何も覚えていなくても
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第二章
健一はそのことがどうしても納得出来なくてだ、家で両親に老人のことを言うとだ。両親は息子に晩御飯を食べつつ言った。
「覚えていたくないこともな」
「確かにあるから」
「普通にお箸とか使えるなら」
「いいんじゃないかしら」
「何も覚えていなくても?」
健一は首を傾げさせてだ、老人に問い返した。
「それでも?」
「ああ、そうしたこともあるんだ」
「忘れていたいこともね」
「覚えていなくていいこともな」
「あるものよ」
「何でも覚えていないと」
それこそと言う健一だった。
「よくないんじゃ」
「いや、学校のこととかはな」
「覚えていないといけないけれど」
「世の中そうしたものもあるんだ」
「本当にね」
「じゃあお爺さんは」
あの老人はというのだ。
「それでいいんだ」
「あの人がそれでいいと言うのならな」
「いいじゃないかしら」
両親はまた孫に答えた。
「それでな」
「そういうことで」
「わからないよ」
またこう言った健一だった。
「お爺さんの言うこともお父さんお母さんの言うことも」
「まあそれはな」
「そのうちわかるわ」
両親はこう健一に言うがだ、健一はわからなかった。だが次第にだった。
彼は親しかった友達が転校したり学校で世話をしていた兎が死んだりしてだ、悲しみを知った。そして苦しいことや辛いこともだ。
知っていった、そして。
その中でだ、少しずつだった。
「こんな思いしたくないよ」
「悲しいのは嫌だよ」
「苦しいよ」
「辛いよ」
「こうしたのは覚えていたくないよ」
こう思うことが多くなった、そして。
次第にだ、老人の言ったことがわかっていった。中学になった時には。
失恋もした、それでだった。
両親にだ、こんなことを言ったのだった。
「あのさ、子供の頃お父さんとお母さんに言ったけれど」
「確か小二の頃か」
「あの頃のことね」
「うん、あの時日高さんのお話をしたけれど」
今も元気なあの老人のことだというのだ。
「あの人が覚えていなくてもいいって言ってたけれど」
「そのことがか」
「わかってきたのね」
「うん」
こう両親に答えた。
「何となくね」
「色々あってか」
「そうなんだね」
「悲しい思いもしたし」
離別や死別等がだ。
「苦しい思いも辛い思いも」
「生きているとな」
「そうしたこともあるわね」
「振られもしたし」
失恋のことも言った、自分から。
「そうした思いをしてきたら」
「わかってきたな」
「忘れたいこともあるのよ」
「そうだね」
両親のその言葉に頷いて返した。
「覚えていたくないことが」
「だから覚えているといいってことでもないんだ」
「そうでもないのよ」
「忘れたいこともあってな」
「忘れた方がいいこともあるのよ」
「うん、わかったよ」
そうしたことがとだ、健一は両親の言葉に頷いた。
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