八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
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第七十三話 一杯のお茶漬けその九
「昭和天皇もだけれどな」
「あの方もだね」
「君主だからな」
「違うよね」
「特別な方々だよ」
それこそというのだ。
「俺もそれでな」
「あの方々みたいにはだね」
「御前にもなれとはな」
「言わないんだね」
「ああ、流石にな」
「そういうことだね」
「しかし伊藤さんは親しみが持てるな」
ここでまた伊藤さんのことを言う親父だった。
「河豚も好きだったし」
「そういえば河豚の禁止令も解いたね」
「あの人がな」
「美味しいからとか言って」
「このことからも好きになったんだよ」
実は親父は河豚も好きだ、鍋もお刺身も唐揚げも。とにかく河豚というと何でも好きと言っていい位だ。冬は毎月食べている。
「河豚はいいからな」
「外国では食べられないしね」
「中国でも食ってるけれどな」
「そうなんだ」
「漢詩にもなっててな」
「漢詩にもなってるんだ」
「唐代の詩にもあってな」
あの玄宗皇帝の唐でもというのだ。
「宋でも蘇東坡って人が詠んでるんだよ」
「河豚の詩を」
「美味いってな」
「毒があってもなんだ」
「中国でも食べていたんだよ」
「そうだったんだね」
「まああたったらな」
その河豚の毒にだ。
「確かにやばいけれどな」
「死ぬよね」
「かなり高い確率でな」
だから河豚は鉄砲と呼ぶとだ、親父に言われたことがある。鉄砲も河豚も当たれば死ぬということからきた言葉らしい。
「死ぬからな」
「じゃあ用心しないといけないね」
「ちゃんと免許が必要なんだよ」
河豚を調理する為にはだ。
「それで調理された河豚じゃないと」
「死ぬんだね」
「ああ、だから美味いんだがな」
「そこは気をつけてだね」
「食うものなんだよ」
「それでその河豚をなんだ」
「伊藤博文さんが食ってな」
そしてというのだ。
「こんな美味いもの禁止するなんておかしいって言ってだよ」
「東京とかでも食べられるようになったんだね」
「大阪じゃその前からだったけれどな」
「江戸時代から」
「ああ、食ってた」
「だから大阪も河豚は本場なんだ」
「下関と並んでな」
その河豚が名物の場所だ、山口の。
「そうだったんだよ」
「そういえば下関は山口で」
「山口っていったらあれだろ」
「長州藩だよね」
「その伊藤さんの出身地だよ」
「そうだね」
「そう考えていくと面白いだろ」
親父は今は焼き鳥を熱心に食べているけれど僕に笑って言って来た。
「伊藤さんが長州生まれでな」
「河豚を食べたからこそ」
「今こうして皆河豚を食べられるんだよ」
「河豚好きは伊藤さんに感謝しないとね」
「全くだ、けれどその河豚もイタリアじゃな」
「食べられないんだね」
「店あったかな}
イタリアに、と言う親父だった。
「ヴェネツィアに」
「あの街で河豚って」
「焼き鳥と焼酎と同じ位想像出来ないだろ」
「ちょっとね」
僕もすぐに答えた。
「あからさまに違う感じだね」
「水の都っていうと何だ」
そのヴェネツィアは、というと。
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