Sword Art Rider-Awakening Clock Up
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裏切り
元ベータテスターだけあって、コペルの戦闘勘はなかなかのものだった。
片手剣の間合いとモンスターの拳動、そしてソードスキルの使いどころをよく知ってる。俺の眼からはやや守護的すぎるように見えたが、状況を考えればそれも無理はない。自然、コペルが最初にタゲを取り、俺が弱点を突くという連携パターンが生まれ、2人で次から次へと獲物をポリゴン次片に変えていく。
狩りはスムーズに進んでる。だが、俺にとっては奇妙な状況だった。
俺とコペルはここまで、SAOの現状についても、自分達の事についても一切会話してない。茅場の宣告は真実なのか?この世界でHPが0になれば、本当に死ぬのか?今後この世界はどうなっていくのか?様々な疑問は当然コペルも感じてるはずだ。しかし、クエスト以外のことで特に話はほとんどしなかった。
俺はもう何匹ものリトルネペントの弱点に目掛けて剣を振り上げていた。ソードスキル《ホリゾンタル》が、植物の茎を断ち切り、破砕音が響き渡り、実体のない硝子片が2人を透過して飛び散る。
こちらに背を向けて、もう1匹のネペントの相手をしていたコぺルは、ふうっと息をつきながら振り向く。
「……出ないね」
声には疲労の色が滲む。俺とコぺルがコンビ狩りを始めてから、すでに1時間以上が経過している。2人合わせて150近い数のネペントを倒したはずだが、まだ《花つき》はPOPしていない。
「ベータテストの時と出現率が変わってるのかもしれない」
「あり得るね。……だとしたらどうする?レベルもずいぶん上がったし、武器もだいぶ消耗したし、一度村に戻ったほうが……」
コぺルがそこまで言いかけた時、2人からほんの10メートルほど離れた木の下に、仄かな赤い光が生まれた。
ゴツゴツと荒い形のポリゴンブロックが描画され、いくつも組み合わさって大まかな形を作っていく。見慣れた光景……モンスターのPOPだ。
先のコぺルの言葉通り、これまでの《乱獲》でかなりの経験値を稼ぎ、2人ともレベル5に達している。第1層の適正クリアレベルは、β当時の記憶では10程度だったので、まだまだ先に進むには速いが、もうリトルネペント1匹ならばさして慌てる必要はない。敵のカラー・カーソルの色もマゼンタからレッドに変わっている。
2人は草むらに立ち尽くしたまま、POPを眺めていた。ネペントは、数秒で精細な姿を得て、ツルをウネウネさせながら歩き始める。生物めいた光沢を待つ緑色の茎、個体差のあるマダラ模様に彩られた捕食器、そしてその上に、薄闇の底でも毒々しい赤に輝く、チューリップに似た巨大な花が。
「………」
2人は、なおも数秒ソイツをボォーッと眺めた後、無言で顔を見合わせた。
「……ーーーー!!」
声にならない雄叫びが響いた。それぞれの剣を振りかざし、ネズミに襲いかかる猫の如き勢いで、ついに出現した《花つき》に飛びかかろうとしたが。
その寸前、俺が危険を察知したかのように両足でブレーキをかけ、同時に左手で隣のコぺルを止めた。
「どうしたの?」
という顔を向けてくるコぺルに、左手の人差し指を立てて見せ、それを遠ざかっていく《花つき》の奥に向ける。
木や林に遮られて見えにくいが、その方向に、ネペントの影がもう1つあった。気づけたのは、熟練度が上昇してきた俺の《索敵スキル》のおかげだ。コぺルはまだ索敵を取っていないのか、森の暗闇にジッと眼を凝らし、数秒かけてようやくそれを視認したようだった。
花つきの奥に隠れているのが普通のネペントなら、攻撃をためらう理由はない。しかし何たることか、2匹目の捕食器の上にも、大きな塊がユラユラ揺れてる。
2匹目が細い茎の先にぶら下げてるのは、直径20センチほどの丸いボール状の《実》。今にも弾けそうなほどパンパン膨れた《実》を少しでも傷つければ、即座に炸裂して臭い煙を撒き散らす。煙は猛り狂ったネペントの群れを引き寄せ、いかにレベルが上がっていようとも脱出困難な危機にあうだろう。
どうすべきか、俺は考えた。
戦力的には《実つき》の実を傷つけずに倒せる可能性もある。だがどこの世界にも絶対というものはない。死の危険もあるなら、ここはしばらく待機し、花つきと実つきが遠く離れるまで待つという手もある。
しかし、ベータ時代に聞いた噂が俺を迷わせる。リトルネペントの《花つき》、クエストのキーアイテムを落とす貴重なレアモンスターは、POPした後は狩らずに放っておくと危険極まる罠モンスター《実つき》に変わる……と当時噂で聞いたことがあった。
あり得なくもないが、あくまで噂。確証はない。こうして草むらから眺めている間にも、十数メートル先を移動している花つきネペントの花びらがヒラヒラと散り、まん丸い果実が膨らんで、その先にいるのと合わせて実つきネペントが2匹になってしまうかもしれない。
ここで決断できない自体、危険と安全の線引きが出来ていない。そんな時、コぺルの低い囁きが届いた。
「……行こう。僕が《実つき》押さえておくから、ネザーは速攻で《花つき》を倒してくれ」
そして返事を待たず、初期装備のブーツを踏み出す。
「……わかった」
俺は答え、コぺルを追った。
迷いを断ち切ったわけではないが、状況が動き出してしまえば、後は剣とアバターの操作に集中するしかない。時には理屈でなく動くことも重要である。
コぺルの接近を、まず花つきが察知し、グルッと体を反転させた。捕食器の、人間の唇によく似ている縁を震わせて「シャアアアッ!」と吠える。
右に迂回し、奥の《実つき》を目指すコぺルを、花つきはターゲットし続けた。その隙を利用して肉薄した俺は、右手の剣を振りかぶった。
出現率1パーセント以下のレアモンスターとは言え、花つきネペントのステータスは普通の奴とほとんど変わらない。防御力と攻撃力は多少高いが、1時間以上の狩りでレベルが上がった2人には無視できる差だ。
10秒でHPゲージを黄色く変え、一度バックジャンプしてからトドメのソードスキルを立ち上げる。立て続けの戦闘で片手直剣スキルの熟練度も上昇し、スキルの発動速度や射程も上昇している。腐蝕液を吐き出そうとしたネペントが、補食器を半分を膨らませないうちに、単発水平斬り《ホリゾンタル》の青い弧線が乾いた音と共に肉質の茎を切断した。
これも、ノーマルな奴とは少し異なる悲鳴が響く。切り離されたウツボ部分が地面に落下し、ポリゴン片となって匹敵する前に、頭頂部の花がハラリと散る。
中から、仄かに光る拳大の球が転がり出た。コロコロと俺の足元までやってきたそれが、ブーツの爪先に当たって停止したのと同時に、ネペントの胴体と補食器が立て続けに爆砕した。俺は体を屈め、左手で光る球体《リトルネペントの胚珠》を拾い上げた。このキーアイテム1つ手に入れるために、恐らく150匹を超えるモンスターを倒し、その過程で色々考えることになっただろう。
少し離れた所で、危険な《実つき》の足止めを引き受けてるコペル。彼の元へと向かう俺。
「キーアイテムは手に入れた」
顔を上げてそう言うと、俺は左手で胚珠を腰のベルトポーチに落とし込んだ。本当ならウィンドウを表示してアイテムストレージに格納するところだが、悠長にそんな操作をしてる暇はない。剣を腰の後ろから抜き、数秒走った。
しかし。
突然、俺が足を急停止した。向かう先ではコペルが剣と円盾で器用にネペントの攻撃をあしらっている。元より防御が得意な方なのだろう。戦闘中でも顔をこちらに向ける余裕はあるようだ。生真面目そうな印象を与える、やや細めの両眼で、俺をジッと見ている。
……あの目付き。
視線に込められた何かの感情が、俺の足を急停止させた。
ネペントのツル攻撃をバックラーで強く弾き、戦闘を寸断させたコペルは、俺を見て短く言った。
「ネザー、ごめん」
そして視線をネペントに戻すと、右手の剣を大きく頭上に振りかぶった。刃が薄青く輝く。ソードスキルが発動したのだ。あのモーションは、単発垂直斬り《バーチカル》。
……まさか……!!
俺は無意識のうちに、内心でそう呟いた。
弱点である茎の上部が頑丈な補食器に隠されているリトルネペントには、元々縦攻撃の効果が薄い。しかも、縦斬りを使ってはいけない明確な理由がある。コペルもそれは理解してるはず。
しかし、動き出したソードスキルはもう止まらない。システムアシストによって半自動操縦されるアバターは猛然と地面を蹴り、発光する刃をネペントの補食器の上で揺れる丸い《実》へと叩き付けた。
パアァァン!!
と、凄まじい音の破裂音が森を揺らした。
実を粉砕したコペルの《バーチカル》は、そのままネペントの補食器をも断ち割り、HPゲージを削り切った。モンスターは呆気なく爆砕したが、空中に残る薄緑色の煙と、俺の嗅覚まで届く異様な臭気は消えない。
……そういうことか。
事故ではなく、意図的な攻撃だ。コペルは自分の意思に基づいて《実》を斬り、破裂させた。
この1時間、共に戦った元ベータテスターは、俺を見てもう一度言った。
「……ごめん」
そのアバターの向こうに、いくつものカラー・カーソルが出現するのが見えた。右にも、左にも、後ろにも。煙に引き寄せられてきたリトルネペント達。このクエストにPOPしていた個体が残らず集まろうとしているに違いない。総数は20か30を超える。
囲みを破れても、ネペントの最高移動速度は外見から想像されるよりも遥かに速く、引き離す前に他のモンスターにターゲットにされてしまう。もはや離脱は不可能。
最初の一瞬だけ、自殺を試みたのかと思ったが、俺にはコペルの行動を見てすぐにわかった。
……俺をモンスターに喰わせる魂胆か。
敢えて《実》を割り、周囲からネペントを呼び集める。しかる後に自分だけは《隠蔽スキル》で身を隠す。30匹を超えるモンスターのターゲットは全て、俺に集まる。古典的な手段であるが、これは……。
《モンスタープレイヤーキラー(MPK)》だ。
だとすれば、動機も明らか。俺が先刻拾ったクエストのキーアイテム《リトルネペントの胚珠》を奪うため。俺が死ねば、装備中またはポーチに入れてるアイテムはその場にドロップする。ネペントの集団が再び散った後、コペルは《胚珠》を拾い、村に戻ってクエストをクリアできる。
……最初から、これが狙いだったのか。
コペルは現実に眼を背けたわけじゃない。むしろその逆。早々にデスゲームという現実を認識し、プレイヤーとして舞台に上がった。他のプレイヤーを騙し、出し抜き、奪い、自分が生きるために俺を利用した。
まんまと罠に掛けられ、殺されようとしているのに、冷静な感情を保っていた。その理由は、俺の、目覚めた時から今までの経験か、それともコペルの計画に存在する《穴》に気づいたかのどちらか。
いずれにせよ、俺もコペルを利用するという形でパーティーを組んでいたのだ。本人にその気がなかったとしても、俺にはどうでもよかった。しかし、これは俺の考えていた利用とはあまりに掛け離れていた。
「……裏切り……久しぶりに味わう感覚だ」
聞こえてるかどうかは不明だが、俺は離れた茂みに向かって語りかけた。
《隠蔽スキル》……あれは便利なスキルだが、万能じゃない。視覚以外の感覚を持ってるモンスターには、効果が薄い。《リトルネペントのようなモンスター》にはな。
シュウシュウと猛り狂いながら、雪崩を打って襲いかかってくる補食器植物に一部は、明らかにコペルの隠れてる場所を目指してる。今頃は、隠れてるのに自分がターゲットにされ続けてることに気づいているだろう。俺が《隠蔽スキル》より《索敵スキル》を優先して取ったのは、それが理由。
なおも静かな気持ちのまま、俺は後ろを向き、そちらから突進してくるネペント達の列に視線を据えた。背後の敵はコペルを襲うので、しばらくは放置できる。後ろの状況が片付く前に、前方の敵を殲滅すれば、生還のチャンスがあるかもしれない。
俺は剣を握り直す。今までの戦闘で剣の耐久度は相当に消耗し、そこかしこで刃こぼれしてる。乱暴な使い方をすれば、この戦闘中にへし折れてしまうかもしれない。
斬撃回数は、ギリギリまで少なく。蹴り足と腕の振りで威力をフルバーストした《ホリゾンタル》を、敵の弱点である補食器の真下にピンポイントで命中させ、一撃で1匹を屠る。それができなければ、武器消失という最悪の死に様を迎えることになる。
背後でモンスターの咆哮と攻撃音、そしてコペルが何かを叫ぶ声が聞こえた。だが俺は振り向かず、自分の周りにいる敵にのみ集中した。
それから数十分間、際限なく現れるネペント達の頭を、ひたすら《スラント》や《ホリゾンタル》で斬り飛ばす。戦闘中の俺の頭には、ある思考が回ってる状態にあった。何かの動機が、俺を戦いへと駆り立ててる。
今なら、ゲームを始める前に茅場が俺に言った《言葉》の意味が理解できる気がした。
そして、ふと思った。
これが、本当のSAOだ。
俺は、ベータテスト期間に軽く200時間以上もダイブし続けたが、SAOというゲームの本質を、本当の意味で理解した。これは何かの前兆……前の戦いにおいての前兆なのか?現実ではいつも本気で戦っていたが、この世界では本気で戦っていなかったのかもしれない。俺も、これはただのゲームだ、と心のどこかで思っていたのかもしれない。
それらの思考と意識が極限領域で一体化した時、初めて辿り着ける境地がある。俺は、その入り口に立ち、その先に行きたかっただけ。だが結局、何も取り戻せないまま。更に、現実と同じ状況に陥ったSAO。
「う……おおぉぉぉ!」
自分の思考を頭から無理やり追い出すかのように吠え、地面を蹴った。
ライトエフェクトすら置き去りにして放たれた《ホリゾンタル》が、縦に2匹並んでいたネペントの補食器を立て続けに高く飛ばした。
直後、背中側にかなり離れた場所で、カシャアァァン!という鋭い破砕音が響いた。モンスターが爆砕した音とは明らかに違う。プレイヤーの死亡エフェクト。
つまり、10匹以上のネペントに囲まれていたコペルが、ついに力尽きたのだ。
「………」
それでも振り向こうとせず、周囲の敵を倒すことだけに集中した。
残った最後の2匹を立て続けに屠り、それでようやく後ろを向く。
最初の標的を仕留めたネペント達が、血に飢えた気配を俺に集中させた。その数、7匹。コペルはあの状況から少なくとも5匹を倒したことになる。最悪の瞬間に悲鳴を上げなかったのは、余裕があったのではなく、元ベータテスターとしての自信があったからだと思う。
「……終わったな」
ネットゲームを《ログアウト》した者、あるいは死んだ者に対しての台詞を口にして、俺は剣を正面に構えた。7匹のうち右側の2体が腐食液噴射のモーションに入りつつあることを察知した俺は全力でそちらにダッシュし、チャージ中で停止している敵を一息に片付けた。
残る5匹を、続く25秒で仕留め、戦闘は終わった。
戦闘終了後、キーアイテムを持って《ホルンカの村》に戻ろうとする途中、一瞬だけコペルが消滅した場所を眺めていた。その場所には、コペルが装備していたスモールソードと円盾が落ちていた。
彼は、この浮遊城アインクラッドで数時間戦い、そして死んだ。正確には、HPをゼロにして、仮想体を四散させた。しかし、現実世界の日本のどこかの街、どこかの家に横たわり、あのアバターを操作していたはずの見知らぬ誰かが本当に死んだのかどうかを確かめるすべはない。俺にできるのは、コペルという名の剣士を見送ることだけだ。
だが、俺はコペルを哀れみに思ってるわけではない。
人は誰でも、常に自分のことだけを考えてる。SAOより以前の戦いで俺が散々味わってきた、心の影に潜む《闇》。その闇が存在する限り、人は本当の意味で助け合いなどしない。誰かと共に過ごそうと、共に戦おうと、そこにあるのは自分1人だけだ。
しかし、キーアイテムを持って村に帰ろうとした途端、
「ッ!?」
予想外の事態が発生。
近くにある林の陰から一瞬、奇妙な影を目撃した。
俺は瞬時に剣の柄を握り、いつでも剣を抜けるように準備した。
コぺルのように途中からクエストに参加した別のプレイヤーか、それともネペントの残党か。辺りを見回すが、何も見えない。しかし、何か異様な気配を感じていた。
「……隠れてないで出てこい!」
相手に呼び掛けてみたが、返事の一言も返ってこなかった。その理由は、俺が感じてる相手の気配が、現実世界で覚えのある気配だからだ。
気配を頼りに、暗闇に満ちた草地に眼を向けてみると、朧にかすむ影が見えた。
……高速移動……後ろか!!
咄嗟に振り向くと、2本の脚で立つ人型モンスターの姿があった。
「……ッ!!」
見た瞬間に俺は絶句し、鋭く息を呑んだ。
眼を丸くしながらも改めてモンスターを凝視した。
全身ほとんどが黒と黄緑色。背中に、いかにも堅そうな甲羅を背負ってる。右手にはサッカーボールと同じくらいの大きさを持つ球体が付いている。ホタルとよく似た外見と特徴を持つそのモンスターの右手の球体は、おそらくホタルの発光器官だろう。
最初はあり得ない、と思いたかったが、目の前の現実から眼を背けることもできなかった。
粒子体となってネットワーク内を移動し、現実世界へと行き来することが可能な電脳有機体__《オートマトン》がSAOにやって来た。
できれば眼を背けたかったが、見てしまった以上、認めざるを得ないだろう。俺は誰よりもオートマトンを知っている。怒りと憎しみ、悲しみと恐怖を撒き散らす害虫達を、永遠に忘れることはできないだろう。
グルルルゥ!
奇怪な鳴き声を発するホタル怪人、《ファイアフライ・オートマトン》が俺に飛び掛かろうとした。
その拍子に、何もない空間が当然歪み、そこに水面波のようなワームホールが現れた。
ワームホールから飛び出してきたシステム外の存在……《カブトゼクター》が、ビューと翅音を鳴らしながら飛び回り、俺に飛び掛かろうとする寸前のオートマトンを攻撃した。
胸板にカブトゼクターが打ち当たった途端に火花が散らせ、ファイアフライは後方へ飛ばされ地面に落下した。
グルゥルゥルゥ!!
最初より勢いが増した鳴き声を放ち、崩れた体勢を直しながら立ち上がる。
同時に、カブトゼクターが円を描くように俺の周りを飛び回る。右手を上げ、カブトゼクターを掌で受け止めた。次いで、銀色に輝くベルト__《ゼクターバックル》が腰の体内から押し出されてくるように巻かれた。
そのベルトを見た途端、ファイアフライは「グルゥ!?」という驚愕な悲鳴を上げた。
「お前の考えていることはわかってる」
俺はホタルのオートマトンに対し、告げた。
「この世界でなら、俺は変身できないと思ったんだろうが、とんだお門違いだったな。俺が《来い》と思いさえすれば、ゼクターはどこにでも現れる」
告げ終え、俺は手にしたカブトゼクターを顔の前方にまで掲げ、
「……変身」
静かに叫び、ベルトにセットした。
【Henshin】
電子音声が鳴り響き、無数のナノ粒子が全身を包み込んでいき、未知の金属で構成された鎧が装着される。
スマートな下半身とアンバランスな《クリサリスアーマー》を纏った上半身__《ビートライダー・カブト》に変身した。
変身完了後、タイミングを狙うかのようにファイアフライが両腕を振り回しながらカブトとなった俺に打撃攻撃を仕掛ける。
しかし、そんな攻撃などまるで効かないとばかりに身動き1つしない俺は、ベルトの後ろ腰に装備された武器《カブトライザー》を片手に取る。刃が上下に開き、銃形態となったカブトライザーを構え、至近距離から銃撃した。
ビシュ!
その一撃でよろけるホタル怪人。
俺は余裕で近づきながらガンモードの先端で狙いをつけ、連射した。
ビシュ!ビシュ!ビシュ!
「キシャアアアアア!!」
銃撃でズタズタになっていくファイアフライは虫のような咆哮を上げた途端、高速移動能力で消えた。
「またクロックアップか」
ホタル怪人はクロックアップしながら背中に激しい突進攻撃をした。
ドン!
後ろから突進された俺は前に倒れ込んだが、すぐに手を突っ張りながら立ち上がり、クロックアップ状態のファイアフライを目視した。
クリサリスフォーム時のメリットは防御力とパワーが高いことだが、クロックアップができないというデメリットがある。
しかし、ビートライダーには状態に関係なく思考や感覚といったものでクロックアップ状態の物体を認識することができる能力が備わっている。どれだけ速く移動しようと、敵は必ずそこに存在する。今も自分の眼を駆使してファイアフライを捉えている。
直立した俺は、カブトゼクターに設置された角レバー《ゼクターホーン》を左手の親指で軽く押した。ビビビ!というアラームのような音が鳴り響き、上半身のクリサリスアーマーが続々と浮き上がる。やがて顔部分のアーマーが浮くと、半端に引かれたゼクターホーンを右手で掴んだ。
「キャストオフ」
宣言するように単語を発し、レバーを右側に展開した。
【Cast Off】
わずかに浮いていたアーマーが飛散し、その破片がファイアフライに命中。クロックアップを中断してみせた。
【Change Beetle】
顎を基点にY字型の角が顔に起立し、青い複眼が一瞬ピカッと光る。
カブトの第2形態__《クイックフォーム》。
ファイアフライは再びクロックアップして消える。
「クロックアップ」
【Clock Up】
電子音が轟音の如く鳴り響き、相手を追い抜くようにカブトの全身にスピードが駆け巡った。
そして世界が__静止した。
加速の中に飛び込み、音が消え、聞こえるのはオートマトンと自分の打撃音だけ。誰にも見えない超光速世界で、カブトとファイアフライによる対決が行われた。
ドガッ!ガツッ!ドガガッ!
鍛え抜かれた格闘技術を駆使して、ファイアフライの胸板に連続パンチを喰らわせる。
不意に、ファイアフライが発光球体の付いた右腕を横に振って攻撃を仕掛けたが、カブトは体を屈めて容易にかわした。
改めて、右拳からパンチを放つ。
ドガッ!!
今度のパンチは最初の時より強力で、撃たれたヴァーミンの体から大きな火花が飛び散った。ファイアフライとカブトのクロックアップが解除され、世界全体の時間が再び流れ出した。
ズシャアアア!!
地面をスライドしながら倒れていくヴァーミンの体から突然、謎の微粒子が湧き出てきた。全身を覆い尽くすと、姿がオートマトンから人間へと変化した。
そしてカブトが眼にしたのは、驚くべき衝撃だった。
「……コペル」
そう。
このクエストで一時的にコンビを組み、先ほどネペントに殺されたと思っていた元ベータテスター《コペル》の姿がそこにあった。
「……オートマトンの擬態だったのか……」
見た目はコペル本人だが、その正体はファイアフライ。初めてコペルと遭遇した時、一瞬だが歪なものを感じていたが、その時は気のせいだと思っていた。いや、そう思いたかっただけなのかもしれない。
突然始まったデスゲームをクリアすることで頭がいっぱいだったため、他の思考を無理に追い払おうとしていた。しかし、それが俺の能力の妨げとなってしまった。
「いつからコペルに擬態してた?」
出会った時からオートマトンだったのかどうかを一応確認したいと思い、俺は擬態コペルに問い質してみた。
すると、直立した擬態コペルの唇から、クックック、と奇怪な笑い声を吹き出しながら言った。
「キミが《はじまりの街》を出た時から、尾行してたんだよ。そしたら、あの《ホルンカの村》で本物のコペルを見つけて……殺してやったんだよ」
微笑を浮かべながらも喋り続ける擬態コペルに、不思議と俺は怒りを感じなかった。
コペルは、俺をネペントに殺させようと企んだ少年だ。当然俺には恨む権利がある。だが、例えその時のコペルが本物だったとしても、デスゲームの虜囚となれば当然の結果だ。かつての俺のように。
「でも……コペルは、死んでない」
「……どういう意味だ?」
「僕がコペルなんだよ。……擬態すると、記憶も一緒に引き継ぐんだよ。だから僕はコペルそのものさ」
「………」
筋は通っていた。
オートマトンが人間に擬態する際、姿だけでなく記憶も引き継ぐことが可能とされている。今回はコペルの記憶を引き継いだことによって、彼の性格や態度を表すことができたのだ。本人と見分けがつけられないくらい繊細な擬態能力が、人との信頼関係や絆を利用する様を、俺は何度も見てきた。
故に、身近な誰かから速く命を落としたものだ。
「それで、どうするネザー?」
擬態コペルが脚を動かし、一歩ずつ前進しながら近づいてくる。
「僕を倒したら……僕の中のコペルも消えてしまうよ」
このオートマトンは俺に、自分を倒せるのかと、と問うているんだ。
だが、答えるまでもなかった。
「お前達オートマトンは……《心》までコピーできるわけじゃない。それに、誰に擬態していようが関係ない。俺はお前らを……倒す!」
《彼》を殺された時に抱いた憎しみは、今でも脳裏に刻まれている。
一瞬の迷いもなく俺は、右手の親指でカブトゼクターの脚に設置された3つのスイッチを順に押した。
【One】【Two】【Three】
左からスイッチが順に押され、電子音声が3回流れた。続いてカブトゼクターの角を左側に戻し、再び右側に展開した。
【Quick Charge】
最後の電子音声が流れ始めた途端、稲妻がゼクターを伝って右足に収束した。
「砕け散れ!」
両足を少し屈め、地面から上に飛躍した。
エネルギーの溜まった右足を前に突き出し、ファイアフライに目掛けて飛び蹴りを撃ち込む。
必殺キック__《クリムゾン・ディメンション》が撃たれる矢先に、擬態コペルは再び全身からナノマシンを湧き出し、ファイアフライに戻ったが、時すでに遅く、
ビシュン!!
「ギシャアアア!!」
キックをまともに喰らい、後ろへ飛ばされた。
地面に倒れた瞬時に、ドカアァァン!と爆裂霧散した。
SAO世界におけるモンスターやオブジェクトのように、ポリゴンの爆散エフェクトを発生させて消滅することはなく、普通に爆発で消滅した。これが、SAOという人界を超えた存在の証、と俺は脳裏で呟いた。
俺の意志に応じたカブトゼクターが自動的にベルトから外れ、ビュゥー!という翅音を鳴らしながら空の彼方へ飛び去った途端、俺の全身を覆っていたアーマーがゆっくりと飛散し、その欠片がベルトに吸い込まれていく。わずか数秒で俺はプレイヤーとしての本来の姿に戻った。
変身解除した後も、俺はファイアフライ・オートマトン/コペルが最後を遂げた場所を眺めていた。
正直、今の自分がどんな気持ちなのかはわからない。哀れみ、憎しみ、悲しみ、どの感情に当てはまるのか__。
身も心も枯渇し、生気や潤いが感じられなくなった俺には、感情というものさえ曖昧になった。
自分は相変わらず希薄のままだが、少なくとも今日の経験を得て、強くなるべきという気持ちが以前より増した気はした。生還するためではなく、仮想と現実という双方の世界が秘める究極の可能性と、自分を罰しようとする戦いを続けるという、人には言えない欲求ゆえである。
俺は《ホルンカの村》に帰還するため、小径を東に向かって歩き始めた。
時刻は夜9時。晶彦のチュートリアルが終了してから、すでに3時間が経過している。
さすがに、村の広場には数名のプレイヤーの姿があった。彼らもベータテスターなのだろう。この調子でベータ経験者だけが先に進み、いずれ非経験者達との間に深刻な溝が生まれかねないが、俺にとってはどうでもいいことだ。危惧すべきなのは、クエストの報酬と、オートマトンという心配の種だけだ。
オートマトンが仮想世界に潜伏しているとなると、《メタヴァーミン》も潜んでいる可能性が高い。
俺にとっては両方とも危惧するべき問題だ。仮想モンスターの相手でも手一杯だというのに、新たな問題に流れ込まれてきたらたまったものではない
俺は村の奥にある民家を目指して移動していた。目的の家の窓にはオレンジ色の明かりが灯ってる。
ドアを開けると、相も変わらず釜戸で何かを煮ているおかみさんが振り向いた。頭上には、クエスト進行中を示す金色の《!》マークが浮かんでる。
歩み寄り、腰のポーチから、中心が仄かに光る薄緑色の球体《リトルネペントの胚珠》を取り出して渡す。
おかみさんは、一気に顔を輝かせ、胚珠を受け取った。礼の言葉が連射されると同時に、視界左でクエストログが進行する。胚珠をそっと鍋に入れたおかみさんは、部屋の南に置かれた大きな長櫃に歩み寄り、蓋を開けた。中から、初期装備とは段違いの存在を放つ長剣を取り出す。俺の前に戻ってくると、再度の礼と共に、剣を両手で差し出した。
「………」
俺は一言も喋ることなく、それを受け取った。
新たな剣《アニールブレード》をストレージに格納すると、近くの椅子の座り込んだ。クエストのせいで精神的に疲労し、少しだけ休息を取ることにした。
おかみさんは再び釜戸の鍋をかき混ぜている。やがてかき混ぜるのを止めると、棚から木製のカップを取り、鍋の中身をおたまで注いだ。
湯気の立つカップを、さっきの剣よりもずっと大事そうに捧げ持ち、奥のドアを開けたおかみさんは、薄暗い部屋へと足を進める。俺は部屋の中が気になり、敷居をまたぐ。
そこは、小さな寝室だった。調度は壁際のタンスと窓際のベット、後は小さな椅子が1つしかない。そしてベッドには、7、8歳くらいの少女が横たわってた。月明かりの下でもわかるほど顔色が悪い。首も細く、シーツから覗く肩は骨張っている。
少女は、母親に気づくとわずかに瞼を開け、次いで俺を見た。俺を見た瞬間、血の気のない唇に、仄に微笑みが浮かんだ。
母親が右手を伸ばし、少女の背中を支えて起き上がらせる。途端、少女は身を屈め、コンコンと咳き込んだ。茶色い3つ編みが、白いネグリジュの背中で力なく揺れた。
俺は少女の傍らに表示されているカラー・カーソルを確認した。間違いなくNPCのタグがついてる。名前は《アガサ》とある。少女にしては男みたいな名前だった。
アガサの背中を右手で優しくさすった母親は、「傍らの椅子に腰掛けると」言った。
「アガサ。ほら、旅の剣士さまが、森から薬を取ってきてくださったのよ。これを飲めば、きっと良くなるわ」
そして、左手に持っていたカップを少女に握らせる。
「……うん」
アガサは可愛らしい声で頷くと、カップを小さな両手で支え、コクコクと飲み干した。パアッと黄金の光が降り注ぎ、顔色が一気によくなって、少女はベッドから飛び降りて走り回る……なんてことはなかった。
しかし、カップを下ろしたアガサの頬は、ほんの少しだけ赤みを増してるように見えた。
空になったカップを母親に返したアガサは、立ち尽くす俺をもう一度見て、ニコリと笑った。唇が動き、やや舌足らずな言葉が、ささやかな宝石のように溢れた。
「ありがとう、お兄ちゃん」
「………」
何も答えることができず、俺は両眼を見開いた。
昔……ずっと昔にも、こんなことがあった。
現実世界でオートマトンと戦った際、瀕死の重傷を負った俺はロクに動くこともできなかった。重傷を負ったまま晶彦の居場所へ戻る訳にもいかず、人目のない所に隠れ、体内のナノマシンが自然治癒してくれるまで待つしかなかった。
しかし。
そんな俺を救ってくれたのが、あの不思議で満ち溢れていた少年……《加賀美真司》だった。
真司は、当時敵対関係にあったはずの俺を、自分が暮らしていた養護施設へ運び、ベッドに寝かせ、懸命に看病してくれた。死を憎み、消え去る命の炎を……慈しむように。
でも……その真司は、もういない。
「……うっ……く……」
不意に、そんな声が、勝手に喉の奥から漏れた。
時々、思ってしまう。……真司に会いたい、と。
過去を振り返り、強い衝動を受けた俺は、疲れ果てたようによろけ、アガサのベッドに両手を突いた。そのまま床に膝を下ろし、白いシーツをきつく握りしめて、俺は再度低い声を漏らした。
いくら会いたいと思っても、真司はここに現れない。例えSAO世界から解放されても、二度と会うことはできない。親代わりに俺を育ててくれた茅場晶彦も、今はデスゲームを引き起こした首謀者として指名手配されているはず。俺を現実に繋ぎ止めてくれる人は誰もいないのだ。今にして思えば、俺はこの世界の虜囚となる以前から、自分がどんな生い立ちを送るべきなのか、すでに悟っていたのだ。
死んでもかまわない、と思っている。だが、かと言って今すぐ死にたいわけではない。自分に与えるべき罰を与え、そして最後に死を迎える。それが俺に定められた運命なのだ。
「……どうしたの、お兄ちゃん?」
アガサの声が聞こえ、柔らかい手のひらがおずおずと俺の頭に触れた。やがてその手は、ぎこちなく髪を撫で始めた。
何度も__何度も__何度も__。
俺が立ち上がるまで、その小さな手はずっと働いていた。
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