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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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38.悪霊の軍団

 
 鎧という代物に憧れはじめたのは一体何歳頃の話だったろうか。
 重厚な造り、人を模しつつも力強い造型、鈍く輝く銀色の光沢。幼いころの少年にとって、それは『力』の象徴であり憧れになった。いずれあんな風に風格と気品にあふれた鎧を身に着けたいという夢を抱くほどに一途な想いだった。

 しかし、小人族に生まれた少年の身体が鎧を着こなすに相応しい体格を備えることは決してない。その事実に気付いた時、彼は親を恨んだ。どうして自分が小人族に連なる血族として生まれてしまったのかと嘆き、現実に打ちひしがれた。これが一度目の挫折だった。

 やがて嘆くのに()いた彼は現実を見据え、次の夢を抱いた。
 鎧を着ることが出来ないのなら、鎧を作る事は出来ないだろうか。
 最高の鎧を作りたい。巨大な王国で最強の騎士が纏うような、偉大な鎧を作りたい。着るのではなく、作り出す側になって鎧の雄姿を見て、そこに嘗ての憧れを投影したい。少年は鍛冶師見習いとしてファミリアの門を叩いた。

 待っていたのは過酷な現実だった。少年の小さな体と細腕では力仕事の鍛冶に耐えきれず、雑用の素材運びにさえ支障をきたした。同僚たちに罵倒され、嘲笑され、見下され、少年は再び自分が小人族に生まれたことを恨んだ。少年はその環境に耐えきれず、最初のファミリアから半ば強制的に追放された。これが二度目の挫折だった。

 二度目の挫折のショックが大きく、彼は暫く鎧の事を考えることが出来ないほどに落ち込んだ。その頃にもなると少年は青年とも呼べる年齢になり、現実的な生活を見定めてファミリアを選ばざるを得なくなった。この日から少年は辛うじて身に着けた鍛冶の能力を全力で磨きながら様々なファミリアに入ったが、どこで作業してもヒューマンとトワーフに後れを取った。
 種族的な先天性の才能の欠如。同僚の嫌がらせ。碌な仕事を回してもらえずに飯泥棒と罵られた数は幾星霜。だが、彼は心のどこかでこう思っていた。

 ――三度目の挫折を甘んじれば、もう自分は二度と現実に勝つことが出来ない。

 青年は底辺の更に淵、落下寸前の崖っぷちに死に物狂いで齧りついた。ここまで来ると漸く冒険者としての恩恵が機能を始め、無理をして作業を行うだけ少しずつステイタスが伸びてきた。純粋な小人族としての筋力を越えた恩恵の力が彼の後押しを始めた。

 これ以上は誰にも負けられない――一歩でも引いたらまた駄目になる。そう固く信じた青年は、周囲からの嘲りや罵りに真っ向から抵抗した。時には暴力を受けて大怪我をすることもあったが、その分だけ最大限の嫌がらせで仕返しをした。そんな問題のあるファミリアを好き好んで置きたがる神はおらず、青年は崖っぷちのままいくつものファミリアを転々とした。

 青年が元服を済ませて大人になった頃、大きな転機が訪れる。
 『ウルカグアリ・ファミリア』――散々鍛冶界隈を回された挙句に流れ着いた工芸ファミリア。このファミリアでとうとう彼の努力が反映される。鍛冶関連で弱いこのファミリアで、意外にも彼の鍛冶などに関する知識が大きな影響を及ぼした。憧れを追い続けて早10年、やっと咲いた職人としての華だった。

 運気は彼に向いていた。仕事は充実し、理解ある神を主神に持った。それから親友とある冒険者に出会い、その仲を急速に深めていった。


 そして―――。


 ――――――。


 結局、彼はその後10年近く、鎧を作れないまま時を過ごした。
 作ることが出来ない環境にあった時期が数年、作れる精神状態になかったのが数年。
 忌まわしくも絡みつく過去に一応の区切りをつけたころには、冒険者を始めて20年が経過しようとしていた。

 気が付けば年齢は既に40を過ぎ、今となっては工房に他のファミリアを迎え入れる気概も湧いては来ない。まるで工房という名の鎧に身を包んで外を拒絶したかのように、アルガードはここにある。消えずに燻るの鎧への情熱に薪をくべ、全てから目を逸らすように仕事を続けていた。

 だが、つい一か月前――燻る俺の熱に、憎悪という名の油を注ぎ込む出来事が起きた。




「………続けてください」

 目の前の少年――パラベラムは、ごくりと唾を呑み込みながら、ペンとメモ帳を握ってこちらをまっすぐに見つめてきた。メモ帳の表面は手汗でくしゃくしゃになっているが、文字だけはしっかりと書きこまれ続けている。若いながら真摯な瞳だ。
 若いというのはいい。どこまでも自分に正直で真っ直ぐにいられる。
 人生で一番無謀で、脂の乗っていて、未来に繋がるものをたくさん抱えて生きている。

 だからこいつを生かしている訳ではない。本来ならば神聖なるこの作業場に土足で上がり込んでいる時点で反吐が出る思いだ。だが、この男もまたあの召使いと同じように僕に益がある。だから追い出さずに置いてやっているのだ。

 僕がこれから目的を終えて報われるまでの道筋を、僕以外の愚図共が何も知らないまま終わるのが面白くない。だから僕は最後の日に僕の工房に訪れた哀れな少年を語り部に選んだ。天の齎した偶然か、少年は僕が『確認』の為に読んでいた新聞とやらを発行する『新聞連合』の人間だという。

 せいぜい、僕の崇高なる仕事を面白おかしく書き残して飯の種にでもするがいい。
 真実をそのまま伝えるのならそれも好し。
 内容を改竄するならしてもいい。僕はそれを地獄(タルタロス)の淵で嘲笑うだけだ。

 ただ、僕が殺したという事実(きず)が世界に残るのならばそれでいい。



 = =



 アルガードの部屋の扉は、床に十数個も並べられた美しい鎧の最奥にあった。
 それ程広いとは言えない廊下に所狭しと整列した鎧は、まるで王の城に立ち並ぶ騎士たちのように整然としていた。まるで玉座に続くカーペットのようだ、とルスケは何とはなしに思う。一つ一つの鎧は全てが少しずつ持っている武器や意匠が違っており、彼の鎧のコレクション趣味の深さを感じさせる。

「ここがアルガード様のお部屋です」
「…………」
「あ、あの……ブラス様?」

 ブラスはそれに返答せず、静かにドアに耳を当てた。
 今はとにかく内部の状況が知りたい。ルスケには言っていないが、最悪の場合既にパラベラムは殺されている可能性があった。静かに指を剣に這わせながら耳に神経を集中させる。

『――トリックには苦労したよ。あれは僕の職人としての技術に加えてとある魔法を使う事で実現させたんだ。都合のいい瞬間に発動させるには『神秘』だけでは不十分だったからね。……詳しく聞くかい?』
『……お願いします』
『知識欲に素直だね。いいだろう、教えてあげよう……僕が連中を始末した華麗な方法をね』

(……随分興味深い話をしているな。今回の事件の話なのか?一方的に喋っている方がアルガードで相槌を打っているのがパラベラムだな)

 やや一方的な会話と相槌、そしてかすかに紙の上をペンが滑る音がする。書いているのは恐らくパラベラムという男。態々ペンとメモ帳を取り上げずに喋っているのは犯行を隠す気がなくなったのか、それとも話の終了と同時にパラベラムを始末する腹積もりか。
 
 今から突入してもいいが、まだアルガードの腹積もりが見えない。もう少し話を聞きたい所だが、流石にこちらの態度を見かねたモルドの態度が変わった。誰しも自分の主の会話を目の前でいきなり盗み聞きされれば快くは思わないだろう。

「………お客様、速やかにドアから耳を離してもらえま――」
(静かにしろ)

 会話の流れからアルガードが犯人なのはほぼ確定。となればもうモルドに用はない。

「かっ……?」

 手早くモルドの首筋に手刀を叩きこむと、モルドはあっさり失神して崩れ落ちた。無防備な人間ほど意識を落としやすい相手はいない。床に叩きつけられる前に物音で気配を悟られないよう手を添えてやろうかと思ったが、意外にも反応の早かったルスケが力ない体を受け止める。
 目算以上の重さによろけてたたらを踏んだが何とか持ちこたえたルスケは、若干ながら非難がましい目でこちらを見やる。

(やけに手慣れてるッスね……ったく、野蛮なんだから)
(文句でも?)
(山ほどあるけど今は心の内に仕舞っておくッス。それに……モルドさんに逮捕の瞬間は見せたくないッスから)

 少し意外に思った。先ほどまではアルガードが本当に犯人か疑っていたにもかかわらず、彼の瞳には諦めにも似た落ち着きがある。まるで今では完全にブラスと同じ結論に到っているかのようだった。ブラスの目線に気付いてか、ルスケはうんざりするように頭を振る。

(悔しいけど、これまでのアンタの行動には無駄が無かった。なら、モルドさんを気絶させたのは逮捕の妨げになるから。だから容赦なく最も効率的な方法を取った……つまりそういうことなんッスよね?)
(そうだ。それに、こちらで話がこじれると中のパラベラムに飛び火しかねない)

 別に死人が出たからどうだと言う訳ではないが、助けるにせよ助けないにせよ手間は大して変わらない。ならば態々得る物の少ない選択をする必要もないだろう。ルスケもその言葉に感銘したりはしなかった。今のブラスの眼にはパラベラムの命を助けようなどという使命感や熱が全く籠っていない。そこに人道的な思いやりという物は存在しない。考えているのは数値的な目標達成へと至る筋道だけだ。

(アンタ、犠牲さえ出さなきゃ何でもやっていいって思ってるっしょ)
(ああ)
(だと思った……人間の情を逆なでする癖に、情と実情を天秤にかけるのがお上手だ。合理主義って奴ッスか?美人なら許されるって言う奴はたまにいますけど、俺はアンタが嫌いッス)
(それでいい。俺なんかに惚れたら奴はお気の毒だ)
(そりゃ皮肉ッスか?実体験ッスか?そーいう遠回しに物事をぼかす所も嫌いッス)
(そうか)

 会話を続ける気が無いと言わんばかりに淡白な返答をされたルスケは、顔を顰めながらもモルドを廊下の向こう側へ抱えて行って寝かせた。おそらくあと数十分は目を覚まさないであろう彼に微かな憐憫を抱く。同時に、その憐憫がどれほど傲慢であるかにも。

 何故なら、これから起こることがモルドを傷付けると分かっていても決して止まる気が無いから。例え彼がどれほど強い想いで止めようとしても、罪人は必ず連行する。彼はその事実に深く悲しむだろう。ルスケはそれを憐れんでいるのだ。
 自ら作り出した悲しみに苦しむ人を、元凶の自分が憐れむ。
 悪いのは犯罪者だと理解はしていても、それを傲慢と思わずにはいられない。

(実情がどうであろうが悪人は悪人。親しい人がしょっ引かれたらお気の毒。秩序の為なら致し方なし、ね………この人の前で同じコト言えるほど無神経にはなれねぇッスよ、俺は)

 資料の上で発生している物事などこの世には存在しない。
 「百聞」を圧倒的に上回った「一見」という現実に、ルスケは静かに打ちひしがれた。



 = =



 計画は簡単なものだった。尤もらしい甘言で愚図な8人を騙すだけだ。
 あの事件は連中にとってはさぞ忌まわしい汚点だったのだろう。仔細は奴に任せていたから知る由もないが、新聞を見れば不審死の知らせと被害者の名前くらいは分かる。奴は上手くやった。僕もまた、上手くやった。

 百合の花の香りを嗅ぐと、今でもあの日の殺人計画を鮮明に思い出す。百合の花は奴が持ってきたのだ。奴なりに思う所があったのだろうが、確かにこの香りは作業効率を高めてくれた。

 話が逸れたが、トラップアクセサリを渡すことそのものは難しくはなかった。だが、当の渡すトラップ作りは難航した。大前提としてこのアクセサリは確実な殺傷能力、確実な発動、そして発動時期をある程度コントロールできる必要があった。

 まず最初に一撃で相手を致命に到らしめるための方法に苦心した。
 一番に考えたのは仕込み毒のトラップだ。腕輪でもなんでも体に密着させたものならいい。原始的かつ確実に対象を殺すことが出来る。しかしこれでは何かのはずみに誤作動する可能性を排除できず、また発動のトリガー設定が複雑・大型化するために諦めた。

 次に、魔剣の欠片を使った殺人トラップを考えた。
 魔剣を特殊な技術でバラすと刃の欠片に約一回分の魔法を使う力が残される。上手く利用すれば手投げ弾のように強力な威力を出せる。後はこの欠片を内包するアクセサリに『神秘』のスキルで付与効果を与えれば時限爆弾のように扱うことが出来ると考えた。しかし、実際に作ってみると魔法が暴発する方向をコントロールするのが難しく、下手をすれば重傷にすら至らない可能性がある。
 威力を上げるためにもっと大きな欠片を使う手もあったが、殺人のトリックが大型化して不自然な形状になってしまう。これも諦めざるを得なかった。

 いくつかの方法が頭の中に浮かんでは消える。早い段階で計画は行き詰まった。だが、それを察した奴は一つの本を寄越してきた。『魔導書(グリモア)』だ。

 内容を改めた僕は正直驚いた。

 そこには『現象写し(フェノメノンシフト)』と呼ばれる全く新しい魔法が封入されていた。この魔法は簡単に言えば『特定の現象や情報を物質に転送する』もの。この現象の定義には、物質は含まれないが純エネルギーに近い魔法が含まれる。つまり、これさえあれば魔剣の欠片と同じ効果をほぼノンスペースで行える。

 選んだのは電気の魔法。理由は最も命中率が高く、発動時の反動を考慮する必要が殆ど無いからだ。外見には死人も分かりにくいから初動が遅れて蘇生の可能性が低いのもポイントだった。後は『神秘』によって電撃が確実に持ち主に当たるためのいくつかの工夫を折り込み、その中に電気の魔法を封入。
 『現象写し(フェノメノンシフト)』によって移された現象は込めた魔力の量で持続時間が違うので、魔力消費量を媒介に込めた『神秘』でコントロールすることで、確実に殺害できる。

 一日おきの殺害になったのは、奴の提案だ。あいつも中々にえげつない事を考えた物だ。



「――まぁ、こんな所だ。理解できたかい?」
「ええ。懇切丁寧な説明で非常に助かりました」

 『新聞連合』のパラベラムは神妙な顔で頷いた。これでもう一度説明しろなどと余計なことを言ったら腕の一本でも捻ってやろうかと思っていたが、餓鬼の癖に物わかりはいいらしい。これで犯行動機、犯行内容を伝え終えた。もうこれ以上喋ることもないだろう。

「では、話は終わりだ。とっとと出て行ってもらおう」
「……一つだけ、まだ重要な事を聞いていません」
「なんだと?」

 パラべラムは間髪入れずに僕に質問を投げかけた。

「――貴方はこれからどうするんです?態々『新聞連合』に自分の情報を渡したのは……何故です」
「ふむ……」
「貴方が8人の人間を殺害した理由も方法も分かりました。おそらく8人目も死亡したのでしょう。ならば目的は達成されている。俺にそんな内容を話さなければ、殺人容疑をかけられるリスクを減らしてそのまま職人だって続けられるかもしれない。そのリスクを冒してまで俺をメッセンジャーボーイにしたのは何故です」

 一瞬苛立ちの余り殴り飛ばしてやろうかと考えたが、確かにそれを伝えておいてもいいのかもしれない。我々はどこから来た何者で、どこへ行くのか――この街のどこかで聞いた言葉だ。その先人の言葉に習い、向かう先を示しておくのも吝かではない。

「百合の花を散らせた罪人の数と死んだ人間の数がまだ合わない。……僕にはもう一人、この手で殺さなければいけない存在がいるんだよ。そして……いや、いい。とにかく僕は僕の言葉を残す人間を用意しておきたかった。それだけだ」
「………分かりました」

 パラベラムはそれ以上聞かずに椅子から立ち上がると、ハンチング帽をかぶり直して、換気用に空けていた工房の窓に近づく。慣れた足つきで窓の外に出ると、顔だけを窓から出す。

「俺……どんな結末になろうと、貴方の語った真実は絶対に手放しません。こんなことを言うのは人として間違ってるのかもしれないけれど、ご武運を……しからば!」

 一礼して、パラベラムは路地裏に消えて行った。
 結局、この神聖なる工房を汚したことを咎めないまま送り出してしまった。最初は強い殺意を持っていた筈なのに、何故だろう。まぁ、いい。最後の仕上げを始めよう。作業台の中に大量に入れてあった魔力回復ポーションも魔法の実験ですっかり空になった。その中の中身が残った一本を抜き取り、一気に飲み干す。

 酷い味だ。モルドのミルクティーで口直しをしたい。モルド――僕は何故モルドにあれほど怒っていたのだろう。分からない。いや、もう考える必要もなくなる。仕事前だと言うのにやけに体に倦怠感が圧し掛かるが、全力で堪え、ありったけの魔力を絞り出す。

『法則の糸を手繰り寄せろ。我が手は影を支配し現を動かす悪霊のしらべ――宿せ、操れ、複製された現実たちよ――!!』

 瞬間――自分の意識がどこか遠くへ旅立つのを自覚する。


「後は頼んだぞ――『複製された』僕」
『確かに任されたぞ――オリジナルの僕』


 直後――アルガード・ブロッケの身体は椅子から崩れ落ちて目を閉じた。



 = =



 それは、一瞬の判断だった。
 ブラスは情報を収集したうえでパラベラムが十分遠ざかったことを確認し、扉を吹き飛ばそうとした。だが、彼の詠唱が耳に入った瞬間、周囲に異変が起きた。

 ぎちぎちと金属が擦れ合う音、がちがちと金属同士がぶつかる音。
 廊下に響き渡る無数の異音が二人を取り囲む。

「え……ち、ちょっと何ッスかこの音?」
「………ルスケ、鎧から離れろ」
「鎧から………って、まさかこの音鎧の中から――?」

 しかし、言われてみればこの周辺で音の鳴りそうなものなど鎧しかない。恐る恐る横の鎧に目をやった瞬間、ルスケは見てしまった。

 鎧の兜の隙間からこちらを覗く、鬼火のような灯を。

「ヒッ!?な、何ッスかこいつ!?中に何かいるッ!!」
「違う、中には何もいない……そうか、ネックレスと同じ原理で自分の魂を……まずいっ」

 その瞬間、ルスケの視界に突然工房の天井と後ろに吹き飛ぶような浮遊感が襲う。遅れて自分の足が浮いている事に気付き、やがて何が起きているのかを理解する。これは恐らく、ブラスに力づくで襟首を引っ張られているのだ。その証拠に……ものすごく、喉が絞まる。

「ぐええええええええッ!?()()()()ぬぅぅぅぅッ!?う゛ぉろじでぇぇぇぇぇッ!?」
「我慢しろ!あの場にいたら鎧共に刺し殺されるぞッ!!」

 直後――廊下にあった数十にも及ぶ鎧たちが一斉に動き出した。

『あいつを殺す。あいつを殺す。あいつを殺頃比ころころころころろろろろろろ………』
『ピオぉ!ウィリスぅ!僕を置いてかないでよぉ!僕をねぇ?僕?僕は僕を僕の僕が僕はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』
『計画成就の為に時間は無駄に出来ない!無駄は美しくない!無駄は殺す!無駄は排除!排除排除ぉ!!肉体も排除ぉ!!』
『r2「yqjy8xjk6bb¥kっじr2「yqjy8xjk6bb¥kっじr2「yqjy8xjk6bb¥kっじr2「yqjy8xjk6bb¥kっじ』
『これが僕……僕の新しいからだぁ!!ああ、あはははははは!!素晴らしい、この身体なら僕を馬鹿にして来た愚昧な連中を皆殺しに出来る!!偉いのは僕正しいのは僕この世界の支配者は僕ぅッ!!』

 どうにか距離を離したところで半ば強引に着地させられたルスケは、そのまま先導するブラスを追いかけるままに必死で走る。

「なんなんあなななななな何なんですかあいつらぁ!完っ全に狂ってんじゃないですかぁぁぁぁッ!!」
「連中みたいな喋り方をしてないで走れ!お前が近くにいては迎撃も出来ん!路地を出て裏街道まで誘導するぞ!!」

 いつの間にかブラスの脇には先ほど向こう側に置いてきた筈のモルドまで抱えられている。出入り口前で急ブレーキをかけたブラスは扉を蹴り飛ばして外に脱出する。背後から迫る夥しい鎧の足音に急かされたルスケも必死の形相で飛び出した。

「はぁっ、はぁっ!チックショウ何なんだアレ!もしかして新種の魔物をテイムして敷き詰めてたんッスか!?」
「その方がまだマシだったかもな……!アレはもっとイカれた方法で鎧を動かしているぞ!」
「どうやって!!」
「自分の魔法を媒介にして、鎧の一つ一つに自分の記憶や人格などのパーソナリティ複製を定着させたんだ!純エネルギーに近いアストラル体としてな!」
「一般人の頭でもわかる言葉でお願いしまッス!!」
「自分の魂を切り取って鎧に無理やり押し込んだ!!これでいいか!?」
「分かりたくないけど理解しちゃったッス!!」

 アストラル体とは魂に限りなく近い概念であり、魔法より更に純エネルギーに近い存在だ。恐らくアルガードは予め鎧の全てに『神秘』を用いてアストラル体を定着させる器として体裁を整えていたのだろう。そして『現象写し(フェノメノンシフト)』を使って自分の思考をアストラル体として鎧へ一斉に送り込んだのだ。動力は全部アストラル体そのものの『魂の力』と補助魔力だろう。

 しかし大量に送り込み過ぎたのが原因か明らかに感情が明後日の方向に突き抜けており、ほぼ理性は喪失しているようだ。大半はブラスたちを追跡しているものの、残り半分は反対方向へ駆け抜けたり壁にぶつかったりと出鱈目な動きをしている。

『兎は鳥だ!狐は何だ!ジャッカルのはく製をシカ角で串刺し!!あは、あは、あは!!』
『鎧を眺める時はまず斜め下からその威光を確かめるように見上げそこから足先から腰にかけての絶妙な曲線を撫でながら愛でるそして腰のくびれの可動範囲を確かめつつ胸部プレートをそっと外しししししししししししし、し、白銀ぇぇぇぇぇぇッ!!!』

 がしゅん、がしゅん、と重さの感じられない足音が押し寄せる。ブラス一人なら振り切れる速度だが、ルスケが全力疾走しても全く引き剥がせる気配がない。厄介だな、とブラスは思う。あちらは肉体的な疲労が無いからアストラル体と魔力の両方のエネルギーが尽きるまで常に全力で行動が出来る。
 しかも、あの鎧たちは段々と動きにぎこちなさが消えて速くなっている。最初は鎧の身体に完全に適応していなかったのを、ノロノロ逃げる目標を追いかけるうちに慣らされてしまったのだろう。そう、まるでステイタスの上昇に慣れずに体を動かす練習をする冒険者のように――

「待てよ……『恩恵』は魂に刻まれた『情報』……!」
「あの、ブラスさん!!連中ただの鎧にしては足が速すぎないッスかぁ!?」
「この予想は当たっていて欲しくないが……魂の情報と同時にアルガードのステイタスまで受け継いでるのかもしれん!!」
「もう何もかも出鱈目だぁッ!!」

 次々と見に降りかかる不幸にルスケが天を仰いで叫ぶ。
 アルガードも小人族の職人とはいえもう20年以上冒険者をやっているのだ。ギルドの登録ではレベル1となっているが、『神秘』のアビリティがある時点で明らかにレベル2かそれ以上だと考えるのが妥当だろう。つまり、税金対策でレベルをサバ読みしている可能性が高い。

 スタミナが半無限で、しかも一体一体が最低でもレベル2の冒険者並みの身体能力。こんなものがあれば一人でちょっとした軍隊を作ることさえ可能だろう。しかし、それとは別にブラスには一つの疑念があった。

(これだけの術を行使した術者(アルガード)は、果たして無事でいられるのか……?)

 自分自身の魂を情報として出力するだけで脳には果てしない負担がかかるはずだ。余りのストレスに人格や性格に異常を来たしてもおかしくはない。それを、何のためにかは測りかねるがこんな使用法をすれば――いや、それは護衛対象を安全な場所に移動させてからにしよう、とブラスは考え直す。

『生贄が足りないのです!?か!なララ貴方のためメメに荒侘なイきぇニ嬰のそっ首かげげげげげげgrrcsユーの生き血をサクリファイス!!』
「くそが、護衛対象がいるんじゃ無理は出来んか……!」

 鎧の中でも最も小さな個体が2M近くある槍を掲げて凄まじい速度で突っ込んでくる。
 ちっ、と舌打ちしたブラスは剣を抜いて距離を取りながら考える。力づくで強引に吹き飛ばして後ろの鎧たちに衝突させたいが、それをやるには抱えているモルドが邪魔だった。

「ガラではないが、切り裂く!」

 槍も鎧も上物ではあるが、切り裂くことだけに集中すれば斬るのは難しくはない。それに、こちらの剣はオリハルコンを惜しげなく使ったヘファイストスの最上級品。対してあちらの槍は精々が鋼製。素材的にも斬れないことはない。

「ふッ!!」

 微かに速度を落として槍の鎧に近づき、瞬時に居合のような瞬撃を槍に叩きこむ。
 ブラスの刃は吸い込まれるように槍へと飛び――


 直後、凄まじい手応えと共に刃が弾かれた。


「な……!?」
『ドワーフは死ね!ドワーフは生きる価値なし!ドワーフは穢れた一族!ドワーフは死刑か奴隷!!』

 鎧は何事もなかったように狂気を感じる叫び声を上げながら槍を振り回す。何故自分の斬撃がああもあっさり弾かれたのか――あの『異常なまでの手応え』は何か。瞬時に考えを巡らせたブラスは、まさか、と逼迫(ひっぱく)した声を漏らす。
 疑惑を確かめるためにブラスはその鎧に2発の斬撃を立て続けに叩き込む。鎧の足、関節の脆い部分、それぞれにぶつかった剣からは先ほど槍から感じたものと全く同じ手応えが返ってくる。
 
「間違いない……鎧も武器も両方が『不壊属性』だ!!」
「は………?『不壊属性』って………つまり、壊れないんスかあの鎧!?」
「ああ、壊れない!アルガードめ………アストラル体とは別に『現象写し(フェノメノンシフト)』で『不壊属性』の性質を鎧に複製していたんだ!!」

 『不壊属性』――このオラリオ内でもごく限られた存在が、非常に高価な資材と多大な時間を費やしてやっと製造することが出来る属性。その力は万物の法則を塗り替え、決して衝撃で壊れる事はない。たとえ装備者の命が消し飛ぼうとも、それはだけは原形のまま残る――文字通り壊すことが不可能な物質属性。その物質法則を、アルガードは複製したのだ。

 理性は持たず、冒険者並みの能力を持ち、そして決して壊す事の出来ない鎧――『悪霊軍団(レギオン)』。

「待って下さいッス!俺達の後ろにいる鎧ってざっと見渡しても屋敷の中にいた鎧の半分くらいッスよね!?もしかして、もう半分は街に野放しッスかぁ!?」
「面倒ばかり起きやがって……こんなことならばレフィーヤでもいいから頭数を増やして来ればよかったッ!!」

 ブラスは事ここに到って、他の冒険者を一人でも連れてこなかったことを後悔した。
  
 

 
後書き
いよいよ戦闘開始になります。
あ、ちなみに戦闘やってる間はアズ一行の出番はありません。 
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