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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第五十四話 クロプシュトック侯事件(その2)

■ 帝国暦486年5月25日  新無憂宮「黒真珠の間」 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


「ですが、困った事に出さざるを得ないようです。クロプシュトック侯が此処に爆弾を持ち込んだかもしれません」
「爆弾」その言葉が黒真珠の間に静かに広がっていった……。
「血迷ったか、いい加減な事をいうな!」
フレーゲル男爵が癇癪に満ちた声を上げる。

「そうですね。爆弾が有るかどうかは爆発するまではわかりません。爆発したらヴァルハラで会えますね」
ヴァレンシュタイン中将は静かに答えると、ゆっくりとした歩みで私たちの元に帰ってきた。
「中将……」

私が問いかけると中将は穏やかに微笑みながら答えた。
「大丈夫です。爆発するまでまだ時間は有りますから、多分ですけど」
「エーリッヒ、さっき言ったことは本当か、クロプシュトック侯が此処に爆弾を持ち込んだかもしれないって言うのは」

周囲から“爆弾”、“クロプシュトック侯”、“ヴァレンシュタイン中将”などの単語が聞こえてくる。ミューゼル大将もケスラー少将も中将に強い視線を当ててくる。しかし中将は気にならないようだ、平然としている。

「多分だよ、ナイトハルト。爆弾か、それに類するもの、殺傷能力の高い奴だ」
「落ち着いている場合じゃないだろう、早く避難しないと」
「まだその時じゃないんだ、ナイトハルト。それと逃げると言う言葉は使わないでくれないか」
「?」

どういうことなのだろう、皆が不思議に思うなか一人の軍人が私たちに近づいてきた。彼の後ろにはブラウンシュバイク公、フレーゲル男爵もいる。

「ヴァレンシュタイン中将」
その人が呼びかけると、中将はゆっくりとその人の方を見た。
「小官はアンスバッハ准将といいます。ブラウンシュバイク公に仕えているものですが、先程のお話を詳しくお聞きしたいのですが」
ヴァレンシュタイン中将はじっとアンスバッハ准将を見た。眼がわずかに細められたように見えたのは間違いだろうか。

「爆弾のことですか?」
「そうです。主も大変関心を持っています」
「……警備の責任者を呼んでもらえますか、二度手間になります」
「確かに」

アンスバッハ准将はブラウンシュバイク公の方を見た。ブラウンシュバイク公は微かに頷くと“警備責任者を呼べ”と大きな声を出した。信頼されているようだ。周囲の関心はみな私たちに、ヴァレンシュタイン中将に集中している。しかし、中将は全く気にすることなく、手に持ったオレンジジュースを飲んだ。カラカラと氷が音を立てる。飲み干すと給仕を呼び、今度は水を頼んだ。

「失礼します。小官はエルネスト・メックリンガー准将と申します。この祝賀会の警護を担当しております」
警護担当者が来たのは中将が水を貰った直後のことだった。ブラウンシュバイク公が呼んでから三十秒も経っていなかっただろう。近くにいたのだろうか。
ヴァレンシュタイン中将はメックリンガー准将を見ている。すこし面白がっているように見えたけど、どういうことだろう。

「メックリンガー准将は宮中警備隊には居なかったと思いますが?」
「今回は、快気祝い兼戦勝祝賀会ということで規模が大きくなりましたので、小官も借り出されました。黒真珠の間は小官が警護を担当しております」

「そうですか。……この部屋に爆弾、あるいはそれに類するものが仕掛けられた可能性があります」
「! 誰がそのような事を」
「クロプシュトック侯です」

「クロプシュトック侯……、しかし何故です、閣下は御覧になったのですか?」
「いえ、想像です。しかし先ず間違ってはいないでしょう」
「何故そう言えるのです?」

メックリンガー准将は訝しげだ。確かに、何故そう言えるのだろう? フレーゲル男爵は“いい加減な事を”などとつぶやいている。
「クロプシュトック侯は、陛下が御臨席になる前にお帰りになられました」
「それで?」

「侯は陛下が即位される前ですが、弟君のクレメンツ大公の支持者でした。そして陛下を散々愚弄したそうです。そのため陛下の即位後は三十年にわたって冷遇されました。そうではありませんか、ブラウンシュバイク公」
三十年も冷遇されてきた……。
「うむ。その通りだ」

「先日の反乱軍との戦いで侯は御子息を亡くしたそうです。クロプシュトック侯は跡継ぎを失いました。その後です、侯は幾つかの権門にかなりの贈り物をし、陛下や御側近の方々にとりなしを頼みました。そしてこの祝賀会に出席を許された」
「……」
皆言葉を失っている、フレーゲル男爵もだ。中将が言いたい事が段々判ってきたから。

「その侯が陛下が御臨席になる前にお帰りになられた。これは不敬罪として咎められてもおかしくない行為です。せっかく許しを得た侯が何故不敬罪を働くのか、おかしいとは思いませんか?」
確かにそうだ、おかしい。

「……確かに、今度咎めを受ければただではすまない」
「つまりここから離れる必要があったということか」
「ええ」
メックリンガー准将、アンスバッハ准将がお互いに顔を見ながら呻く様な声を出す。二人とも中将の論理を肯定せざるを得ないのだ。

「念のため、クロプシュトック侯が退出したか確認しましょう」
「それと宇宙港を確認してください」
「宇宙港?」
「クロプシュトック侯の宇宙船があれば押さえてください。もし、出港した後なら反逆は間違いないでしょう」
「確かに。すぐ確認します」

中将の言葉に従いメックリンガー准将はすぐさま携帯用TV電話で指示を出し始めた。クロプシュトック侯が退出したのはすぐ確認が取れた。宇宙港はまだ確認できずにいる。しかし、周りはみなそわそわしている。落ち着いているのは中将だけだ。ミューゼル大将でさえ不安げな表情をしている。グリューネワルト伯爵夫人が気になるのかもしれない。

中将がメックリンガー准将にブラスターを見せて欲しいと頼んでいる。こんな時によくそんな事を言えるものだ、感心するやら呆れるやらだ。中将は准将からブラスターを受け取り、よく手入れの行き届いた銃だとか、使い易そうだとか言っている。ブラスターに違いがあるのだろうか? 中将はどんなブラスターを使っているのだろう。残念な事に黒真珠の間で武装を許されるのは警備担当者だけだ。今度見せてもらおう。

「今、確認できました。クロプシュトック侯の宇宙船は先程出港したそうです」
メックリンガー准将の言葉は黒真珠の間を雷鳴のように響き渡った。
“では、爆弾が”、“早く逃げないと”などという言葉が聞こえる。私も逃げたいけれど、まずは養父を探さないといけない。

「ば、爆弾、はやく逃げないと。お、伯父上、早く逃げましょう。爆発する前に早く」
情けない声を出してブラウンシュバイク公に話しかけるのはフレーゲル男爵だ、みっともないくらい腰が引けている。そんなときだった中将が声を発したのは。

「フレーゲル男爵、動かないでいただきましょう。閣下を不敬罪で射殺します」
「!」
みな、ぎょっとして中将を見ている。先程までの喧騒が嘘のようだ。中将は穏やかな表情でブラスターを構え、フレーゲル男爵を狙っている。不敬罪? どういうこと?
「わ、私の何が不敬罪だ、こんなときに冗談をいうな」

「冗談ではありません。我々がまずしなければならないのは、皇帝陛下に危難を知らせ、安全な場所に退避していただくことでしょう。それをせずに自分だけ逃げようとするとは。クロプシュトック侯の不敬罪を話したばかりですよ、気付かなかったとは言わせません。男爵閣下には忠誠心が欠片も無い。万死に値するといって良い。」
「!」
穏やかな、笑みすら浮かべた中将の発言が黒真珠の間を流れていく。
「此処にいる全ての人が証人です。閣下には死を持って罪を償ってもらいます」

周囲は皆凍りついたように動けずにいる。ミューゼル大将、ケスラー少将、ミュラー少将も蒼白になっている。私はようやくわかった、何故中将がミュラー少将に“逃げる”という言葉を使うなと言ったのか、何故ブラスターを借りたのか。全てこれを想定していたのだ。

先日の皇帝陛下不予の一件以来、貴族の中にはヴァレンシュタイン中将に反感を持つものが多い。その急先鋒がフレーゲル男爵だ。何かにつけて中将を誹謗、中傷することで中将を押さえつけ、自分たちの力を印象付けようとしている。中将にとっては目障りだったはずだ。いつか処断しなければならないと考えていたのだろう。それにしてもこの爆弾騒ぎの中、ここまで冷徹に策を巡らせられるものなのか。この人は穏やかに微笑みながら、フレーゲル男爵が罠に落ちるのを待っていたのだ。そして誰にも知られる事無く爪を研いでいた。一体どういう人なのだろう。

「メックリンガー准将、陛下に安全な場所へ退避するようにお伝えください。それからこの場の方々もです」
「承知しました」
メックリンガー准将は中将の指示で動き出した。出席者からも安堵の言葉が漏れる。唯一固まっているのはフレーゲル男爵とその関係者だけだ。

「お待ちください、中将。男爵に軽率な言が有ったのは確かです。しかし、忠誠心が無いというのはいささか酷すぎましょう。それにこの場での処断は余りに乱暴というものです」
「お、伯父上」
「ヴァレンシュタイン、アンスバッハの言うとおりだ、フレーゲルを許してやってくれぬか」

アンスバッハ准将、ブラウンシュバイク公がフレーゲル男爵の命乞いに動いた。男爵はほっとした顔をしている。公爵が動けば大丈夫だと思ったのだろう。中将にしてもここは貸しを作って終わりにするだろう。
「残念ですが、許す事は出来ません」
「!」
ブラウンシュバイク公の頼みを断った! 皆驚愕している、あり得ない事がおきた。

「男爵閣下はブラウンシュバイク公にも逃げようと誘ったのです。帝国の藩屏たる公爵閣下にも不敬罪を犯させようとしたのですよ。許す事は出来ません。もし、公爵閣下が不敬罪を犯したらフロイライン・ブラウンシュバイクはどうなります。陛下の御血筋でありながら不敬罪を犯した父親を持つ、そういう御立場におかれることになるのです。それでも許せとおっしゃいますか?」

本気だ、本気で殺す気だ。中将はブラウンシュバイク公の口を封じた。もう公爵にもフレーゲル男爵を助ける事は出来ない。ヴァレンシュタイン中将は獲物の首に研ぎ上げた爪を突き刺そうとしている。柔らかく微笑みながら……。

 
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