乱世の確率事象改変
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真似事と憧憬と重なりと
倒れ伏す男共。傷だらけで荒い呼吸を繰り返す彼らは、益州遠征に選ばれた鳳統隊の中でも指折りの強さを誇る者達。その数、総勢十人程であった。
ばらばらと寝転がる汗だくの野郎共の中心では、両の手を広げて空を見上げる少女が、一人。
「へん……あたいを舐めるなよ、バカ野郎共」
肩で息をしながら、犬歯をむき出しにして紡いだ言葉はよく響いた。
内容とは裏腹に、猪々子の顔には笑顔が浮かんでいる。
「なんでぇ、クソが。やっぱ部隊長と連隊長がいねぇとダメか」
「あーもうっ! あそこでもうちょい抑えられてりゃ勝てたのによぉ!」
「しくったなぁ、俺が受けるべきだったか?」
「いんや、他の誰でも同じだったろ」
「ちっくしょ……演習程度じゃ無理か」
「バカが、演習で勝てねぇなら本番でも勝てねぇぞ? 御大将がいっつも怒鳴ってたの忘れたか?」
「ちっげぇよ! 試してた事があんだけど、模擬剣じゃ全然使えねぇって意味だって!」
「なんだそれ? 教えろよ?」
「いいぜ。出来るかどうか考えてみようや」
口ぐちに話し始める彼らは猪々子が上げた声に応えることなく、先程の戦いの反省を各自で行い始めていた。
彼女にとっても見慣れた光景であり、無視されたと責めることも無い。ただ言ってみたかっただけの独り言で、別に返答が欲しくて上げた声では無いのだ。
「“文ちゃん”がこう来るだろ? そんでもって俺とこいつがこう動くとする。んでんでその後に――――」
「む、でもこう動いた方がいいんじゃね?」
「いや、模擬剣や模擬槍じゃここいらが限界だ。此処でこんな風に攻撃するつもりなんだけど……俺らの短槍使えりゃ出来るんだが、刃潰してあったら結果が変わり過ぎて無理なんだよ」
「あー、確かに。そりゃ無理だ」
「文ちゃんぐらいの将には当たってもどうってことねぇんだ、こーんなおもちゃじゃさ」
カラン……渇いた音を浮かせて、刃を潰してある模擬槍が投げられた。
「あたいだって当たれば痛いっての」
「痛いじゃダメなんだって。両腕と両足を縫い留められなきゃ意味がねぇ」
盛大なため息を漏らして肩を落とすその男のえげつない言葉に、猪々子の頬が引き攣る。
「そ、そんなの狙ってたのかよ」
「戦場じゃあ普通だろ? 動きを止めれば殺せる確率があがるのなんか当たり前のこった」
「徐公明みたいな一対一は俺らにゃまだ出来ねぇんだから、大人数で戦う利を突き詰めるのは当然じゃねぇか」
「そうだけどさぁ……」
釈然としないのも仕方なし、彼女はあくまで武人である。
将が指示を出している僅か先で、兵士達は一瞬一瞬の千変万化に対応しなければ生き残れないのが戦というモノ。
力も動きも皆違う。兵士達は死にたくなどないし、結果を残そうとする。だから同じ動きなど誰もしない。
例外は一つ。誰かが死んでも繰り返すと決められている冷酷な命令だけ。
黒麒麟が戦場に起こした『動く槍の壁』である参列突撃戦術こそが異常であり、兵士達は戦場で細かい動きを繰り返し続けているのが通常。
であるからして、彼らにとっては、相手が武将であろうと戦場での行動である限り、試行錯誤の果てに目的達成を試みるのは当然であり……武将である猪々子は隔絶された力を持つが故にその当たり前を受け入れにくい。
――そういや副長達もそんな奴等だったっけ。
この世界では、真正面から打ち倒せるモノなど武将同士でしか有り得ず、されども武将を倒す為ならば、“兵士”という枠組みに入れられている彼らは何でもする。
徐州逃亡戦のあの時は、副長以下徐晃隊の最精鋭が限定的状況で戦い、後一歩という所まで猪々子を追い詰めた。
それならば納得だ、と彼女は一つ頷く。
「でもさ、あたいみたいな奴の動きを止めようとして近付いた兵士は確実に死ぬだろ。そこまでして倒したいのか?」
一応聞いてみた。彼らの願いを分かっていながら。
諦めろ、などとは死んでも言わず、挑戦的に、立ちはだかる壁として、彼女は彼らに問い掛けた。
キョトンと目を丸めた彼らは、呆れたようにため息を漏らしてから、やはり不敵に笑う。
「くっくっ、そのうち一人で倒してやるって思ってるけどよ……」
「仲の良い奴等を一人でも多く救う方法があるならそっちを優先すらぁな」
「まあそれに……俺らが文ちゃんみたいな武将を止めりゃ、“御大将”が楽になる」
「“黒麒麟”が自由に戦場を駆けられる」
「俺達と御大将を比べてみれば、戦場でどれだけの仲間と敵の命が救えるか、なんざぁ選ぶまでもねぇわ」
「ははっ、違いねぇ。だがよ、他のどんな軍の奴等でも俺らみてぇには武将を止められねぇんだぜ? きっちり仕事やりきれば男が上がるってもんよ」
「おうおう、女なんかにゃ負けてらんねぇもん」
「あー、寄ってたかって袋叩きにしてるってのは情けねぇかもしんねぇが」
「言うなって、いつか副長みたいになりゃ問題ない」
「確かに強くはなりたいけど……“めがねふぇち”の“どえむ”にはなりたくないなぁ」
次第にくだらない話題へと変わって行くのはいつも通り。口ぐちに同意を示しからからと笑う彼らは四番隊。
黄巾の頃からのモノも混ざっている三番隊には劣るが、それでも反董卓連合を黒麒麟と共に駆け抜けた猛者たちなのだ。
自分達の仕事を間違えることなどあろうか。彼に身体とまで言わしめた彼らが。
己らの本懐を忘れず、されども緩さも忘れず、日々の平穏と非日常の戦場を行き来する彼らは、ずっとこうやって絆を繋いで強くなってきたのだと猪々子は感じる。
「へへ……ほんとお前らってバカだよな」
そんな男達の在り方が、猪々子は好きで好きで仕方ない。
楽しそうに、嬉しそうに笑い掛けて、そのまま空を見上げて一息ついた。
談笑が聴こえる。疲れて身体も動かせない彼らの笑い声が聞こえる。
いい気分だった。彼女は最近、この時間が好きだった。強くなりたいと毎日のように猪々子に挑んでくる男共と、戦った後でこうした平穏な時間を共有するこの時間が。
自分の部隊のバカ共は四番隊の下位に預け、練兵と演習を繰り返しているが……彼女は彼女でこうして自分の目的を果たしている。
大陸でも指折りの強さを持つ徐晃隊と訓練をすること。
徐晃隊と平穏な時間を共有すること。
徐晃隊と一緒にメシを食らい……一人一人の名前を呼ぶこと。
猪々子は黒麒麟のしてきた事を真似ていた。ソレにはなれないと知っていても、辿った道筋をなぞることで見えることがあると思ったから。
聞いた話だ。
戯曲になってもおかしくない一人の男の物語。
兵士となったバカ共が子供の頃に夢見た英雄のような、そんな男の物語。
何が黒麒麟の力になっているのかを解き明かせば、中途半端な自分も強くなれると思った。
ただし、猪々子は黒麒麟になるつもりはなく、演じるつもりもない。
黒麒麟と同じになれば愛しい斗詩を泣かせることになる。あくまで文醜のままで、彼女は黒麒麟の力を取り込みたいのだ。
ただやはり、なぞればなぞる程わけが分からなくなっていく。こんなモノが力になるのかと疑問ばかりが浮かぶ。
兵士達との訓練については、乱戦や精強な兵士に囲まれた時の状況対応という実りはある……が、笑い合い、メシを喰らい、名前を覚える、この三つが分からない。
徐晃隊の者達に聞いてみても『文ちゃんは御大将の強さってもんが何か分かってねぇな』と呆れられ、九番隊だけに構っとけと笑われる始末。
彼ら曰く、徐晃隊九番隊は部隊として完成されている、とのこと。それを崩すのは良くない、とも言っていた。一個大隊として、彼らは文醜隊を認めているのだ。
変に他の部隊の色を付けるよりも、彼女のやりたいことを一番実現させられる部隊にすればいい。それが彼らの言いたいこと。
まあ、説明されても諭されても、お構いなしに黒麒麟の真似事を続けている時点で、彼女は意地を張り続けているわけだが。
彼らはそんな意地っ張りが嫌いではない。自分達よりも隔絶された武力を持っているが、強くなりたいと願うのならそれもまた同志である。
益州の道中でずっと続けてきた今となっては、彼らの方から猪々子に挑みかかっていたりもする。
基本的に、今の秋斗は部隊の訓練に関わらない。練兵は猪々子に任せているし、鳳統隊に至っては調練メニューが決まっているからすることが無い。
猪々子と一騎打ちをして、鳳統隊の上位勢と一対多の訓練を行い、猪々子と一騎打ちをして、九番隊や鳳統隊の兵達を操る詠の指揮を盗み、また猪々子と一騎打ちをするくらい。
そんな兵士とあまり関わっていない彼相手で、猪々子は部隊同士の演習に於いて一度も勝てていない。
徐州の墓参りの時から、彼は四番隊や元文醜隊と極力馴染めるように話し掛け、名前を呼びさえしないモノの絆を繋いでいる。元文醜隊に関しては猪々子に倣ってか“アニキ”と呼ばれる始末。
演習をする度に頭の良し悪しが原因とも思うのだが、詠が軍師として着いても猪々子と九番隊は、彼の操る鳳統隊に勝てないのだ。
故に、仲良くなれば強くなるのかなぁ、と漠然と考えてしまうのも詮無きこと。
猪々子が黒麒麟の真似事をしているおかしな現状はそうして出来上がっていた。
毎日を過ごす内に仲良くなった今、別に何も変わらないなと猪々子は感じている。強さについて此処まで頭を悩ませたのは、彼女にとっては初めてかもしれない。
閑話休題。
夕暮れ。今日の訓練も終わり、夕餉の炊き出しを行い始める時間。
一日くらいで帰ってくると思っていた詠と秋斗は未だ帰って来ていない。詮索するつもりはなく、心配すら感じていなかった。
彼への信頼か、はたまた詠への信頼か……実の所、猪々子の心の中ではどちらも否。
第四の部隊長と連隊長が着いて行ったのだから何かが起これば直ぐに連絡があるはず……と、猪々子が信頼しているのは詠と秋斗よりも彼らに対してであった。
自分よりも武力は劣るが、彼らが黒麒麟のことで間違うとは思えなかった。現場の判断をするには時間が掛かる。詠が判断しきるまでに一人が連絡を伝えるだろう。
その為の二人組であり、一番強い二人なのだ。何があろうと命令を遂行する彼らだからこそ、猪々子は信頼から心配を露ほども感じていなかった。
故に、漸く息を整えてむくりと起き上がった猪々子が、視界の遠くに影を見つけた時、胸に湧いたのは安堵ではなく納得。
四人並んで歩いてくる姿は変わらず、待ちくたびれたとばかりに大きなため息を吐き……緩んだ口元、人懐っこい笑みで四人を迎えた。
「おっせーぞアニキ! 詠も、一日くらいで帰ってくるって言ってたのに」
「……悪かったわよ」
「すまん、ちょっと勝手が過ぎたな」
「へへ、素直だから許す。
とりあえずメシ作ってくれよ。こいつらと一緒に鹿肉とかいろいろ獲っておいたからさ、今日は皆で鍋がいい」
「おま……俺に料理しろと?」
「当ったり前だろ!? 自分勝手したならごめんなさいして気持ちを返すって、ガキでもやってることじゃん」
「ぅぐ……」
呆れのため息が宙に溶け、さすがにそこまで言われては彼も言い返すことなど出来ず。
「くく、お前さんらの責任だ、対価は行動で示して貰おうか……」
若干落ち込んだ彼に対して、ここぞとばかりに猪々子が彼の真似をして茶化した。
「っ……ぶ、文ちゃん、それ徐公明ならぜってぇ言う」
「だろ? アニキっぽかった?」
「くっくっ、悪い顔してるとこがいいな」
「まあ、似てねぇけど」
「えー、せっかくバカ共と一緒に練習したのにー」
「そんなくだらねぇことしてたのかよ……」
「あ! くだらねぇって言ったな!? くだらねぇことだって言うならアニキが誰のモノマネしてたかばらしてもいいよな?」
「さぁて、楽しいお料理でもするかね。疲れて座りこんでるんじゃねぇぞ野郎共! 二十八、四十六、六十五のバカ! お前ら食事当番だろ、他の当番呼んできて手伝え!」
第四の隊長と連隊長の乗っかりに応える猪々子。秋斗さえ巻き込む仲良さげな様子はどこから見ても徐晃隊の一員にしか見えなくて、詠はいつも通りに、バカ共に対するため息を零した。
「ほんと……バカばっか」
さっさと走り去って行った彼の背に微笑みを向けながら。
一寸の間。背が見えなくなると同時に、彼女は猪々子を見上げた。瞳に宿すは知性の輝き、軍師としての詠が其処に居た。
「バカ達の様子を見る限り問題は無かったみたいね」
「ん? ああ、いつも通りの練兵してたぞ」
「そ……分かった。こっちはちょっと予定変更よ。あんたが鍋を所望してくれて助かったわ」
「鍋で?」
「うん。鳳統隊は特殊任務に向かわせるから一緒の時間減っちゃうし。纏まった食事の時間って暫らく出来ないから」
「特殊任務、かぁ。ならしょうがないけど……あいつらと戦えないのやだなぁ」
「へぇ……気に入ってるみたいね」
「うん、強くなりたくて向かって来て、日に日に強くなってくあいつらと戦うの好きなんだ。あたいんとこのバカ共も影響されてるけど、やっぱりあいつら程じゃない」
「なに“当たり前のこと”言ってんのよ。元文醜隊の連中とあいつらを比べても意味ないわ。あいつらは普通の部隊の力量で測れる強さを越えてるんだもん」
首を傾げた。何故疑問に思ったのか自分で気付けなくとも、その言に違和感を覚えた猪々子は正しい。
軍師という生き物は現実的な物差しで物事を測る。力量で測れる強さを越えてるとは、通常の人間の尺度では測れないという思考放棄に等しいのだ。
夕や郭図を見てきたからこそ、彼女は違和感を感じ取った。
「じゃあ詠はあたいや九番隊に足りないモノが分かるのか?」
考えて思い付いたのはそんな質問。語るからには理由が分かるはずだと希望を込めて。
見つめ返してくる瞳は力強く、猪々子は僅かに圧された。
「……人、そして部隊によって強さは違う。あんたはあんたがしたい戦いを突き詰めたらそれだけで強くなれるわよ。
それじゃ、ボクも料理手伝いに行くわ。兵の纏めは任せるからね」
訳が分からない、と首を傾げる猪々子。それ以上は詠も語る気が無いらしく、小さな吐息を落としてその場から歩いて行った。
「わっかんねぇなー……。
ま、いいや。とりあえずメシの準備させなきゃ、だな」
ガシガシと頭を掻いてから、彼女は直ぐに思考を切り替える。
悩んでいる時間が勿体ないと、今はせめて目の前にある楽しいことを優先しよう、と。
遠く、動き出した猪々子を見つめながら、詠はぽつりと独り言を呟いた。
「……あんたの部隊、ボクが軍師として付いても勝てないのはね……徐晃隊の想いの強さ、心に持ってる決死の覚悟の大きさの違いよ。
徐晃隊は皆、黒麒麟が戻ってくるまで一度の敗北さえ許さない。それが例え演習であっても部隊として負けちゃったら、“自分達が絶対に戦いたくない相手”に勝てないって証明になっちゃうもん。
自分の主が裏切る可能性を理解して、最悪の場合は自分達の刃で止めを刺そうなんて覚悟……あんた達に持てるわけないでしょ」
続けて、それでも……と一言。
彼女の判断の中には、もう一つ確信したモノがある。嬉しそうな笑みは、猪々子を将として認めている現れだった。
「徐晃隊には勝てないって言っても、あんた達は強くなってるわよ。曹魏五大部隊の次くらいには、ね」
†
食事はつつがなく、彼ららしい楽しい時間で終わりを迎える。
食べた後の片付けをするのは彼らにとって当然のこと、皆で協力して寝る準備に取り掛かるのも見慣れた光景であった。
成都の街から二里ほど離れたこの場所で、野営の陣は最小限の篝火に照らされて朱色が映えていた。
さて寝るか、と彼も陣幕の火を消そうとした時に……人の駆けてくる足音が一つ。
詠や猪々子のモノでは無い。音の重さからして、間違いなく兵士の伝令であった。
「何かあったか?」
「ああ、徐公明を出せって女が二人来たぞ」
幕の外から伝えられる聞きなれた砕けた口調での報告に、彼はすっと目を細めた。
「どんな女だ?」
「銀髪の胸がでっけぇ女と黒髪に白髪が混ざった気の強そうな女だ」
「へぇ……来た時の様子は?」
「とりあえず出せって黒髪がうるさく喚いてたけど銀髪の方が殴って止めてた。会って話がしたい、だってよ」
「そうかい。ありがと」
「おうよ。で、どうする?」
誰が来たのか問いかけて、与えられた情報に浮かぶのは納得の一文字。
芯強きモノの根幹を揺さぶり、無力の泥沼に突き落としたのだ。雛里達からの情報通りならば劉備はいつでも折れない強さを持っていたらしく、今回のことによって部下達に動揺が走るのは分かっていた。
新参者で慕っているモノからすれば苛立ちが湧いて当たり前、秋斗の行ったことに対して何かしらのアクションを起こすのは間違いない。
――なんとまぁ、お早い事で。おちおち軍議も出来やしねぇ。どっちが提案したのか分からんが、どちらにせよ厳顔が来てる時点で少し趣向を凝らすべきかね。
ただ、こんな速くとは思わなかった為か、驚きが少し。それでも秋斗の顔はどこか楽しげ。
自分の予測程度を覆してくれるのは嬉しいことだ。常に最悪の結果を想定して動く彼にとって、敵の予想外の行動が一番安心感に繋がる。
自分には読み取れない深い部分で動かれると厄介だが、こうして表だって予想外をしてくれるなら万々歳、といったところなのだ。
軍師との頭脳合戦は彼の苦手な戦場だ。緻密な計算で創り上げられると遊ばれるのがオチである。曹操軍の軍師連中に普段から手玉に獲られているのがいい証拠だった。
彼に出来ることは、自身が不可測を連続させる渦となり、巻き込み引き摺り込んで自由を奪うこと。僅かな綻びを“作り出し”そこから即時対応を積み上げて戦を切り拓くという……軍師であればまず選ばない危うい橋しか渡れない。
華琳はその完成系であるが、秋斗は華琳ほどの頭脳は持っていない。故に、彼の不可測は軍師が隣にいる状況でこそ輝くと言える。
では今回はどうか。
敵がしてきた即時対応に対して、どういった対応を取るか……秋斗が瞬時に判断したことは、一つだけ。
――“俺が動けないようになる”のが最善、か。
彼が行うのはいつっだって逆算思考。必要なのは結果と証明式で、数学で問一の答えを見つけるかの如く式を頭の中に書き連ねる。此処から始めようと、敵の不可測の動きさえ彼は呑み込んだ。
僅かに、彼の顔が苦悶に歪む。無意識で胸をぎゅうと握りしめた。
ビシリと胸が痛むのはこれから行う道筋で犠牲になる命の数を把握しているから。
悲哀が湧いてきそうになるのは、弾劾されるに値する矛盾の大きさを知っているから。
歓喜が湧いてきそうになるのは、確かに世界を変えられると確信しているから。
薄く笑った。不敵な笑みは、官渡の戦の前に見せたモノと相似でありながら、渦巻き始める黒の闇色は渇きの深さからか、昏い怨嗟を知った黒麒麟のモノとも似ていた。
「客人の招待場所は……そうさな、食事場に案内してくれ。えーりんと猪々子、それに第四部隊長と連隊長も。俺はちょいと遅れて行く」
「了解だ」
つらつらと語られる指示に軽く了承の意を伝え、伝令の兵士は天幕に背を向ける。
「あ、それとな。全員叩き起こして見物していけ。どうせ七日程度で移動するから陣を警護する必要もないし、俺らに草が混じってもすぐ分かる。見世物の観客は大いに越したもんはねぇから第九にも伝えとけばいい、一口いくらにするかは任せるよってな」
「……また変なこと考えてんのか」
「クク、ちょっとした悪戯さ」
楽しそうに、可笑しそうに彼は笑う。何処か渇いた笑い声は、矛盾に彩られた心から零れる戦場での音色。それは記憶を失う前の彼しか持てなかったモノ。
天幕の中からの声だけに、伝令の兵士は何故か心が躍るのと同時に泣きそうになった。
夜に聞いたことだ。益州を地獄に落とすと。作られた平和を壊し地獄を作り上げることは彼らとて初めてのこと。
――もし、“御大将”が此処にいたなら……お前と同じように笑っただろうよ、徐公明。
官渡を越えて、絆を繋いで、彼を見てきた徐晃隊の兵士達はもう認めていた。
まだ戻らない男がいつだって、“お前らは俺と同じだ”と言っていたからか、今度は自分達が認める番。
「なぁ、あんたはやっぱり俺らと同じだよ。矛盾に潰されそうで辛いときはさ、一緒に酒でも飲もうぜ……黒麒麟のマガイモノよぉ」
返答も聞くことなく男は走り出す。かっこ付けた自分が少し照れくさくて、さすがにこれ以上はその場に居られなかった。
遠くに走り去る荒い足音を耳に入れて、ふと気付けば胸の痛みが消えている。いつもはただじっと耐えるしかなかったというのに。
天幕の入り口をじっと見つめながら、彼はふっと吐息を漏らした。
「……バカが」
優しい微笑みを浮かべ、じわりと胸に湧く確かな暖かさを大切に仕舞い込んで。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
お留守番組の猪々子ちゃんと部隊のバカ共のお話。
見えない絆を繋ぎ始める猪々子ちゃんのようです。猪々子ちゃんかわいい。
次回は客人のお相手を。
厳顔と魏延が現れた!
戦う
餌を投げる
胸をもむ
ニア ロリコンなんで興味ないです
多分こんな感じで(大嘘)
あと、ちょっとした蛇足も入れます。
ではまた
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