Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
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第四七話 勇気の誓い
「お客さん方東京のほうからいらしたのですか?こちらはまだまだ寒いでしょう。」
旅館の仲居さんが夕餉の片づけをしながら唯依に話しかける。
「また今晩あたり雪でも降るかもしれませんね。」
「そうなんですか?」
「ええ山が近いですからねぇ。」
地元の幸をふんだんに使った料理はなかなかに舌を楽しませてくれた。合成食品以外、しかも養殖ですらない天然の幸は今の時世、非常に貴重だ。
人工の味に慣れ過ぎてまるで舌が本当の味覚を失っていたのか?と驚いたほどだ。
「――――ところでお客さん。」
「はい?」
仲居との会話の流れに何らかの変化を感じ取った忠亮が意識をそちらに向ける。
「ひょっとして新婚さんですか?」
「えっ!?」
「いえねぇ、何だかすっごく初々しいもんで……」
微苦笑を携えて仲居さんが唯依にラッシュを仕掛ける。それにあたふたと防衛すら出来てない唯依。
「えっとあの…それは……」
「いえ、ですがそう間もなく入籍する予定です。」
「まー!やっぱり!可愛らしいお嫁さんですね。」
「恐縮です。」
唯依に代わりにこやかに答える忠亮、その横で唯依は口を金魚か鯉みたいにパクパクと開閉させることしかできない。
「では、もうすぐお布団のほう敷かせて貰います。温泉のほうは24時間入れますので。」
たん、と小気味いい音を伴って部屋の戸が閉まる。
「可愛らしいお嫁さんだってさ。」
「か、揶揄わないでください!」
仲居がいなくなったところで横目で唯依を見ながら反復する。気恥ずかしさから顔を手で覆ってしまっている唯依。
そのしぐさが一々可愛い。
「ははっ悪い悪い。機嫌を直してくれ。」
膨れてしまった唯依の頭をなでる。さらさらした髪が心地よい。
「むぅ……子ども扱いしないでください。」
「ほう、大人な扱いをご希望と……なら遠慮する必要がないな。」
しめた、言質を取ったぞ。という悪い顔になる忠亮。そしてしまった墓穴を掘ったという顔になる唯依。
「あの…その…忠亮さん。良からぬことを考えては……ないです…よね?」
「さてな。その良からぬこととやらが分からんな。」
引け腰になる唯依、それを逃すまいと抱き寄せる忠亮。
まるで獣に追い詰められ捕食寸前の野兎だ。どちらがどちらかはいうに及ばずだろう。
「だ、駄目ですよ……仲居さんがすぐに来ちゃいます……」
「それが?」
徐々に近づく二人の顔、目線を泳がせながら拒絶する唯依だがその拒絶はひどく弱々しい、それに反し心臓の拍動は強く早くなってゆく。
耐え切れずに目を瞑ってしまった―――その時だった。
おでこに柔らかい感触が降ってきた。
「へ?」
「つまみ食いはこの程度にしておくさ。」
「た、忠亮さん!私を揶揄いましたね!?」
おでこにキスをされて、忠亮にその先の気が欠片も無いことを理解した唯依が顔を真っ赤にして怒る。
「ははっ、さすがに己でも時と場所は弁えるさ。」
「うぅ…忠亮さんのばかぁ!」
「いたいいたい!ちょ、勘弁してくれ。」
ぽかぽかと忠亮の胸板をたたく唯依。年相応のその行動に少し苦笑いをしながら忠亮は彼女の連打を受け入れ、その背中に手を回す。
「……こんどお詫びをするから許してくれ。」
こんど、その言葉を聞いて唯依の連打が止まる。
その今度があるかもわからない。成功率は良くて6割。10人いれば4人は失敗する手術だ。
失敗すれば運が良くて一生寝たきり、たいていはそう遠くない未来に死ぬ。
しかも、術後には異物を人体に埋め込むために拒絶反応という爆弾を抱え込むことになる。
「絶対、ですよ……じゃないと一生許さないですから。」
「それは怖いな―――ああ、分かっているよ」
忠亮の胸元で唯依が呟くように言う。かつて、忠亮が己の婚約者に向けた言葉と同じ言葉を。
その気持ち、痛いほどに伝わってくる。
あんな思いを味わうのも、味あわせるのも御免だ。
このぬくもりを手放したくはない、だけど帰ってこれないかもしれない――――気づけば唯依の背中に回した腕に力がこもっていた。
「……忠亮さ――――。」
“こんこん”
唯依が何か言いかけようとしたその時だった。戸がノックされ乾いた音が響く。次いで仲居の声が戸の向こうから届いた。
それにビクリ!と跳ね跳ぶ勢いで忠亮から離れる唯依――――少し寂し気な男が残された。
「お布団のほうをご用意しても宜しいでしょうか。」
「は、はい!」
「では失礼したします―――おや、お邪魔でしたでしょうか?」
すっと戸が開いて仲居が入ってくくるなり、顔色を仄かに上気させた唯依と二人の微妙な距離感を見つけた仲居から揶揄いを主成分とした問が投げかけられる。
「いえそんなことはありません!」
必死に否定する唯依、むしろ肯定しているようなものだ。
「あらあら、では旦那様と奥様は温泉にでも浸かっていらっしゃったら如何でしょう?ここの温泉は湯治にも使われたそうですから旦那様のお体にもきっと良いでしょう。」
「ほう、それは楽しみだ。」
一見してわかる、片腕が無くしかも顔面に大きな裂傷―――深手を負ったであろうことはだれの目にも明らかだ。
そんな仲居の言葉に唯依のあからさまな対応に頭を抱えていた忠亮が温泉と聞いて目の色を変えた。
実は温泉が好きなのだと意外な一面を見る。
「奥様、ご安心を当温泉には美肌効果もありますよ。」
「え、ほんとですか!?」
唯依も唯依で目の色が変わる。女性にとってお肌のアンチエイジングは重要な問題なのだ。もっちり卵肌で嬉しくない女はいない。
「ええ、ですのでお二人ともごゆっくりお堪能くださいな。」
二人して仲居に見送られながら部屋を後にするのだった。
かこーん、と鹿威しのくぐもった音が響く。
「はぁ……生き返る。」
乳白色の濁った液体に体を付ける唯依。ちょっと集めのお湯に手足の筋肉がほぐれてゆくのを感じる。
「それにしても奥様と旦那様……かぁ。」
乳白色の湯面を見つめながら呟く。先ほど仲居に言われた事で嬉しさと恥ずかしさに緊張を混ぜ小茶にした奇妙な感情が胸を占めていた。
「私、本当にいい奥さんになれるかな……」
お湯の温度だけではない理由で頬を紅潮させて呟く。
自分だってそれなりに頑張ってはいると思う。だが、どうすればいいのか手探りだ。
目下、その悩みに突き当たっている真っ最中だ。
「………忠亮さんの腕、震えてた。」
先ほどの客室での抱擁、回された腕が震えていたのに気づいた。自分だけが気づけた。
彼を癒してあげたい―――本当は彼と一緒に欧州へと渡り、結果がどうなろうとずっと支えていたい。
だけど、それは叶わない。自らには為さねばならない大儀がある。
ずっと一緒に居たい、けれども別れなければならない。
そしてそれは、彼がこの試練を乗り越えた先に―――きっと必要になることだから。
彼を信じて、その先にともに歩めるように今は別れなければならない。
この旅行は、その為の心の整理をするためのモノ。
「何をすべきかは見えてるのに、何がしたいのかがよくわからない――――ううん、したいことは分ってる。でもどうすれば良いのかが分からない。なんでかな……」
今まで、自らの責務以外のすべてを切り捨ててきた代償なのか。
自分がいまやりたい事のために何を如何すればいいのかがさっぱりわからない。為すべきことだけをただ機械的にやってきただけ―――やりたい事、為すべきことこの二つが分離してしまうと篁唯依はとたん駄目になってしまう。
今までは為すべきことの先に彼との関係があって、だから好きになろうとして―――意図したわけじゃなかったけど本当に好きになってしまった。
だけど、為すべきこと―――義務が係わらないと途端に優柔不断だ。
「ああそっか……私、忠亮さんには怖いものなんて無いんだ。って勝手に決めつけてたんだ。」
なぜ、生死を掛けた手術の前に彼が震えてたという当たり前の反応がここまで心を突くのか。と不意に疑念を抱き、その答えに気づく。
彼は当たり前の一人の人間だ。未熟な自分をよく諭してくれる―――多くの事柄にすでに答えを持っている人だからそんな当たり前を失念していた。
「………バカだな私、一人勝手に浮かれて。」
少し振り返る。この旅行、彼の様子がおかしかった。
なんというか、態度がやけに陽気だった。軽薄とかそういうのではなく、なんというかこの旅行が楽しくて浮かれてたという感じに偽装した―――そうだ、彼の義兄が普段見せる態度に何となく似ていた。
振り返えなければ分からない位の微かなモノだけど、あの人の陽気さは――不自然だった。
「私に何が出来るんだろう……」
唯依の呟きは見上げた夜空に消えて往った。
湯から上がり浴衣を纏い自室へと戻る唯依、ぽかぽかと火照った体に浴衣の感触が心地よい。
温泉の効能か、お肌もすべすべのもっちり卵肌なので少しだけ足取りも軽くなる。
「忠亮さん戻ってるかな。」
女の風呂は時間がかかるという自覚はある。特に自分のような髪が長い場合、手入れが色々大変だ。
雑多な手入れでは毛先が裂けたりして見栄えが悪い。
それに、あの人が自分の長い髪を好きだと言ってくれたのだから大事にしたい。
「あれ、真っ暗……」
戸を開けた自分を迎えた暗闇に帰っていないのかな?と疑問を持ったところに声が掛かる。
「帰ったか唯依、温泉はどうだった?」
声に導かれるまま自分も部屋に入り、戸を閉める。
逆光で真っ暗にしか映っていなかった部屋は月光が差し込んでいてなんとも言い難い雰囲気があった。
そして声のほうへと視線を動かすとそこには忠亮が部屋の窓の額縁に手を置いたまま壁にもたれ掛かって夜空を眺めていた。
「はい、いいお湯でした。ところで忠亮さんは何を?」
「月見だよ。物思いに耽るにはこれが一番落ち着いて出来るからな。」
「……どんなことを想っていたのですか?」
忠亮に近づき、その横に座りながら問いかける。
「お前と出会ってから今日までの事を思い出していたよ。」
最初は軍艦の医療室だった。そこから色々あった―――本当に色々あった。
「本当に、楽しかった。これが夢なんじゃないか、いつか覚めて消えてしまうんじゃないかって怖くなるくらいに。」
忠亮の背に身を預けながらその独白を聞く。その声はまるで寒さに震えているように錯覚させる何かがあった。
「夢じゃ、夢なんかじゃありませんよ。」
その大きな背に身を預けながら唯依は確かに告げる。
「私は此処に居ます、忠亮さんもここに居ます―――だって、こんなに温かい。」
人の温もりを肌に感じる、それは確かに二人が確かに此処にいるという証明だ。
「だけど、己はもうすぐ死ぬかもしれないんだぞ。何も為せず消えてしまうのならそれは夢と変わらないんじゃないか。」
「怖いの……ですね。」
「ああ、怖いよ。己自身では何一つ出来ないというのが堪らなく怖いよ。己は己が何もできないというのが怖くて堪らない。」
自分の事なのに自分ではどうしようもない、そんな歯がゆさからくる恐怖を告白する忠亮。
何となくだが、その気持ちは理解できる。
そして、不謹慎だがその心の中に隠された弱さを見せてくれたことが嬉しかった。
「忠亮さんは怖いんですね。」
「ああ、怖いよ。己は未だ残せていない。」
此処まで来るのに既にあまりに多くのモノを対価にしてきた。ここで戦わない道を選んだ先を知っているから―――悔恨の海に沈む結末を許容なんて出来ない。
きっと、きっと何時か滅びの運命を越えられる。遠回りかもしれないけど一歩一歩を踏みしめて進む先に―――明るい未来があると信じて歩んできた。
遠い記憶にある、微かに残る優しく笑う君の顔、声、両手――――それならば地獄に落ちても鮮明に思い出せた。
何度、消えようと―――それだけは決して消してしまう事なんて出来ない。
そして、それを思い出にさせるわけには往かない。
思い出になんか、変えてたまるか。
いつかの夢に消えてしまった君を想って空を見上げるだけの日々――――あの絶望に閉ざされた日々、地獄というモノが存在するのならアレこそ正に地獄だ。
だから、信じて待ち続けた。忘却の淵にあろうと、いつの日か巡り合うのを。
そして出会えた。
なら、失わないために此処に居続けるために如何するかは分かりやす過ぎるほどに明瞭だ。だから選んだ、是非が無かった。
其処に後悔はない……だが、迫りくる死の可能性に、自分では足掻くことすら出来ないという事実が恐怖を齎す。
「じゃあ、小さいですけれど……私の勇気を忠亮さんにあげます。」
「唯依……?―――!」
疑問に振り返ろうとした忠亮の頬を包む感触、そして唇に柔らかく暖かいものが触れる。
それは渇いた大地が降りそそぐ雨のしずくを受けるときの、銀の鈴を鳴らすような接吻。
「えへへ……。」
真っ白にフリーズしていた思考が再起動する、目の前には頬を仄かに紅潮させてはにかむ唯依の姿。
―――ああ、この笑顔をずっと見ていたい。死にたくない、この陽だまりから離れたくない。
「忠亮さんはきっと大丈夫……今まで何度も生き残ってきたんです。だからきっと大丈夫。成功します。それでも不安なら、何度でも私の勇気を忠亮さんにあげます。」
「ふっ……男冥利に尽きるな。」
力強い凛とした瞳で己に言い聞かせる唯依。それが何処か眩しくて目を細めた。
もう、いい加減―――腹を括るべきだろう。
「唯依、渡したいモノがあるんだ。」
「?何ですか」
そう言って徐に立ち上がると荷物を漁り目的のモノを取り出す。
「本当は手術が終わってから渡そうと思ってたんだが……今渡したくなった。」
「あ……指輪。」
その左掌の上に載った箱に収められたモノを目にした瞬間、唯依が息が詰まったように固まった。
口元に手を当て自分と指輪を交互に見やるばかり。そんな彼女を傍に器用に片腕で指輪をつまむ。
「受け取ってくれるか?」
「………はい。」
驚きのあまり少し間の抜けた様子で左手を差し出す唯依、そんな彼女の薬指に指輪を通す。
「すごい、指輪なのに模様がある……何時の間にこんなものを……」
「以前、己が外出したことがあっただろ。その時に引き取りに行ってたんだ。」
嵌められた指輪を外から差し込む街灯と月の灯りに照らす唯依。その指輪には不思議なことに木目のような模様が浮かんでいた。
その指輪は文字通り、木目金という複数種類の金属が積み重なりつつも溶け合って出来る鋳塊を利用したものだ。
刀の波紋の様に同じような模様は作れても同じ模様は決して作れない唯一無二の指輪だった。
「生きるか死ぬかも分からない内は渡さないと決めてたんだがな……お前に勇気を貰ったからな。腹を決めたよ。」
つーと糸を引くように頬に軌跡を描きながら涙滴が流れた。
「あれ……違うんです。可笑しいな嬉しいのに……凄く嬉しいのに……」
降り出した雨の様にぽろぽろと止め止め無く零れる涙を拭う唯依。
「分かっている。大丈夫、分かっているさ。」
唯依の頭を軽くなでる。ただ一重にありったけの愛おしさを込めて―――
「忠亮さん……きっと私、いい奥さんになります。だから待っていてください。」
「待ってもらうのは己のほうだよ。―――待っていてくれ、己は必ず帰ってくる。」
涙ながら言う唯依に告げる。必ず生きて戻ると―――その意志は決めていた、他に道はないのだ。
それが自分が決めた事なのだが、時折無性に不安になる。その弱さこそ己が消し去りたいものだというのに、何をやってもどんな修練を積んでも一向に消し去る事が出来ない。
一時とはいえ別れてしまう二人、別れなければならない。これが今生の別れかもしれない。
その不安を超えて、共にある未来にまた会おう。そして一緒に歩いて行こうという約束。
約束、それは気休めに過ぎないのかもしれない。
この指輪を与えて自分が死んでしまったら、唯依はその歩みを止めてしまうかもしれない。己は守ってやれない……生きていたところで守れない確率のほうが高いがそれがやり遂げた結果ですらないというのは我慢できない。
それに、この世界に『奴』が現れ未来が訪れたとしても……もう幸福にはなれないかもしれない。
“一緒に歩んで往きたい“という願いが呪いに変わってしまう可能性がある。
その結末を想像すれば痛みと愉悦が入り混じった複雑な感情が胸をかき乱す。
だけど、渡したかった………願いが呪いに変わってしまうかもしれないという恐怖を塗りつぶして心を満たす力強い感触――――それを何というのか、よくわからない。
ただ、彼女を自分に縛り付けたいだけの妄執とは何か違う気がした。
「……私、信じてます。忠亮さんと自分を―――どんな事があっても、乗り越えられるって。」
「そうだな……己達ならきっと―――」
見上げながら瞳を潤ませながら見上げる彼女に同意する。
……出来るハズだ、この手に幸福な明日を掴むことが。
それが出来なかった俺達を知っている…………だが、俺達は己とは違う。同じ肉体、同じ原点を持つだけの別人だ。クローンや双子と同じだ。
遍歴の異なる路を歩んできた時点で己と俺は全く異なる人間なのだ。
それは唯依だって同じ、俺達がそれぞれ愛した唯依と己の愛した唯依もまた別人だ。
ならば―――その手に掴める明日は異なるモノになるハズだ。
「愛しているよ唯依……」
お前を得るためになら…たとえ世界を壊してもいいと思えるくらいに。
「はい、私も忠亮さんのことお慕いしています。」
嬉し涙で濡れた笑顔は格別の笑顔だった。
後書き
「ところで唯依。」
「はい?何ですか忠亮さん。」
唐突なふりかけに小首をかしげる唯依……どこか忠亮の表情が邪悪に染まったような予感がした。
「実は勇気がさっきので足りなくなったみたいでな…もう一度貰ってもいいか?」
「~~~~~っ!?」
「拒否権はないぞ。」
「え、あ―――」
当然、それだけで終わる筈もなく虎に捕食された兎の様に完膚無きまでに貪り尽されたのは蛇足であろう。
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