| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

Sword Art Rider-Awakening Clock Up

作者:redo
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

オレンジ&メタヴァーミン

耳元で(かな)でられるチャイムの音に、シリカはゆっくりと瞼を開けた。自分にだけ聞こえる起床アラームだ。設定時刻は午前7時。

毛布の上掛けを剥いで体を起こす。いつも朝は苦手なのだが、今日は常になく心地よい目覚めだった。深く、たっぷりとした睡眠のおかげで、頭の中が綺麗に洗われたような爽快(そうかい)(かん)がある。

大きく1つ伸びをして、ベッドから降りようとしたところで、シリカはギョッと凍りついた。

窓から差し込む朝の中で、床に座り込み、ベッドに上体をもたれさせて眠りこけている人物がいた。侵入者かと思い、悲鳴を上げようと息を吸い込んでから、ようやく昨夜自分がどこで寝てしまったのかを思い出す。

あたし、キリトさんの部屋で、そのまま__。

それを認識した途端、顔がモンスターの火炎ブレスに(あぶ)られたかのように熱くなった。感情表現がオーバー気味なSAOのことだから、本当に頭から湯気の1つも出ているかもしれない。どうやらキリトはシリカをベッドでそのまま寝かせ、自分は床での睡眠に甘んじたようだった。恥ずかしいやら申し訳ないやらで、シリカは両手で顔を覆って()(もだ)える。

数十秒を(つい)やしてどうにか思考を落ち着けると、シリカはソッととベッドから出て床に降り立った。足音を殺してキリトの前に回り、顔を覗き込む。

黒衣の剣士の寝顔は、思いがけずあどけないもので、シリカは思わず微笑した。起きている時は剣呑(けんのん)な眼光のせいでかなり年上に見えていたが、こうしてみると案外自分とそれほど違わないかもしれないと思う。

寝顔を眺めているのは愉快だったが、いつまでもそうしているわけにもいかず、シリカはそっとキリトの肩をつつきながら呼び掛けた。

「キリトさん、朝ですよ!」

その途端、キリトはパチリと眼を開けると、瞬きを繰り返しながらシリカの顔を数秒間見つめた。すぐに慌てたような表情を浮かべ、

「あ……。ご、ごめん!」

いきなり頭を下げた。

「起こそうかと思ったんだけど、よく寝てたし……君の部屋に運ぼうにも、ドアは開かないし、それで……」

プレイヤーが借りた宿屋の部屋はシステム的に絶対不可侵で、フレンド登録した者でもない限り、どのような手段を用いても侵入することはできない。シリカも慌てて手を振ると、言った。

「い、いえ、あたしこそ、ごめんなさい!ベッドを占領しちゃって……」

「いやあ、ここじゃあどんな恰好で寝ても筋肉痛とかないしね」

立ち上がったキリトは、言葉とは裏腹に首をポキポキ曲げながら、両手を上げて伸びをした。思い出したようにシリカを見下ろし、口を開く。

「とりあえず、おはよう」

「あ、おはようございます」

2人は顔を見合わせて笑った。





1階に降り、47層《思い出の丘》挑戦に向けてしっかりと朝食を取ってから表通りに出ると、すでに明るい陽光が街を包んでいた。これから冒険に出かける昼型プレイヤーと、逆に深夜の狩りから戻ってきた夜型プレイヤーが対照的な表情で生き交っている。

宿屋の隣の道具屋でポーション類の補充を済ませ、2人はゲート広場へと向かった。幸い、昨日の勧誘組(かんゆうぐみ)には出会わずに転移門へと到着することができた。青く光る転移空間に飛び込もうとして、シリカは足を止める。

「あ……。あたし、47層の街の名前、知らないや……」

マップを呼び出して確認しようとすると、キリトが右手を差し出してきた。

「いいよ、俺が指定するから」

恐縮しながらその手を握る。

「転移!フローリア!」

キリトの声と同時に眩い光が広がり、2人を覆い込んだ。

一瞬の転送感覚に続き、エフェクト光が薄れた途端、シリカの視線に様々な色彩の乱舞が飛び込んできた。

「うわあ……!」

思わず歓声を上げる。

47層主街区ゲート広場は、無数の花々で溢れかえっていた。円形の広場を細い通路が十字に貫き、それ以外の場所はレンガとなっていて、名も知れぬ草花が今が盛りと咲き誇っている。

「すごい……」

「この層は通称《フラワーガーデン》って呼ばれてて、街だけじゃなくてフロア全体が花だらけなんだ。時間があったら、北の(はし)にある《巨大花の森》にも行けるんだけどな」

「それはまたのお楽しみにします」

キリトに笑いかけ、シリカは花壇の前にしゃがみ込んだ。薄青い、矢車草に似た花に顔を近づけ、そっと香りを吸い込む。

花は、細かい筋の走った5枚の花弁から、白いおしべ、薄緑の(くき)に至るまで、驚くほどの精細さで造り込まれていた。

もちろん、この花壇に咲く全ての花を含む、全アインクラッドの植物や建築物が常時これだけの精緻(せいち)なオブジェクトとして存在しているわけではない。そんなことをすれば、いかにSAOメインフレームが高性能であろうともたちまちシステムリソースを使い果たしてしまう。

それを回避しつつプレイヤーに現実世界並みのリアルな環境を提供するために、SAOでは《ディティール・フォーカシング・システム》という仕組みが採用されている。プレイヤーがあるオブジェクトに興味を示し、視線を()らした瞬間、その対象物にのみリアルなディティールを与えるのだ。

そのシステムの話を聞いて以来、シリカは次々と色々なものに興味を向ける行為はシステムに無用な負荷をかけているような強迫観念にとらわれて気が引けていたのだが、今だけは気持ちを抑えることができず次々と花壇を移動しては花を()で続けた。

心ゆくまで香りを楽しみ、ようやく立ち上がると、シリカは改めて周囲を見回した。

花の間の小道を歩く人影は、見ればほとんどが男女の2人連れだ。皆しっかりと手を繋ぎ、あるいは腕を組んで楽しげに談笑しながら歩いている。どうやらこの場所はそういうスポットになっているらしい。シリカは傍らに所在なさそうに立つキリトをそっと見上げた。

あたし達も、そう見えてるのかな……?

などと考えてしまった瞬間襲ってきた顔の()()りを誤魔化すように、元気よく言う。

「さ……さあ、フィールドに行きましょう!」

「う、うん」

キリトは一度ぱちくりと(まばた)きしたが、すぐに頷いてシリカの横を歩き始めた。

ゲート広場を出てきたフード男が、気づかれないよう尾行していることも知らずに進んでいく。











「ぎゃ、ぎゃああああ!?なにこれ……!?き、気持ち悪~い……!!」

47層のフィールドを南に向かって歩き出して数分後。早速最初のモンスターとエンカウントしたのだが。

「や、やあああ!!来ないで~!!」

背の高い草むらを()き分けて出現した者は、シリカの思いもよらぬ姿をしていた。一言で表現すれば《歩く花》だ。濃い緑色の(くき)は人間の腕ほども太く、根元で複雑に枝分かれしてしっかりと地面を踏みしめしている。茎もしくは胴の天辺にはヒマワリに似た黄色い巨大花が乗っており、その中央には牙を生やした口がパックリと開いて内部の毒々しい赤をさらけ出している。

茎の中ほどからは2本の肉質のツタがニョロリと伸び、どうやらその腕と口が攻撃部位となっているらしい。人食い花は大きなニタニタ笑いを浮かべ、腕あるいは触手を振り回してシリカに飛び掛かってきた。なまじ花が好きなため、醜悪(しゅうあく)にカリカチュアライズされたそのモンスターの姿はシリカに厳しい生理的な嫌悪(けんお)(もよお)させた。

「やだってば……!!」

ほとんど眼を瞑って短剣をぶんぶん振り回していると、傍らに立つキリトが呆れたような声で言った。

「だ、大丈夫だって。そいつはすごく弱いから。花のすぐ下の、ちょっと白っぽくなってるとこを狙えば簡単に……」

「だ、だって、気持ち悪いんですううう~」

「そいつで気持ち悪がってたら、この先に進んだら大変だぞ。花がいくつもついてる奴や、食虫植物みたいなのや、ヌルヌルの触手が山ほど生えた奴まで……」

「きえ~~~~!!」

キリトの言葉に鳥肌が立って、悲鳴を上げつつ無茶苦茶に繰り出したソードスキルは、当然ながら見事に空を切った。技後硬直時間にするりと滑り込んできた2本のツタが、シリカの両足をグルグルと捉え、思いがけない怪力でひょいと持ち上げた。

「わ!?」

ぐるん、と視界が反転し、頭を下にして宙吊りになったシリカのスカートが、仮想の重力に馬鹿正直に従ってずりりっと下がる。

「わわわ!?」

慌てて左手でその(すそ)をバシッと押さえ、右手でツタを切ろうとするものの、無理な体勢のせいかうまくいかない。顔を真っ赤にしながら、シリカは必死に叫んだ。

「きっ、キリトさん!見ないで助けて!!」

「いや、それは無理だろ」

左手で眼のあたりを覆ったキリトが困ったように答える間にも、巨大花は何が楽しいのか吊り下げたシリカを左右にぶらぶら振り回す。

「こ、この……いい加減に、しろっ!」

シリカはやむなくスカートから左手を離し、ツタの片方を掴むと短剣で切断した。ガクンと体が下がり、花の首根っこが射程に入ったところで、再度ソードスキルを繰り出す。今度は見事に命中し、巨大花の頭がコロリと落ちると同時に全体もガシャーンと爆散。ポリゴンの欠片を浴びながらすたんと着地したシリカは、振り向くやキリトに訊ねた。

「……見ました?」

黒衣の剣士は、左手の指の隙間からシリカを見下ろしつつ答えた。

「……見てない」





その後、5回ほども戦闘をこなしたところでようやくモンスターの姿にも慣れ、2人は快調に行程を消化していった。一度イソギンチャクに似たモンスターの、粘液まみれの触手に全身グルグル巻きにされた時は気絶するかと思ったが。

キリトは基本的には戦闘に手を出さず、シリカが危なくなると剣で攻撃を弾くだけのアシスト役に(てっ)した。パーティープレイでは、モンスターにダメージを与えた量に比例して経験値が分配される。高レベルモンスターを次々に倒すことで、普段の何倍ものスピードで数字が増加していき、たちまちレベルが1つ上がってしまった。

赤レンガの街道をひたすら進むと小川にかかった小さな橋があり、その向こうに一際(ひときわ)小高い丘が見えてきた。道はその丘に巻いて頂上まで続いているようだ。

「あれが《思い出の丘》だよ」

「見たとこ、別れ道はないみたいですね?」

「ああ。ただ登るだけだから道に迷う心配はないけど、モンスターの量は相当らしいな。気を引き締めて行こう」

「はい!」

色とりどりの花が咲き乱れる登り道に踏み込むと、キリトの言葉通り急にエンカウントが激しくなった。植物モンスターの図体も大きさは増すが、シリカの持つ黒い短剣の威力は思った以上に高く、連続技のワンセットで大概の敵は落とすことができる。

想像以上と言えば、キリトの実力も底が知れないものがあった。

かなりのハイレベル剣士だろうとは予想していたが、第35層から12層も上に来ているのに少しも余裕を失う様子もない。モンスターが複数現れてもたちまち撃破し、シリカの手助けをしてくれてる。

この冒険が終わったら聞いてみよう、そう思いながらシリカが短剣を振るう間にも、孤を描く小道のループはほとんど急角度になっていった。激しさを増すモンスターの襲撃を退け退け、高く繁った木立の連なりをくぐると、そこが丘の頂上だった。

「うわあ……!」

シリカは思わず数歩駆け寄り、歓声を上げた。

空中の花畑、そんな形容が相応しい場所だった。周囲をグルリと木立に取り囲まれ、ポッカリと開けた空間一面に美しい花々が咲き誇っている。

「とうとう着いたな」

背後から歩み寄ってきたキリトが、剣を背中の鞘に収めながら言った。

「ここに……蘇生の花が……?」

「ああ。真ん中に辺りに岩があって、その天辺に……」

キリトの言葉が終わらないうちに、シリカは走り出した。確かに花畑の中央に白く輝く大きな岩が見える。息を切らせながら、胸ほどまでもある岩に駆け寄り、恐る恐るその上を覗き込む。

「あ……」

柔らかそうな草の間に、今まさに1本の芽が伸びようとしているところだった。視線を合わせるとフォーカスシステムが動き、若芽はクッキリと鮮やかな姿へと変わる。2枚の真っ白い葉が貝のように開き、その中央から細く尖った茎がスルスルと伸びていく。

その芽はたちまち高く、太く成長していき、やがて先端に大きなつぼみを結んだ。純白に輝くその涙滴型の膨らみを、錯覚でなく内部から真珠色の光を放ってる。

息を詰めてシリカとキリトが見守る中、徐々にその先端がほころんで、シャランと鈴の音を鳴らしてつぼみを開いた。光の粒が宙を舞った。

2人はしばらく身動きもせずに、小さな奇跡のように咲く白い花を見つめていた。7枚の細い花弁が星のように伸び、その中央からフワリと光が溢れては宙に溶けていく。とてもこれに手を触れることなどできないような気がして、シリカはそっとキリトを見上げた。キリトは優しい笑顔を浮かべながらゆっくり頷いた。

頷き返し、シリカは花にそっと右手を伸ばした。糸のように細い茎に触れた途端、それは氷のように中ほどから砕け、シリカの手の中には光る花だけが残った。息を詰め、そっとその表面を指で触れてみる。ネームウィンドウが音もなく開く。《プネウマの花》。

「これでピナを生き返らせられるんですね」

「ああ。心アイテムに、その花の中に溜まってる雫を振り掛ければいい。だがここは強いモンスターが多いから、街に帰ってからのほうがいいだろう」

「はい!」

シリカは頷くと、メインウィンドウを開き、花をそこに乗せた。アイテム欄に格納されたのを確認し、閉じる。











一方、キリトとシリカを尾行していた俺は、小川にかかる橋の中心に立ち尽くしていた。

だが、先へ進んでいったキリトとシリカを待ち伏せしているわけではない。

しばらくして、俺は鋭い眼で橋の向こう、道の両脇(りょうわき)(しげ)る木立のほうを(にら)()えていた。その口が開き、一際(ひときわ)低く張った声が発せられた。

「そこに隠れてる奴、出てこいよ」

緊迫した数秒が過ぎた後、不意にがさりと木の葉が動いた。プレイヤーを示すカーソルが表示される。プレイヤーを示すカーソルが表示される。色はグリーン、犯罪者ではない。

短い橋の向こうに現れたのは、炎のような真っ赤な髪、同じく赤い唇、エナメル状に輝く黒いレザーアーマーを装備し、片手には細身の十字槍を携えてる。

「ロザリア、だな」

ロザリアと呼ばれた女性プレイヤーは唇の片側を釣り上げて笑った。

「私のハイディングを見破るなんて、なかなか高い索敵スキルね、忍者もどきさん。(あなど)ってたかしら?」

「ああ。その通りだ」

「その様子だと、あんたも《プネウマの花》を狙ってんのかい」

嫌な気配を漂わせる言葉を聞いた途端、少しだけ頭に血が上がった。

「お前と一緒にするな。ロザリア、いや……犯罪者(オレンジ)ギルド、《タイタンズハンド》のリーダー」

不意に、ロザリアの眉がぴくりと跳ね上がり、唇から笑いが消えた。

SAO内において、盗みや傷害、あるいは殺人といったシステム上の犯罪を(おこな)ったプレイヤーは、通常緑色のカーソルがオレンジへと変化する。それゆえ、犯罪者をオレンジプレイヤー、その集団をオレンジギルドと通称する。

しかし、ロザリアの頭上に浮かぶHPカーソルはどう見てもグリーンだ。だが、俺はその秘密をすでに見破っていた。

「オレンジギルドと言っても、全員が犯罪者カラーというわけじゃない。グリーンのメンバーが街で獲物をみつくろい、パーティーに紛れ込んで、待ち伏せポイントに誘導する。お前がまさにその誘導役というわけだ」

35層主街区《ミーシェ》でシリカを監視していた時から気づいていた。なぜロザリアがシリカとパーティーを組んでいたのか。それも納得できる。

「あのシリカって女の子と2週間同じパーティーにいたのも、彼女を狩るためだったんだろ」

ロザリアが再び毒々しい笑みを浮かべて言った。

「そうよ。あのパーティーの戦力を評価すんのと同時に、冒険でたっぷりお金が貯まるのを待ってたのよ。本当なら今日にも殺っちゃう予定だったんだけど」

わずかな間を作り、チラリと舌で唇を舐める。

「一番楽しみな獲物だったあの子が抜けちゃうから、どうしようかと思ってたら、レアアイテムを取りに行くって言うじゃない」

そこで言葉を切り、俺に視線を向けて肩をすくめた。

「でもあんた、目当てがあの子でもレアアイテムでもないなら、なんでこんなところまで来たのよ?」

侮辱するような言葉くらいで(いきどお)りはしない。ロザリアの問いに答えるため口を動かす。

「俺の目的はただ1つ」

あくまで冷静な声。

「お前らの全滅だ」

「……どういうことかしら?」

「お前、10日前に《シルバーフラグス》という小ギルドを襲っただろ。メンバー4人が殺されて、リーダー1人だけが脱出した」

「……ああ、あの貧乏な連中ね」

眉一筋を動かすことなく、ロザリアが頷く。

「リーダーのアッシュって男は、お前らを殺せとわ言わず、(こく)(てつ)(きゅう)の牢獄に入れてくれと、俺に依頼した」

「あっそう」

面倒そうにロザリアは答えた。

「何よ、マジになっちゃって。ここで人を殺したって、本当にその人が死ぬ証拠もないし。そんなんで、現実に戻った時罪になるわけないわよ。これはゲームなのよ。PKをしちゃいけない法律でもあるの?」

俺はその言葉に反論を見せた。

「だが、お前らの殺したプレイヤーが、必ずしも生きている保証もないだろ」

ロザリアの眼が凶暴そうな光を帯び、俺を睨みつけ、言った。

「あんたに何がわかるのよ……。突然こんな世界に閉じ込められて不安だったあたし達が、一体どんな思いをしてきたか、わかるの?」

「わかんねぇよ。わかりたくもねぇし、お前も実際はわかっていないんだろ。__メタヴァーミンのお前にはな」

途端、ロザリアの眉が再びピクリと跳ね上がった。

「……何のことかしら?」

ロザリアはあくまで知らない、という態度を振る舞うが、俺に対しては一切通用しなかった。

「下手な芝居はやめろ。お前がチート能力を持ったプレイヤーだってことはわかってるんだよ」

《メタヴァーミン》__フォトンマターを浴びた影響でナノマシンが体内に混入し、DNAが変化した人間達の成れの果て。

ここ最近、蝶の姿を象ったモンスターが出没するという噂を耳に挟んでいた。しかもその噂が流れ始めたのは、アッシュ率いるシルバーフラグスがやられた後だった。

アッシュから聞かされた話の内容で、ロザリアがメタヴァーミンだとすでに踏んでいたが、相手に真実を突き付けたことで、俺の推測が正しいとわかった。

「……へえ、どこで仕入れた情報か知らないけど、あんた、いけないことを知っちゃったね」

自分の秘密を暴かれたことを悟った偽ロザリアは、唇をギュッと嗜虐的(しぎゃくてき)な笑みを刻んだ。掲げられた右手の指先が、素早く二度宙を(あお)いだ。

途端、向こう岸へ伸びる道の両脇の木立が激しく揺れ、次々と人影を吐き出した。視界に連続していくつものカーソルが表示される。ほとんどが禍々しいオレンジ色。数は10。待ち伏せに気づかず、真っ直ぐ橋を渡っていれば、完全に囲まれていただろう。

新たに出現した10人の盗賊は、皆派手な格好をした男性プレイヤーだった。全身に銀のアクセサリーやサブ装備をジャラジャラとぶら下げている。男達はニヤニヤと笑いを浮かべながら、粘つくような視線を投げかけてきた。

激しい嫌悪が感じられるこの場から、一歩も後ろへ引こうとしない俺は、堂々としている。

「たったそれだけの人数で、俺に勝てると思ってんのか」

余裕かました発言を吐き、俺は頭に被っていたフードを右手で掴み、外した。

そして盗賊達の眼に映った顔を見て、賊の1人が驚きの声を上げた。

「あ、あいつは……?」

青みがかった黒__紺色の髪に、両眼には血塗られたような赤い瞳が宿っている。更に、顔の右頬に刃で切られたような2つの傷痕。

注目すべきところは格好にもあった。

先ほど被っていた襟元にフードが付いた紺色の半袖ロングコート。下半身に灰色の長ズボン、後ろ腰には片手剣を収めた鞘が装備されている。両手にはグローブ、両腕には金属プレート付きの籠手(こて)が装着されている。

不意に、先ほど驚きの声を上げた賊の1人が呟いた。笑いを消して眉をひそめ、記憶を探るように視線を彷徨(さまよ)わせる。

「その恰好……盾なしの片手剣……ネザー……!?」

急激に顔を蒼白(そうはく)しながら、男は数歩後ずさった。

「や、やばいよ、ロザリアさん。こいつ、ベータテスト参加者上がりの、こ、攻略組で……神速(スピーディー)って呼ばれてるネザーだよ!」

男の言葉を開いた残りのメンバーの顔が、一様に強張った。驚愕したのはロザリアも同じだった。

《ネザー》という名のプレイヤーは、攻略組の中でもトップクラスを誇る凄腕の剣士。難解な迷宮区をソロで踏破したことがあるという噂もあり、今ではネザーの二つ名《神速(スピーディー)》の名を知らない者はこの世界にいない。《右頬に2つの傷痕》というわかりやすい特徴もあるため、フードを被っていても正体がバレることはよくある。

下の層に住むプレイヤーにも、その名前は耳に届いている。当然ロザリア達もネザーの名は知っている。だが、目の前の剣士がよもや、最前線で未踏破の迷宮に挑み、ボスモンスターを次々と(ほふ)り続ける《攻略組》、真のトップ剣士の1人だとは夢にも思わなかった。彼らの力はSAO攻略にのみ注がれ、中層フロアに降りてくることすら滅多にないと聞いていた。

ロザリアも、たっぷり数秒間口をポカンと開けてから、我に返ったように甲高い声で喚いた。

「こ、攻略組がこんなとこをウロウロしてるわけないじゃない!どうせ、名前を(かた)ってビビらせようってコスプレ野郎に決まってる。それに、もしそいつが本当にあの《神速》のネザーだとしても、この人数でかかればたった1人くらい余裕だわ!!」

その声に勢いづいたように、オレンジプレイヤーの先頭に立つ男が叫んだ。

「そ、そうだ!攻略組なら、すげえ金とかアイテムとか持ってるぜ!美味しい獲物じゃねえか!!」

口々に同意の言葉を喚きながら、盗賊達は一斉に抜剣した。無数の金属がギラリと凶暴な光を放つ。

ロザリアを除く10人の男達は武器を構えると、(たけ)り狂った笑みを浮かべ我先にと走り出した。短い橋をドガドガと駆け抜け、

「オラアァァ!!」

「死ねやぁぁ!!」

立ち尽くす俺を半円形に取り囲むと、剣や槍の切っ先を次々と俺の体へと叩き込んだ。同時に10発もの斬撃(ざんげき)を受け、俺の体がグラグラと揺れた。

暴力に酔ったように、ある者は哄笑しながら、ある者は罵り声を上げ、手を休めることなく俺に向かって武器を叩き込み続ける。橋の中ほどに立ったロザリアも、顔に抑えきれない興趣の色を浮かべ、食い入るように惨劇を見つめている。

ところが、賊の1人があることに気づき、攻撃を止めた。

俺のHPバーが減っていない。

いや、正確には、絶え間ない攻撃を受けることでほんの数ドットずつわずかに滅少するのだが、数秒経つと急激に右端まで回復してしまうのだ。

やがて、オレンジ達も俺が一向に倒れる様子がないことに気づき、戸惑いの表情を浮かべた。

「お……おい、どうなってんだよこいつ……?」

1人が、異常なものを見るように顔を歪めながら、腕を止めて数歩下がった。それが呼び水になったように、残りの9人も攻撃を中止し、距離を取る。

しんとした沈黙が周囲を覆った。その中央で、ゆっくりと俺が顔を上げ、静かな声が流れた。

「10秒あたり400ってとこか。それがお前ら10人が俺に与えるダメージの総量だ。俺のレベルは78、HPは14500……更に戦闘時回復(バトルヒーリング)スキルによる自動回復が10秒で600ポイント。何時間攻撃しても俺は倒せない」

男達は愕然としたように口を開け、立ち尽くした。やがて、オレンジの両手剣使いが言った。

「そんなのありかよ……?」

「ありなんだよ」

吐き捨てるような返答。

「たかが数字が増えるだけで無茶な差がつく。それがレベル制MMOの理不尽さなんだよ!」

俺の、抑えがたい何かをはらんだ声に圧倒されたように、オレンジ達は後ずさった。その顔に張り付いた驚愕が恐怖へと変わっていく。やがて武器を下ろし、手放した。しかし、まだ終わっていない。後ろからオレンジプレイヤーに命令し、直接戦闘を行わなかったロザリアが残っていた。

「チッ!」

不意にロザリアが舌打ちすると、「まだ終わってないよ!」と叫んだ。

その言葉に、俺と男達が注目する。

「あんた、あたしの正体を知ってるんだろ!だったら、その力であんたをぶっ殺してやるよ!!」

言い終えると、ロザリアの全身から微粒子(ナノマシン)が湧き出し、仮想体(アバター)がみるみると変化していく。腕、足、顔、アバター全体が未知の光に(さら)され、変化している。

数秒後、全身を覆っていた光が消え、目の前に現れた人物はもはやロザリアではない。

人型の昆虫系モンスターだ。

体全体が白に変色。顔には大きな黒い複眼、頭部に触角(しょっかく)がそれぞれ2つずつ備わっている。

口にはそれほど大きくない、ストロー状の細長い口吻(こうふん)。背中には4枚の翅がぶら下がってる。

体の形状は人間と同様、手足がそれぞれ2本ずつ備わっているが、姿形を一言で表すなら、(ちょう)の姿をしたメタヴァーミン__《バタフライ・ヴァーミン》。

「う、ウフフ……ウハハハハハハハハ!!」

完全なる変異を遂げたバタフライは、もう何も恐れるものなどない、といった感じで堂々と俺に向かって哄笑(こうしょう)した。

「どうだい!これがあたしの本当の力だ!!」

先ほどまで愕然としていた10人の男達も、バタフライが現れた途端に余裕を取り戻し、再びニヤニヤと笑いを浮かべながら、粘つくような視線を投げかけてきた。

俺が見たところ、メタヴァーミンなのはロザリア1人だけ。残りの10人は全員、普通の人間のようだ。つまり彼ら10人はロザリアがメタヴァーミンだと知りながら、今ままでずっと結託(けったく)してきたのだろう。メタヴァーミンが相手なら俺も簡単に倒され、自分達が勝利を収める、と(たか)(くく)っているのだろう。

「……愚かな奴だ」

俺は少しも動揺せず、奥の手を使うことにした。

「本当なら変身せずに済ませたかったが……やむを得ないか」

不意に、俺の腰から銀のベルトが出現した。次いで、時空の壁を破る衝撃波と共に《カブトゼクター》がビューと翅音を鳴らしながら優雅に辺りを飛び回り、俺の右の掌に降り立った。

「変身」

ベルトにセットした直後、ゼクターホーンを引いて右側に展開した。

【Henshin】

電子音声が鳴り響き、無数のナノ粒子が全身を包み込んでいき、未知の鎧が全身に覆われる。

【Change Beetle】

全身を完全に覆い尽くした後に現れたの形態は《クリサリスフォーム》ではなく__《クイックフォーム》だった。

ゼクターバックルに装填する直後にゼクターの角を展開すれば、クイックフォームのまま直接変身することが可能なのだ。

変身した途端、バタフライは驚愕した。

「な、何……!?」

バタフライに続き、10人のオレンジプレイヤーまでもが驚愕の表情を浮かべ、唖然(あぜん)としていた。

様子から見て、どうやら俺が噂の《赤いスピードスター》だということを知らなかったようだ。それ以前に、10人のオレンジ達は目の前の状況をまったく理解できてない様子だった。それも仕方のないことではある。

立ち尽くすカブトは10人のオレンジ達のことなど気にせず、いつの間にか右手に握られた短剣形態(ダガーモード)のカブトライザーと共にバタフライに向かって駆け出す。

駆けながらジャンプし、空高く舞い上がったカブトはダガーモードの柄を両手で逆手に握り締め、バタフライに目掛けて急降下した。

バタフライは攻撃を防ごうと両腕を上に向けたが、剣先は両腕による防御をも簡単に払い除け、胸板に命中させた。腕に火花が散り、後方へと押しやられ、よろめいた。

休む暇も与えず、右手でダガーモードを逆手に持ち替え、バタフライの体に何回を斬りかかった。

蝶のメタヴァーミンは隙を見て左腕を振り動かしてカブトの横顔に当てようとしたが、瞬時に体勢を低くしてかわし、左拳を腹に叩き込んだ。

ドォン、と強い打撃音と共に火花が散り、体勢を崩したバタフライはよろけ、後ろへ追いやられた。

しかし……

バタフライは体勢を直し、シュン!という短い音を立ててその場から突然姿を消した。カブトの眼には相手の動きがしっかりと見えていた。

「鬼ごっこの始まりだ」

【Clock Up】

シュッ!!

高速移動能力(クロックアップ)が発動され、周りの時間が止まった。10人のオレンジ達はまるで人形のように固まって立ち尽くし、舞い落ちる砂埃、(ちり)の1つ1つが異常なほどにゆっくりと動き、橋の下で流れる小川の音も聞こえず、気儘(きまま)に吹く風も通らない、全てが加速した世界。

この能力を使っていると、時々だが時間の外側へ追い出されたような感じがする。初めてクロックアップを使った時は、恐怖さえ感じたくらいだ。

彼らの見えない世界で、バタフライとの交戦が再開された。

バタフライは両腕を振り回して一撃を与えようとするが、対するカブトは後ろへ下がりながら安々と避け、タイミングを狙って左キックを食らわせた。次いで、左拳でパンチ。右のダガーを振り翳し。

左パンチ。ダガーの振り翳し。左パンチ。ダガーの振り翳し。左パンチ。ダガーの振り翳し。

繰り返し同じ攻撃を何度も与え続け、瞬時に短剣形態(ダガーモード)から銃形態(ガンモード)を変形させた。引き金に指が触れた途端、敵の胸部分に狙いを定め、撃った。

ビシュ!という発射音を響かせ、先端から一発の赤いレーザーが放たれる。

胸を貫通してダメージを与え、「グルル!!」悲鳴のような声を上げながら後方へ飛ばされた。

ダメージを受けたバタフライの体にかなりの負担がかかり、クロックアップが解除された。それに応じるようにカブトもまた、クロックアップを解除した。もとの現実の時間に戻った途端、オレンジ達はようやく目視できるようになったメタヴァーミンとカブトに、意識を集中した。銃撃のせいか、かなり負担がかかったメタヴァーミンは、地面に膝を付いたまま上体を起こし、その様子は疲労と恐怖の色で満ちていた。

「や、やめろ!あ、あたし達が悪かった!だ、だから(こく)(てつ)(きゅう)の牢獄送りで勘弁してくれ!!」

両手を上に挙げながら甲高い叫び声で(わめ)く。

降伏した、と認識はしてはいるが、メタヴァーミンの降伏など信じる気は毛頭なかった。

「……俺が牢獄送りにするのはオレンジプレイヤーだけだ。……化け物は含まれていない」

訊く耳持たぬといった態度で、俺は右の手中にあったカブトライザーを手放し、ベルトに設置されたカブトゼクターに右手を移動させた。

【One】【Two】【Three】

必殺技を発動すべく、ゼクターの脚スイッチを3つ順番に押し、ホーンを再び右に引く。

【Quick Charge】

最後の電子音声が流れ終え、稲妻がゼクターを伝って右足に収束した。

「ハッ!」

強力な回し蹴り__《クリムゾン・ディメンション》がバタフライ・ヴァーミンの横顔に当たり、

「ああああぁぁぁぁ!!!」

地面に座り込んだまま、塵の1つも残さず爆散した。

ドガァァァン!

後に残ったのは、余波で上がる白煙。そして、圧倒的なオーラを放つカブトの姿だった。

それから数秒が経過し、カブトはゆっくりと振り返り、直接戦闘を(おこな)わなかった残りのオレンジプレイヤー達を睨んだ。

「ヒイィ……!」

睨まれた拍子(ひょうし)、オレンジ達は小さな悲鳴を上げ、後ずさった。その場から逃走しようとするが、俺は1人たりとも逃がすつもりはなかった。

シュ!!

クロックアップでオレンジ達を閉じ込めるように四方八方を走り回る。するとあらゆる方面に、全身をブルブルと振動させる複数のカブトが現れた。

「な、なんだこれ!?」

1人のオレンジの叫びにつれ、他のオレンジ達も混乱する。

ビートライダーならではの技__《スピード・ミラージュ》。

高速で素早く移動することによってカブトの残像を作り出す。それが変わり身や分身の役割を担い、相手を混乱させて不意をつける。

残像分身の中で、本体の俺は転移結晶よりも色が格段に濃い青い結晶体を取り出した。俺はその結晶体を握った右手を高く(かか)げ、無言のまま棒立ちするオレンジ達に向けて宣言した。

「これは俺の依頼人が全財産をはたいて買った《回廊結晶》だ。監獄エリアが出口に設定してある。全員、ロザリアの二の舞になりたくないなら、おとなしくこれで牢屋に飛べ。後は《軍》の連中が面倒を見てくれるさ」

宣言を終えた後、誰も強がりを言うことはなかった。あれほどの戦いを目の当たりにすれば、強がれるはずもない。全員が無言でうなだれるのを見て、俺は回廊結晶を掲げたまま発音した。

「コリドー・オープン!」

瞬時に結晶が砕け散り、その前の空間に青い光の渦が出現する。

「………」

長身の斧使いが、怯えながら最初にその中に飛び込んだ。残りのオレンジ達も、ある者は無言で、ある者は毒づきながら光の渦へと消えていき、ついに俺だけが残った。オレンジ全員が回廊に消えた途端に残像分身を消した。しかし、少なからず不安が残ったため変身を解除しなかった。

小鳥がさえずりと小川のせせらぎだけが流れる春の草原は、数分前の戦いが嘘のような裏書きを取り戻していた。感傷に浸って、自分が更に虚しくなったような気がした。これからもメタヴァーミンやオートマトンのような連中と戦い続けるとしたら、この世界が俺の死に場所になるかもしれない。今思えば、晶彦はこれを予想した上でデスゲームを始めたのかもしれない。とは言え、晶彦が俺の死に場所を仮想世界に作るとは思えなかった。

物思いに耽ってると、シュッと電気的な信号が俺の脳裏を横切った。

「ん?」

「キシャアアアアア!」

虫のような咆哮が聞こえた直後、突然別のバタフライが1体攻めて来た。

いつの間に、という出来事が俺を衝撃的に動かした。

ロザリアとは色違いのバタフライは両腕を振り回し、俺の体に叩きつけて来た。俺は咄嗟に腕を上げ、姿勢を低くしたりして敵の打撃を食い止める。

このヴァーミンはおそらく、先ほど倒したバタフライが引き連れてきた手下の1人か、と相手の攻撃を食い止めながらふと思った。

オレンジギルドに所属していたメタヴァーミンはロザリアだけのはず。となると、眼前の怪人はオートマトンか、それともオレンジギルドとは無関係な別のメタヴァーミンということになる。

だが、正体はこの際どうでもよかった。

攻撃を防いで数秒間が経過し、俺は相手の胸板に右拳を思いっきり叩き込んだ。











幸い、帰り道でもほとんどモンスターと出くわすことはなかった。駆け下りるように進み、(ふもと)に到達するキリトとシリカ。

「あとは街道を歩いて帰るだけ。それでまた、ピナに会えますね」

「ああ、そうだな」

嬉しそうに微笑むシリカの笑顔は、キリトに現実の本当の妹を思い出させた。

直葉(すぐは)……今頃、どうしてるかな?

不意にキリトは、そんな言葉を脳裏で呟いた。

2人が小川に掛かる橋を渡ろうとした時。

「き、キリトさん!?」

突然、シリカが人差し指で前方を示した。キリトは釣られるように眼を向けると。

あれは……?

そこには、赤いY字型の角を持つ赤い鎧の戦士と、全身が緑色に蝶のモンスターが打撃戦を繰り返していた。

状況が飲み込めず、キリトは2体の戦いを凝視していた。そしてあることに気づいた。

カーソルが__ない!?

赤い戦士と虫モンスターの頭上には、カーソルが存在しなかった。

SAO世界に於けるプレイヤーやNPCはもちろん、モンスターにも必ずグリーンカーソルが存在する。大抵システムが動かすNPCは、存在座標を一定範囲に固定されており、プレイヤーの意思で移動させることはできない。更に、何らかのクエスト開始イベントでもないようだ。もしそうであるなら、クエストログウィンドウが更新されてもおかしくないはず。どちらかと言えばオブジェクトに等しい存在だ。

打撃戦の最中で蝶モンスターと離れた赤い戦士__カブトが振り返り、黒衣のロングコートに身を包む片手剣使いキリトと、ビーストテイマーのシリカが橋の向こう側に立ち竦んでいるのを見た。

カブトは不意に、しまった、と心中で叫んだ。戦いに集中していたせいで2人の気配を感じ取ることができなかった。

「キシャアアア!」

第2のバタフライも2人の存在に気づいた途端、体の向きを変えた。

標的をカブトから2人に変更したと見える。

「キシュウウウ!」

2本の足を動かし、先ほどまで戦っていたカブトのことなど忘れ、真っ直ぐキリト達のほうへと向かって走り出す。

「き、キリトさん!」

「くっ……!」

歯を食い縛ったキリトが、背中に装備した片手剣の柄を握り、迫り来る怪人に備えた。

色違いのバタフライが自分に近づいて来たところでソードスキルを打ち込み倒そうという作戦だろうが、その作戦がうまくいく可能性は低い。

そんなことも知らずにキリトは迫り来る蝶怪人に備えてソードスキルの準備を開始する。

その直後。

【Clock Up】

スピードが再びカブトの全身を駆け巡り、高速移動能力(クロックアップ)が発動された。周りの時間が完全に止まったように感じ、直前に起きようとした出来事が石の如く固まった。

俺は異なる時間の中で静止した第2のバタフライに歩いて近づく。

クロックアップは基本、超高速で移動する能力だが、見方を変えれば、現実の時間の流れから締め出されたとも言える。足を一歩前に出すだけの行為が超高速移動にもなってしまう。

バタフライに背後に到着した俺は、右手の五指(ごし)を揃え手刀を作った。

その手刀を分厚い外皮の背中へと突き込んだ。

その拍子に__。

「ギシャアアア!!」

バタフライの吠えるような悲鳴が鳴り響き、キリトとシリカはビクッと体を震わせる。2人が気づいた時には、クロックアップを解除したカブトの右手がバタフライの腹から突き出ていた。

「な、何だ!?」

一瞬に起きたことに、キリトは頭の理解までもが追いつけなかった。

背中に根元まで突き刺した右手を固定すると、俺は高々と持ち上げた。

「ギシャアアア!!」

針に刺された昆虫めいた動きで暴れる第2のバタフライの叫び声は、俺にとっては耳障りなノイズでしかなかった。右手に集中し、左手の親指でカブトゼクターの脚に設置された3つのスイッチを順に押し始めた。

【One】【Two】【Three】

スイッチを順に押した後、カブトゼクターの角レバーを左に引き、右に戻した。

【Quick Charge】

ズシュウゥゥッ!!と重々しい振動音が地面を揺らす。カブトの右手から、光のビームが長々と伸び、捕らえた獲物を貫いた。

必殺キックに並ぶもう1つの必殺技__《クリムゾン・ジェネレード》。

胸郭(きょうかく)全体をごっそり大穴を開けられた蝶怪人は、凄まじい攻撃力の余波によって宙に1メートル以上も浮き上がり、砕け散った。

その死に様は、モンスターを倒した際に発生する死亡エフェクトなどより遥かに凄まじかった。

「す、すごい……」

「……ですね」

陰乍(かげなが)ら戦いを見ていたキリトとシリカは、驚きのあまりに呆然とした。同時に、感動に近い声を上げた。

「おい……お前、誰だ?」

カブトを凝視していたキリトが一歩前に進み出て、突然声をかけてきた。

「あの……言葉わかりますか?」

シリカが一歩前に前進し、まるで外国人にでも話しかけるような質問を繰り出した。この状況から逃げたくなった赤いスピードスターは、再び全身をスピードで包み、すっと姿を掻き消した。

「「あ!」」

2人同時に声を漏らす。

辺りを見回してみたが、カブトの影も形も一切見受けられず、余波で上がった塵だけが残っていた。

「……あいつ……何者だ……?」

キリトは驚愕の表情を浮かべたまま、脳裏に刻み込まれたカブトを振り返っていた。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧