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海牛

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2部分:第二章


第二章

「少なくとも瓶一本はいけるがな」
「それはロシア人だからよ」
 大山田は苦笑いを浮かべてこう答える。彼女もまたガラスのコップにウォッカを入れるがその勢いはヴィシネフスカヤのそれと比べるとやや遅いものだった。
「ロシア人は強いわね、やっぱり」
「飲まないとやっていけないんだよ」
 ヴィシネフスカヤはそれに応えて言う。
「とてもな」
「とてもなの」
「寒いからな」
 やはりそれだった。ロシアらしかった。
「凍えるんだよ、ここだってそうだろ?」
「まあね」
 大山田は彼の言葉に答えながらウォッカを一口飲む。早速焼けるような感じが身体中を支配していく。ウォッカならではであった。
「確かに。少し飲んだだけで」
「これがないと本当に生きていけない」
 その言葉が実にリアリティのあるものだった。
「ここでもな」
「そうね。暖まらないととても」
 彼の言葉に頷きながらまた口に含む。それから今度はピロシキを手に持った。
「やっていけないわね」
「そうだ。そういえば」
「どうしたの?」
「この辺りだったかな」
 ふとした感じで口を開いたのだった。
「この辺りって?」
「ああ、この辺りで出て来たんだ」
 不意にこう言うのだった。
「あれがな」
「あれ?ひょっとして」 
 大山田は考える顔になった。そのうえで彼の言葉に応えた。
「ステラーカイギュウのことかしら」
「知ってるんだな」
「有名な話だからね」
 大山田はピロシキ片手にヴィシネフスカヤに対して述べた。
「絶滅した筈なのに生きていたっていうのだから」
「元々個体数は少なかったがな」
「そうね」
 ステラーカイギュウは丁度この辺りにいた海牛類の一種である。九メートル近くに達し海辺の海草を食べて群れで暮らしている大人しい動物だった。ベーリング海峡が発見されると共にその姿も人間に見つかりすぐに食用にされた。そ捕らえ方が実に酷いものであった。
 銛を刺す。そうすればステラーカイギュウは死ぬ。打ち上げられたそれを取って食べるのだ。ただしこれで打ち上げられるのは五匹のうち一匹である。あとは無駄に殺されていく。
 また大人しく仲間内で庇い合う為次々と集まったところを餌食となった。そうして気付けば絶滅していた。ドードーでもそうだが動物の絶滅ではよくある話だ。
 これが十八世紀の話で絶滅したと考えられていた。しかしである。二十世紀後半に目撃例があったのだ。それが丁度今この調査船がいる辺りである。
「いるかしら」
「いないだろうな」
 すぐに大山田に答えてきた。
「あの時いたとしてももう」
「残っていないというのね」
「ラッコもトドもここまで減っている」
 ヴィシネフスカヤは他の動物も出す。実に悲しい顔になっている。
「それでどうしてステラーカイギュウがいるというのだ」
「真っ先に絶滅しているというのね」
「間違いない」
 発言は断定するものだった。完全に。
「だから。期待はしていないさ」
「そうなの」
「そう。いたらそれは夢だ」
 こうまで言う。
「それこそロシアン=ドリームだ」
「ロシアン=ドリームね」
 今のヴィシネフスカヤの言葉には思わず笑みを浮かべた。もうウォッカが混ざって真っ赤になっている。
「そういえばロシア人の夢って何かしら」
「ロシア人の夢か」
「ええ。アメリカン=ドリームはそれこそ華やかな薔薇色の生活だけれど」
 誰もが瞬く間に華やかな表舞台で栄耀栄華を極める。簡単に言えばこうだ。どんなに貧しくとも実力と運でそれを手に入れることができる。それがアメリカなのだ。
「ロシアではどうなのかしら」
「ロシア人はあれだよ」
 彼は笑って言ってきた。
「素朴で無欲だからな」
「じゃあ華やかな生活はいらないのね」
「穏やかに家族と暖かい部屋にいられてウォッカを好きなだけ飲める」
 彼の言葉はこうであった。
「それだけだよ」
「それだけなの」
「そう、それだけ」
 にこりと笑って答えてみせてきた。
「ロシア人はそれだけで満足なのさ」
「本当に無欲なのね」
「個人としてはね」 
 また随分と引っ掛かる言い方になってきた。
「一人一人はその通りだよ」
「国だとどうなのかしら」
「ロシアという国は知らないさ」
 その質問にはとぼけてみせる。
 
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