やり直し
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2部分:第二章
第二章
その時だった。インク壺が倒れた。中のインクが派手に原稿の上にぶちまけられてしまったのだ。どう見ても原稿はこれ以上描くのは無理だった。
「しまった、やっちまった」
「先生、それはもう」
「ああ、駄目だな」
うんざりした顔でアシスタントに応えた。応えながら側に置かれていたコーヒーカップを取りそこにあるコーヒーを口に含む。言うまでもなく眠気覚ましだ。
「描きなおしか。参ったな」
「じゃあそのページまた描いてですね」
「下書きからか」
うんざりとした顔はそのままだった。
「参ったなんてものじゃないぞ、俺の失敗だけれどな」
元義は舌打ちをここでまたした。何度目かだが彼はそのことを知らないのだった。
「やり直せればな、全く」
「はい、そうですね」
アシスタントが頷くとまたしても周りが回った。気付くと今彼はGペンをインク壺に入れようとしているその時だった。ここで彼はふと気付いたのだった。
「おっと」
ペンは右手に持っている。左手は空いていたのだ。それでそこでその左手でインク壺を持った。倒れないように安定させたのである。
そのうえでインク壺にペンを入れてそれから線を入れる。最後まで無事線を入れることができた。これでペン入れも終わったのだった。
「これでペンも終わったな」
「後は消しゴムですね」
「さて、消しゴムはだ」
アシスタントに応えながら自分の机の上を見回す。消しゴムはあるにはあったがそれはやけに小さくなってしまったものだった。
「これを使うか」
「大きいのありますよ」
ここでアシスタントは自分の消しゴムを差し出してきた。白い普通のプラスチック消しゴムだ。
「これ、どうですか?」
「そうだな。じゃあそれを使わせてもらうか」
こう言ってその消しゴムを受け取って早速使いだした。ところがだ。
消しゴムが紙に引っ掛かった。しまったと思った時にはもう遅かったのだった。
「うわ・・・・・・」
「ああ、先生・・・・・・」
アシスタントの声も泣きそうになっていた。
「やっちゃいましたね」
「やっちゃったなんてものじゃないぞ」
見れば紙が見事に破れていた。消しゴムに引っ掛かってそのままいってしまったのだ。これでこの原稿はおしまいであった。
「これはもう・・・・・・な」
「描きなおしですね」
「どうしたものかな」
苦々しい顔で机の上で顎に手を当てていた。
「これは」
「どうしましょう」
「時間よ戻れ」
冗談めかして言った言葉だった。
「って言ってもどうにもならないよな」
「残念ですけれどね」
アシスタントが苦笑いを浮かべる。どうしようもないことは彼にもわかっていた。ところがまたしてもここで周りが回って。元義は消しゴムをアシスタントから受け取ろうとしていたのだった。
「じゃあ先生」
「有り難う」
その消しゴムを使おうと思ったのだった。
だがここで急に気が変わったのだった。自分の小さな消しゴムに目がいったのだ。それであらためて彼に対して告げたのである。
「いや、待ってくれ」
「どうしました?」
「まだ少し残っているからね」
彼は自分の消しゴムを手に取ったのだった。今自分の机の上にある消しゴムをだ。
「これを使うよ」
「それをですか」
「ものを粗末にしてはいけないからね」
実はものは大切にしようという考えが結構ある元義だった。アシスタント時代に貧乏で何かと苦労してきた経験もそこにはあるのだが。
「だから。ここはこの小さいのを使うさ」
「そうですか。それじゃあ」
アシスタントはそれを受けて今は引っ込むのだった。
「そういうことで」
「これで終わりだったかな」
彼はふとここで言った。
「終わりって?」
「いや、消しゴムかけてこのページは終わりだったよな」
彼が言うのはこのことであった。漫画のことだったのだ。
「確か」
「確かそうでしたね」
アシスタントも今の彼の言葉に頷いて答えた。
「まだページはありますけれど」
「ページはいつもと変わらないよな」
ふと首を捻ってきた。
「今週も」
「そうですよ、いつもと同じページ数ですけれど」
「それにしては疲れるな」
時間が何度も戻っていることに気付いていないのだった。
「何でだ?特にこのページなんか」
「そのページがどうかしましたか?」
「何度もやり直している気がするな」
首を捻りつつそのページに消しゴムをかけていた。
「どういうわけかな」
「気のせいじゃないですかね」
アシスタントは特に考えることなくこう彼に答えた。
「それは」
「そうかな、やっぱり」
「時間は戻れませんよ」
少なくとも彼等はこう思っていた。普通はそうだからだ。
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