃ、こうしちゃいられねぇ!!アイツが復活する前に周りの黒いのを全員ボコすッ!いいだろフィン団長よぉ!」
「あの馬鹿オーネスト、敵の前で堂々と動けないとかなんとかべらべらと……集中砲火受けたらどうする気よッ!!早く周りを片付けないとッ!!」
「仕方ない……魔法使いは後方!!ベート達は二人一組になって攻撃!!相手は強いが力に振り回されている!!冷静に対処すれば勝てる相手だ!!」
ロキ・ファミリアの戦意が一部高揚。更にアズの身を案じていたアイズもその声を聞いた瞬間襲ってきた黒装束にカウンターの蹴りを叩き込む。
「アズ、生きてた……なら私も生き残る。アズが戻ってくるのに比べれば、こっちの方が簡単なはず」
「その意気だ戦姫!!アキくんもそのうち立ち上がる。そうなればこの馬鹿馬鹿しく長い戦いも終わりだッ!!」
リージュの力強く透き通った声が、フィンの指示と重ねる形で周囲を鼓舞する。
そして何より、黒装束の動きが劇的だった。
「なっ……ナメ腐りおってあの人間擬き共がぁッ!!殺せ!!誰より早くオーネスト・ライアーとアズライール・チェンバレットを血祭りにあげろぉッ!!」
狙ってかどうかは不明だが、二人の暢気な会話は仲間にとっては頼もしく、そして敵にとってはこの上ない挑発行為に映ったのだろう。ばらけていた戦場が一気にアズの鎖の檻周辺に集まり、それが逆に周囲が黒装束を迎撃しやすい環境となる。
「おいオーネスト、お前態とやってんだろ。耐久力落ちてるっつってんのに……今は鎖を維持するのもギリなんだぞ?」
「かといって狙いを分散させた結果どこかの誰かがくたばったら、お前きっと手が届かなかったことに後悔するぞ。それが力のない奴の行き着く先ってもんだ」
「そいつは実体験か、それとも嫌味か」
「両方だ。含蓄があるだろ」
「リアクションしにくい事言うんじゃねえよ」
かくして、ダンジョンに身を売った黒装束と人間勢力が60層にて激突した。
= =
「再生力と腕力ばカりで闘争ノ気位と言うモノが足ラヌッ!!借り物の力に呑マルルは愚ノ骨頂ッ!!」
「ゴブッ……ぁ……か、な」
振り抜いた腕が黒装束の胸に埋め込まれた赤い魔石に直撃し、黒装束の胸部を貫通する。魔石は肉片や骨片と共に飛び散り、遅れて重要な機関を喪った肉体は力なく崩れ落ちる。その光景に周囲の数名の黒装束が身構えるが、ユグーは構わず拳の具合を確かめるように閉じた手を開く。
(闘争を求めてはいル。先程迄ト違い思考と体は一致スる。だが、何だこの違和感は……黒竜との闘争ノ真下より、俺ノ思考ニ何かが……俺ではない何かが、この連中を疾ク倒スようニと、『次』を警戒している……)
あの時――白昼夢のような光景から何かが流れ込んで以来、ユグーはこれまでに抱いたことのない戸惑いを抱き続けている。それは理性とも本能とも違った場所からユグーの姿を見て、疑問を呈する。その疑問の形もわからないまま戦っているのは、ユグーの意思と流れ込んだ意思が折衷するものだったからに過ぎない。
流れ込んだ意思は、ユグーの認知しない何かを知っており、ユグーの認知しない思考と法則の下に何かを為そうとしている。警戒していると言ってもいい。では、警戒しているそれとは何か――それを確かめる為にユグーは黒装束に仕掛けた。
そして、確信を持つ。
(こヤツら、ではナい)
確かにこの黒装束は凡百の者とは比べ物にならぬ程の力としぶとさを持っている。しかし、そのどれもが力を万全に出し切っていない。御するべき力を御せていないのだ。それも馬鹿げた再生能力の前には些事だと思っているのかもしれないが、ロキ・ファミリアもその事実に気付いたのか次第に黒装束に対して攻勢に出ている。
視線の先ではせいぜいがレベル5程度の若者たちが黒装束を転倒させ、魔石を確実に砕いている光景が見えた。魔石の破壊と同時に絶叫した男は逃げるように走り出し、未だに残る溶岩の中に墜ちて消えた。
弱い――このまま続ければ、黒装束は全滅する。一部は力を御し始めていたり岩盤を砕いて溶岩を利用するなど攻撃の手を緩めない者もいるが、ここを血戦の地と定めているのならばいずれ負けて死ぬだろう。彼らは意識していないだろうが、オーネストは鎖の中で次第に体力を回復させている。
刹那、黒装束の一人がユグーの考え事を妨害するように蹴りを放つ。拳で払うと、衝突時にズガンッ!!と巨大な質量が衝突したような衝撃が奔る。これまでの雑魚と違ってそれなりに出来るな、と思いそちらを見ると、どこか見覚えのある顔だった。
「お前は……確か、オリバだったカ?」
「オリヴァス、だ。相変わらず物覚えの悪い木偶だよ、貴様は」
「そウ、オリヴァス。俺を闇派閥に引キ込ンダ男。流石に雑魚とは違う……」
「貴様はつくづく俺の精神を逆撫でする。闘争が欲しいというから誘ってやれば行方をくらまし、久しぶりに会ってみればあの忌まわしく汚らわしいオーネスト・ライアーとつるんでいるだと?貴様は何なのだ?」
「知らヌ。戦え」
拳と拳が再度激突。僅かに体が押される。腕力ではない、嘗てより格上との相手と幾度となく戦闘を繰り広げ続けてきた武闘派のオリヴァスの実力はユグーも認めるが、それに加えて黒化の力によって本当にレベル7に匹敵する実力を得たらしい。
強い。だが――それだけだ。黒竜と比べるとあまりに粗末でちっぽけな脅威。出来てせいぜいが数人の死人を出す程度。あの白昼夢語った「人間の為だけの秩序」とやらの脅威になる程の力かと問われれば否。よくてもオーネストが戦えるようになる前には仕留められる程度の力だ。
オリヴァスが素早く体を回転させ、次の瞬間ユグーの顔面が地面に叩きつけられる。恐ろしい速度の踵落としを脳天に受けたのだ。ユグーは気にせず顔を起こし、もう一撃脳天に衝撃を受けて再び叩きつけられる。
「貴様に構っている暇はないのだ。とうとう彼女は力を与えたもうた。お前にわかるか?この力――『神殺しの黒』!!忌々しき女神の生き血を啜ってたまたま手に入れた力を振りかざすあの愚か者を――神の力に頼るだけの地上の愚者の代表を屠る時が来たのだ!その手始めに、まずはその傲慢な男の親友を名乗る疫病神を縊り殺す!」
「貴様、思っタヨり馬鹿だな」
素直な感想を言うと同時に、もう一度頭を凄まじい力で踏みつけられ、顔面が岩の地面に埋まる。瞬間、自分の頭の上に確実にある足を掴み、握り潰すつもりで握ったユグーは起き上がりながらそれを振り回し、目の前に叩きつけた。
オリヴァスの体が岩に埋まるが、瞬間的に掴まれていないもう片方の足でユグーの手が蹴りつぶされ、オリヴァスは拘束から脱して距離を取る。下手な冒険者なら頭が潰れて目玉が千切れ飛ぶ力だったが、オリヴァスは再生力だけでなく防御力も格段に向上しているらしい。
「馬鹿。貴様に馬鹿などと言われる日が来るとは思わなんだ。俺のどこが馬鹿だと?」
「オーネストの力は神の力だト思ッている。愚カ、実ニ」
「事実だ!!」
オリヴァスの黒く染まった顔面は、恐らく生身ならば怒りで真っ赤に染まっているだろう。唾を飛ばす権幕の叫び声は、唯の人間が聞けば鼓膜を突き破る音量だった。子供の癇癪だ、とユグーは思った。
「奴の異常な成長性は!!奴の異常な生命力と再生能力は!!奴が黒竜との戦いで見せた魔法の異常性は!!奴の容姿も立場も全て全て全て神の力があったから可能だった事だろうがッ!!愚かしく汚らわしく無知蒙昧な神の黴臭い絶対者主義の傲慢さが生み出したのがあれだ!!オーネスト・ライアーだ!!」
実に下らない、白ける言葉だった。ユグーはそんな経験はなかったが、今ならば哀れみという感情を学習できる気がした。この男は何も分かってはいない。オーネスト・ライアーという男がどれほど凄まじい男なのかが分かっていない。
「ナメた黒野郎だ。オーネストが神の力だか何だか知らねぇが、たかがその特別な力とやら一つがなくなった所であいつの強さが揺るぐものかよッ!!」
「オーネストにとってむしろ特別な力は邪魔だった!!そんなことも理解できない馬鹿はやっぱり人間じゃなくて魔物だ!!」
ユグーの意思を代弁するように、別の黒装束を仕留めたロキ・ファミリアの人間――ベートとティオナが不愉快そうにオリヴァスに攻撃を仕掛ける。巨大な剣と双剣。どちらもオリヴァスには及ばず躱され、カウンター気味に弾かれて後方に飛びずさる。実力はオリヴァスに及んでいないが、放つ気迫と意志の力は実に良い。
そう、オーネストの強さは特別な力ではない。
オーネストの強さは、魂の慟哭と折れない意志だ。
ただそれだけ。神の力も伝説も才能も必要ない――存在しなかったところで、オーネストなら必ず到達する。あったから強く見えたが、本当は全てなくてもよかった代物なのだ。
「奴ハ限界を目の前にしタ時、己を乗り越え、限界ノ更ニ先へ踏み込む。踏み込めずに力のみヲ与エられることを待った貴様でハ、至高ノ熱戦には到達できナい」
「………芥共が!!単細胞生物共が!!どいつもこいつも、愚か者は決まって奴を庇う!!奴に憧れる!!奴に群がる!!人殺しの、汚らわしい、人間以下の屑虫にぃぃぃぃッ!!!」
黒く染まった頭髪を振り乱し、頭の皮を剥ぎ取るようにぐちゃぐちゃと音を立てて頭を文字通り搔き毟ったオリヴァスの、劣等感や鬱憤を全て込めたような絶叫が響いた。
「黒装束も大分数が減った。そろそろ諦めて俺の経験値にでもなれや、クソ黒ヒステリー野郎」
「オーネスト狙いじゃなくったって、アイズに手を出した時点であたしたち腸が煮えくり返ってんだよね。だから喋ってないでとっとと討伐されろ、魔物!!」
「後がつっかエテイる。嘗テの同僚のよしみ、前座ハ去レ」
この場に、オリヴァスを脅威として捉える人間はいない。
存在するだけで無視できなくなる台風の目――オーネストと違い、オリヴァスはこれだけの力を手に入れても戦いの中心としては扱われない。その力も、片手間に多くに与えられた力と同等の黒い力を受け取ったに過ぎない。紆余曲折あって黒竜を倒すに至ったオーネストと違い、オリヴァスは何一つ目的を達成できていない。
自分の考えだけが上手くいかない。与えられた力を十全に発揮してもユグー一人さえ突破できていない。黒竜討伐直後という圧倒的なアドバンテージを得たにも関わらず、ロキ・ファミリアに妨害され、随所でフィンたちレベル6クラスとオッタルの力で黒装束は着々とその数を減らしている。
このまま終わることが出来るか――迷宮の尖兵として。
「認めるか……認めるか!!認められ――」
言葉はそれまでで、前触れはなかった。
ただ、オリヴァスの背後に溶岩の柱が生まれ、それがオリヴァスの肉体を瞬時に焼却し、体に残った魔石だけが溶岩の中に取り込まれた。ベートとティオナは何が起きたのか分からずに唖然とし、ユグーは手の刺青が疼き始めたことを自覚した。
消滅する寸前にオリヴァスの視界が捉えたのは、彼に視線すら向けておらず、オリヴァスの「次」に目を向けるオーネストの姿だった。
オリヴァスという男は、オリヴァスであるという必要性がないままに消滅した。
オリヴァスだけではない。力任せの戦いで攻めあぐねていた黒装束も、一部ファミリアの連携を崩して命に手を届かせようとしていた黒装束も、平等に突然現れた溶岩に呑まれ、死んでいく。
「このまま終わらないとは思っていたがな――アズ、俺が通るから鎖をどけろ」
「もういいのか?」
「これ以上は寝ていられん」
剣を放り捨てて無手で立ち上がるオーネストを見て、アズは剣を使わないのかとも聞かずに鎖の檻の一部を開けた。実際にはオーネストの剣は無理な攻撃の連続でとうに限界を迎えていたのだろう、と考えながら。
「俺、ちょっと手伝えん。任せていいか」
「言い出しっぺはお前だが、乗ったのは俺だ。ケリをつける義理くらいあるだろ」
終わりが近づいている。
僅か1日の間に起きた激動の戦乱の収束点が、溶岩の内から這い上がってくる。
= =
ずっと考えていた。生存の為の道を。
予想外に次ぐ予想外。足搔きに重なる足搔き。
苦し紛れの策を看破される可能性を見据えていたが故に辛うじて存在を保つことが出来たが、それも尽きかけていた。炉にくべる薪が尽きれば、炎は燃え尽きて消える。
何を間違ったのだろうか。
三大怪物たる己が漆黒の身が人間に劣る筈がない。母さまの与えてくれた、神を殺すための尖兵に相応しい威容はそれに見合った能力を発揮し、あのちっぽけな人間共を後一歩の所にまで追い込んだ、だというのに人間はいつもその先に踏み込んでくる。嘗て片目を失ったあの瞬間も矢張り、そうだった。
考える。考えて考えて、黒き雑兵が人間を襲い始めても考え、そしてふと思う。
――あの人間は。
オーネストと呼ばれたあの男は、人間というちっぽけな存在でありながらどれだけ壊れても決して揺ぎ無い殺意で戦闘を塗り固めていた。人理を超越した存在である己さえも「異常だ」と思わせるだけの力――感情、意志、魂の咆哮。
人間には。黒竜の想像を踏み越え、神の力さえ御する可能性を引き出すことが出来るのか。
――あの人間も。
『繭』が破られて敗走する瞬間、黒竜はそれを破った人間がこちらに手を差し出しているのを感じた。己の死が迫っていたというのに。黒竜は敵であるのに。なのに、「母」という存在に抱いた感情を通して、黒竜とあの金髪の少女は一瞬だけ通じ合った。
超越存在である筈の己と同じ思考を抱く成長性が、人間には秘められているのだろうか。
もう1000年以上の年月が過ぎた。
黒竜であることに誇りもある。
だが、もしかすれば――己も変革すべき時が訪れているのではないだろうか。
――ならば、我も一歩先へと踏み込もう。
上手く行く保証もない無謀で異端的な変化。それを為すための薪は上で人間と戦い、動きを鈍らせている。母さまが何のつもりで遣わしたのかは知らないが、同じ黒の力を僅かでも宿しているのならそこいらの魔石とは比ぶるべくもなく好い薪だ。
薪を喰らい、炉にくべる。そして精錬を始める。
黒天竜としての敗北による固定観念の破壊。
新たなる可能性の器の想起。
そして、材料。
黒魔石――嘗てよりの古の滅波、母なる力。
神の血――忌むべき相反する異物、邪なる忌光。
人の組――これまで軽視し、しかし神によって可能性を見出されし器。
始めよう、新たなる器の創造を。
始めよう、新たなる可能性の模索を。
= =
ひたり、と、小さな小さな足音。
やけに大きく響くその音に、その存在感に、場にいるほぼ全員が息を呑む。
まるで水浴びの直後のように体から溶岩を流れ落とさせた『それ』は墨のような漆黒の頭髪を揺らし、服とも鎧とも皮膚とも知れない硬質化した何かに身を包み、そして血のように深紅い瞳と、星のように眩い金の瞳をうっすらと開けて顔を上げる。
「――広いな。成程、人とはこれほどに広い世界を視ているのか」
まるで世間話をするように発した声に――金色の瞳に――そしてその顔立ちに痛烈なまでの既視感を覚える周囲を尻目に、『それ』は手を握り、開き、そしてその爪を漆黒の鉤爪に変形させて無造作に横一線で振り抜いた。
瞬間――偶然にもその横振りの直線状にいた数名の冒険者が夥しい鮮血を放出し、ばらばらに引き裂かれた武器と鎧と自分の血の上に崩れ落ちた。遅れて、60層の端の壁にゾガンッ!!と音を立てて5つの切れ目が浮き出た。
「――あ、え?」
「……おれ、なんで、こんな………」
「ポーションッ!!ハイポーションを大至急怪我人へ!!急がなければ手遅れになる!!」
『親指の疼き』が収まらなかったフィンの間髪入れない怒声と共に、彼の槍が振るわれて『それ』に吸い込まれ、あっさりと捌かれた。殺すよりも治療の時間を稼ぐことが肝要の攻撃ではあったが、それでも魔物を死に至らしめるには十分な威力であったにも関わらずだ。
「まるでこれまでと見え方が異なるな。先程まで煩わしい蠅のように鬱陶しかったが、同じ目線に立つと新鮮なものだ」
「君は、誰だ!!」
フィンの直感が、人生をかけて積み込んだ経験則が、『それ』に痛烈なまでの危険を感じていた。本来なら部下も知り合いも見捨てて逃走を決め込む程の死期――先ほどファミリアの仲間が輪切りで即死しなかったのが不思議でしょうがないほどの力を、『それ』は持っている。
そして何より、『それ』は余りにも――余りにも似すぎていた。
「『狂闘士』に、オーネスト・ライアーに瓜二つな顔の君は一体誰だッ!!」
恐ろしく整った顔立ち。
片方だけながら、彼と同じ金色の瞳。
長い髪を切って捨てれば、その身長も顔も声も何もかもがオーネストと似すぎていた。
と――背後から声。
「黒竜だろう」
「オーネスト………?君は、もう動けるのか?」
「どうでもいい」
『黒竜』とオーネストが、向かい合う。
金と黒、鏡合わせのようであり、対照的な光景。
「答えは簡単だ。アイズは『繭』を破ったが『魔石は壊していない』。そして黒竜は俺との戦いで微量ながら俺の血を――忌々しい神の因子が混ざった血を浴びた。あとは発想の転換……『繭』によって体を小さく出来るし存在しなかった器官を作り出せるのならば、『竜の形をやめる』ことも可能。俺に似たのは、俺の因子を起点に肉体を再構築したからだ」
黒竜――いや、もはや黒竜とは呼べない存在となったそれは、オーネストを見て目を細める。
「ついでに黒装束共の魔石を吸収して力の回復も済ませてある。違うか?」
「矢張り貴様は他とは違う。力も、知能も」
「肯定と捉える」
人間サイズにまで凝縮された、不倶戴天の天災。
人の大きさの怪物――全く未知の魔物。
1000年の長き刻を経て、異端児とも新種とも異なる可能性の顕現。
「人間の可能性を探りたくなった。その為ならば竜の姿を棄てよう。古き衣を脱ぎ捨て、ちっぽけなひとつと成り果てよう。さぁ、人間――神が見出した、神の模造品。貴様らの可能性を――貴様らの内から湧き出す力の正体を、我に見せてみよ」
黒竜人――三度衣を脱ぎ捨てて、四肢を変じさせ新たな五蘊を得んとする存在。
ダンジョン最古にして最新、そして最強の矛が人類の喉元に刃を向けた。
後書き
黒竜最終形態です。能力的には黒天竜の上位互換。
いっそこいつ主人公で一本話作れそうな気がします。
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