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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  心の温度差

 晴れてインゴットを入手したマサキたちが四十八層の主街区まで帰って来た時点で、既に時刻は午前一時を回っていた。真夜中だというのにご機嫌なエミと別れたマサキは、ホームに着いて武装を解除するなり、アイテム整理もそこそこにベッドへ倒れ込んだ。低階層のダンジョンとはいえ、この時間帯にネームドモンスターをたった二人で相手取るのは流石に疲労が溜まるものだ。

「これで、ようやく終わったか……」

 息を吐きながら思い浮かべるのは、ついさっきまで一緒だったエミの顔だった。思えば、自分でも知らないうちに随分と親しくなったものだ。ちょっと記憶を辿るだけで、笑った顔、むくれた顔、怖がる顔と、様々な表情が頭をよぎる。
 ――だが、それもこれで終わる。近付いたのなら離れればいい。親密になったのなら、疎遠になればいい。顔を合わせない、というのは流石に難しいだろうが、二言三言交わすだけの関係に戻るくらいはできるだろう。
 音の一欠けら、光のひとひらすら存在しない部屋にそんな思いを漂わせつつ、マサキは意識を手放したのだった。

 翌日。たっぷりと惰眠を貪ったマサキが目を覚ますと、視界の隅に未読メールを示すアイコンが点滅していた。
 マサキにメールを送ることができるのは、現状では《鼠のアルゴ》ただ一人。インスタントメールという可能性もなくはないが、それを送るためにはマサキと同じ層にいなければならず、マサキの住居を知っている必要がある。そこまでの情報を知りえている人間ならアルゴを通じてメールを送る方法を選ぶだろうから、このメールの――少なくとも直前の――差出人はアルゴで間違いなかろう。
 寝起きの頭ながら素早くそこまでを推測したマサキは、中身に視線を投げた途端、眉間にしわを寄せた。メールの大本の差出人がエミだったからだ。
 くだらない内容だったら返信すらせずにゴミ箱へ叩き込んでやる……内心でそんな覚悟を決めたマサキの目に飛び込んで来た文章は、しかし思いもがけず短いものだった。

 ――“リズと連絡が取れないの! アスナと一緒に探してるんだけど、フレンドリストの位置追跡も使えなくて……お願い、助けて!”
 マサキはその文をたっぷり十秒間は見つめ。呆れ果てたように大きく息を吐いてから、最低限の支度のみを済ませてホームを後にした。



 エミからのメールに添付されていたマップデータを頼りに、リズベットが最近オープンしたという武具店へ急ぐ。別段分かりにくい場所に建っていたわけでもなく、迷わずに店まで辿り着けたのだが――

「おい――」

 マサキが街の外周に向かって一目散に走り去るピンク色のショートカットにエプロンドレスの後ろ姿を目にしたのは、ちょうど店のすぐ傍までやってきた時だった。マサキが会ったことのあるリズベットとは髪色も服装も違ったが、シルエットと身長が記憶上のリズベットと一致していたため慌てて声を掛ける。しかし聞こえなかったのか、あるいは聞く気がなかったのか、少女はわき目も振らずに駆けて行ってしまった。
 前髪をかき上げながら、どうしたものかと思案するマサキ。マサキの足なら少女に追いつくのは難しいことではないが、あの走りようを見るに、何か込み入った事情がありそうだ。何も知らないマサキがのこのこと割り込んだところで、事態は悪化すれど好転することはない。そもそも、それは少なからず事情を知っているであろうエミたちに任せるべきことで、マサキが関知することではないのだ。

「マサキ! おい、マサキ!」
「キリト……? お前まで何故こんなところに」

 リズベットと思しきシルエットが街角に消えていくのを見送ったマサキが振り返ると、相も変わらず全身黒ずくめの剣士キリトが凄まじい勢いで駆けて来た。ブーツの底から火花を散らして急停止した彼は、泡を食ったように口を開く。

「今、女の子が走っていかなかったか? えっと、髪がピンクのショートヘアで、服は赤系の、えっと、エプロン……」
「エプロンドレスか?」
「そうそれ! やっぱ見かけたのか!?」

 覆い被さるように身を乗り出して詰め寄ってくるキリト。その慌てようを見たマサキの脳裏に、ピンと閃きが走った。

「そこの通りを南に走ってったよ。……しかし何が起こったかと思えば、お前がリズを連れてダンジョン探索とはな」
「え、どうしてそれを……」
「ついさっき、エミからリズが行方不明だって連絡があってな。アスナが一緒だとは言ってたが、お前のことはどこにも書いてなかった。しかも、リズを追って最初に来たのが敏捷値に勝るアスナではなくキリト。となれば、お前がリズと()()()()()()に行っていたと考えるのが妥当だろう」

 SAOにはフレンド限定の位置追跡機能が備わっており、相手がどこにいるのかを知ることができる。が、それは街や一部のフィールドに限定された話で、ダンジョンや迷宮区にいる場合は機能が使えない上にそのフレンドが《回線切断(ディスコネクト)》――つまりは死亡している場合と同様フレンドリスト上の名前がグレーで表示される。とはいえ戦闘経験などロクに積んでいないであろうリズベットが単独で圏外に赴くとも思えないため、誰かが一緒にいるのだろうとマサキは内心で当たりをつけていた。そして、そこへキリトが現れたというわけだ。

「そう、か……」

 キリトは暫し目を白黒させた末、今度は一転して黙り込む。

「行かないのか?」
「……ああ、行く。行くさ」

 キリトは何度か首肯(しゅこう)したものの、言葉に反して彼の身体が動く気配はない。マサキが怪訝に思いつつ再び促そうと口を開けると、それを遮るようにキリトが伏し目がちに言った。

「マサキの言ったとおり、リズとダンジョンに行ってた。二人だけで、パーティー組んで。……珍しいだろ?」

 キリトはおどけたように笑ってみせる。斜めに歪んだ口角には、自責と自嘲がない交ぜになって滲んでいた。
 よもやそんな言葉を向けられると思っていなかったマサキは、口を僅かに開けたまま数秒硬直し、「まあな」という同意の声を吐き出した息に混じらせる。

「最初はそんなつもりなかったんだけどさ。気づいたら、売り言葉に買い言葉って感じでパーティー組んでた。そしたら、ダンジョンでトラップに引っかかって、二人とも死に掛けで一晩足止め喰らってたんだ」

 その時の状況を思い出すようにどこか遠くを見ながら話すキリトを見て、マサキは何となく彼の言わんとしていることを察した。キリトの視線が指なしの黒革手袋に包まれた彼の左手に注がれ、次いでマサキを見据え。その瞳に優しげな光が満ちた。

「その夜、リズの手を握って……すごく温かかった。この人は生きてるんだって、いつか死ぬためじゃない、生きるために生きてるんだって思えた。……俺も、マサキもだぜ」
「……そうか」

 ――相変わらずな奴め。
 マサキは心中で苦笑を漏らしながら、ほんの僅かだけ切れ長の瞳を細めた。
 命というものに誰より敏感なのが、このキリトという人物だ。あるフィールドボス討伐の作戦会議で、NPCを囮に使う作戦に対し「NPCだって生きている」と強硬に反対したのは記憶に新しい。そんな奴だからこそ、今のように、あるいは五十層の時のように、暗闇を抱えてなお他人を気遣えるのだろう。

「その言葉は、リズに言ってやれ」
「ああ。……じゃ、俺行くよ。サンキューな」

 キリトは線の細い顔に笑みを浮かべると、猛然と加速してリズベットの後を追って行った。漆黒のロングコートを激しくはためかせた彼の背中がみるみるうちに縮小されていく。

「あ、マサキ君! 来てくれたんだ!」

 何故自分の周囲には、余計な世話を焼きたがる人間がこんなにも多いのだろう。
 まるで図ったかのようなタイミングで背後から聞こえてきたソプラノに、マサキは嘆息を隠すことができなかった。



 リズベットはその後十分ほどでキリトと共に店へ戻ってきた。店で待っていたアスナと交わした笑顔からは少々無理をしているような印象を受けたものの、先ほどどこかへ駆けて行った時に垣間見せた悲痛さは幾分薄らいでいるようだった。
 何はともあれ、これで役目は終わった。そう考えたマサキは、談笑にふける四人を尻目に早々と退散しようとした。
 ……のだが。

「何故俺まで……」
「まあまあ、せっかくここまで来たんだし、インゴット一緒に取りに行ったんだもん。剣ができるまで、もうちょっとだけ付き合ってよ、ね?」
「男なら一度決めたことをいつまでもぐちぐち言わないの!」
「一度だって了承した覚えはないんだが……」

 エミと、何故かアスナの強い意向によって、エミの武器が完成するのを見届けることになってしまい、マサキはごとごとと響く水車の音に紛れて深々と溜息をついた。その前方で、リズベットがエミから受け取った《プレアデス・インゴット》を丁寧な手つきで炉の中に入れる。

「武器種は片手用直剣でいいのよね?」
「うん。とびきりのやつをよろしくね!」
「出来上がりのパラメータはランダムなんだから、そんな期待されたって困るわよ。それに、さっき鍛えたやつが会心の出来だったからね。今度はあんましよくないのになっちゃうかも」
「大丈夫大丈夫。その時はまたマサキ君とインゴット取って来るから!」
「誰が行くか。ギミックは分かったんだ、勝手に行って取って来い」
「えぇ!?」

 すげなく断られたエミがややオーバーに驚くと、工房にいたマサキ以外の全員が思わず吹き出した。その光景に場違いな雰囲気を覚えたマサキが口をへの字に曲げていると、エミたちと同じように笑っていたリズベットが炉の中から赤熱したインゴットを取り出す。ハンマーを手にインゴットの前で膝を着いた彼女の顔につい数秒前までの笑顔はなく、色濃く浮かんだ真剣さが工房中の空気を引き締める。

「さてと、始めるわよ」

 誰のとも分からない、生唾を飲み込む音。リズベットはハンマーを高々と振り上げ、反動をつけて真っ赤に輝く金属塊に叩きつけた。高く澄んだ鎚音(つちおと)が、振り下ろされるハンマーと同期して、二回、三回と工房に響き渡る。
 武器を一から鍛え上げる場合、インゴットを叩く回数が多ければ多いほど完成した武器のパラメータは高くなる。今後ある程度長期に渡って使い続けようと考えるならば、成功か否かのボーダーラインは二百回といったところだろうか。
 集った全員が固唾を呑んで見守る中、一定間隔で響く鎚音は百回を危なげなく通過。そのまま百五十回に達すると、《その時》が近付いたことを察したメンバー間の緊張が一段階張り詰めたものに変わり、同時に左手の裾が誰かに握られた。相手が誰かなどと分かりきったことを確かめることもなく、マサキはそれを振りほどこうとしたのだが、予想以上に強い力で握られているらしくビクともしなかった。こうなってしまえば雀の涙ほどの筋力値しかないマサキに打つ手などなく、諦めと投げやりさを込めて左手のコントロールを譲り渡す。
 食道から遺産が逆流してくるかのような吐き気にも似た不快感に耐えること、更に数分。一定間隔で続く鎚音が、やがて二百三十回を数えたところで――不意にリズベットの手元から光が漏れた。その光は一瞬のうちに目を開けていられないほどの強烈な閃光に膨れ上がり、工房中を真っ白に塗りつぶす。思わず目を瞑ったマサキが目眩ましの余韻で明滅を繰り返す視界を閃光の放射元に向けると、そこでは未だ光を放ち続けている長方形の物体が、今まさに変形していたところだった。
 まず目を引いたのは、仄かに青みを帯びた銀白色の刀身が放つ光沢だ。インゴットの時から放っていた、しっとりと濡れたような艶やかな輝きは、他の武器とは全く別のテクスチャーマッピングが施されているのではと思ってしまうほど。薄い刃に細い刀身と相まって、一級の美術品としても通用するであろう優美さだ。水色で円形の鍔と銀白色の柄が続くシルエットは、片手直剣としてはやや短め。リーチがない分取り回しはしやすいだろう。

「おおっ……」

 その美しさに目を奪われていたらしいキリトが、思わずといった風な声を漏らした。自分の武器でもないのに、と非難する人物はこの場にいない。声を漏らすのも仕方ないと周囲を納得させるだけの美しさを、その剣が持っていたからだ。

「《ネスライトブレイド》――これも初耳ね。多分、名鑑には載ってない剣だと思う。試してみて頂戴」
「……うん」

 銘を確認したリズベットから、エミは真剣な表情で剣を受け取ると、ウィンドウを操作してそれを装備。マサキたちから数歩離れて構え、感触を確かめるように、二、三度振るった。空気が切り裂かれるひゅんひゅんっという音と共に、白銀の剣閃が現れては消える。

「わ、これ、凄い……扱いやすいし、手にも馴染んで……さっすがリズ!」
「褒めたって割引はしないわよ。……まあでも、あたしも驚いてるわ。まさか、このレベルの剣が二本続けてできるなんてね」

 口調こそ冗談めかした風のリズベットだが、その顔には我が子を褒められた母親にも似た誇らしさが浮き出ていた。エミと二言三言交わした後、心なしか弾むような足取りで鞘を見繕いに保管スペースへ向かっていく。

「あ、あのぅ……その剣、ちょびっとだけ振らせてもらったりは……」
「ちょっと、キリト君! そんなみっともない真似しないの!」

 ウズウズと両手を震わせるキリトをアスナが叱りつけると、工房に温かな笑い声が満ちる。そんな光景を、マサキはどこか遠くを見るような眼差しで眺め――。
 音もなく、何も残さずに。文字通りの瞬間移動でその場を去ったのだった。



 ほんの一瞬だけ暗転した視界に、見慣れた一本道が色彩を伴って飛び込んでくる。黒ずんで判読不能な木彫りの看板を掲げ、昼前だと言うのに開店の兆しが見えないNPCアイテムショップが一軒と、十軒程度の民家しか存在しない殺風景な田舎道。もう住み着いて一年以上を数えた《ウィダーヘーレン》のメインストリートだ。
 マサキは《瞬風(ときかぜ)での遠距離転移によって課せられた長時間の硬直を《夕凪(ゆうなぎ)》によって無効化し、自由になった両脚で未舗装の道に踏み出す。足裏から伝わる仮想の音と衝撃を感じながら考えるのは、つい数秒前まで見ていた光景だった。
 皆が笑っていたあの工房で感じた温度差は、マサキがこの仮想空間に飲み込まれた“異物”であるということの、何よりの証明だった。
 そう、“仮想空間”。
 エミがマサキの袖を握り締めた緊張感も、
 リズベットが顔に出していた誇らしさも、
 キリトやアスナの笑い声も。
 全ては当人たちにとって現実と何も変わらない。だからこそ、ああやって心から泣き、笑い、誇っている。
 でも、自分は違う。
 マサキにとって彼らが浮かべる表情は、コンピュータグラフィックスが貼り付けたテクスチャでしかない。この空も、大地も、水も、空気も、全てがバーチャル、仮想なのだ。
 いっそ、この記憶さえ仮想であったなら。クリック一つで綺麗サッパリ消去できるような、デジタルなものであったなら。だが、それだけは仮想にならなかった。周囲全てが仮想の世界に取り込まれておきながら、“自己”という概念だけは仮想になることを許さなかった。この世界のそんなところが、たまらなく(いや)らしい。
「人を騙すには、嘘の中にほんの少しだけ真実をしのばせるのがいい」とは、本当によく言ったものだ――仮想の右手で仮想のドアを開けながら、マサキはそんなことを思った。 
 

 
後書き
 穹色の風版「心の温度」編は、以上で完結となります。



 エミさんの新たなる相棒、《ネスライトブレイド》ですが、ローマ字では《Nestle light Blade》と表記します。意味としては、「寄り添う光の刃」といったところでしょうか。他にも幾つか似たような案があったのですが、一番文法的におかしくないものを選んだ結果こうなりました(これが間違っていないとは言ってない)

 実は単語をそのまま読むと「ネスレライトブレイド」になるのですが、語呂重視ということで「ネスライト」表記に。ほら、ちょっとネイティブっぽい発音だと近くなるじゃないですか。

 ネスレライト
   ↓
 ネソゥライト
   ↓
 ネスライト

 みたいな(暴論)ああ、マトモなネーミングセンスが欲しい(切実)

 気を取り直して、次は拙作が先日評価ポイント1000に到達した記念と致しまして、短編を幾つか投稿する予定です。ちょっとしたサプライズも用意しているつもりですので、是非お楽しみに。 
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