八神家の養父切嗣
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
九話:雪
闇の書の事件よりおおよそ一年が経った冬のある日。
一人の女性が改めてこの世界に足を下ろそうとしていた。
名はリインフォース。祝福のエール、幸福の追い風。
「気分はどうだい? リインフォース」
「ああ、悪くはない。しかし、不思議な気分だ。まるで生まれ変わったようだ」
「そうか、君に問題がないなら……安心だ」
新しく作られた肉体の動きを確かめるように手を開いたり、閉じたりするリインフォース。
その様子にホッと胸をなでおろす切嗣。しかし、すぐに表情を引き締め、バイタルデータを取っているスカリエッティに冷たい声を出す。
「彼女の体に何も仕込んでいないだろうな、スカリエッティ」
「くくく、そんなはずがないだろう? せっかくの貴重なサンプルに異物を混ぜればサンプルの価値が無くなってしまう」
「そうかい、それは良かった。ただ、これ以上彼女を物扱いするようなら眉間に風穴があくぞ」
「くふふふ。君ともあろうものが随分と“彼女”にご執心のようだ」
向けられた混じり気一つない純粋な殺意にもスカリエッティは嗤うばかりである。
それどころか逆に皮肉を込めて切嗣をからかい、さらに煽る。
まさに、一触即発という空気ではあるがこの二人が揃えばいつものことなのでウーノもリインフォースも特に仲裁を行うなどはしない。
「しかし、調べれば調べる程に不思議なものだ。融合機に人格を与えるのは理解できる。人格が二つあれば思考の死角はなくなるからね。しかし、何故肉体を与えたのだ?」
「それは私にも分からない。旅する魔導書には必ずしも必要な能力ではないからな」
「ふむ、君の言う通りだ。インテリジェントデバイスのように人格を与えるだけで十分君の役目は果たせる。それにもかかわらずだ。製作者は貧弱な人間の体を君に与えた。何故だ?」
管制人格が人間の姿をとる必要などない。ましてや、食事をとる機能など無駄なだけだ。
肌の温かさを与える血を流す必要もない。激しく動悸する心臓もいらない。
涙を流す機能も作るだけ無駄である。だが、製作者は人に近づけた。
単独で戦わせるという意図であれば人の姿は脆弱でしかない。
カラスかドーベルマンの体を与えた方がまだ使い道があった。
だが、製作者は頑なに人を作り続けた。戦うことを目的として作った守護騎士でさえ。
守護獣であるザフィーラにすら人の姿を与えた。それは無意味なことでしかない。
「ドクターのように人間そのものに興味があったのでは? 人は有史以前から人を真似たものを作ってきています」
「なるほど、私のように純粋に人の姿をとることに興味を持っていた。実に研究者らしい理由だ。各地の魔法を調べる程だ。よほど勉強熱心だったのだろう。できれば会ってみたいものだ」
ウーノの発想にそれが妥当なところかと手を打ち、パネルに目を戻す。
しかし、後ろで切嗣がバカバカしいとばかりに鼻を鳴らしたことで振り返る。
何も苛立ったからではない。寧ろ面白そうに、興味が湧いたと心の底から異形の笑みを浮かべながら。
「おや、不満そうだね。では、君の考えはどうなのか聞かせてもらえないかい?」
「……旅をする魔導書。だが、所詮は魔導書だ。一人で旅をすることなどできない。それに幾ら蒐集してもそれを研究する人間が居なければ意味がない」
「では、自己研究を行えるようにしたのが彼女だというのかい?」
「違う」
短く、吐き捨てるように否定しリインフォースの方を見る切嗣。
彼女の方は何があるのかと少し不思議そうな顔で彼を見ている。
こんな表情をできる彼女が道具として作られたわけがないと彼は確信している。
そもそも、心という器がなければ感情は宿らない。零れて消えていくだけだ。
機械には心という器がない。だが、彼女達にはその器がつけられていた。それは何故か。
「旅をする人間、主の為の存在だ。人間にとっての恐怖は飢え、寒さ、外敵などがあるが、仮に一人で旅をする時に最も恐ろしいことは孤独だ。それを無くす為の機能だ」
「つまり、どういうことだい?」
一旦、口を閉じ、想いを込めるように。
内に持った気持ちを吐き出すように切嗣は声を絞り出す。
「彼女達は夜天の主の―――家族になるために生み出されたんだ」
彼女達の本来の役目は主の家族となること。
そう言い切った切嗣にリインフォースは目を見開き、見つめる。
誰もが切嗣を見つめ言葉を発することができない。
しかし、こういった沈黙を破るのはやはり狂った人間だと相場が決まっている。
「くくく! あはははは!! 素晴らしい! 実に素晴らしいッ!!」
「……ちっ」
「ああ、盲点だったよ。私自身が愛すべき娘達を、家族を創りだしている身だというのに。これが灯台下暗しというやつかね」
まるで素晴らしい劇を見終わった後のように拍手を送りながらスカリエッティは嗤う。
誰よりも、楽しそうに。誰よりも、狂ったように。異形の笑みを浮かべ続ける。
それに対して、また始まったかと舌打ちをする切嗣。
だが、この場で凶器の科学者を止められるものは存在しない。
「納得だ。初めから機械ではなく家族として作り出したのだから心を持っていなければ意味がない。自分と同じ人の体をしていなければ意味がない。共に泣き、共に笑いあえる家族が欲しかったのならば無意味な設計も合理的な設計となる」
まるで難題が解けた子供のように喜びをあらわにするスカリエッティにウーノは満足げな顔をする。
リインフォースは未だに驚きが抜けきらない顔で切嗣を見つめている。
家族と触れ合うのは至極当然のこと。家族と食事を摂るのも当然のこと。
感情を共有するために涙を流すのも当然のこと。
目的が変われば、無意味な機能も必須の機能となり得る。
「つまり、八神はやてが最後の夜天の王となったのは必然だったというわけか。彼女だけが本来の守護騎士の、管制人格の、役割を理解していたのだから。くくく、実に素晴らしい娘に恵まれたものだね」
「僕にはもう……はやての父を名乗る資格はない」
「くふふ、そうかね。いや、こればかりは君個人の考えだ。私からはこれ以上は言えないね。では、失礼させてもらうよ」
苦虫を噛み潰したような顔でリインフォースから目を背ける切嗣。
その様子にさらに笑みを深めるスカリエッティだったものの、それ以上は話さずに踵を返して部屋から出ていく。
ウーノの方もそれに従う様に後を追っていく。
「今日の検査はこれで終わりです。ご自由にお過ごされてください」
そんなウーノの言葉を最後に二人の居る部屋からは音が失われてしまった。
だが、リインフォースには何故か不思議と不快感はなかった。
寧ろ、安心感を覚えるような、そんな暖かな感情が心を占めていた。
だからこそ自然と沈黙を破り、切嗣に声をかけるのだった。
「少し、外を歩かないか、切嗣」
現在、彼らが潜伏している世界では四季というものが存在している。
そして、日本と同じように現在の季節は冬。
あの日のように一面の銀世界がリインフォースと切嗣を迎える。
「やはり、世界は美しいな」
「……そうだね」
かつての自分では叶うことのなかった美しい世界を愛でるという行為。
だが、これからはそれを行うことができる。
リインフォースはその手で降り積もった雪を救い、ふわりと宙に投げ上げた。
舞い上がった雪はすぐに重力に従い、下に落ちて幾つかが彼女の頬に当たる。
「ふふ、冷たいな」
「そんな薄手で寒くはないのかい?」
「この冷たさを感じていたいのだ。それに私は―――」
―――機械なのだから体を壊すことはない。
そう続けようとしたところで切嗣のコートを掛けられる。
驚きに目を丸くするが、ついで嬉しそうに笑う。
「君は人間として生きると言ったはずだよ」
「そうだったな。すまない、まだ癖として残っているようだ」
「はぁ……君は女性なんだ。これからは自分の体をもっと労わらないと」
どこか呆れたように溜息を吐きながら切嗣は歩き出す。
つられてリインフォースも彼の黒いコートを体に巻き付けながら歩き始める。
しばらくの間、二人の間には雪が音を奪ったかのように会話が無くなる。
まるで世界には二人しかいないような、そんな錯覚すら覚える。
リインフォースは不思議な感情を覚えながら切嗣の隣に並び、話しかける。
「これも、人としての幸せなのかもしれないな」
「こうして散歩をすることがかい?」
「いや、誰かの隣を歩くということだ」
そう言って、彼女は同姓ですら見惚れるような微笑みを切嗣に向ける。
対する切嗣の方は自分という存在に笑みを向けられる資格などないとばかりに目を逸らす。
だが、彼女は相も変わらず笑みを彼に送り続けるのだった。
「私達が主の家族となるために生み出されたというお前の考えは目から鱗だった」
「ただの妄想さ。本当のところはわからない」
「だというのに、そう思ったのはお前自身が誰よりも私達を家族だと思ってくれているからではないのか?」
「……家族を殺すような男は家族とは呼べない。ただの殺人鬼さ」
どこか遠い場所を見るように呟く切嗣に、リインフォースはまた誤魔化そうとしていると直感する。
かつて、家族の前で嘘を貫き通した男。
しかし、その面影はもう見られない。どうしようもなく弱くなってしまった。
今にも擦り切れてしまいそうになりながら生きている。
心を許している相手の前では嘘を貫くとすらできなくなってしまった。
なのに、かつてよりも過酷で苛烈な正義を為さねばならない。
このままではそう遠くないうちに彼は壊れる。そう確信できるものがあった。
「お前は一人で旅をする時に最も恐ろしいことは孤独だと言ったな」
「ああ……それがどうしたのかい?」
「つまり、今のお前は―――孤独に怯えているのだな」
彼女の言葉に一瞬、否定しようとして口を開きかける切嗣だったが、すぐに口を閉じる。
何を言っても無駄だと悟り、せめて何も言わないことに決めたのだ。
だが、彼女にとってはそんなことは大したことではなかった。
彼がどこまで意地っ張りかなど、この一年で理解している。
彼女は逃げられないように、そっと彼の袖を摘まむ。
一瞬、ピクリと肩を動かす切嗣だったが、それ以上は何もしなかった。
「かつての、主はやてと出会う前のお前は本当の意味で一人でいられた。だから、孤独を感じることがなかった。孤独とは他者という存在があって初めて成り立つものだからな」
仮に、生まれてこの方自分以外の存在と出会ったことのない者が居るとしよう。
客観的に見ればそれは孤独だ。だが、その者は決して自分を孤独だとは思わない。
何故ならば、その者は他者という存在を知らぬ故に孤独という概念を理解できないからだ。
人の温もりを知らぬ者は己が孤独だということにすら気づけぬ程に悲しい。
「だが、お前は温かさを知ってしまった。二度とその温かさを忘れられぬほどに。その温かさが本当の意味でお前に孤独の冷たさを理解させた」
人の温もりを知らなければ孤独であっても絶えることはできるだろう。
しかし、一度でもその温かさに触れてしまえばもう戻れない。
例え戻れるとしてもそれには想像を絶する恐怖に打ち勝たねばならない。
寂しいという感情が感じられぬほどに寂しくなるには時間がかかりすぎる。
今の衛宮切嗣には耐えきることができないほどの時間が。
「あの言葉はお前自身が誰かに傍にいて欲しいと思っているからこその言葉ではないのか」
「……全くの誤解だよ。僕は誰も近くにいて欲しいなんて思っていない。そもそも、僕の傍にいる人間はみんな不幸になるんだ。相手の方が願い下げだろう」
若干、苛立ちが混じったような声で告げる切嗣。
実際のところ、自分の傍に誰かを居させたくないというのは本心であった。
それは親しくなっても必ず切り捨てなければならない時が訪れるが故。
もう、これ以上親しい人間を殺したくないという弱弱しい願い。
どこまでも消極的で後ろめたさしか残っていない考え。
それが今の切嗣の心の在り方であった。
「さあ、余り外に居過ぎると風邪をひく。そろそろ戻るよ」
優しくではあるが、明らかに拒絶の意思をもってリインフォースの手を退け、背を向ける切嗣。
リインフォースは悲し気に掴むものを失った手を伸ばすが何もかも既に遠すぎる。
かつて、この世全ての悪を背負うと言った背中は、今はあまりにも小さく、悲しげだった。
「切嗣、お前は……」
そっと伸ばしていた手を自身の胸元に添えるリインフォース。
そこには先ほどまであったはずの温かさが無くなっており、小さな痛みだけが残っていた。
彼女は美しく輝く赤い瞳を曇らせ、憂いのある声を零す。
「この感情は一体何なんだろうな……胸が痛い」
彼女の声に答えは返ってこない。今はもう切嗣の姿も小さくなりかけている。
彼を追う為に歩き始めたところで降り始めた雪が彼女の頬に当たる。
その感触に、その温度に今度は悲し気な表情をする。
「……冷たいな」
最後にそう一言呟き、リインフォースは切嗣のコートを体に密着させて歩き出すのだった。
後書き
リインフォース復活。この場合ツヴァイは妹になるのだろうか。
ページ上へ戻る