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大切な一つのもの

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35部分:第三十五章


第三十五章

「だからこそ私はここにいる」
「ではクンドリーよ」
 騎士は彼女の名を呼びました。
「貴女は何処におられるのですか?」
 そう彼女に問い掛けます。
「貴女は。姿さえ見えないのですが」
「私はすぐそこにいる」
 その問いに対するクンドリーからの返答でした。
「貴方のすぐ側に」
「私の?」
「そう」
 また騎士に答えます。
「貴方のすぐ側に。さあ目を凝らして」
「目を」
 まるで騎士を誘うかのようです。騎士はその声を疑いもせずに従います。それはあたかも子供が母親の声に従うかのように。そうした感じでした。
「前を見るのです」
「わかりました。それでは」
 言われるまま目を凝らします。するとそこに。
 黒く長い髪に琥珀の瞳を持つ艶のある女がそこにいました。細かい肌は雪の色で唇と頬は薔薇の色です。紅と淡い赤の薄い絹の服に身を包みすらりとした長身を持っています。それでいて豊かな肢体をしており騎士をじっと熱い眼差しで見ています。
「貴女がクンドリー」
「そう、私がクンドリー」
 クンドリーはまた名乗りました。
「貴方をここに来るのがわかっていたの。だからこそ」
「ここに」
「この世で最も貴いもの」
 クンドリーもまたそれについて言います。
「それはこの城にあるわ。貴方が考えた通り」
「やはりそうでしたか」
 騎士はそれを聞いて声をあげました。予想が当たったと思ったのです。
「ではそれは一体」
「それは形のないもの」
「形がない!?」
「そう」
 妖艶な美女クンドリーはそう騎士に告げます。
「形のないもの。決して掴むことはできない」
「ではそれは一体何なのでしょうか」
「しかし手に入れることはできるもの」
 美女はまた言うのでした。思わせぶりに。
「貴方もまた」
「私も手に入れるころができるのですね?」
「そうよ。必ず」
 話す間騎士をじっと見ています。まるで見詰めるかのように。
「手に入れることができるわ。必ずね」
「ではそれは何処にあるのですか!?」
 騎士は焦って美女に尋ねました。
「形のないものとはいえこの城にあるのですよね」
「そう。この城にあるわ」
「では一体何処に」
「目の前に」
 美女はまた言いました。騎士を見詰めたまま。
「あるわ。それは」
「目の前に、ですか」
「貴方は今それを見ている」
 美女はまた言うのでした。さながら囁きかけるように。
「今も」
「ですがそれは形にはないものでは?」
 騎士には全くわかりません。目にも態度にも戸惑いがはっきりと見えます。
「それをどうして今私が見ているのか」
「残念ね」
 美女はそんな戸惑う騎士を見てふうと溜息をついたのでした。
「そうしてずっと気付かないなんて」
「気付かない。何に」
「貴方は。今まで騎士としてだけ生きてきたのね」
 今度はこう言うのでした。溜息と共に。
「それで他のことは何も知らなかったのね」
「知っているも何も」
 そう言われても騎士にはわかりません。相変わらず戸惑ったままでした。
「私が見ているとは」
「それが何かは知りたいのね」
「当然です」
 生真面目な言葉でした。その生真面目な言葉がそのまま彼の心で美女にも伝わりました。ですが美女の心は騎士には伝わっていません。
「何処にあるのか。それを手に入れるにはどうすればいいのか」
「手に入れるには」
「ええ。手に入れるには」
「目を閉じればいいわ」
 その言葉には少し苛立ちが見えます。しかし騎士はそれにも気付かないのでした。
 
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