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STARDUST∮FLAMEHAZE

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STARDUST∮FLAMEHAZE/外伝
  吉田 一美の奇妙な冒険 「後編」


【1】



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッッ!!


 時空を消失した亡霊の館。
 その内部で恐怖の余り両膝を付く少女を、
この世ならざる隻腕の男が見据えている。
 主観的にも客観的にも、終極以外の何モノでもない光景。
 極限の状況に呑まれ精神が平衡を失ったのか、
少女は震える笑みを浮かべて死せるその男、
吉良 吉影に問いかけた。
「……わ、私を……一体……“どうするつもりですか……?”
取り憑いて、躰を乗っ取るんですか……?
それとも……呪い殺す、つもりですか……?」
 半ば諦観にも近い心情で、
助かりたいというよりは “終わって欲しい”
という思考の元少女は掠れた声を絞り出す。
 その様子を見据えた吉良は、細い顎を傾け剣呑な表情で返した。
「何か “勘違い” しているようだが……
『私は君に何もしない』
今言われたようなコトは出来ないし、
第一死人の私よりは生きている君の方が 「強い」 からね」
 幽霊にも矜持はあるのか、そんな風に想われるのは心外だというように
吉良は肩を竦めてみせた。
「それに、この 「場所」 を見つけられたのも、此処に入る事が出来たのも、
それは君自身が持っている 「才能」 に拠るモノだ。
私は確かに幽霊だが “怨霊(おんりょう)” じゃないから
誰かを(まね)き寄せたり呪ったりする事は出来ない。
何しろ自分の 「名前」 以外記憶がないのでね」
 吉良はそう言うと足下に転がっていた少女の鞄を拾い上げ、
表面に付着した埃を丁寧に払った。
「本当に、怖がらせてすまなかったね。
最初から 『真実』 を包み隠さず話せば良かった。
久しぶりのお客が君のような可愛らしいお嬢さんだったから、
「普通の店」 と勘違いしたままならそれが一番良いと想ったんだ」
 隻腕の青年はそう言って優しく微笑み、鞄を自分に差し出してきた。
「……」
 告げられた言葉と穏やかな声に、少女の恐怖も若干和らいだのか無言で鞄を受け取る。
「さぁ、出口はそこだ。
開かなかったり中に戻ってきたりするコトはないから安心するといい。
ほんの少しの間だったけど、久しぶりに楽しかったよ」
 吉良はそう言って道を開け、入ってきたドアへと促した。
「……」 
 本当はすぐにでも駆け出したかったが、
恐怖の余韻が躰に染み着いている為
ガクガクと震える脚を少女はゆっくり引き起こし、
頼りない足取りで出口へと向かう。
 そこに。
「ンニャン♪」
 再び猫の鳴き声が耳に入り、
次いで脇のカウンターに先刻の植物がピョンと飛び乗った。
「ニャ……ウ……? ニャアァ……ウゥ~ン……」
 そのまま猫草は、仔猫のように自分の肩へと飛び移り
拭く事も忘れていた頬をペロペロと舐めた。
(猫ちゃん……)
 この植物もまた異形のモノなので、
反射的に払いのけようとする気持ちがなかったわけではないが、
でも本当に普通の猫のように哀しげな声で鳴くので
恐怖と共にその気持ちは霧散した。
「大丈夫……よ……またちょっと、驚いただけ……
もう、平気だから。だから、泣かないで」
 そう言って少女は、涙の滲んだ瞳でそっと肩の猫草を優しく撫ぜた。
「ンニャ♪ ニャ♪ ニャニャン♪ ニャアア~ン♪」 
「わっ、ちょっと、くすぐったいわ。そんなに舐めないで」
 その二人の様子を意外そうな面持ちでみつめていた吉良は、
口元に微笑を浮かべ一度首を左右に振った。





【2】


「ずっとお一人で、この場所にいるのですか?」
「あぁ、もうどれほどの時が経ったのか解らないくらい、ずっとね。えぇっと」
「あ、吉田 一美です。名乗るのが遅れてすいません」
「イヤイヤ、御丁寧にどうも」
 紆余曲折あったが結局店に留まる事を選択した少女は、
窓際のティーテーブルで男と向かい合っていた。
 何故そうしようとしたのかは、正直自分でもよく解らない。
 ただ、店主の吉良は真摯に応対こそすれ自分に
危害を加えるような事は一切していないし、
嫌な記憶をそのままにしたくないという気持ちもあった。 
 何より。
「ニャアァ~ン♪」
 件の猫草が自分の肩から離れなくなってしまったので、
再び眠りにつくまで逗留を余儀なくされたというのが本当の所だ。
 目の前にはパールのように光るティーカップとソーサーが置かれている。
「さっき、このお店のスベテが “幽霊” だと仰いましたが、
もしかしてこの紅茶も “そう” なんですか?
ティーカップも、立ち上る湯気さえも?」
 吉良が優美な仕草で淹れてくれた紅茶を手に取り、
ベルガモットの香りを漂わせる澄んだ液体を前に少女は小首を傾げた。
「あぁ、だが幽霊とは言っても別に口の中で動き回ったり
鳴き声をあげるわけじゃないから安心したまえ。
物のイメージがそのまま 「固定化」 しているだけなんだ。
無論、気が進まなければ無理はしない方が良いが」
「あ、いえ、いただきます」
 吉良が気分を落ち着ける為にとわざわざ淹れてくれたものなので、
その好意を無碍にしない少女は上品な装飾の入ったカップを口に運ぶ。
「――ッ!」
 不思議な、紅茶だった。
 口の中に広がる味と鼻腔に抜ける香りは
これまでに味わった事が無いほど高貴だったが、
その温かな液体は喉元を通り過ぎる寸前にスッと消えた。
 呆気に取られたようにカップを見つめていると、
瞬きの間に紅茶の量は元に戻っている。
 味も香りも確かにするが、決してそれが消費されるコトはない。
 これも、幽霊故の特性なのだろうか。
 静かにカップを置いた少女は再び目の前で脚を組んで座る吉良に問いかけた。
 状況に精神が対応しつつあるのか、奇妙な空間の中で
不思議と落ち着いている自分がいた。
「あの、もしかして吉良さんは、
この街の “守り神様” なのですか?
何か、私が生まれるよりずっと昔から此処におられるみたいですし」
「守り、神? この、私が?」
 吉良はそこで初めて感情に綻びを見せると、
まるで少年のように無垢な笑い声をあげた。
「クッ……ハッハッハッハッハッ!
これはいい。今まで何人もこの店に訪れた者がいたが、
そんな事を言われたのは初めてだよ」
「……」
 本当にそう想ったから言ったのに、自分なりに一生懸命考えて。
 間違えたのは悪いと想うけど、何もそんなに笑わなくてもいいじゃないかと
少女は少しだけムッとした反応を後頭部に浮かべる。
「イヤ、失礼失礼。気を悪くしたのなら謝るよ。
正直、少し嬉しかったからかな」
 吉良は言いながら脚を組み直し改めて少女に向き直った。
 そして総身に漂う穏やかな雰囲気を一転、
その灰色の瞳に昏い光を宿らせ、自分自身を嘲笑うように言った。
「私の正体は、ただの “罪人” だよ。
天国に行く事を赦されず、
永劫に続く時の円環の中から抜け出せなくなった、ただの愚者さ」
 笑ってはいるが冗談を言っているわけではない、
変貌した双眸に気圧されながらも少女は疑問を口にした。
「それは一体、どういうコトなのですか?
吉良さんには、生きていた時の 「記憶」 がないのでしょう?
それじゃあ自分が 「悪い人」 だったかどうかなんて、解らないじゃないですか」
 通常の領域ではないが、論理的ではある少女の問いに吉良は答える。
「確かに、私に自分の名前以外の記憶はない。
でも “ソレ自体が答え” なんだ。
天国には行けないという実感も併せてね」
 そう言うと吉良は顔の前で片手を付き、
昏い瞳を覗かせたまま確乎たる口調で続けた。
「きっと、 『生きていた時の私は』
筆舌に尽くし難い悍ましい行為を、繰り返し犯していたのだろう。
『想い出す事すら赦されない』
残虐で卑劣な行為をね」
 常人には想像も付かない時の彼方を振り返りながら、
吉良の瞳は更に昏さを増した。
「普通の人間は、死ねば魂が此処ではない何処かへと昇っていく。
でも私には、いつまで経っても 「迎え」 が来なかった。
何年経っても、何年経っても、ね……
そして、終わりのない世界にただ一人取り残されたまま考えた。
コレは、自分に与えられた 【罰】 なんじゃないかってね」
「そんな……」
 少女の背を、冷たい雫が伝った。
 正気では一秒たりとも立っていられないその男の持つ(サガ)に、
背筋が凍り付くほどの戦慄を覚えた。
「……でも、吉良さん “ここにいますよね”
それは、どういう事ですか?
今仰った事が本当だとすると……」
 口唇を震わせながらも、少女は感じた矛盾を口にした。
 名前からして吉良が 『生きていた』 時代は、
自分とそう変わらない年代である筈。
 ソコから逆算すると、時間軸的に説明がつかない。
「フッ、良いところに気がついたね」
 内気で臆病ではあるが、意外に賢明である少女の洞察に吉良は微笑を浮かべた。
「その答えは “この店” さ。
さっき説明した通り 『幽霊は時間や空間に縛られない』
そしてこの屋敷幽霊は、異なる時空間を 「漂流」 するタイプのモノなんだ。
無論移動先は指定出来ないし、どこの “時代” に流れるのかはこの店しか知らない。
一つだけ確かなのは、此処がいつでも 『訪れる者』 を待っているというコトさ。
選んだ人間を無作為に招き寄せる “悪魔の手のひら” のようにね」
「……」
 今更、吉良の言う事を疑う気は起こらなかったが、それでも少女は小さく呼気を飲んだ。
 自分が、この場所に選ばれた?
 突拍子もない話だが、それならば此処に至る幾つもの不可思議な過程も
一応は説明がつく。
「でも、どうして私なんかが……」
 困惑する少女に吉良は淡々と告げた。
「さぁ? ソレは君とこの店しか知らない。
正確には此処に並ぶ品物のどれかがね。
私が集めたのもあるが、この店に並ぶモノはスベテ例外なく幽霊だ。
永い永い時が流れ、スベテの生命が滅び絶えた後も遺っていた、
人間の存在の 『証』 その想いの結晶が君を此処へと招き寄せた。
私に言えるのはソレ位だ」
 そう言うと吉良はおもむろに立ち上がり
カウンターの前へと促す。
 少女も猫草を肩に乗せたまま静かに続き、改めて幻想の店内を一望した。
(本当に、キレイ……)
 吉良の説明を受けた後だと、目の前に広がる光景にまるで違った印象を受ける。
 胸に迫る感慨と、瞳を潤ませる精神の美しさ。
 幽霊が怖いモノだなんていう考えは、ただの偏見だとしか想えない位。
 例え死しても、人の生きた 『証』 は永遠に遺る。
 その 『真実』 が、未来への遺産が、
形容(カタチ)となって此処に存在していた。
「……」
 しばし呆然と魅入っていた自分の肩に、体温を感じない手がそっと置かれる。
 そして生と死を分かつ “案内人” の声が穏やかに告げた。
「さぁ、探しておいで。
君を引き寄せたモノを、君が引き寄せたモノを。
難しく考えるコトはない。
君が最も心引かれた品を、ただその手に取ればいいんだ。
理屈は必要ない。
ソレは、君の欠けた心の一部なのだから」
 少女は一度頷くと、携えた学生鞄をフロアに立て掛け一歩前に踏み出す。
 そして。
「吉良さん」
 背を向けたまま背後に立つ死者に言った。
「吉良さんは、本当は “どれくらい” 一人だったんですか?
このお店と出逢えるまで、一体どれだけの永い時を過ごされたのですか?
百年や千年じゃないですよね? 『その結論』 に行き着くまでは」
「……」
 この少女は、本当に頭の良い娘だ。
 恐怖や困惑に支配される事無く、
芯の強い心の裡では決然と物事の本質を
理解するコトが出来る。
「さぁ? どうだった、かな……もう、忘れたよ……」
 答えてやっても良かったが、吉良は適当に誤魔化した。
「うそつき……」
 少女は小さく呟いて吉良からそっと遠のいた。
  


 
「……」
 何度見ても、どれを手に取っても、本当に溜息しか出ない。
 銀鎖で彩られた髪飾り、クリスタルで彫金されたオルゴール、
琥珀色をした真鍮製のランプ、内部の精密機械が透けて見える懐中時計。
 ソレを造った者の、或いは大切にしていた者の、
精神の鼓動が伝わってくるような不思議な感覚。
 でも、どれも吉良の言ったモノとは違う気がする。
 欲しいものや気に入ったものなら幾つかあるのだが、
『そういうコト』 ではないはずだ。 
 一つ一つ区分けされた品を慎重に見定め、やがて少女の手が止まった場所。
 それまでの日用品とは一線を画す、
民族工芸のような品が多数置かれたスペースで
胡桃色の瞳があるモノを映した。
「何か、気になるモノが在ったかい?」
 傍に来ていた吉良が背後から声をかける。
「コ、レ……?」
 少女は振り向かず瞳を丸くしたまま、壁に掛けられたモノを差した。
 ソレは、余りにも異様な、店の雰囲気にそぐわない一つの 『仮面』
 罅割れた表面の質感から、どうやら石で出来ているらしいその仮面は
明らかに装飾用のソレではなく、寧ろ禍々しいといった印象を受ける。
 骨董品というよりは、呪術的な歴史の遺物に近いその仮面。
 しかし少女はソレに、何故か異様な執心を覚えた。
「よかったら、被ってみるかい? 余り似合いそうにはないが」
「いえ、流石にそれは、ちょっと」
 柔らかな敷布に乗せられていた鉄球を掌で弄ぶ吉良の申し出を
少女は丁重に断った。
 それにしても、このスペースには他と比べて変わったモノばかり並べられている。
 大きさの割りには妙に軽い石の塊や、遁甲盤を背負う龍の彫像、
読むのに難儀しそうな分厚い本、そうかと想えばやけに大仰な
近代機器の装置のようなモノまで脇に置かれている。 
 一貫性があるのかないのか、まるでこの部分だけ滅裂な異邦空間だ。
 そう想い少女が視線を上に向けた先。
「……ッ!」
 先刻と同じ、否、ソレ以上の強い感覚が少女の全身を駆け抜けた。
 壁に立て掛けられた、世界史の資料でも見た事のある
古風なライフル銃より、更に上。
 コレは、どんな歴史の資料でも見た事のない、
黒い石鏃(せきぞく)を光らせる、一本の 『矢』
 だが本来(つが)いである筈の弓が存在せず、
その大きさ、長さ、形状から矢というよりは槍だ。
「ア……レ……」
 再びミエナイ引力に惹かれるかのように、
口唇を震わせながら少女は上を指差す。
「あぁ、アレかい? 確か私が取ってきたモノなのだが、
はて、一体どこの屋敷幽霊に在ったモノだったかな?」
 少女に促され吉良も視線を移す。
 その、刹那。
 突如 『矢』 が意志を持ったかのように掛け金から外れ、
その先端がゆっくりと少女を差した。
「え?」 
 咄嗟の出来事に、現状を認識できない少女はただソレを惚けたように見上げる。
 そのまま 『矢』 は地球の重力に引かれ、一気に真下へと落下した。
「――ッッ!!」
 ソレが刺さるまで何が起きたのか解らなかった少女は、
豊かな膨らみの左側を貫かれ鏃がその裏側から突き抜けて初めて、
声無き声を発した。
「な、何!? コレ、は!?」
 物が物であるだけに、絶対外れないよう固定してあったのにも関わらず。
 驚愕は在ったが、しかし何処かで視たような既視感の元、
吉良は倒れ込む少女の躰を支えた。
 双眸は完全に閉じ、口の端からは細い血が伝う。
 鋭利な刃物が心臓を貫き、更に背部にまで突き抜ける程の深手。
 致命傷である事は無論、即死しても何ら不思議はない。
 生きている者が、死者の彷徨うこの世界で絶命したら
“魂” は一体どうなるのか?
 吉良が憂慮に口元を軋らせた瞬間。
(ッ!?)
 少女の胸を貫通した 『矢』 から、突如蒸気のようなものが音を立てて吹き出した。
 特異な紋様の鏃に触れた血液が、化学反応を起こして蒸発したかのように。
継いで、貫いた左胸を起点に狂暴な火花が電撃のように弾ける。
 同時に、もう二度と開かれないと想われた少女の瞳が散大し疵口から強烈な光が迸った。




   ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
  ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!!!!!




 やがて。
 反射的に眼を伏せていた吉良の、灰色の瞳に映ったモノ。
 虚ろな視線で天を仰ぐ少女の、その華奢な躰を貫いた 『矢』 が、
“触れてもいないのに” 動き出した。
 まるで、視えない手が柄の部分を確固たる力で掴んでいるかのように。
 素人が無理に引き抜けば、更に疵口を押し広げる事になる甚大なダメージ。
 しかしゆっくりと引き抜かれていく矢の先端は、
微塵のブレもなく精密に疵口の中を動いている。
 長い時間を要する事もなく少女の躰から抜き出された矢は、
そのまま鈍い金属音を立てて床の上に転がった。
 不思議な事に、鏃には一滴の血も付いておらず、
貫かれた少女の左胸にも目立った外傷は見当たらない。
「君ッ! 大丈夫なのか!?」
 幽霊でありながらその光景に見入っていた吉良は、
我を取り戻したように片腕の少女へ呼び掛けた。
「……ぃ…………た」
「え?」
 消え去るような声に問い返した直後。
「想い……だし……ました……」
 少女の瞳が静かに閉じ、透明で温かな雫が頬を濡らした。
 正直、何が在ったのかは解らない。
 でも、確かな実感がある。
 アノ 『矢』 に貫かれた衝撃が、心の中を覆う紅い靄をスベテ取り去ってくれた。
 どれだけ望んでも、必死になっても、決して届かなかった記憶の淵。
「ずっと……一緒、だったのね……ずっと、護って、くれてたのね……」
 閉じた瞳の中に浮かぶ、一人の勇壮なる青年。
 何も言わなかったけれど、背を向けて行ってしまったけれど、
自分を傷つけない為に、恐ろしい事へ巻き込まない為に、
全部一人で背負ってくれてたんだ。
「ありがとう……ありが……とう……」
 小さくそう呟きながら、少女は甦った 「記憶」 を反芻していた。
 大切なものを包み込むように。
 何度も、何度も。
 鮮やかに甦る、追憶の奔流の中。



   このオレ、空条 承太郎は、いわゆる「不良」のレッテルをはられている……!

         こんなオレにも!吐き気のする「悪」はわかる!!

                     この女をキズつけはしねーさッ!

      こいつの相手はオレがするッ!
                              『オレのを』使え。

  キサマがやったのはソレだ!! ア~~~~~~~~~~~~~~ンッッ?!

            裁くのはッッ!! オレのッッ!! 
         スタンドだあぁぁぁぁ―――――――ッッッッ!!!!

                   敗者が「悪」か! それはやっぱり!
    待ちな!

      今、おまえの中にいるスタンドを引きづり出してやるぜ……ッ!
                  
                         そいつを攻撃すんじゃあねー!
   だからッ!オレが裁く!!



          「悪」とは!! テメー自身のためだけに!! 
          弱者を利用し踏みつけるやつのことだッッ!!





 心の中で絶え間なく響く、その人の声、気高き精神。
 そう。
 スベテ、想い出した。
 意識が虚ろでも、魂が覚えていた。
 或いは、心の中の 『もう一人の自分』 が。
 何で、何で、忘れてたんだろう?
 何で、諦めようなんて想ったんだろう?
 こんなに、こんなに、想われていたのに。
 全身ズタボロの躯で、命の危険を冒してまで、自分を護ってくれたのに。
 何よりも遠い世界にいると想った彼を、今はこんなに近くに感じる事が出来る。
 どれだけ遠く離れていようとも、今ならはきっと追いつく事が出来る。
 大丈夫、まだ間に合う。
 だから、彼が自分を護ってくれたように、今度は私が。




“空条……君……”




 嬉しさと切なさで溢れ返る胸の裡で、
少女は “その者” の名を祈るように呟いた。










【3】


 現世と幽世の 『境界線』 に斜陽が降り注ぐ。 
 その狭間を漂う方舟の前に佇む、生者と死者。
 永久の別れを前に、死人の青年が静かに口を開いた。
「さぁ、行きなさい。 『君が往くべき道へ』
寄り道をせず此処に来た通り戻れば、元の場所へ帰れる筈だ。
決して、こちらを振り向いてはいけないよ」
「え?」
「フフ、特に深い意味はないよ」 
 瞳を見開く少女に、吉良は澄んだ表情で微笑った。
「もう、逢えないんですか? もう、此処に来ても……」
 色々と怖い想いもしたけれど、それでも親身になって接してくれた
死界の美青年に少女は問いかける。 
 吉良は変わらぬ表情で、でも少しだけ瞳を伏せて言った。
「そうだね。そう想った方が良い。
私はもう既に死んでいる人間で、
君は 『これからを』 未来を生きる人間だ。
忘れ去られた死者のコトは、余り胸に留めない方が良い」
「……」
 押し黙る少女に、吉良も無言で応じた。
 じきに、「役目」を終えたこの場所は、また他の時代へと転移する。
 遠い過去か、未来か、或いは全く別の世界か。
 それでも此処を訪れる者を待ち続けるのが
自分の 『仕事』 であり、
永劫の刻の中に差す微かな希望だった。
「さよなら、猫ちゃん」
 自分の肩に留まった猫草を、少女が名残惜しそうに撫でる。
 猫草の方も同様に、悲しげな鳴き声を上げた。   
「本当に、色々、ありがとうございました」
 最後に少女は深く頭を下げ、下校の寄り道と呼ぶには余りにも奇妙な場所に背を向けた。
 吉良は、何も言わなかった。
 でも、少女は自分の姿が見えなくなるまで、
彼が送別してくれているのを背後に感じた。
「……」
 少しずつ、速まる歩調。
 口唇をきつく噛み締めていなければ、零れ落ちてしまいそうになる無数の感情。
 理由は解らない、解らないが、逢って間もない、
もうこの世には存在しない者との永遠の別れに少女は、
言い様のない切なさを感じた。
 そし、て。
「――ッッ!!」
 異界の空間に舞い散る雫と共に少女は背後を振り返った。
 想っていたよりもずっと離れていた、
もう二度と縮まる事のない、二人の距離。
 吉良は、少し驚いたような表情でこちらを見ている。
 しかしすぐに滲む視界の中、少女は、吉田 一美は、
あらん限りの気持ちを込めて叫んだ。
「吉良さんは!!」
 喉の奥底から絞り出すような、激しい感情。
 自分が何を言っているのか、言おうとしているのか、解らない。
 でも、止まらなかった、止められなかった。
「吉良さんは!! いつかきっと!! 
赦される日が来ると想います!!
天国へ行ける時が!! 必ずやってくると想います!!」
 何の根拠も確証もない、無責任な言葉。
 それでも。それでも……!
「だって!! 私の一番大切な人を想い出させてくれたから!!
何よりも大切な気持ちを取り戻させてくれたから!!」




“私を、救ってくれたから”




「だから、だから、だか、ら……ッ!」
 もうそれ以上は、言葉にならなかった。
 ただ、嗚咽のような呼気が断続的に口から漏れるだけだった。
「……」 
 吉良は一度瞳を閉じて少し頷くと、真正面から少女を見つめた。
「ありがとう。君は、本当に優しい子だね」
 そう言って、その美貌に相応しい優しげな笑顔を返した。
「さようなら、吉田 一美さん。君の事は、決して忘れないよ」
 隻腕を上げながら微笑む死者の青年の肩で、
猫 草(ストレイ・キャット)が葉を振っている。
 その光景を眼に焼き付けながら、少女は一歩二歩と後退った。
 そして渦巻く胸の裡を押し殺すように踵を返し、眼を瞑って駆け出した。
 そうしなければ、永遠に此処から離れられないような気がした。
 涙で滲む異界の通路を、少女はただがむしゃらに走る。
 何で。
 何でこんなに、淋しいんだろう?
 何でこんなに、哀しいんだろう?
 おそらく、解答(こたえ)はどこにもない。
 コレは、どうしようもない、変えようがない
『運命』 に対する気持ち。
 だからきっと、こんなに苦しいんだ。
(――ッッ!!)  
 やがて視界を覆い尽くす眩い閃光。
 一度躰の深奥がズレるような感覚。
 周囲を取り巻く耳慣れた喧噪と共に、
自分が元の世界に戻ってきたのだと認識した。
 すぐ脇にはコンビニがあり隣には薬屋がある。
 でももう 『その間』 に道は無い。
 何もかもが常軌を逸していて、白昼夢でも視ていたような気さえする。
 しかしソレが確かなる 『現実』 で在ったコトを、もう少女は疑わなかった。
 二度といけない世界。
 永遠に逢えない人。
 それでもソコで在ったコトを、
今は自分にとって掛け替えのない大切モノなのだと、
心から言えるから。
 毅然と胸を張って、夕闇に染まる街路を見据える少女。
 そこに。
「あっれ~、吉田ちゃんじゃん。何してんの? こんな所で」
「一人? 池とオガちゃんは?」
 単調な電子ベルと共にコンビニの中から出てきた二人の男子生徒が
自分に声をかけた。
 佐藤 啓作と田中 栄太。
 同じクラスの自分の友人。
 その二人を少女は瞳の動きだけで一瞥した。
「!? もしかして、泣いてたの? 眼ぇ真っ赤だけど」
「……どっかのバカに何かされたのか? だったらオレが」
「……」
 そう言って騒ぎ出す両者を後目に、少女は指先だけで涙を拭った。
 凛とした表情のまま透明な雫を弾くその仕草は、
見る者にゾッとするほどの色気を感じさせた。
「なんでもないわ。ちょっと夕陽が眼に入っただけ」
 柔らかな胡桃色の瞳に、強い意志を宿らせて響く少女の言葉に
佐藤田中両名は想わずたじろく。
「それじゃあ私、もう行くから。さようなら」
 普段の気弱な印象が一転、荒野に咲き誇る可憐な花のような雰囲気を 
漂わせる少女の背を、二人は呆然と見送った。
「お、おい、いまの、吉田ちゃん、だよな?」
「あ、あぁ、双子の妹とかじゃ、ないと、思うけど……」
 気弱で怯える少女は、もうそこにはいなかった。
 ただ一人の 「人間」 として、新たなる領域へと進んだ気高さが
今の彼女を充たしていた。




【4】


「……」
 世界が、変わって視えた。
 吸い込む空気すら、清冽に胸の中を駆け抜けた。
 眼を閉じていても、視界にあるスベテをはっきりと認識する事が出来たし、
耳を澄ませば、遠い学園の喧噪さえ聴こえるようだった。
 躰中に力が漲り、その気になれば眼に付く違法駐車の車を数十台、
一分とかからずスクラップに出来る。
 そんな事を考える自分に驚きつつも、不思議と取り乱す事はなかった。
 そして。
 やがてその感覚は、自分の「背後」から生まれている事に気づく。
(……)
 鞄を両手に携えたまま、少女は鋭い視線で背後を見た。
 ソレに呼応するように、疼きにも似た感覚が背筋を撫ぜた。
(私の裡から……出たいの……?)
 心中の言葉に頷くように、疼きは一際強くなる。
 そのような異様とも云える自分の変化を、少女は当然のモノとして受け止めた。 
(いいわ……出てきて……そして……
一緒に “アノ人” の処へ行きましょう)
 そう呟いた直後、突如少女の背後で光が迸り、
彼女以外には聴こえない空間を歪めるような音と共に出現するモノ。
 初めて出逢う筈なのに、生まれてからずっと傍にいたような、そんな感覚。
 彼と、同じ能力。
 ずっと自分を護ってくれていた、強く優しい力。
 眩い神聖な光に包まれた、
ジュラルミンで出来た天使のような生命の幻 象(ヴィジョン)が、
纏った紗衣(しゃい)を靡かせ背に携えた両翼と共に少女の躰をそっと包み込む。
「空条……君……」
 やっと、追いついた。
 やっと、此処まで辿り着けた。
 ただ一つの純粋な想いと共に、今、新たなるスタンドがここに産声をあげた。




 その少女の想いは、天空(そら)(かけ)る。
 故郷を遠く離れた異国の大海原にて。
 帆船の甲板に佇む無頼の貴公子が、背後を振り向いた。


←To Be THIRD/DECISION……





聖 光 の 運 命(スターライト・デスティニー)
本体名-吉田 一美
破壊力-A スピード-A 射程距離-C
持続力-C 精密動作性-A 成長性-A
能力-近距離パワー型。
転機・向上を暗示する 『運命』 のカードを司るスタンド。
少女、吉田 一美の空条 承太郎への純粋な想いが、発現するきっかけとなった。
目覚めたばかりなので詳細はまだ不明だが、
星 の 白 金(スター・プラチナ)』 に酷似した能力であるらしい。







 
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