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STARDUST∮FLAMEHAZE

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第二部 WONDERING DESTINY
CHAPTER#21
  DARK BLUE MOONXIII ~D・A・H・L・I・A~


【1】


「ただいま」
 白い肌を血に濡らしながらも少女は晴れやかな表情で、
本当にただ帰宅したような口調で青年に言った。
「……」
 承太郎は口元に微笑を浮かべたまま無言でソレに応じる。
 心中は自分が戦い抜いた後のような、
奇妙な充足感で満ちていたがそれを言葉にする術は持たない。
 ただ、もしアラストールがいなければ、ラミーがいなければ、
そのままシャナを抱きかかえ、いやがる彼女を思い切り何度も何度も
振り回してやりたいと想った。
 正直それ以外、限界を超えて最後まで立派に戦い抜いたシャナを
称えてやれる方法が想いつかなかった。
(最高、だ……やっぱりおまえは……最高だ……)
 代わりに己の裡でそう呟きながら無頼の貴公子はその躯を屈ませ、
首にかけた神器を少女にかけ直す。
「……」
 頬を少し紅潮させそれに応じるシャナも、
今の気持ちを伝える術を持たずただそのまま立ち尽くす。
 もしアラストールがいなければ、ラミーがいなければ、
すぐにでも彼の胸の中へ飛び込んでいきたかった。
 そして自分がそうする以上に、それよりももっと強い力で
壊れる位抱き締めて欲しかった。
 貴方の為に戦った事を、貴方と一緒に戦っていたという事を、
その抱擁を通して心の中に伝えたかった。
 どうしても言葉には出来ない事も、互いの存在さえ在れば、
「人間」 は確かに伝える事が出来る。
 何故か既視感にも似た強い高揚が少女の胸を充たしていた。
「……どーでもいーけどよ。オメー、オレの流法(ワザ)パクったろ?
最後のアレァどー見ても “スター・ブレイカー” だし、
嵐撃(ラッシュ)の軌道もスタープラチナのそれと同じだった。
やれやれ気ィつけねーとうかつにワザも出せねーな。
片っ端から盗まれちまう」
 場を包む和やかな雰囲気も悪くなかったが、
承太郎はわざと邪な微笑を浮かべ意地悪そうにシャナへ告げる。
「な! う、うるさいうるさいうるさい!
ちょこっと参考にしただけよ! 別にアレじゃなくても勝てたんだから!」
 対してシャナは件の如く顔を真っ赤にして承太郎に食ってかかる。
 その様子 (尚も文句を続けるシャナ) を黙ってみつめながら、
承太郎はやっぱりこの方がコイツらしいと密かに想った。
 からかうと面白いし、落ち込んだ顔は似合わない。
 やかましくてうるさい女は確か嫌いだった筈だが、
どうも目の前のこの少女だけは例外であるらしいという事実を
今更ながらに認識しながら。
 その、刹、那。
「!!」
「!?」
 二人の背後から途轍もなく狂暴な存在の奔流が、
この世のありとあらゆる災厄を裡に孕んだかのような圧威と共に立ち昇った。
 奇禍の驚愕に承太郎、シャナが同時に振り向いた先、
完全に意識を断たれた筈のマージョリーが、
ズタボロになった半裸の躰を亡霊のように引き起こし、
白一色の双眸のままその全身から自虐的とも云える
禍々しい炎気を暴走させていた。
「そ、そんなッ! 立ち上がる力なんて、それ以前に意識がもう!」
「……」
 通常絶対に在り得ない現象に言葉が断片的になる少女とは裏腹に、
無頼の貴公子は口元を軋らせながら臨戦態勢を執る。
 意識を完全に断たれた人間が、ソレでも尚敵に立ち向かうコトは可能であろうか?
 解答(こたえ)(こう)
 確かに今現在マージョリーの脳は、
先刻シャナの刳り出した永続斬刀陣に拠り休眠の状態に在る。
 しかし、他者の存在を想えるのは、“感じるコトが出来るのは”
「脳」 のみとは限らない。
 人体を構成する細胞、その数約60兆。
 その一つ一つに例外なくスベテ、
数百年にも及ぶ彼女の紅世の徒に対する憎しみが宿っており、
ソノ深淵の慟哭が、暗黒の異図で繋がれた傀 儡(マリオネット)のように
彼女の躰を無理矢理動かしているのだ。
 まるで、死して尚 “怨念” のみで無限に稼働を続けるスタンド能力で在るかの如く。
 この世に蔓延る紅世の徒スベテを、ただ殲滅するその為だけに。
 視る者全てに脅威を植え付けるには充分な光景で在ったが、
実質はただ立ち上がっただけなので、
すかさずシャナ或いは承太郎が襲撃を仕掛ければ、
敢え無く決着はついた筈である。
 しかし凄惨ながらも美しきソノ姿に想わず魅入った二人の反応が、一瞬遅れる。
 その合間に美女の右腕を取り巻く、夥しい量の群青の炎。
(こんな……所で……やられるなら……こんな……所で……倒れるなら……)
 マージョリーの躰の裡から嘆きのように滲み出る、深き怨嗟の声無き声。
(なら……一体……何の為に……?)
 その間にも蒼炎は一本の巨大な脚と化し、
尖端にギラつく大爪が甲底部を突き破るのを厭わず拳を握る。 




“一体……何の為に……ッ!”




 美女の全身を取り巻く可憐な少女の幻象を背景に、
ガラスの大地に揮り上げられた群青の拳槌が断首台の如く敲き堕とされた。



 ヴァッッッッッッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァ
ァァァァァァァァァァァ――――――――――――――ッッッッッッ!!!!!!!



 海面に巨大な火球が激突したかのような大鳴動と共に、
先刻までの死闘の舞台はいとも容易く撃ち砕かれた。
 暴風が荒び、粉塵が撒き拡がり、鉄片が飛び交う破壊の爆心源。
 それらスベテを彩る、莫大な量の硝刃大豪雨。
「!」
「!?」
「!!」
 その直中に位置していた承太郎、シャナ、ラミーは崩落に巻き込まれ
周囲に(ちりば) むガラスの欠片と共に真下へと落下する。
 ほぼ同時に破壊の余波で屋上全域が完全に崩壊し、
4方を取り囲んでいた巨大な龍の彫像も重力の魔に引かれ、
時空を消し飛ばす能力で呑み込まれるように奈落の底へと堕ちていく。
 落下に伴う一瞬の浮遊感を認識する間もなく、
砕けた夥しい残骸が階下に絡まるガラス張りのブリッジを直撃し、
ものの数瞬で無惨な廃墟へと変えた。
(――ッ!)
 己の落下経路が丁度、残骸の豪雨に見舞われ大きく抉れた空間だというコトを
危難の最中で察知した承太郎は、そのまま自分の近くを共に落ちている
ラミーをスタープラチナの左手で強く突き飛ばしバックリと口を開ける
破壊空間の喉元へと正確に押し込む。
 面食らったような表情で落下する己を見つめる老紳士を後目に
彼もスタンドの右腕を伸ばしブリッジにメリ込んだ残骸の端に掴まろうと試みるが、
射程距離が足りずもう一つの腕は虚しく空を掻く。
(チィッ……!)
 絶大な破壊力を誇る近距離パワー型スタンドも、
今この状態に在っては単なる搦め手。
 更に差し迫る窮地に承太郎が歯噛みする刹那、
己のスタンドを強く握り返す柔らかい手が在った。
「承太郎ッ!」
 暴戻(ぼうるい)たる惨状の最中口元に笑みさえ浮かべて、
シャナが瓦礫の端から躰を乗り出すように手を伸ばし落下する己の躯を支えていた。
 おそらく纏った黒衣の能力を利用して落下スピードを減退させ、
宙に浮く残骸を蹴り付けてここまで飛んで来たのだろう。
「……」
 開けた空間に宙吊りの状態で、促されるように彼の口唇にも微笑が浮かんだ刹那。
「――ッッ!!」
 突如シャナの背で無数の蒼い炎弾が爆ぜ、吐き出された多量の呼気と共に
黒衣と肉の焦げる匂いが無頼の貴公子の鼻をついた。
「あうぅッッ!!」
 予期せぬ襲撃にバランスを崩して瓦礫に伏し、
剥き出しの鉄骨ギリギリの位置までその身を追い込まれるシャナ。
 咄嗟に見上げた視線の先、鉄骨が(ひしゃ) げ表面が罅だらけになったブリッジの上に、
生ける(しかばね) と化した蒼炎のフレイムヘイズの姿が在った。
 長い栗色の髪を破滅の戦風に吹き散らし、
ズタズタの半裸の躰でこちらに左手を差し向けている。
 髪に紛れてその表情は伺えず、未だ意識も復活していないが
『しかしそれ故に』 己の射程圏内で動くスベテの者を無差別に攻撃する
狂戦士へと変貌を遂げている。
「うっ……!」
 如何なる時も冷静で常に論理的な判断を下す承太郎の状況分析が、
眼上から聞こえた声によって停止した。
 焦撃で先刻の傷が裂け、無数の紅い筋が伝う腕であっても、
彼女はその手を反射的にも離そうとはせず
不安定な体勢のまま懸命に承太郎の躯を繋ぎ止めている。
 今の状態は限りなく無防備に等しく、
このままでは地の利の在るマージョリーの攻撃を
一方的に受け続けると 『解っているにも関わらず』
「大、丈夫……平、気……」
 線の震える顔で、少女は笑った。
「ッッ!!」
 このままでは共倒れ。
 そう長い時をかけず少女は自分に引き擦られて落ちる。
 その後に狙われるのはラミー。
 ガラスの橋梁(きょうりょう) に立つ女は、既に次の焔儀発動の構えに入っている。
 故に、彼が出した結論は。
「承太郎ッ!?」
 驚愕するシャナを真上に、承太郎はスタンドの手を高速で反転させ
彼女の小さな手を無理矢理振り解いた。
 心中に様々な思惑が渦巻いてはいたが、いざ行動に移した時の心情は
たった一つの単純(シンプル)な答え。
 自分が少女の為に傷つくのは構わない、だがその 『逆』 はダメだ。
「――ッッ!!」
 瞬く間に重力の魔に縛られ小さくなっていく承太郎に、
シャナは声無き叫びをあげてもう届かない手を伸ばす。
 その刹那に、承太郎はあらん限りの感情を込め、真紅の瞳に呼び掛けた。
(行け……シャナ……オレの事ァ構うンじゃあねぇ……!)
(でも……! でも……ッ!)
 瞳を潤ませ尚も追い縋ろうとする少女に、彼は恫喝するように告げる。




“フレイムヘイズだろッッ!!”




(――ッッ!!)
 烈しい衝動と共に見開く少女の瞳。
 対して承太郎は、超高速で眼下に迫る災厄を見る。
 絶息の重力落下地獄の終着点。
 美術館一階に設置された噴水池を圧し潰して(うずたか) く積み上がった、
夥しいガラスと鉄片で構成された残骸の墓標に。
 その秒速の(まにま) にも、光速に等しき速度で演算される
彼の 「戦闘の思考」
(……やれやれ、吹き抜けだから掴まれる場所はどこにもねぇ、
しかも墜ちる先はガラスと鉄骨の針山、
防御してもスタープラチナは兎も角、「本体」のオレが()たねぇな。
良くて再起不能、ヘタすりゃ死ぬな)
 絶望的な解答が導き出される中、しかし彼の勇壮なる風貌は不敵な笑みを絶やさない。
(しょうがねぇ。まだチョイ練習が足りねぇが、 “アレ” を試してみるか)
 同時にそのライトグリーンの瞳で燃え上がる決意の炎。
(フッ、面白ぇ、分の悪い賭けほど、面白ぇモンは他にねーぜッ!)
 魂の喚声と共に発現するスタンド、『星 の 白 金(スタープラチナ)
 しかし彼が心中で決した新たなる流法(モード)の発動準備に入るよりも(はや)く、
その頭上から同様の決意を固めた存在が紅い流星のように迫ってきた。
(シャナ!?)
 何故来たという論難よりも、バカな!? という驚愕が
脳裡を貫いた承太郎に反発するかの如く、少女の裡で湧き熾る精神の叫号。
(なんでも……できる……!)
 失策の憂慮など感じる暇も無く、ただ己のするべきコトを成し遂げる専心のみが、
狂しい程に胸中を充たす。
(なんでもできる!!)
 頬を打つ風など気にならない、その先に待つ破滅の墓標も眼に入らない、
ただ一つの揺るぎない想いだけが、少女の内と外で爆裂する。




“アナタの為なら!! なんでもできるッッ!!”



「!!」 
「!!」
 その次に起こった神異なる光景に、承太郎とアラストールは同時に息を呑んだ。
 落下に伴う逆風の最中、重力に逆らうように捲き挙がっていた炎髪の火の粉が
螺旋状にシャナの背で集束し一瞬の発光の後、紅き波濤の如く燃え上がる。
 そしてソレは炎で構成された翼の形容を執り、
重力に抗う能力(チカラ)を彼女に授ける。
 その姿、正に神の福音を一身に受ける熾天使に相剋。
(“紅蓮(ぐれん)双翼(そうよく)” ……ッ!)
 悠遠の彼方、己と共に在った者の姿を
アラストールが想い起こすのと重なるように、
「火の鳥、か……?」  
承太郎も心中を衝いた印象をそのまま口に出す。
 そして自分が落ちているコトも一瞬喪心していた彼の手を、
空間を支配する重力の悪魔から奪い取るように再び少女の手が掴み直す。
(もう離れない! 絶対絶対離さない!!)
 自分の今在る状態すらもどうでも良く、シャナは哀哭のように繋ぐ手に力を込める。
 しかし瞳を滲ませた彼女を、最愛の者の声が叱咤した。
「おい! 助けンならちゃんと助けやがれ!! “下に” 向かって加速してるぜ!!」
「うるさいうるさいうるさい!! 気が散るから黙っててッッ!!」
 互いに声を吐き、刹那の間とはいえ正気を逸脱していたコトを諫めた少女は、
己の背に意識を集中しその延長線上に在るモノを己が全霊を以て可動させる。
 舞い散る紅蓮の羽吹雪と共に、大きく展開する炎の双翼。
「――ッ!」
 転進。
 絶望的な速度で目下に迫っていた破滅の墓標が炎蒸爆発を起こして弾け、
下降線を描いていた周囲の空気が息の詰まるような上昇気流へと換わる。
 ソレに伴って撒き挙がる硝塵のキラメキと共に、
炎の光跡で空間を灼きながらシャナは承太郎と共に目的の場所へと高翔した。
 瞬時に視界に入る、二つの存在。
 先刻の崩落で生まれた瓦礫の断崖を既に飛び越え、
蒼き爪牙をその腕に宿らせてラミーへと差し迫る亡霊のフレイムヘイズ。
(間に、合わない……ッ!)
 心中を衝く悔恨、だが実際に口からでた言葉は。
「承太郎ッ!」
「おう!」
 シャナの見た光景を同時に認識していた承太郎は既にスタンドを出し
彼女の黒衣をその幻象の腕で掴んでいる。
 そし、て。
「オッッッッッッッラアアアアアアアアアアアアアアァァァァ
ァァァァァァァァァァァ――――――――――ッッッッッッッ!!!!!!!」
 飛翔の速度を全く殺さず、更にスタープラチナのパワーとスピードも上乗せし、
直線軌道でシャナを投擲(とうてき)した。
 急場凌ぎとは想えない、息の合ったコンビネーション。
「――ッッ!!」 
 すぐさまに時間を数秒消し飛ばしたかのようにして迫る、マージョリーの姿。
 雲は千切れ飛んだ事に気づかず、炎は消えたその瞬間を炎自身すら認識しない。
 ソレほどの速度で空間を疾走った二人の能力(チカラ)
 その時の狭間で。未来への軌跡に同調するようにして。
 シャナは、既に斬っていた。
(……)
 美女はその事実に全く気づかず、ただ歩みを止めただけ、振り向きもしない。
 だが然る後に峰へと返された刀撃の斬痕が、メリメリと彼女の躰に刻まれていく。
「――ッッ!!」
 同時に体内へ叩き込まれた衝撃に美女が喀血して初めて
「い、一体どっから!?」
神器を介してマルコシアスが叫び、時空を飛び越えて出現した存在を見上げた。
 炎の双翼を左右に捺し拡げ、重力を無視して空間上に屹立する一人のフレイムヘイズを。
 その直後、斬閃の余波で美女の足場が大きく音を立てて崩れ、
傍にいたラミーは間一髪飛び退いたが最早彼女にそんな余力は無い。
 機転を利かせたマルコシアスがグリモアで彼女の背に廻り込んだが、
最早戦うコト等叶わず周囲の瓦礫と共にただ陥落するのみ。
「……」
 片手に剣を携えた、重力を制する紅髪の天使が見据える先で。
 鮮やかな栗色の髪を周囲に散らばらせながら、
堕天使のようにマージョリーは群青の火の粉と共に堕ちていった。
 深い、深い。
 底など無い闇の深淵(フチ)に。









【2】


 紅蓮の双翼と流星の流法を併せ蒼炎のフレイムヘイズを
手にした大太刀で完全に討ち果たした少女は、
そのまま相手を追走する事を後回しにし空中に佇んだまま視界を巡らせた。
(!)
 目当ての人物は気流と共に開ける眼下ですぐに見つかる。
 ホールの外壁にスタンドの指をメリ込ませ、その作用で空中に固定される
カタチになった承太郎が片手をズボンに突っ込んだままこちらを認め、
立てた親指を挙げていた。
(タクシーじゃないんだから)
 シャナはちょっとだけムッとした表情のまま滑空し彼の傍へと翔け寄る。
 顔は不機嫌だが、心中はソレとは全く裏腹なもの。
 コイツの協力がなかったら、フレイムヘイズの使命は果たせなかった。
 ラミーを助ける事も出来なかったし、アノ女に勝つ事も出来なかった。
 でも抱いた想いは、何よりも強い気持ちは、感謝ではなく、誇り。
 自分達の成すべき事を、二人で共にやり遂げたという掛け替えのない充足感。
(やっぱり…… 最強、よね……私達……)
 心の中でそっと呟き、シャナはその小さな手を彼へと差し出した。
「おう」
 精悍な微笑と共にスタンドの手を伸ばす無頼の貴公子に
「“そっち” じゃなくて」
と紅髪の美少女は頬を朱に染めながらも確固たる口調で言う。
「……」
 チト強い力で掴み過ぎたか? と己を訝りながら承太郎が手を掴むと同時に
紅蓮の翼が煌めいて再び上昇を始める。
 頬を撫ぜる風と共に靡く学ランの裾。
 大の男が少女に手を引かれ飛んでいるという少々みっともない姿だが、
他に見ている人間もいないのでまぁイイだろう。
「良い 『能力』 じゃあねぇか、ソレ」
 何とはなしに承太郎がそう言うのに対し、
「欲しがっても、あげられないわよ」
シャナが面映い口調で無愛想に応じる。
「フッ、今度ジジイのヤツでも乗っけてやったらどうだ?
驚きすぎて心臓でも止めなきゃイイけどよ」
「うるさいうるさいうるさい。本当に止まっちゃったらどうするの!」
 戦闘後の弛緩した空気の中、取るに足らない会話を混じ合わせながら
シャナは高翔を続ける。
「でも、折角誉めてもらったのに悪いけど、
正直、あんまり良いイメージじゃないのよね。コレ」
「そーなのか?」
 折角発動した新たなる 『能力』 に対するシャナの意外な感懐に
承太郎は問い返す。
「そう、だってイヤでも思い出すもの、あンの “バカ犬” ……!」
 シャナはそう言って、何故かその口元を苦々しげに軋ませる。
「……犬? そいつも紅世の徒か? 飛ぶのか?」
「砂の羽根を拡げてグライダーみたいに滑空するだけだけどね。
でも出したり消したりは自由だから捕まえずらいったらありゃしない。
って、うるさいうるさいうるさい! 聞くんじゃないッ!」
「オメーが勝手に喋ってたんじゃあねーか」
 そう言って瞳を細める承太郎の、未だ知らない 『スタンド使い』
 ソイツに食べようとしていたメロンパンを取られ、
封絶の発動したニューヨークの街を追いかけ回したコト等
格好悪くて話せるワケがない。
 そこに。
「今度こそ、本当に終わったようだな」
 薄い蛍光のような光を円形状に纏ったラミーが端然と宙に浮き、
ステッキの柄に両手を添えて目の前に現れた。
「何だ? アンタも飛べんのか」
 拍子抜けしたような口調で呟く承太郎に、
「イヤ、単に浮いているに等しい状態だ。
先刻の君の機転には心から感謝している。
『今のままでは』 編むのに少々時間を要するのでな」
微笑混じりにラミーはそう告げ、落ち着いて話をする為ステッキの先で
外周に設置された螺旋階段を差した。
「……アイツ、これからどうするんだ?
今は兎も角、生きてる限りアンタを追ってきそうな、
恐ッろしい “執念” を感じたぜ」
 眼下でスローダウンのように落下している創痍の美女を、
楕円状の踊り場で一瞥しながら承太郎は先刻の惨状を想い起こす。
「ふむ、確かに畏るべき自在師、そして懼るべきフレイムヘイズだ……
が、今は当座の危難が去った事を喜ぼうと想う。
何よりアノ躰では、当面私を追うのは不可能であろうしな」
「これから、一体どうなるの? アノ人」
 その真紅の双眸を細めながら、
先刻まで互いに(しのぎ) を削っていた者へ対し
シャナが憂慮したような口調で問う。
「あの者の、紅世の徒に対する凄まじい憎しみ。
“過去” に何が在ったかは窺い知らぬが……
ソレはあの者自身が疵を受け入れ、そして乗り越えていくしかない。
“蹂躙” がそう決したように、()くまで戦い続けるというのもまた一つの方法。
我等に出来るのは、その者が現世と紅世の 『(ことわり)』 を(たが)えた時、それを制止する事のみ。
後は、あの者が自分自身で解答(こたえ)を見つけていくしかない」
「アラストール……」
 厳正とした口調に、シャナは押し黙るしかなくなる。
 中途半端な同情や感傷は、相手にとっても自分にとっても
罪悪でしかない事は、少女も充分過ぎるほど解っていたから。
 そのシャナを後目に欄干へもたれ掛かってマージョリーを見据える無頼の貴公子は、
(……どうなるか? か。まぁ、どーにもならねぇな……)
やり場のない気持ちを抱えながら心中で静かに呟いた。





【3】



 残骸の飛沫がバラバラと周囲に降り注ぐ中
まるでその部分だけ無重力空間で在るように、
マルコシアスはマージョリーの躰を己が全霊を以て支え続けていた。
(クソッタレが……ッ! オレの最愛の酒 盃(コブレット)をここまで
ズタボロにしてくれやがって……! 覚えてやがれ……ッ!
きっと今以上に他の徒ブッ殺しまくって、
テメーら全員原形留めねぇ程に咬み千切ってやる……!)
 得意ではない治癒系自在法を美女に施しながら、
狂猛なる紅世の王は眼上で佇む3つの存在に “復讐” を誓う。
 だが今はソレよりも優先するべきコトに己の全神経を集中し、
彼女の存在を支えながら心中で呟いた。
(大丈夫だ……生きてれば…… 『生きてさえいれば』 ……
おまえはまた……立ち上がれる……きっと……今まで以上に強さを増して……
ずっと……そうやってきただろう……? だから……今はもう眠れ……
これ以上……誰にも……指一本触れさせねぇから……)
 紡がれる言葉と共に美女の全身を労るように包み込む、緩やかな群青の火の粉。
 その影響か、或いは全く別の事象からなのか、マージョリーの躰が微かに動いた。
(……ッ!)
 息を呑むマルコシアスの傍らで、己の半身は震える腕を、
鮮血と焼塵に塗れたその手を、砕けた大天蓋に向けて弱々しく掲げる。
“アノ時と同じように”
 もうどれだけ手を伸ばしても決して届かない存在に、
それでも尚懸命に手を伸ばそうとするかのように。 
 その時の光景が、マルコシアスの裡で鮮明に甦る。
(まだ、戦えンのか……?) 
 心中の問いにマージョリーは応えるコトはなく、それでも手を伸ばし続ける。
 開いた彼女の胸元から、鈍い光沢を放つロザリオが音も無く零れた。
(そうか……戦いてぇのか……)
 静かな独白と共に王の裡で宿る、殉教の()
 撃つ手は、たった一つだけ遺されていた。
 紅世からこの現世に渡り来て以来、暴虐無尽に荒れ狂い
他の存在を蹂躙してきた己の 『切り札』
 何れは決着を付けたいと想っていた “アイツ” との戦いの為に永い年月を懸け、
ようやく完成させた焔の “最終変幻系自在法”
 もし “コレ” を発動させれば、存在の力を遣い果たして自分は消滅するかもしれない。
 しかし逡巡の時はごく短く、すぐにソレで構わないという想いが胸を充たす。
 コイツがそう望むのなら。
 喩えどんな結果が待ち受けていようと怯みはしない。
 ずっと、最後まで共に在ると、 『約束』 したから。
(一緒に……いこうぜ……我が永久の蒼珠、マージョリー・ドー……
おまえは最後までおまえらしく在れば……ソレで良い……)
 その言葉を最後に、異界の神器 “グリモア” から群青の炎が獣の形容を伴って
マージョリーの裡に潜り込んでいく。
 本来フレイムヘイズの力とは独立して存在する 「王の意志」 が、
再び己の力の裡に、定められた 『器』 の中に。
 その 『器』 を彩る、マージョリーの心象。
 ソレは、この世の何よりも美しく、温かく、優しく、
そして哀しい、追憶の幻想(ユメ)だった。






 幸福な、夢をみていた。
 多く望む事など、何もない。
 ただ、掛け替えのない者と一緒に、
穏やかに暮らしそして終わっていけるのなら。
 ソレ以外に、一体何を望むコトがあるだろう?
 自分が望むのは、ソレだけだった。
 たったソレだけで、良かった……






 最初から、大事なものなど何もないと想っていた。 
 でも違った、本当に大切なものは、すぐ傍に在った。
 スベテを奪われ生きていると想っていた。
 でもそうじゃなかった、絶望に囚われてスベテを捨てていたのは自分自身だった。  
 何もかもが色褪せ、赤錆て視えた自分の世界。 
 そこに “希望” という灯火を与え、照らしてくれた碧眼の少女。
 だから彼女を 「救う」 為に、限られた時間の中で周到に準備を進めた。
 決して誉められたヤリ方では、無かったと想う。
 他の誰が赦そうと、 『神』 は決して自分の行いを赦さないであろうと。
 でも、そんなコトはどうでも良かった。
 アノ娘を救う為ならば、この世の暗黒に堕とさない為ならば、
どんな悪行も 『神』 すらも殺すコトさえ厭わなかった。
 そして、同じ娼館仲間達の協力を得、
館で非合法に密売されていたモノの中から
幾つかの 『爆弾』 を盗み出し、綿密にソレを配置した。
 錆びた銅製のカンテラを手に、 “奴等” が寝静まった後、
倉庫に足を踏み入れた自分。
 仲間の協力により濃い酒の中に入れた 『薬』 により、
アノ屑共はこれから何が起こるのかも知らないまま
冬のナマズのように寝入っていた。
 次に眼が醒める場所は、間違いなく地獄の入り口。
 残酷な冷笑を口元に浮かべながら、多種雑多に積み重ねられた物品の中から
藁の敷布で巧妙に隠された奥の木箱へと続く導火線を取りだした。
 この最初の起爆が、始まりの合図。
 後は仲間達が割り当てられた順番でそれぞれ同様に爆弾を起爆させ、
巻き起こる騒乱の最中、武器と金を奪いルルゥを連れて逃げ出す。
 腐れた人間の欲望の掃き溜めで出来ていたこの忌まわしい娼館を、
ソレを造った塵屑諸共跡形もなく灰にして。
 湧き起こる背徳の恍惚感に、下腹部を中心に全身が粟立った。
「ルルゥ……もうすぐよ……」
 表層を覆う筒形のガラスを取り外し、中程まで溶けた蝋燭を外気に晒した。
「もうすぐ……終わるわ……」
 火の放つ仄かな明かりに照らされながら、口元に笑みが浮かぶのが解った。
「そうしたら……静かな場所で……穏やかに暮らしましょう……ずっと……ずっと……」
 失敗の不安も恐怖も消え、不思議と安らかな気持ちだけが心を充たした。
「ねぇ……? ルルゥ……」
 暗闇の中でも確かに存在する灯火に、彼女の面影を折り重ねながら、
ソレを導火線の先端へと近づけた。




『ククク……』



 
 そのとき、自分の背後、遙か頭上から嘲笑うような声が聞こえた。
 極限の驚駭に全身が凍り付いた瞬間、
奥の木箱から銀色の 『炎らしきモノ』 が羽虫のように次々と飛び散り、
閃光が己の全身を染め上げた。
 耳を劈くような大爆裂音。
 した筈だった。
 だが爆風に吹き飛ばされ木製の欄干を突き破った自分はそのまま一階の床張りに
無造作に叩きつけられ、数分意識を消失していた。
 やがて、混濁した意識と眩む視界に映ったモノ。
 紅蓮。
 一面の紅蓮。
 阿鼻叫喚の焦熱地獄。
 目の前に存在する全てのものが炎に包まれ、猛烈な焦熱が鼻をつき、
肺を焼くほどの大気が周囲で渦巻いていた。
 燃え盛るドアが次々と開きそこからも炎が噴き出し、
中から男とも女ともつかぬ火達磨が人間のモノとは想えぬ叫声を発し
のたうつように這い擦り回っていた。
 火の廻りが、速過ぎる。
 最初に浮かんだ思考はソレ。
 しかしすぐに誤りだと気づいた。
 仮に配置した爆弾が何かの間違いで一斉に起爆したとしても、
これほどの大惨事を引き起こすコトはなかった筈。
 万が一にもルルゥに危害が加わってはならないと、
常にそのコトを第一義として念入りに仕組んだ計画だったから。
(ルル、ゥ……?)
 信じがたい光景を前に、一番優先しなければならない存在を喪心していたコトに気づき、
己の愚かさを呪いながらその場所へ駆けた。
 炎に包まれて焼け落ちる階段を駆け上がり、
溶けたガラスと焼けた残骸の散乱する床を素足で踏み拉き、
灼熱が肌と髪を焦がすのも構わず自分の部屋を目指した。
 アノ()は、 『このコトを』 知らない。
 今日も、仕事で遅くなると言った自分の言葉を信じて、
いつものように椅子に座って待っている筈。
 部屋を綺麗に掃除して、欠けた食器をキラキラ光る位に磨いて、
一緒に眠るベッドのシーツをシワ一つなく整えて。
 先に食べてて良いって、眠ってて良いって、何度も何度も言っているのに、
それでも椅子の上で小首を傾げ、まどろみと懸命に戦いながら待っている筈だ。
 自分に 『おかえりなさい』 と、満面の笑顔でそう言う為だけに。
「ルルゥッッ!!」
 殆ど裂けるほど声音で叫び、手を焼き焦がす真鍮のドアノブを開いた刹那。
 その炎傷と裂傷だらけの自分の瞳に映った……モノ……
 何もかもが、嘘だと想った。
 そうであって欲しかった。
 この世に蔓延る、ありとあらゆる残酷な事象。
 自分はソレに、どれだけ蹂躙されても構わない。
 でも、この娘は。
 この娘だけは。



『そうなって欲しくなかった!!』



 至る所に炎が類焼した室内。
 二人で食事をしたテーブルが、共に眠ったベッドが、戯れ合った化粧台が、
火花を散らしながら燃えていた。
 その部屋の中心で、濛々と込める黒煙に身を晒されながら、ルルゥが倒れていた。
 その華奢な躰に、爆風で飛んできた木の破片が、無惨に突き刺さって……
「ルルゥッッ!!」
 瞳から透明な雫を飛び散らせながら叫び、
脇腹から血の滲む彼女の躰を可能な限りそっと抱き起こした。
 自分の声が聞こえたのか、ルルゥはそっとその澄んだアイスグリーンの瞳を開き、
呼び掛けに応じた。
「マー……姉……サマ……? あぅっ……! 痛……い……痛い……よ……」
 意識と同時に痛覚も覚醒したのか、彼女は消え去りそうに小さな声でそう漏らした。
「喋らないで! 大丈夫だから!! 絶対絶対大丈夫だからッッ!!」
 一体何が、大丈夫だったのか……
 彼女の為? 自分の為?
 しかしそれ以外の結末など認められなかった、堪えられなかった。
「……ごめんね……マー姉サマ……ルルゥ……いつも……
迷惑……かけて……ばかり……だね……
痛かった……でしょ……? ここ……まで……
ごめんね……本当に……ごめんね……」
 瀕死の状態で在っても自分を気遣う少女に涙が溢れ、想わず声を荒げた。
「何バカな事言ってるの!! アンタは私の “妹” でしょう!!
この世界でたった一人の 『家族』 でしょう!!
見捨てるなんて死んだって出来るわけないじゃない!!」
「かぞ……く……?」
 告げられた言葉にルルゥは一度放心したように問い返し、
「……そう……なんだ……エヘヘ……うれ……しいな……」
焼塵に塗れた頬で、いつもように無垢な笑顔を自分に向けてくれた。
 満身創痍のズタボロの躰に、力が湧いた。
 この娘の笑顔は、いつでも、どんな絶望でも吹き飛ばしてくれた。
 だから、護りたかった。
 護り……たかった……




『ク……!ククク……ッ!ククククククククククク……!!』



 再び、可笑しくて可笑しくて堪らないという、
淀んだ悪意に充ち充ちた笑い声が頭上から響いた。
 同時に爆発。
 反射的にルルゥを抱え込んだが一体どれほどの意味があったか。
 ただ網膜の奥に、銀色の閃光が映ったコトだけは覚えていた。




 暗転。
 どれ位気絶していたのか、風のさざめきと濃い草の匂いで眼が醒めた。
 眼前に見える赤い頽廃。
 燃えていく、そして焼け落ちていく。
 腐った欲望の館、それでも自分の生涯スベテで在ったものが。
 しかしそんな感傷に浸る暇などなかった。
 辺りを見渡しアノ娘を探した。
 爆風で吹き飛ばされたにしては、余りにも不自然な距離。
 それに自分の躰も不思議なほど傷んではいない。
 まるで空間を削り飛ばして、ソコに向かって閉じた場所へと
強制的に瞬間移動でもさせられたかのように。
 でもそんな疑問は次の瞬間跡形もなく霧散した。
(ルルゥッッ!!)
 恐怖と歓喜が同時に、狂しいほどに胸を締め付けた。
 自分から約10数メートルほどの距離。
 草むらの上で眠るように彼女が横たわっていた。
 即座に立ち上がり駆け寄ろうとする、が膝の辺りに凄まじい激痛が走り
前のめりに這い蹲った。
 視線を送った己の足が、あり得ない角度に曲がっていた。
 地面との激突で折れたにしては不可解な、
まるで別の誰かが 『この部分にだけ』 途轍もない力を込め、
捻り折ったかのように。
 しかしそんな当惑など意に介さず彼女の許へ向かった。
 足は動かなくても手は動く。
 草原を這い擦り回る蛇のように、汗と泥に塗れながらアノ娘へと近づいた。
 ゆっくりと狭まる距離が、発狂するほどにもどかしい。
 荒れた大地に散乱した石と砂利で、娼館着が裂け皮膚が破れて血を噴いた。
 何も出来ない、こうする以外何も無い、絶望的な無力感に視界が滲んだ。
 渇きにも似た慟哭が胸を張り裂いた。
(“神様” ……お願い……)
 腕を紅く染める血と共に草むらを掻き分けながら、自分は、
一度も祈った事のない、存在すら否定していた者に、
生まれて初めて心の底から祈った。
(私は……どうなっても良い……だから……この娘は……この娘だけは……)
 月明かりに照らされ白く染まる、血の気の失せた顔が眼に入った。
(お願い……神様……お願いよ……ッ!)
 透明な熱い雫が、幾筋も頬を伝った。
(ルルゥを……連れて行かないで……殺さないで……お願い……お願いだから……!)
 幸せに、ならなきゃいけないの。
 いつも、笑っていて欲しいの。
 血と泥に塗れた震える手が、ようやく少女の肩に触れた。
 そのまま強く、傷ついた躰を抱き寄せる。
 もう決して離さないように。
 絶対誰にも渡さないように。
「ルルゥ……」
 力無く自分にもたれかかる彼女に、全身に感じる温もりに、
どうしようもない愛しさを感じた。
「ルル……ゥ……」
 こんなにも優しく温かな存在が、自分の腕の中にあるなんて信じられなかった。
 このまま時が、止まってしまえば良い。
 明日なんて、永遠に来なければ良い。
 そうすれば、ずっと、一緒にいられる。
 このまま二人で、ずっと、ずっと……
 紅く染まった娼館着に彼女の顔に、途切れる事なく涙が落ちた。
「マー……姉……サマ……」
 閉じていた瞳を薄く開き、気流に霧散するような声で彼女が自分を見上げた。
「いる……の……? ど……こ……? 視え……ない……」
 損傷と同時に止血の役割も果たしていた木の破片が外れ血を流し過ぎたのか、
虚ろな瞳で彼女は手を宙に彷徨わせた。
「大……丈夫……ここに……いる……」
 柔らかな手をそっと握り、出来るだけ穏やかな声で告げた。
「どこにも……行かないわ……ルルゥ……」
 でも涙は、止まらなかった。止められなかった。
「……」
 自分の手を弱く握り返し、彼女は安らかな微笑みを浮かべた。
 全てを覚り、全てを受け入れた、そんな儚く美しい表情で。
「マー……姉サマ……ルルゥ……ね……“幸せ”……だった……よ……」
 もう映らない瞳で自分を見つめながら、少女は優しい声でそう囁いた。
「辛い……事……哀しい……事……いっぱい……あった……けど……
でも……最後に……マー……姉サマ……に……逢えた……から……」
 息が詰まって声が出なかった。
 ただ、何度も何度も首を振った。
 そうじゃない。そうじゃないって。
「本当に……毎日が……楽しかった……嬉しかった……
今までの……嫌なこと……
全部……無く……なっちゃう……位……」
 たくさん貰ったのは、自分の方。
 本当に幸福だったのは、私の方。
 まだ、何もしてあげてない。
 まだ貰ったもの、少しも返せてない。
「あり……がとう……マー……姉サマ……大……好き……だよ……」
 言わないで。
 そんな事、言わないで。
 だって、だって……
「コレ……を……」
 震える小さな手が胸元で鈍く光るロザリオを外し、そっと自分の首に掛けた。
“誰か” に与えられた 『使命』 をそれでようやく果たしたように、
安堵した表情を彼女は浮かべた。
「神様が……護って……くれる……
もう……ルルゥ……には……必要……ない……から……
だから……ルルゥの……分……まで……生きて……
そし……て……」





『幸せに……なって……ね……』





 月光に彩られた、翳りのない笑顔。
 嫌だと言いたかった。
 一人にしないでと泣き叫びたかった。
 嬉しくて、哀しくて、苦しくて、愛おしくて。 
 そしてただ、温かくて。
 温かくて……
「か……ぜ……」
 やがて、そっと耳元に届いた、最愛の者の声。
 草原を翔る夜風が、自分と彼女の髪を静かに揺ら、した。
「……キレイな……風……だね……気持ち……いいね……
マー……姉……サマ…………」
 その言葉を最後に、力無く解かれ地面に落ちた手。
 安らかな笑みを浮かべたまま閉じる瞳は、本当にただ眠っているように。
 でも、その瞬間、確かに。
 自分の心の中で、その更に深淵で。
 致命的なナニカが、粉々に砕け散った音がした。
「…………ぁ…………あ…………ああ…………ぁ…………」
 自分のものではない、別の誰かのような呻き声。
「あ…………あぁ~…………ぁ…………ぁ…………あ…………」
 継いで、咎人のような嘆きも、どこかで。
 そし、て。





『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ―――――――――――
―――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!』





 絶叫と共に双眸が裂け、紅い血涙が迸った。
 人のモノとは想えぬ哀咽が、周囲に響き渡った。
 太陽さえも凍り付かせるような、闇蒼の月。
 その無情な光の許で。
 吼え続ける愚かな獣の傍らで。
 風が、啼いていた。
 永遠の 『さよなら』 を道連れに。


←To Be Continued……

 
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