Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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圏内殺人事件
一体何なんだ、この女は。
確かに、いい天気なんだから昼寝でもしろと言ったのはキリトだが、まさか30分足らずうたた寝してからハッと目を覚ましたみれば、本当に隣で熟睡しているとは予想外にもほどがある。豪胆なのか、意地っ張りなのか、あるいは__ただの寝不足な人か。
何なんだ本当に。
「いちいち呆れるな」
と、キリトの考えを呼んだかのように隣から忠告する少年__《ネザー》。
彼は最初ここに来た時から寝ていないが、半袖ロングコートに付いたフードを頭に被ったままキリトの隣に腰を下ろしあぐらをかいている。
フードを被る理由について大体推測できた。本人は太陽が眩しいからだと言ってるが、キリトには右頬の傷痕を隠していることを悟った。
呆れ感を最大限に表現すべく左右に頭を振りながら、キリトは軽やかな寝息を立てる細剣使いの女……ギルド《血盟騎士団》の副団長、《閃光のアスナ》の整った横顔を眺め続けた。ネザーのほうは問題ないと思っているようだが、第1層でのことをまだ引きずっていた。
話の発端は、あまりにもいい天気だったのでジメついた迷宮区に潜る気をなくしたキリトが、今日は1日、第59層を取り囲む低い丘で昼寝をしていた事だった。
実際素晴らしい天気だった。浮遊上アインクラッドの季節は現実と同期しているが、その再現度はやや生真面目すぎて、夏は毎日キッチリ暑いし、冬はバッチリ寒い。気温の他にも、雨や風、湿り気など、更に小虫の群れといった気候パラメータが山ほど存在し、どれかが好条件なら対外どれかが悪い。
だが今日は違った。気温はポカポカ暖かく、柔らかな日差しが空気を満たし、そよ風はベタついてもイガラっぽくもなく、おかしな虫も発生していない。いくら春とは言え、これほど全ての気候パラメータが好条件に固定されることは、年間通して5日もあるまい。
これはデジタルの神様が、今日くらいは攻略の疲れを癒すために昼寝でもしていろと言っているのだなと解釈し、素直に従った、のだが。
柔らかな芝の斜面に寝転がり、ウトウトまどろんでいたキリトの頭のすぐ横を、ざしっと白革のブーツが踏んだ。同時に、聞き覚えのあるキツイ声が降ってきた。曰く。
「攻略組のみんなが必死に迷宮区に挑んでいる時に、何でのんびり昼寝してるのよ」
瞼をほぼ閉じたまま、キリトは答えた。
「今日はアインクラッドで最高の季節。更に最高の気候だ」
きつい声はなおも反駁する。
「あなた、わかっているの?こうした1日無駄にした分、現実でのわたし達の時間が失われていくのよ」
キリトは再び応ずる。
「でも今、俺達が生きているのは、このアインクラッドだ」
実際の問答は口語で行われたが、その結果、この女は何を考えたのか本気で隣に寝転がり、こともあろうに本当に熟睡してしまったというわけだ。
そこにネザーが現れ、成り行きでお供することになった。しかし、アスナのように熟睡することなくその場に座ったまま。まさに、心頭滅却の境地である。
なぜ、他人を毛嫌いするネザーが付き添うことになったのか。
理由は単純。アスナの護衛__と言えるかどうか微妙だが、2人で《索敵スキル》による接近警報をセットした。ソロではあるが、攻略に対しては懸命だったネザーにとって、攻略に支障が出ることは見過ごせないのだろう。結局ネザーは自分の都合だけで動いてるのだ。
いささか冷たすぎる気がするが、自ら悪役を買って出たネザーに対し、キリトは何も言えない。いや、言う資格がないのだ。
同じ元ベータテスターであるなら、自分が進んでビーターの役を引き受けてもよかったはず。また、あの時に自分もビーターだと名乗れば、ネザー1人だけに重荷を背負わせることもなかったはず。
それを申し訳ないと感じているキリトには、最後まで付き合う責任がある。
浮遊城外周の開口部からオレンジ色の夕陽が顔を出す頃になって、アスナは小さなくしゃみと共にようやく目を覚ました。
実にたっぷり8時間も熟睡していた計算だ。もはや昼寝どころの騒ぎではない。昼飯抜きで付き合わされたキリトと俺は、せめて冷徹なる副団長が、この状況を認識した後どんな面白い顔を見せてくれるかだけを楽しみにひたすら凝視し続けた。だが俺は「やめておけ」と忠告したが、キリトはその忠告に従わなかった。
「……うにゅ……」
アスナは謎の言葉で呟いた後、数回瞬きし、キリトを見上げた。
形の良い眉毛が、わずかにひそめられる。芝生に右手をついてフラフラと上体を起こし、栗色の髪を揺らし右、左、更に右を眺める。最後もう一度、隣であぐらをかくキリトを見て。
「な……アン……どう……」
周りに眼を向けると、今度は立ち尽くす西洋風忍者の姿も見えた。
「どう……どうして、ネザーさんが……?」
俺の姿を見た途端、透明感のある白い肌を、瞬時に赤く染め、やや青ざめさせ、最後に一度赤くした。
「おはよう。よく眠れた?」
キリトは最大級の笑顔と共に言った。
アスナの右手が、ピクリと震えた。
しかし、さすがは最強ギルドのサブリーダーと言うべきか、自制心のセーピングロールに成功したらしく、手を近づけていた腰のレイピアを抜くことも、あるいはダッシュで逃走することもなかった。
2人を睨むが、恐る恐るとしているのはキリトだけ。俺は至って落ち着いていた。そんな2人を睨みながらもアスナはキリキリと食い縛られた艶やかな歯の隙間から、短い一言が押し出した。
「……ご飯1回」
「は?」「……?」
「ご飯、何でもいくらでも2人に1回ずつ奢る。それでチャラ。どう?」
アスナの、こういう直截さは嫌いではない。寝起きの頭で瞬時に、なぜキリトと俺が長時間付き合ったのかを理解したのだ。圏内PK行為からガードするためだけでなく、日ごろの精神疲労を回復させるため、寝られるだけ寝かせてやろうと考えたところまで。
キリトは片頬からニヤッと笑い、OKと答えた。
伸ばした両脚を振り上げ、反動をつけて立ち上がったキリトは、右手を差し出しながら言った。
「57層の主街区に、NPCレストランにイケる店があるから、そこ行こうぜ」
「……いいわ」
素っ気ない顔でキリトの手を掴まり立ち上がったアスナは、フイッとキリトから顔を逸らし、まるで夕焼けを胸に吸い込もううとするかのように大きく伸びをした。
「行こうぜ、ネザー」
キリトに誘われ、流れに従うように俺も後に続いた。
《ソードアート・オンライン》という名のデスゲームが始まって、1年と5ヶ月が経過している。
当初はあまりにも遠い道のりと思えた浮遊城アインクラッドの100に及ぶフロアも、気づけば6割近く踏破され、現在の最前線は59層だ。1つのフロアをおよそ10日で攻略してきた計算になる。それが速いのか、遅いのかは攻略の当事者であるプレイヤー達にもわからないが、ここしばらく一定のペースが保たれてることで、中層以上のフロアにはささやかながら《生活を楽しむ余裕》のようなものが生まれる。
第57層主街区《マーテン》にも、そんな雰囲気は濃く存在した。現在は最前線からわずか2フロア下にある大規模な街で、必然性に攻略組のベースキャンプかつ人気観光地となっている。夕刻ともなれば、上の前線フロアから帰ってきたり、あるいは下層から晩ご飯を食べにきたプレイヤー達で大いに賑わうこととなる。
59層から転移門経由でマーテンに移動した俺とキリトとアスナは、ごったがえすメインストリートを、肩を並べて歩いた。すれ違う連中の内、少なからぬ数がギョッと眼を剥く。
ファンクラブすら存在すると言われている《閃光》と、少々黒い噂が立ってる《神速》の隣を、胡散臭いソロプレイヤーが大きな顔をして歩いているのだからそれも当然だ。
5分ほど歩いたところで、道の右側にやや大きめのレストランが現れた。
「ここ?」
ホッとしたような、胡散臭そうな顔で店を見るアスナに、キリトは頷いた。
「そ。おすすめは肉より魚」
キリトはスイングドアを押し開け、ホールドすると、細剣使いと傷跡剣士は澄ました顔で入り口を潜る。
NPCウェイトレスの声に抑えられ、そこそこ混み合う店内を移動する間も、いくつもの視線が集中するのを3人は感じた。そろそろ、愉快というより気疲れのほうが大きくなってくるような感じだ。これほど注目されるというのも、毎日となれば楽ではあるまい。
だがアスナと俺は、堂々たる歩調でフロアの中央を横切り、奥まった窓際のテーブルを目指した。キリトがぎこちなく引いた椅子に、アスナが滑らかな動作で腰を下ろす。
なんだが、奢ってもらうはずがエスコートさせられているような気になりつつも、キリトと共に俺も向かいの席に座った。キリトはせめて遠慮なくご馳走になるべく、食前酒から前菜、メイン料理、デザートまでがっつり注文し、ふう、と一息いれる。
速攻で届いたフルートグラスに唇をつけてから、アスナも同じように、もホウッと長く息をついた。
俺には遠慮深いところがあり、他人の奢りであっても注文するものが少ない。食すべきものだけを注文して、後はジッと座ってるだけだった。
不意に、アスナがわずかに険の抜けたライトブラウンの瞳で2人を見て、可聴域ギリギリのボリュームで囁く。
「ま……なんていうか、今日は……ありがとう」
「へっ!?」
驚愕したキリトをジロッと見て、もう一度言う。
「ありがとう、って言ったの。ガードしてくれて」
「あ……いや、まあ、その、どういたしまして」
日頃、攻略組の作戦会議で、ボスの弱点がああだの前衛後衛の振り分けがこうだと揉めてばかりいる相手から、思わぬ言葉を掛けられて不意にも軽く噛んでしまった。アスナは顔を下に向け、再び小声で囁いた。
「街の中は圏内だから、誰かに攻撃されたり、PKされることはないけど……眠ってる時は別だから」
「ああ。デュエルを悪用した、《睡眠PK》」
《睡眠PK》とは、眠っている相手に、どちらかのHPが0になるまで戦う《完全決着モード》を申し込み、眠っている相手の指を動かしてYESボタンを押させ、後は一方的に攻撃するというものだ。これが実際SAO内で発生したプレイヤーキラーの事例の1つである。
「こんな事件が実際に起きたし。だから、その……ありがとう」
「あ、あぁ……別にいいよ。それに、俺は俺が無理矢理やらせちゃった感じだし……」
そう言って俺ーの顔を横から眺めてみると、無表情な顔に少しも動きも見られなかった。
第1層でのビーター事件以来、キリトは、再会した俺に「俺も元ベータテスターだ」と打ち明けたが、俺は一切驚かず、「知ってた」と呆気なく答えた。しかし、知ってたのならなぜ自分1人だけで悪役を演じたのか問い質したが、当の本人は何も答えてくれなかった。
一応、何度も謝罪はしたが、どうでもいい、謝罪は不要だ、などと素気ない態度で跳ねつけた。
キリトの視線に気づいた俺は、一瞬キリトを横目で睨んだ。
その瞬間だった。
どこか遠くから、紛れもない恐怖の叫びが聞こえた。
「……きゃあああああ!!」
……!?
息を呑み、腰を浮かせ、腰の片手剣の柄に右手を添えた俺が、打って変わって鋭い声で囁いた。
「外だ!」
直後、椅子を蹴立てて出口へと走っていく。残りの2人も慌てて傷跡剣士の背中を追う。
表通りに出ると同時に、再び絹を裂くような悲鳴が耳に届いた。
おそらく、建物を1ブロック隔てて広場からだ。俺はチラリと2人を見ると、今度こそ掛け値なしの全力ダッシュで南へ走り出した。
稲妻の如き疾駆に必死に追随し、ブーツのスパイクで火花を散らしながら角を東へ曲がって、すぐ先の円形広場へと飛び込む。
そしてそこへ辿り着いた3人は、信じられないものを眼にした。
広場の北側には、教会らしき石造りの建物がそびえている。
その2階中央の飾り窓から1本のロープが垂れ、輪になった先端に、男が1人、ぶら下がってた。
NPCではない。狩りの帰りなのだろうか、分厚いフルプレート・アーマーに全身を包み、大型のヘルメットを被っている。ロープは鎧の首元にガッチリ食い込んでるが、広場に密集するプレイヤー達を恐怖に喘がせているのはそれではない。
恐怖の源は、男の胸に突き刺さってる、1本の黒い短槍だ。
男は、槍の柄を両手で掴み、口をパクパク動かしている。その間にも、胸の傷口からは、赤いエフェクトがまるで噴き出る血液ように明滅を繰り返す。
それはつまり、この瞬間も、男のHPに連続性ダメージが生じているということだ。一部の貫通系武器にのみ設定されている特性、《貫通継続ダメージ》だ。
どうやら黒い短槍は、継続ダメージに特化した武器のようだった。柄の途中に無数の逆棘が生えているのが見て取れる。
キリトは一瞬の驚愕から目覚めると同時に、叫んだ。
「おい!槍を速く抜け!!」
男がチラリとキリトを見た。両手をノロノロと動かし、槍を抜こうとするが、食い込んだ武器は容易に動こうとしない。死の恐怖で、手に力が入らないのか。
壁面にぶら下がる男のアバターは、地面から最低でも10メートルは離れている。3人の敏捷力ステータスでは、とてもジャンプして届く距離ではない。
ならば投げ針でロープを切るか。しかし、もし狙いが逸れ、男に当たったら。それでHPがゼロになったら。
普通に考えれば、この場所は《圏内》なのだから、そんなことは起こり得ない。だがそれを言ったら、あの槍によるダメージ発生そのものがあり得ない話なのだ。
逡巡するキリトとアスナの耳に、俺の鋭い声が届いた。
「お前ら下で受け止めろ!」
直後、ものすごいスピードで教会の入り口を目指して駆け出す。内部の階段で2階まで登り、あのロープを切る気だ。
「わかった!」「わかったわ!」
同時に、俺の背中にそう叫び返し、2人はぶら下がる男の真下へとダッシュした。
__しかし。
半分ほど走ったところで、大型ヘルメットの下に覗く男の両眼が、空中の一点を零れ落ちんばかりに凝視した。何を見ているのか、2人は直感的に察した。
自分のHPバーだ。正確には、それがゼロになる瞬間。
広場に満ちる悲鳴と驚声のまっただ中で、男が何かを叫んだような気がした。
そして無数のグラスが砕け散るような音と共に、青い閃光が夜闇を染めた。爆散するポリゴンの欠片を、2人は呆けたようにただ見上げた。
拘束すべき物を失ったロープが、クタリと壁面にぶつかった。1秒後、落下してきた黒いスピア……あるいは凶器が、目の前の石畳に、重い金属音を響かせて突き立った。
無数のプレイヤーが放つ悲鳴が、街区に満ちる平和になBGMをかき消した。
キリトは巨大な衝撃を覚えながらも、懸命に眼を見開き、教会を中心とした広い空間にひたすら視線を走らせた。存在すべきもの……必ず出現しなければならないものを探すために。
すなわち、《デュエル勝利者宣言メッセージ》。
ここは主街区の、つまりアンチクリミナルコード有効圏内のど真ん中だ。この場所でプレイヤーがHPにダメージを受け、なおかつ死にまで至るからには、その理由は1つしかない。
完全決着モードのデュエルを承諾し、それに敗北すること。
それ以外にはあり得ない。絶対に。
ならば、男が死ぬと同時に、【WINNER/名前 試合時間/何秒】という形式の巨大なシステムウィンドウが近くに出現するはずなのだ。それを見れば、あの全身金属鎧男を短槍1本で殺した相手が誰なのか即時にわかる。
__だが。
「……どこだ……」
我知らず呟く。
システムウィンドウがない。広場のどこにも見当たらない。表示されている時間はたった30秒しかないのだ。
「みんな!デュエルのウィナー表示を探してくれ!!」
キリトは周囲のざわめきを圧する大声でそう叫んだ。プレイヤー達は即座にキリトの意図を悟ったらしく、すぐさま視線を四方八方に走らせ始めた。
だが、発見の声はない。もう15秒は経つ。
ならば建物の内部か。ロープが垂れ下がっている教会の2階の部屋にメッセージが出ているのか。もしそうなら俺が見つけているはずだ。
と思った瞬間、問題の窓から俺が覗いた。
「ネザー!ウィナー表示はあったか!?」
訊かれた瞬間、首を左右に振る。ない、という意味だ。
「なんでだ……」
呻き、キリトはなおも空しく周囲を見回した。数秒後、隣にいたアスナの呟きが小さく聞こえた。
「……ダメ、30秒経った……」
教会の1階に常駐するNPCシスターの横をすり抜け、キリトとアスナは建物の奥にある階段を駆け上がった。
2階は、宿屋の個室に似た4つの小部屋に分かれているが、宿と違いドアロックはできない。通り過ぎた3部屋には、目視でも索敵スキルによる探知でも潜んでいるプレイヤーは見つけられなかった。唇を噛み締めつつ、2人は4つ目の、俺が待つ問題の小部屋に足を踏み入れた。
窓際で振り向いた俺は、哀れみな表情1つ見せず、いつも通り冷徹な無表情だ。
だがキリトは無念のあまり、自分が唇を噛み締めてるのがわかる。
普段は厳しく気丈なアスナでさえも、内心ではショックを受けているらしく、眉間のあたりが強張るのを隠すことができない。
「教会内には、誰もいなかった」
忍者剣士が報告すると、KoBサブリーダーは即座に問い返してきた。
「隠蔽スキルとか、そのアビリティつきのアイテムで隠れてる可能性は?」
「俺の索敵スキルを無効化するほどのアイテムは、最前線でもドロップされてない。それに教会の入り口にはプレイヤーが隙間なく立っている。隠れてたとしても、出る際に接触で自動看破されるはずだ。この教会には裏口もないし、窓のある部屋といえばここだけだ。出るならこの窓と入り口しかない」
「ん……わかったわ。それよりこれは……」
アスナは頷くと、白いグローブの指で部屋の一画を示した。
そこには、簡素な木製のテーブル設置されていた。動かせない、いわゆる《座標固定オブジェクト》だ。
その脚の1本に、やや細い頑丈そうなロープが結ばれている。結ばれている、と言っても実際に手で結ぶわけではない。ロープのポップアップ窓を出し、結束ボタンを押して、更に対象をクリックすることで自動的に固定される仕組みだ。一度結べば、ロープの耐久度を超える荷重をかけるか刃物で斬り付けるまでは切れたり解けたりすることはない。
黒光りするロープは、空間の2メートルほど横切って、南側の窓から外に垂れている。ここからは見えないが、先端が輪になっていて、そこにあの鎧男が首吊りになっていた、というわけだ。
「う~ん……」
キリトは唸りながら首を捻った。
「どういうことだ、これは?」
その問いに、俺が答えた。
「……デュエルの相手が、相手の胸に槍を突き刺したうえで、ロープを首に引っ掛けて窓から突き落とした……というのが普通か……」
「見せしめのつもりかしら……」
アスナが同じく首を傾げて言った。
「いや、でも、それ以前に」
大きく息を吸い込み、キリトは明瞭な声で告げた。
「ウィナー表示がどこにもなかった。そ広場に詰め掛けてた数十人が誰も見つけられなかった。ディエルなら、必ず近くに出現するはずだろ」
「でも……あり得ないわ!」
アスナの鋭い反駁。
「《圏内》でHPにダメージを与えるには、ディエルを申し込んで、承諾されるしかない。それが誰もが知ってる常識よ!」
「……それとも、《奴ら》の仕業か……」
「ん……何か言ったか?」
俺の口から放たれた囁き声が、キリトの耳に少し届いた。
「何でもない」
素気なく答える。
3人は顔を見合わせたまま沈黙した。
アスナの言う通り、絶対にあり得ないことが起きたのだ。それなのに、彼らがわかっているのは1人のプレイヤーが衆人環視の中で死んだということだけで、誰が、いつ、どうやって、の全てが見当もつかない。
窓の外の広場からは、プレイヤー達のざわめきが途切れることなく届いてくる。彼らもまた、この《事件》の異質さにもう気づいているのだろう。
やがて、俺がまっすぐ2人を見て、言った。
「何にせよ、乗り掛かった船だ。このまま放置するわけにはいかないな」
「そうね。もし《圏内PK技》みたいなものを誰かが発見したのだとすれば、外だけでなく、街の中でも危険ということになるわ。速くそのトリックを突き止めて、対抗手段を得る必要があるわ」
「……俺達の間じゃ珍しいけど、今回ばかりは同意せざるを得ないな」
頷いたキリトに、わずかな苦笑を滲ませて《閃光》はズイッと右手を突き出してきた。
「なら、解決までちゃんと協力してもらうわよ。少しはネザーさんを見習ってよね」
「お、おう」
恐る恐るとした感じで、キリトも手を差し出す。
こうして、ネザー、キリト、アスナによるパーティー……ではなく《探偵トリオ》を組んだのだった。
事件の《証拠品》として、被害者が吊るされたロープと、胸を突き刺された黒い短槍を回収し、俺のアイテムストレージへ格納された。
入り口付近に立っていたプレイヤーに訊ねてみたところ、入り口を通過した者は1人もいなかったとのことだ。広場に出たキリトは、こちらを注視している野次馬達に手を挙げてから、大きな声で呼びかけた。
「すまない、さっきの一件を最初から見ていた人、いたら話を聞かせてほしい!」
数秒後、おずおずという感じで、人垣から1人の女性プレイヤーが進み出てきた。顔には見覚えはない。武装もノーマルな片手剣で、恐らく中層からの観光組だろう。
心外にも、俺とキリトを見てやや怯えたような顔をする女の子に、代わって前に出たアスナが優しい口調で問いかけた。
「ごめんね、怖い思いしたばかりなのに。あなた、お名前は?」
「は……はい、私、《ヨルコ》といいます」
そのか細い震え声に、俺は確かな聞き覚えがあった。思わず口を挟む。
「最初に悲鳴を上げたのは、君か?」
「は……、はい」
緩くウェーブする濃紺色の髪を揺らして、《ヨルコ》というプレイヤーは頷いた。アバターの外見から推測できる年齢は、17、8歳といったところだ。
髪と同じくダークブルーの、純朴そうな大きい瞳に、不意に薄い涙が浮かんだ。
「私……、私、さっき……殺された人と友達だったんです。今日は、一緒にご飯を食べに来て、でもこの広場ではぐれちゃって……それで……そしたら……」
それ以上は言葉にならないというように、両手で口許を覆う。
震える細い肩を、アスナがそっと押し、教会の内部へと導いた。何列にも並ぶ長椅子の1つに腰を下ろさせ、自分も隣に座る。
俺とキリトはやや離れた箇所に立ち、ヨルコが落ち着くのを待った。友人が残酷な遣り口でPKされる一部始終を見たというなら、そのショックは計り知れないものがあるだろう。
アスナが背中をさすっていると、やがてヨルコは泣き止み、消え入りそうな声で「すみません」と言った。
「ううん、いいのよ。いつまでも待つから、落ち着いたら、ゆっくり話して、ね?」
「はい……、も……もう大丈夫、ですから」
案外と気丈でもあるのか、ヨルコはアスナの手から身体を起こし、コクリと頷いた。
「あの人……、名前は《カインズ》っていいます。昔、同じギルドにいたことがあって……。今でも、たまにパーティー組んだり、食事したりしてたんですけど……それで今日も、この街までご飯を食べに来て……」
ギュッと一度眼をつぶってから、震えの声で続ける。
「……でも、あんまり人が多くて、広場で見失っちゃって……周りを見回していたら、いきなり、この教会の窓から、カインズが落ちてきて、宙吊りに……しかも、胸に、槍が……」
「その時、誰か見なかった?」
アスナの問いに、ヨルコは一瞬黙り込んだ。そして、ゆっくりと首を縦に動かした。
「はい……一瞬ですが、カインズの後ろに、誰か立っていたような気がしました」
俺は無意識のうちに両の拳をギュッと握った。
やはり、犯人はあの部屋にいたのか。だとすれば、被害者カインズを窓から突き落とし、俺が部屋に辿り着く前に、衆人環視の中で悠々と脱出してのけたということになる。
そうなると犯人はハイディング機能つきの装備を使ったはずだが、あの手のアイテムは、移動中は効果が薄くなる。そのデメリットを補正できるほどのハイレベルな《隠蔽スキル》を持っているということか。
俺の脳裏に、《オートマトン》という不穏な単語がチラリと横切る。
まさか、このSAOに、俺ですら知らない武器スキル系統が存在したのだろうか?そのスキル特性に、アンチクリミナルコードを無効化するようなものがあったとすれば……?
同じことを考えたのか、アスナが一瞬背中を震わせた。しかしすぐに顔を上げ、ヨルコに訊ねる。
「その人影に、見覚えはある?」
「………」
ヨルコはしばらく唇を引き結んで考えていたが、数秒後、わからないというようにかぶりを振った。それを受けて、今度は俺が、落ち着いた声で質問した。
「心当たりはないのか?カインズが誰かに狙われる理由について……」
危惧した通り、その途端にヨルコは眼に見えて体を硬くした。当然と言えば当然だ。友人を殺されたばかりの女性に対して、カインズはそうされるような人だったのか、と俺は訪ねたのだから。
俺には、アスナやキリトとは違い、ヨルコに対する思いやりの気持ちなどなかった。事件の真相にしか興味を示さない俺の問いは配慮に欠けるが、省略するわけにもいかない。もしカインズを恨んでいる人間に心当たりがあるなら、それは大きな手がかりになる。
しかし、ヨルコは今度も首をそっと横に振った。今のヨルコには何を訊いても無駄なようだ。
少なからぬ落胆を感じながら、俺は「もういい」と愛想なく言った。
もちろん、ヨルコが知らないだけということもあり得る。だが、カインズを殺した犯人は、本物の殺人者であると同時にMMOゲームの《PK(プレイヤーキラー)》だ。そしてPKというのは、基本的には他のプレイヤーを殺すことそのものが動機であり存在理由なのだ。現在、アインクラッドの闇を跋扈している犯罪者プレイヤ-、殺人プレイヤーどもはその典型だろう。
つまり、カインズを謎の手段で圏内PKしたプレイヤーの候補者は、数百人いると言われる犯罪者および殺人、加えて潜在的にその傾向がある者達にまで広がってしまったわけだ。
正直、どうやって1人を特定すればいいのか今は見当もつかない。
再び同時にその結論へと辿り着いたらしく、キリトが力なく息を吐いた。
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