【短編集】現実だってファンタジー
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それが君の”しあわせ”? その3
前書き
皆さんそろそろお気づきかもしれませんが、今回も食べ物系の話です。
そして、きっとこれからも……。
悟子は、外食をするときやグルメ番組を見る時によく思う事がある。
「行列に並んでる人の精神って全然理解できないんだよね」
「……それ、たった今並んでる私に対するあてつけ?」
「そんなことないよ。半分ぐらいしか思ってないよ」
「やっぱりあてつけじゃん!?」
少々遠い場所にオープンしたラーメン店で昼ご飯を食べよう、と間宵に誘われた際には、確かに悟子も反対意見はなかったのだ。ラーメンの味はよく分からないが、麺類全般がそれなりに好きな悟子に反対する理由はなかった。
しかし、それはあくまでスムーズに昼食に入れる場合だ。
「私はご飯を食べにここまで来たのに……なんで行列してまで並ばなきゃならないの?ねぇ間宵、向かい側のファミレスならそんなに混んでないからあっちに行こうよ?」
「イヤよ。アタシはここのラーメン屋に行きたかったからここに来てるの!!」
これだ。この感覚が悟子にはさっぱり分からない。
昼ごはんとは昼ご飯を食べるという結果が重要なのであって、満腹中枢を満たすことが究極的な目的だ。その為には迅速に店に入り食べ物を注文する必要がある。つまり、ひとつの店に留まって待ち時間を浪費するのは目的達成と相反する行為であると言わざるを得ない。
だったら悟子としてはファミレスに行くなり、ここからもう少し離れたハンバーガーショップに行くなり、もっと時間を無駄にしない効率的な行動をしたい。
ところが、この考えがどうしても間宵のそれとは一致しなかった。
間宵は食べ物に対して並々ならぬ拘りがある。悟子が食べられれば何でもいいのに対し、間宵は食べる物を予め決めている場合が多い。だから自分が食べたい物の為ならいくらでも待つし、その間は別の店に行くという妥協は許さない。
結果、いつものように悟子はしょうがなく間宵に付き合うハメに陥っていたのである。
(いっそ私だけ別の店に行こうかなぁ……)
幸か不幸か、まだラーメン屋に辿り着くまで10分以上はかかりそうな様相だ。ラーメンはラーメンを食べたい間宵が行き、間宵は一旦別れて別の場所で昼食を済ませ、改めて合流すればいい。そうすればこれ以上待つこともないし、間宵とて嫌とは言うまい。
時折思うのだが、間宵の食べ物に対する『しあわせ感』はお金もかかれば時間もかかる。お腹に入れば安くてもいい悟子の『しあわせ感』に比べて、より多くの余裕が必要になる。しかも彼女はグルメなので味へのこだわりも妙に強い。悟子からすればかなり損気な気がする。
(あれ………でも、今焦れてるのは間宵じゃなくて私の方だ……)
間宵は盛大に待たされているにも拘らず、大して苛立っている様子も見せない。それに、そこそこ遠出していることも気に留めていないし、目当ての食べ物が思ったより高額だった場合も特にストレスを感じているようには見えなかった。
すごく短期で損気に見えるのに、今のこの状況だけは立場が逆転している気がする。
そして、その理由は……
「うふふふ………このラーメン店『なかむらぁめん』はニンニクの香りと独特の甘みが強い豚骨スープが最高に美味しいって評判なのよぉ……醤油も塩も味噌もいいけど、やっぱり豚骨は九州人の基本よね!」
(す、すごく楽しそう……!これから訪れるであろう至福の食事に想いを馳せてるんだ……!)
それは、食を追求する者だけが分泌する幸せ物質――ヨダレ。ただ食欲だけ満たせればいいという安い感覚で食事をする悟子には決して辿り着きえない境地。彼女にとっては待つことさえもグルメの一部なのだ。
なんて馬鹿らしい、と思うかもしれない。
しかし、こーいう子供の時から変わらない子供っぽさこそが間宵という女なのだ。
それを誰よりも知っているのが、他ならぬ悟子ではないか。
(もう……しょうがないなぁ間宵はさ)
もしもここで自分だけ別行動を取れば、間宵はきっと寂しがるだろう。元気なさ気に麺を啜る間宵の姿が容易に想像できた悟子は苦笑した。
しょうがない、今日は間宵に付き合ってあげよう――そう思った刹那、行列の後ろから悲鳴が上がった。
「ぎゃああああああーーーッ!!!」
どさり、という音が続き、咄嗟に振り向いた悟子はそこでとんでもない存在を発見した。
そこには泡を吹いて崩れ落ちる男性と、その男性の後ろに佇む巨大な人だった。
――大きい。身長162センチの悟子より頭二つ以上大きく、明らかに身長2メートル近くはある。肩幅も巨大で、おおよそ日本人とは思えないサイズだ。しかし、それ以上に悟子が驚いたのが直視するのが辛いほどにブサイクな顔だ。粘土を拳で殴りつけて完成させたようなある意味奇跡の造型は、この世の神秘を感じるほどに――申し訳ないが悟子から見てブサイクだった。
しかも、よく見たらつけまつ毛や付け爪をして、その唇はルージュで赤く染め上げられている。そしてその服装は完全に女物のそれ。
(あれ……あれ女の人ぉッ!?)
一瞬男性かどうか確信が持てなかったが、悟子の乙女的な直感が彼女を――いや、もう彼女というよりマウンテンゴリラだが――が女性であることを(決してメスではない)告げていた。
そのゴリラ女は倒れた男性を足でどけて一歩前に出る。尋常ならざる気配と悲鳴に気付いて震えあがった手前の男性が「ヒィィッ!!」と叫び声をあげる。まさか、さっき倒れたあの男性はゴリアンヌ(今命名した)に剛腕で倒されてしまったのでは――そう思った瞬間、悟子は身の毛もよだつものを見る。
(は、鼻に指突っ込んでホジッてるぅ……ッ!?!?)
ずぼっ、ぬっこぬっこ……と擬音が付きそうな動きで鼻をほじったゴリアンヌは、はなからゆっくりと指を抜く。その指の先端には、何を食べたらあんなの出来るんだろうと思うくらい黒い特大のハナクソが付着していた。
ぞぞぞぉっ!!とその光景を見た全員の背筋に悪寒が奔る。
一部の人に到ってはうめき声を上げて目逸らすほどの衝撃映像だったが、さらに衝撃的なのがその後だった。
べちょっ、ぐりぐりぐり………と、ゴリアンヌはハナクソを目の前に並んでる男性の顔面に押し付けたのだ。
(うわぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!!)
「ぎゃぁぁぁぁぁああああああーーーッ!!!」
悟子が余りの汚さに内心で悲鳴を上げると同時に、ハナクソダイレクトを受けた男性は断末魔のような悲鳴をあげる。そして、余りの精神的ダメージを受けた男性は白目をむき、泡を吹いて先ほどの男性のように倒れた。
「グフフフ……一分一秒でも早くこの店のラーメンを食べるために、アンタラ邪魔なのよ」
よく見ると彼女の後ろにも無数の犠牲者が倒れ伏している。可哀想に、彼らは悲鳴をあげることも許されない程恐ろしいショックを受けたのだろう。どうやら途中から割り込みをしたらしいが、彼女の後ろに並んでいる客は恐怖のあまりに一歩も前に出ることが出来ていない。
「う……うわぁぁぁぁぁッ!!」
「ヒィィィィィィィッ!!」
眼前で繰り広げられた恐怖映像に、ゴリアンヌの前に並んでいた客が一斉に逃走する。ラーメン一杯を食べるためにハナクソダイレクトを受けるぐらいなら日を改めて食べる方がマシだと考えたのだろう。悟子も全く以て同意見である。
「ま、まずいよ間宵!あの人こっちに近づいてる!!私たちも急いで逃げよう!!」
「うへへへへ~~~……らーめぇん……らぁめぇ~ん」
「だ、駄目……!空腹の余りラーメンの事しか考えてない!!」
ずしん、ずしんと恐怖が迫っているにも拘らず、間宵は悟子の声が丸で届いていないかのように列に並び続ける。後ろの恐怖映像に気付かせようと肩を揺さぶったりもするのだが、一種のゾーンに突入した彼女は全く列をどく気配がなかった。
「グフフフフフフフ…………身の程知らずの小娘が二人も残ってるわねぇ」
(ひぃぃぃえぇぇぇぇぇぇぇっ!!め、目をつけられてるしぃぃぃぃぃ~~~~ッ!?)
ゴリアンヌはこちらを見てまるで獲物を見つけたようにニタァッと笑って鼻に指を突っ込む。間違いない、このまま悟子たちにハナクソダイレクトをお見舞する気だ。あの鼻どんだけハナクソ入ってるんだろうか……もしあんなものの直撃を受けたらさしもの間宵も2,3日は寝込むだろう。それだけ恐怖な上に非常に汚い攻撃なのだ、あれは。
(もう一人で逃げる――!?だ、駄目……間宵ちゃんを置いていくわけにはいかない!もういっそ顔をひっぱたいて――!!)
「悟子と一緒にらぁめん食べるのぉ~……大じょぉぶ、ここはニンニク抜きも出来るからぁ~……♪」
「ッ……………」
ぴたり、と。
間宵に叩きこもうとしたビンタが止まった。
(間宵ちゃん、私と一緒に食べることまで考えて並んで………)
普段はまるでこちらのことなど考えていない癖に、既にリサーチで悟子の嫌いなニンニクに関する情報をきっちり仕入れてこの店を選んでいる。間宵はいつも人の事をまるで考えていないようなのに、それでも人を誘う時はいつだって相手も笑顔になれるように考えている。
そんな純粋な彼女の笑顔を、ここで崩してもいいのか?
「よくないよね……分かったよ間宵。ここは――私が命を賭けてでも護り通す!」
もうゴリアンヌは2メートル先にまで迫っている。鼻から抜かれた指先には、この世の全ての穢れを集めてもまだ足りないほどに不快感を喚起するハナクソが付着している。あんなものを擦り付けられれば人間は正気を保てないのは自明の理。それでも、悟子は引く気はなかった。
(死んだおじいちゃん、私に力を貸して!!)
悟子は嘗ておじいちゃんに教え込まれた古武術を思い出し、その両腕をゆっくりと前に出す。
直後。
「グフフフフ………フゥアッ!?」
ハナクソダイレクトの準備をしたゴリアンヌが驚愕に目を見開き、足を止めた。
「そ、その構えはまさか……!!」
両指を引っ掻くように丸め、胸の前で手首を交差させるその構え、さながら牙を剥き出しにした虎の如く。そして放たれる眼光は正に猛獣のそれ。悟子の姿を見たスーツ姿の男が驚愕の声をあげる。
「あれは……西湖滅刀流獄技――『猛虎の構え』!?なぜあんな若い女の子があの構えを!?」
「知ってるのか、リーマンさん!?」
「ああ……あれは古代中国拳法の流れを汲む究極の拳術、西湖滅刀流!!その昔、鉄製武器を掲げて攻め込んできたモンゴル帝国に対抗するために自らの指を刃物の如く極限まで研ぎ澄ませた事で完成したと言われている!繰り出される攻撃は一撃一撃が敵の身を引き裂くほどに鋭く、中でも『猛虎の構え』は完全な一撃必殺の技を繰り出すための構えだ!!」
ゴリアンヌはその構えを知っている訳ではない。だが、同じく必殺の技を持つ存在として、本能的に彼女の構えの危険性を悟った。
――ハナクソダイレクトが命中するより前に、あの子の一撃が身を抉るッ!!
「グゥッ………!!」
戦えば負ける。そう確信したゴリアンヌは、引き下がる他に選択肢がなかった。
「おぉぉ~~~~!!これが『なかむらぁめん』評判のこってり豚骨のもやしラーメン!!んんっ……ずぞぞ………オイシイッ!!」
「ホントだぁ。こってりしてるのに甘味があるね!」
「おっ?何よ、悟子ったら文句言っていた割には上機嫌じゃない!味音痴の癖に一丁前に食レポみたいなこと言っちゃってぇ!」
「あ~~っ!!間宵ったらそういうこと言っちゃうんだぁ!別に私はあっちのファミレスでご飯食べてもよかったんだからね!?一人さびしくラーメン啜る間宵が可哀想だからわざわざ待ってて上げたんだよ!?」
その日のラーメンは、心なしか今までのラーメンより特別に美味しい気がした悟子だった。
後書き
……ゴリアンヌは今日の夢に出てきた恐ろしい敵をモデルにしています。というかほぼまんまです。撃退できなかったら今日一日寝込んでたと思います(真顔)
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