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6部分:第六章
第六章
「西本さんが山田を迎えに行っておられるよな」
「今ね。確かに」
「だからだよ。俺は西本さんがああして山田を迎えに行っておられるからまだ見る」
「敗れてもいいんだね」
「負けるのは確かに無念だ」
実際に声にそれが出ている。これ以上説得力のある言葉はない。
「けれどな。それ以上に」
「それ以上に?」
「いい試合が見たいんだ」
彼の究極の本音はこれであった。そこに行き着くのだ。
「このまま負けても悔いはないな」
「本田君の言葉にはちょっと聞こえないんだけれど」
「おい、それはないだろ」
流石に今の言葉には怒る。しかし小坂が本当にそう思えないのは確かだった。彼もまた本音で語っていた。そうした間柄であるからだ。
「けれど。実際にいい試合だったね」
「最後もな」
西本はマウンドの山田を背負うようにして連れて行く。それはまさに指揮官として、漢としてあるべきだった。今彼等は漢を見ていたのだ。
「だからいいんだ。これで」
「そう。いいんだ」
「満足したよ」
また言った。
「このシリーズはな」
「じゃあ後はそれを記事に書くんだね」
「俺はジャーナリストだ」
その誇りがはっきりとあった。それがあるのならやることは一つしかない。そういうことだった。
「書いてやるさ、絶対にな」
「期待しているよ。じゃあ僕も」
「御前も書くんだな」
「うん。今の王さんのホームランを」
彼から見ても鮮やかなホームランであった。彼は王のホームランをその目で多く見てきたがその中でも。これは実際に彼の口から出た言葉だ。
「書くよ。今まで見た王さんのホームランの中で一番凄かったよ」
「そんなにか」
「うん。間違いない」
落ち着いた彼にしては珍しくはっきりとした、それでいて強い言葉になっていた。
「あれだけのホームランはなかったね」
「そうか」
「この試合、多分これからもずっと語り継がれるよ」
「そうだな。俺達の記事でな」
「僕達のそれぞれの記事で」
こう言い合う。それからこの三戦の後は四戦も五戦も巨人の勝利で巨人はまたしても日本一となった。この時の本田と小坂の記事は社内でも売れ行きでも購買者の評価でもどれでもこの新聞がかつてない程の高い評価を受けた。しかし本田はこのことには喜んではいなかった。
「負けたからな」
「まあまあ」
「そう仰らずに」
周りの後輩達が忘年会の場のあるお座敷の部屋において憮然として飲んでいる彼を必死に宥める。社内においても彼は危険物扱いを受け続けているのである。座布団の上に座る彼に後輩達が集まっている。
「記事は好評でしたし」
「今年も終わりですし」
「そう、終わりだ」
一旦その言葉に頷く。やっとこれで落ち着いたのかと一同ほっと胸を撫で下ろした。ところがこれはこの本田という男を甘く見ていた。彼はそんな男ではなかった。
「来年だ」
「来年ですか」
「そうだ。来年だ」
いきなりこう言い出すのだ。
「今だから言うぞ。あの山田が打たれたあのホームランはナインの心に刻み込まれた」
「阪急ナインの心に」
「そして何よりも西本さん、そして山田の心に」
この二人がメインイベンターであった。なおこの山田という投手は実にホームランの打たれることの多いピッチャーとして有名でもある。
「深く刻み込まれた。悲しみを怒りに変え」
「何か何処かの独裁者みたいになってきたな」
「独裁者っていうか変な宗教の教祖か?」
後輩にも相当なことを思われている本田であった。
「阪急は立つ。今後何があろうともな」
「じゃあ来年も優勝ですか」
「その通り」
酔わずともこの絶対の自信があった。酔っているがその発言はいつも通りなのが彼の凄いところであった。
「そして来年こそは巨人に勝つぞ。いいな、小坂」
「ううん、どうだろうね」
本田の横の席にいた小坂は今の本田の言葉には腕を組んだうえで首を捻る。どうにもわからないといった顔であった。
「そう上手くいくかな」
「それは嫌味か?いや、違うな」
しかしここで彼はふと気付いた。
「御前はそんなことを言うような奴じゃないな」
「うん。いや、巨人もね」
ここで彼は持ち前のその冷静な分析を見せるのであった。
「最近もう人材が」
「一杯いるだろうが」
本田は今の小坂の言葉にむっとなって言い返した。
「あれだけの人材がな」
「皆もうベテランだよ」
しかし小坂はここでこう言うのだった。
「ベテランか」
「ほら。ONにしろもう三十代だし」
言わずと知れた王と長嶋だ。やはり巨人といえばこの二人だった。この二人こそが強い巨人の絶対の象徴だったのだ。
「他の選手もいい歳だしね」
「巨人の黄金時代が終わるっていうのか」
「何でも終わりはあるものだよ」
今度の言葉はこうであった。
「巨人の黄金時代にしろね」
「そうかな」
「そうだよ。まあ来年か再来年かその後か」
そして言う。
「何時か優勝は止まるよ」
「阪急に敗れてか」
「いや、ひょっとしたら」
小坂の顔に不吉な影がさした。
「リーグ優勝できなくてそれで」
「そうですよね」
「もう長嶋さんもそろそろ」
後輩達が今の小坂の言葉に応えて口々に言ってきた。それは本田も聞いていた。
「引退ですよね」
「そうしたらもう」
「何だ、辛気臭いな」
本田は今のこの沈みかけた雰囲気に活を入れた。そのうえでまたしてもかなり強引に主張する。
「来年の阪急の日本一は巨人を破ってだ」
「はあ」
「そうですか」
「それの前祝いに今日は飲むぞ」
こう宣言すると。何と大杯を出して来た。何処からともなく出してきたそれに一升瓶で酒を入れていく。何とそれに一本全て入ったのだった。赤いその杯になみなみと注がれた酒を前にまた宣言してきた。
「これでな。もう一杯やる」
「もう一杯って」
「二升ですか」
「飲める」
破天荒な発言は続く。
「阪急日本一の前祝いにな。飲んでやるさ」
こう言うと本当に飲みだした。瞬く間に一気に飲み干す。それが終わると本当にもう一杯入れる。気付いた時にはまた一升空けてしまっていた。
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