ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド 後編
剣煌く霧の女神
鋭く光る物騒な切っ先を向けられたエミは、しかし怖じることなく、握り締めた片手剣を半身になって構えた。もしあの剣にHPを吹き飛ばされれば、その瞬間に現実世界で自分が被っているナーヴギアに脳を灼ききられてしまう――そんなリアルな死の恐怖が、身体中の毛を逆立てて這い回る。
――ううん。大丈夫。
チラリと目を隣に流すと、理知的な切れ長の目を細めて刀を構えるマサキの姿が目に入り、途端にそれまでの恐怖感が嘘のようにエミから抜け落ちていく。
――だって、自分を孤独から救ってくれた人が隣に並んでくれているのだから。
あからさまな敵意を向けてくる女神を冷静に見つめなおしたエミは、マサキからの指示に短く返しつつ飛び出そうとして。
「え……?」
風を切る小さな音と共に飛び込んできた光景に、思わずエミは目をみはって硬直した。今の今まですぐ隣にいたはずのマサキが凄まじい速さで女神との距離を詰めたかと思うと、地を蹴って急上昇、文字通り目にも留まらぬ剣速で女神の頭部を斬りつける。
――速い。
反転し、更に斬りかかろうとするマサキを目で追いつつ、エミは改めて見せ付けられたマサキの敏捷パラメータに舌を巻いていた。
トップスピードはもちろんのこと、そこに至るまでの加速力と速度を全く殺さずに跳び上がった跳躍力が恐ろしく高い。もし今の一撃を女神の視点から見ていたならば、十メートル先に立っていたマサキが姿を消し、次の瞬間には目の前で刀を振るっているように見えただろう。
「わたしだって……!」
自分に言い聞かせ、片手剣を今一度握りなおす。自分だって攻略組の一員なのだ、このまま黙って呆けていられるわけがない。
マサキには到底及ばないものの、自分の持てる全速力で女神に駆け寄る。と、鬱陶しい小蝿を払いのけようとするかの如く、女神が剣を左肩の上に持ち上げた。その予備動作から攻撃を予測したエミは、攻撃を中断して射程圏内から跳びずさりながら、念のため左腕に装着したバックラーを体の前に構える。マサキも同じように女神から離れた直後、ライトエフェクトをまとった剣が袈裟斬りに振り下ろされた。
――今!
そこからの派生攻撃や衝撃波等の二次攻撃がないことを確認するや、エミは思い切り飛び出した。走りながら上体を前に倒し、剣を体の左に構える。瞬間、ソードスキルのプレモーションを検知したシステムがエミの体を突き飛ばすように加速させる。――片手剣突進技《レイジスパイク》。先ほどのダッシュとは比べ物にならない速さで女神までの距離を駆け抜け、向うずねに深々と突き刺す。短めの技後硬直の後、片手剣三連撃技《シャープネイル》を発動し、爪で抉ったような三本の傷を女神の左足に刻み込む。
「鬱陶しい……」
頭上から降ってきた声にエミがはっとして顔を上げると、エミを狙い済ましたように真下に向けられた剣先が、エミの体を串刺しにせんと振り上げられていた。防御か、回避か。頭に浮かんだ二つの選択肢から、エミは即座に後者を取った。というのも、エミの持つ盾は片手剣戦士の例に漏れない小さなもので、小型モンスターならともかく大型のフロアボスが繰り出す攻撃を受け止められるほどの防御力はない。そこまでいくとタンク職の出番だ。
エミは女神の体を盾にするように両脚の間をダッシュで後方へ抜け、振り返って一気に跳躍。マサキほど敏捷値の高くないエミのジャンプでは、頭部まで跳ぼうとすると飛距離的にやや心許ない。が、最高到達点で体をやや後ろに倒すと突進技《ソニックリープ》を発動。足りない高度をスキルで強引に埋め、誰もいない床に剣を突き刺している女神の頭部を薙ぐ。
空中戦をすることになるのなら、スカートの下にスパッツを履いてくるんだった――などと少々緊張感に欠ける後悔をしながら、女神の肩を足場に剣を左腰へ引きつける。体の制御がシステムに取って代わられ、右手が水色の剣閃を残して水平に振るわれる。ヴェールの奥から女神がこちらを睨むような気配。
「っ、やぁっ!」
エミはそれを気のせいだと断じつつ、続くモーションに合わせて剣を振るった。横薙ぎから今度は縦斬り。更に身体を一回転させて再び水平斬り。最後に振り切られた腕を左上に跳ね上げてから振り下ろすと、ちょうど正方形になった剣の軌跡が一瞬だけ眩ゆく輝いて飛び散った。水平四連撃スキル、《ホリゾンタル・スクエア》だ。
「――堕ちよ」
攻撃を告げる声とエミの硬直が解けるのはほぼ同時だった。エミは躊躇なく肩の上でバックステップを行うと、くるりと一回転して着地。見上げると、一本目が半分ほどになったHPバーの上にかざされた女神の剣先が一際強く光を発した、かと思うと、そこから幾つもの光でできた剣が現れ周囲に降り注いでいく。
遠距離攻撃――!
エミは無数の剣から自分に向かってくるものを選別すると、その予想着弾地点を避けて走り出す。幸い女神から数メートルも離れれば剣の密度はさほど濃いものではなく、逃げる方向さえ間違わなければ回避、あるいは防御することは十分可能だ。とはいえ剣たちが生成される女神の頭上では殆ど避けるスペースが存在せず、この攻撃は一定数のプレイヤーが女神の頭部を攻撃することで発生するのかもしれない。
数秒間の攻撃を回避のみで凌ぎきったエミは再度女神に向かって走り出していく。
「愚かな……嗚呼、何と愚かな……!」
最後のHPバーが危険域まで落ち込んだ瞬間、女神が突然苛立ったように声を張り上げた。
「マサキ君! パターン変更あるかも!」
「解ってる!」
短いやり取りの後、二人は一旦離脱して距離を取る。すると、巨大な両刃剣を高々とかざした女神の踵が浮いた。そのまま剣先が天井に着きそうな高さまで上昇したところで、今度は巨大な剣の全体が白く光り輝き始める。
「――天翔ける光の剣たちよ。愚かなる人間たちに滅びを与えよ!」
そして激しく部屋中に響き渡った声に呼応するように、地面のあちこちが白く円形に光り――
――違う!
「跳べ!」
マサキの鋭い声が部屋の空気を切り裂いてエミに届くのとほぼ同時、エミは横っ飛びでその場を離れた、まさにその直後。直視することすらかなわぬ猛烈な閃光が、寸前までエミの立っていた場所を焼き尽くした。
受身を取りつつ降り注いだ光の帯に目をやったエミは、間一髪脱出できたことに心から安堵した。先ほど地面が白く染まったのは、地面が光ったからではなく、空からの光に照らされたから。つまりは、最後のあがきとも言うべき攻撃の着弾地点を示していたのだ。
起き上がった自分の足元に再び光が映っているのを感知し、エミは素早くその場を離れる。先ほどの遠距離攻撃よりよほど濃密ではあるが、今回はたった二人で挑んでいることもあって、壁際に追い詰められない限りは何とかなりそうだ。
これほどの大技を繰り出したのだ、この後女神はかなり長い硬直時間を課せられるはず。それまで回避に徹し、硬直と同時に反撃に転じて一気にボスのHPを削りきれば……勝てる。
「……うん」
自分の戦術に納得がいったエミは、一度大きく頷くと、次々と表示されるビーム攻撃の着弾地点をジグザグによけて走る。
このビーム攻撃が始まって、もう十秒近くが経過している。そろそろ攻撃も止むはずだと踏んで、剣を天にかざし続ける女神に目を向け、その時気付いた。女神のHP残量が、レッドゾーンまで削られていることに。
ビーム攻撃に自分のHPを削る特殊効果でもあったのかと思ったが、そうではなく。エミよりずっと高速で移動していたマサキが、ビームの間を縫って女神にダメージを与え続けていたのだ。
「うっそ……」
これにはエミも思わず目を丸くして驚愕の声を漏らした。
速く走れば走るほど、咄嗟の攻撃や障害物への対処は難しくなる。その攻撃や障害物を認識してから「どのように回避するか」という判断を下すまでに費やせる時間が短くなるからだ。だがマサキは、あれほど高速で移動していながら的確に攻撃を掻い潜って反撃を加えている。
思い返してみれば、エミが女神を攻撃している最中にマサキとぶつかりそうになったことは一度もなかった。つまり彼は、女神の動きもエミの動きも一瞬で見切り、その上で途切れることなくダメージを与え続けていたということになる。
マサキのおよそ人間業とは言い難いスピードを改めて目の当たりにしたエミの胸に、幾つかの感情が湧き上がった。憧れ、賞賛、そして――
「でも、負けてられない……!」
――競争心。彼の力を借りるだけなら、彼に全てを任せるだけなら、今のままだっていいだろう。でもそれでは意味がない。胸の中にしまってある想いを今度こそ伝えた後に、彼の隣に立てなければ。第一、今日は自分のインゴットを求めてきたのだ、それなのにその過程全てをマサキ一人に任せっぱなしでいいはずがない。
「っ……!」
ぴしゃあっ! と落雷のような轟音を立てて、閃光の柱がエミのすぐ脇に着弾。ビリビリと身体を震わす衝撃に思わずバランスを崩しかけたが、今まで培ってきた気力とバランスを総動員して立て直す。同時に左へ切れ込んで、自分の持てる敏捷パラメータ全てで地面を蹴飛ばし一直線に女神へ向かう。
幸運にもそれが最後の一発だったようで、あちこちで弾けていた閃光が消えた。エミの両目が、クリアに開けた視界で鮮明に捉える。浮遊したまま剣を突き上げる女神メローペと……そして、未だ神々しい煌きを放ち続けている巨大な剣を。
「まだだ!」
マサキの声が頭の中で掻き鳴らされる警告音と重なった。女神の剣が放つ輝きに混じってソードスキルの薄青いエフェクトが炎のように噴き出す。両脚の回転速度が緩みそうになるのを必死で堪える。どの道、今から減速して回避したのでは間に合わない。
代わりにエミは左腕のバックラーを頭の上で刃の向きに対して斜めに構え、思い切り右に踏み切った。
直後、左腕に鉄パイプで殴打されたような衝撃が走った。ぎゃりぎゃりッ! と金属同士の擦れ合う嫌な音が耳をつんざき、盾から迸る火花と思しき光点が青いエフェクトに混じって宙を舞う。肺の底からうっ、と呻きが漏れるのを跳ね除けるように、エミは盾を左側に思い切り押しのけた。
エミはSAOの初期から多くのパーティーを渡り歩いてきたが、そのパーティーがどんなスタイルのメンバーを求めているかはそれぞれ異なる。ゆえにエミは、攻撃役、遊撃、回避盾とこなせる役割を広げることによって様々な募集に対応してきた。エミの装備が片手に直剣、もう片手に盾を持ったごく一般的な片手剣士のものであるのも、最も初心者向きで、習熟が容易だから。そして、汎用がゆえに無理が利き、多様なスタイルに適合できるからという二つの理由のため。今エミが行ったのも、斬撃に対して盾を斜めに当てることで衝撃を受け流すというテクニックで、本来向かない盾役を何度もこなしてきたからこそ身についたものだった。
傾きが足りなければ盾を貫通したダメージがHPを削り、傾けすぎてもまた、斬撃が逸れずにエミの半身を切り飛ばす。途轍もなく長い一瞬の後、左腕にかかる負荷がふっと消え去り、ガードを貫通したダメージがHPバーを削り始める。
視界の端に表示されたバーの減衰はしかし、受けた衝撃からは考え難いほどのごく小さなものに留まった。
――逸らした!
エミは確信と共に左手を下ろすと、着地した右足のバネを使って女神の腕に跳び移る。一歩、二歩と跳ぶような歩幅で腕を走り、三歩目で踏み切る。ヴェールで隠された額に向かって跳びかかりつつ、前傾した上半身を思い切り反らす。同時に引いた右肩の上で、愛剣がジェットエンジンめいた唸りを上げる。
「やあああぁぁぁぁぁっ!!」
気合一閃。女神の頭を貫いた《ヴォーパルストライク》の紅い剣閃が、ほんの僅かだけ残っていた女神のHPを吹き飛ばした。
「わっ……とと」
落下時の空気抵抗で巻き上がりそうになったスカートの裾を両手で押さえつつエミが着地すると、蒼風を鞘に収めたマサキが相変わらずの若干不機嫌そうなポーカーフェイスでやって来た。その姿が見えるや、エミは誇らしげに胸を張る。
「どう? わたしも中々やるでしょ!」
「そういう台詞はもっと安定度を高めてから言え。危なっかしいにも程がある」
「むぅ……」
つれないなぁ、とエミは唇を尖らせるが、マサキの口調から先ほどの硬さが抜けていたのでよしとする。
「で、目当てのものはあったのか?」
そんなこちらがおかしいのか、ひどく微妙そうな顔をしてマサキが言うと、エミははっとしてウインドウを開いた。剣を鞘にしまうことすら忘れ、目を皿のようにして表示したアイテム群に目を通していく。
「――あ、あった!」
それを見つけた瞬間、エミはいつもより数音高い声を発した。隣のマサキとウインドウの間で何度か視線を往復させると、今度は慎重に、丁寧にタップしてオブジェクト化する。
「わぁ……!」
ずしりと詰まった重みと一緒に、うっすらと青みを帯びた銀白色の塊が両手で作った皿の上に現れる。
――《プレアデス・インゴット》。それが、しっとりと濡れるような輝きを放つ金属塊の名前だった。
後書き
今回のボスであるメローペさんについて、補足説明……というか裏話をば。
まずメローペさんの名前と元ネタですが、ギリシャ神話に登場するプレイアデス姉妹の末妹から拝借しました。この姉妹は狩人オリオンからのストーk……もとい、熱烈な求愛を受けた末に大神ゼウスの手で星にしてもらったということで、彼女たちが星になった姿というのがプレアデス星団です。和名を「すばる」というこの星々は、日本で最も有名な星の一つですね。
で、その星になったメローペさんですが、周囲を「メローペ星雲」という薄い星雲に包まれています。星雲というのはその中で星を生む、いわば星のお母さんというべきものが多いのですが、このメローペ星雲においては薄い星雲が広い宇宙を旅する中で星になったメローペさんと出会ったというだけのようです。名前の《霧の旅人》や隠し部屋が霧になって移動していたのはこの辺がモチーフになっています。
もう一つ、実はプレイアデス姉妹が七人姉妹なのに対して、プレアデス星団を肉眼で見ると殆どの人には六個しか見えません。じゃあ残った一人は誰なのかというと、それもメローペさんなんですね(諸説あります)。メローペさんは神の身でありながら姉妹の中で唯一人間と禁断の結婚をしているのですが、後々そのことを恥ずかしく思ってぼんやりと輝いているからだそうです。
本当はこの辺りをもっと設定に組み込みたかったのですが、私の構成力ではそこまでのすり合わせなどできるはずもなく。台詞にちょこっとそれっぽい要素を入れただけに終わってしまいました。
……とまあ、作者のどうでもいい趣味が全力で暴走した結果こんな感じに。もっとまともで分かりやすい設定を組みたいものです(小並感)
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