クロスゲーム アナザー
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第八・五話 青葉の想い
前書き
青葉視点の話です。
「おいおい、大丈夫か?
赤石君……」
隣に座る義理の兄(予定)、東純平が顔を険しくしながら呟く。
彼の視線の先はバッターボックスに向いてる。
そのバッターボックスでは星秀学園の捕手である赤石修先輩がグランドに片膝をつくように蹲っている。
現在、1回裏。
星秀学園の攻撃。
5番の赤石先輩の打順! 星秀としてはチャンスの場面……だったが、相手投手が投げた球が赤石先輩の左肩に当たり、一時中断となっている。相手投手が投げたのは140㎞はあるストレート。
「大丈夫です。赤石先輩なら」
「本当に?」
義理兄の心配そうな顔を見ると不安になるが、私は大丈夫と自分に言い聞かせる。
だって……。
『コウが投手で赤石君が捕手。
あ、そうそう中西君もいたわ。
舞台は超満員の甲子園!』
ワカちゃんがそう言っていたんだから。
そして、今日はまだ超満員じゃないんだから。
「大丈夫です。絶対に勝ちますから」
不安ではないのかと言われれば不安だ。
甲子園に、野球に絶対なんてないのだから。
甲子園には魔物が棲むなんて言われるほど、ただの大会ではない。
何が起こるかなんて誰にもわからない。
でも、私は信じてる。
ワカちゃんが見た夢も。
甲子園に行く為に、頑張ったチームメイトを。
アイツがしてくれた約束も。
だから……大丈夫!
そう自分に言い聞かせて、私は応援席から大きな声を出す!
「こらー、ヘボ投手!何やっとるかー!!!
しっかりせんかー!」
メガホンを振り回しながら叫ぶ私を背後から羽交い固めで止めるのは義理兄の仕事。
もはやお約束の展開だが、私はこの瞬間が好きだ。
「まあまあ、落ち着いて」
「見ましたかー、あの投手投げた後、一瞬笑ったんですよ?
あれ、絶対ワザとですって」
「その一瞬を見逃さない青葉ちゃんにビックリだよ」
「動体視力には自信があるんです」
昔から動体視力には自信がある。
動いてる電車から、アパートの部屋の中に強盗が入ってるのを見つけることが出来るくらいには、私は視力が良い。良い野球選手の条件には視力が良いというのも入る。
動体視力が優れた選手なら相手投手が投げた球の回転から、球種を予測出来るのだから。
もちろん、それだけでは打てないけど、優れた動体視力はアドバンテージになる。
「別に私だけじゃないでしょ?」
「え?」
「私より優れた動体視力を持つ奴ならウチのチームには他にもいますよ」
東先輩も多分そうだ。
どんなに厳しいコースに投げても。
どんなにキレがある球を投げても、あの人はそれを見逃さない。
卓越した打撃技術はもとより、それを可能にする動体視力を持っているというのは明らかだ。でなければ、あんだけ厳しいコースに投げ込んだ私の球をワザとファールにした、なんてことは出来ないはずだ。
「東先輩も、お義理兄さんもそうですよね?」
お義理兄さんこと、東純平。
元鷹尾実業高校野球部エースで四番。
甲子園確実! と言われた決勝の日に階段から落ちて足の靭帯を断裂するという『悲劇のヒーロー』。
怪我さえなければ今頃はプロ野球の世界で活躍していたであろう彼も、優れた動体視力を持つ選手なのは間違いない。
「いやぁ、どうかなー。俺の場合は感覚で打ってたから……あんまり気にしたことないなぁ」
「感覚で打てる方がビックリです」
この兄弟、普通じゃない!
「そうかな? スイングやフォームさえきちんとしてればある程度は出来るものだけど?
雄平に教える時も肘の位置とか、スイングとかしか指摘しないし……」
このお兄さんを見て育った東先輩は、やっぱり天才だなぁ、なんて思ってしまう。
フォームは大切だけど、それだけで勝てるほど野球は甘くないんだけど……。
「ま、雄平は昔から俺の真似をしていたからな。野球バカの兄貴を見て育てばあんな感じになるんじゃないのか」
「そんなもんですかね」
「青葉ちゃんやコウちゃんだって同じもんだろう?」
「いや、私は小さい頃から野球やってたけど、アイツが本格的に野球をやり始めたのは高校に入ってからよ?」
「え?」
「なんせ小5までキャチボールもマトモに出来ない男でしたから」
昔の記憶が思い浮かぶ。
千川小の五年生のチームとの試合。
投手として出てたアイツは今のように豪速球は投げられず。
遅い球をコントロールよく投げることによって打たせて取るスタイルの投手だった。
そんなアイツに私は確かこう言ったはずだ。
『面白いのか? そんなピッチングで』
今思えば私は小さいながらも期待していたのかもしれない。
アイツならもっと速い球を投げられるんじゃないのか?
本気で野球をやれば160㎞を目指せるんではないか、と。
言われた当人はそんな私の想いにも気付かず。
『野球のどこが面白いのかもわかんねえよ』
そんなことを言っていたけど。
今思えば、あの頃からすでにアイツは野球の才能の片鱗を見せていた。
フィールディングが下手だったアイツは私がバントした球をお手玉していて。
その間に一塁に走った私に向けて投げた一球。
それは、まさにアイツの渾身の一球だった。
あの一球で私はアイツのことを気にかけるようになってしまったのかもしれない。
少なくともあの試合で私が眠れる獅子を起こしてしまったのは間違いない。
若ちゃんのことがあってからも、気づけば私はアイツの姿を追ってしまい。
アイツが影で努力している姿なんかも見てしまった。学校近くの民家の塀に何年もひたすら野球ボールを投げこむアイツの姿や。
若ちゃんの墓の前で、誰にも気付かれないように涙を流す場面とか……。
そんな場面を見てしまっても、誰にも言うことはなかった。
まあ、お父さんとかにはアイツの誕生日の日に若ちゃんの墓参りに行くとアイツがいるよ、って言っちゃたけど。
でも言うのは身内だけ。
私はアイツが泣く場面を他の人に見られたくはなかった。
ああ、そうか。
やっぱり私は______なんだぁ。
若ちゃんに言われた『奪っちゃダメだからね?』という一言が、足枷となっていたけど。
やっぱり私は______。
「青葉ちゃん?」
「え?」
声をかけられて右隣を向くと、心配そうな表情で顔を覗き込むお義理兄さんの姿が目に入った。
「大丈夫か? なんだかボーっとしてたけど……」
「え? あ、うん……大丈夫よ」
いけない、いけない。
回想してる場合じゃなかった。
「今……何回?」
「9回だよ」
スコアボードを見ると、次は星秀の守備。
あと、アウト3つで決勝戦だ。
そして、あと三人抑えればアイツはまた完全試合を達成出来る。
若ちゃんが言っていた言葉が脳内に思い浮かぶ。
『コウをその辺の男と一緒にしてると、後で痛い目に遭うぞ』
キャチボールもマトモに出来ない男が何をぬかす、なんて当時の私は思っていたけど。
若ちゃんのその言葉は予言となって実現しようとしていた。
『夏の甲子園初の完全試合達成』……それは今まで誰もなしえなかった悲願。
それをアイツはやってしまった。
本人は「へー、そうなのかー。へー」なんて実感が湧かないのか、いつも通りな感じだったけど。
どれだけ凄いことなのか。もっと自覚を持てといいたい。
それともっと身支度に気をつけろといいたい!
今や日本中の人がアイツに注目しているのだから。
アイツが活躍する度に、新聞に載る度に自分のことのように誇らしなる。
どうだ! 若ちゃんが好きだった人はこんなにも凄い人なんだぞ!
私が大嫌いな奴はこんなにも凄い人になってしまったんだぞ。
そう叫びたくなるのを堪える。
そして。
青空を見上げながら心の中で思う。
私達のコウはこんなにも凄い男になったんだよ、若ちゃん。
……変な虫が寄ってくるのは面白くないけど。
だけど、今のアイツはそんな虫達には靡かない。
靡かせない。
だって。
若ちゃんの見た最期の夢。
それはまだ叶っていないんだから。
『コウがピッチャーで、赤石君がキャッチャー。舞台は超満員の甲子園!』
その夢が叶う瞬間まで、アイツに女なんて必要ない。
ううん。夢が叶っても他の女なんて許さない!
大嫌いだから!
私はアイツのことが大嫌いだから!
だから……私以外見るんじゃないわよ。
そう思う、けどこんなのアイツには言えない。
私は素直じゃないから。
「おっ、いよいよだな」
と、そんなことを思っているとお義理兄さんの声で我に返る。
マウンド上には青いグローブを付けたアイツの姿がある。
『アイツが本気になったら日本一のピッチャーだって夢じゃない。
160㎞だって出せちゃうかもよ?』
若ちゃんが最期に言っていた言葉。
それが叶う瞬間はもうすぐだ。
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