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乱世の確率事象改変

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紗を裂く決別の詠



 じりじりと突き刺すような視線。敵意が全面に押し出されているソレは、彼だけに向けられていた。
 いや、敵意というには生温いかもしれない。武器に手を掛けながら向けられているからか、いわば殺気に近い。

 屋敷の前に居るのは男が三人に少女が一人。門の真ん中で番犬さながらに唸っているのは女一人。
 彼はその女に見覚えがあるし、女も彼のことを直ぐに思い出した。
 街であったいざこざを解決して、桃香に褒めて貰おうと思っていたのがその女――焔耶である。愛紗や星や鈴々であればあの程度の事案は直ぐに片づけられたはずで、自分も同じように認められたかった……忠義というには下心が出ているが可愛らしい承認欲求だ。

 妄想の中では、桃香に凄いと褒められ、愛紗達にも認められ、師である厳顔にも一人前とお達しを受け、堂々と劉備軍の将を名乗る……そんな未来を思い描いていた。
 しかし……現実では、どこの誰とも知らない男が飄々と、しかも自分には出来ないであろう見事さで解決してしまった。

 苛立ちは昨日からずっと続いている。人質の幼子を押し付けられて追い掛けることも出来ず、夜もほとんど寝れない程の悔しさで打ち震えていた。
 焔耶は目の前に現れたその男を通さない。通すつもりが無い。

 曹操軍よりの使者と言ったのは少女だけで、男達は護衛だと言い張っている。
 それなら少女だけを通そうと言い切り、後は此処で待っていろとぶしつけに伝えるだけ。
 ただ、やはり気分が晴れなかったらしく、焔耶は冷たい眼差しを向けて男達を睨み、侮蔑に等しい感情を突き刺した。

「ふん……お優しい我が主、劉玄徳様が使者を危険になど晒すことは無い。それに“男如き”が居ても所詮は同じだ。多少は腕が立ったとしても、戦場では一対一など有り得ないし、兵士や暴漢相手ならいざ知らず我らのような将には敵わんのだから。
 お前らの代わりに私が守ってやるからそれでいいだろう?」

 威圧と傲慢を含んだ物言い。傷つけられた自尊心を満たすには、相手を貶めることが一番だ。
 彼の実力を下だと思いたい、自分よりも実力が高い男など存在しないと思いたい……言うなれば、自分が積み上げたモノを否定されたくない。

 呆気に取られたのは彼ら三人共であり、なんとも言えない表情で固まっている。
 それを言い返せないと踏んだのか、焔耶は彼らを鼻で笑った。

「なんだ、言い返せないのか。所詮は男など、その程度―――」
「ふふ」

 小さく、焔耶の言葉の途中で笑い声が漏れる。
 笑っていたのは、誰有ろう彼らでは無く、守られる側であるその少女であった。
 焔耶は気付かない。目の前の少女の虎の尾を踏んだことに気付かない。
 この世界の共通認識である……男は誰であれ女武将に敵わない……を頭から追い払えないが故に。
 血反吐を吐きながら強くなっていったバカ共を知らなさすぎるが故に。

「……な、何が可笑しい」
「ふふ、くく……笑わせないでよね。“劉備軍の新参”が……あははっ」

 堪らず、詠は腹を抑えて蹲る。
 何故笑われているか分からずに、焔耶のこめかみに青筋が走った。
 あ、やばい……と呟きながらも彼は止める気もないらしい。

「きっさまぁ……」
「新参なのは事実でしょう?」
「それがどうした。私は確かに益州で臣となったが、劉備軍でも一の忠義を桃香様に捧げている。新参だからと言って舐めるなよ」
「ふーん……実力と忠義は比例しないんだけど? 一番の忠義を持てば子供でも兵士に勝てるってことよね? ふふ、それじゃあ兵士が訓練を積む必要なんてないじゃない、おっかしぃ」

 浮かべた冷たい笑みが余計に焔耶の精神を逆なでする。
 挑発を繰り返す詠は、秋斗に肩を叩かれても肩越しに一つ視線を合わせて黙らせた。

――あ、やべぇ……怒ってる。

 瞳の奥に燃えていた炎を見つければ、彼であれど震えないわけには行かず。
 並んで後ろに立っていた二人の男達もそれを見てしまったのか、さっと視線を逸らした。
 見定めるような目を焔耶に向けた後、詠は盛大に、彼女をバカにするようにため息を吐いて一礼を行った。

「突然のご訪問失礼致しました。
 此度、益州に使者として参ったのは劉璋殿に向けてであり、劉備殿への使者ではありません。ただ、旧知であればこそ親交を深めようと思い参ったのでございますが、使者の連れも満足に通せぬ門番に出会ってしまっては私共も帰らざるを得ない次第に。
 男であれ、彼らは元劉備軍にして隊を一つずつ預かる身。劉備軍の兵士にも知り合いの一人や二人居りましょう。屋敷の護衛とあれば旧来の兵士、彼らの友も居りましょう。男であるからと跳ね除け、思い出にすら浸らせてやらないとは……なんとも冷たく、懐の狭い軍になったことで。これでは率いるモノの器も知れる」

 つらつらと語る。は……と両手を上げてため息を零した。
 皮肉を存分に織り込み、明確にしつつも詠本人と彼のことを伏せた言論は正論でありながら暴論。個人に対して向けるこれ以上ない挑発。
 感情的になるのは軍師では無い。感情を完全に消して追い詰めるのも軍師としては二流に等しい。
 感情を隠しながら感情を操れるようでなければ軍師では無い。詠はそれをよく分かっていた。

 智者だと名乗るのなら、敵対心や拒絶を推しだすだけのモノは三下。利を理解し利を求め、状況を判別した上で個人を消しつつ個人を混ぜ、本来の自身とは別の個人を作らなければならない。

 内に秘めた怒りを抑えて鉄面皮で対応することは出来る。怒りのままに激昂し激発することも出来る。
 しかしそれをしない。“曹操軍の智者達”がそのようなモノであるか? 否、否だ。

 強大なる覇王の望みは大陸の平定、支配。全てを呑み込まんとする者にして敵であれども誰彼を愛そうと約を掲げる人の頂点。

――その部下が、華琳の顔に泥を塗るようなこと出来ねぇわな。たかだか侮辱程度で完全な拒絶を示すなら、それはもう“曹操軍の軍師”じゃねぇ。侮辱を笑い飛ばせるような誇り高い人間になれと、華琳はいつだって示してるんだからよ。

 内心で一人ごちる。
 自分であれば緩く受け流して、というより自分から焔耶の話に乗っかってへらへらと笑い倒して誤魔化し通る。
 二人の兵士達も全く気にしていないし、怒ることでも無い。
 バカにされた事に対して詠が代わりに怒ってくれるのは嬉しいが、彼ら三人、果ては徐晃隊全てに於いては、笑い話にしかならない些末事。

 詠は彼らを固定概念に縛られた目で見られるのが嫌だから怒った。死に物狂いで鍛え上げてきた彼らを、“彼らよりも明らかに劣るモノ”に見下される事が許せなかった……そういうこと。
 それもまた誇りの一つだ。此処に華琳が居れば詠を愛でようと手を伸ばしただろう。
 彼らの誇りを守らんと反抗しつつ、曹操軍の軍師として理知的に挑発し、コトを有利に進められる主導権をもぎ取ったのだから。

「お前……私だけでなく桃香様をバカにしたな……」

 顔を真っ赤に染め上げた焔耶は怒りが頂点に達した様子。
 詠の誤算は一つ。
 もう少し頭の良いモノであれば良かったが、焔耶はそれほどよろしく無かった。
 チャキリ、と武器の音が鳴る。
 吊り上った目から殺気が叩きつけられた。

――其処で我慢出来なくなるのね。桃香に対して持ってるのは妄信か、それとも別のモノか……まあ、主の顔に泥を塗った自覚が無い程の単細胞だってことは分かったけど、武器まで抜くんだ。バカ過ぎ。

 挑発に挑発を重ね、手を出させてもこちらの勝ちだ。使者である以上、劉璋への謁見前に刃を向けられたとなれば問題は大きくなり過ぎる。
 戦をするに十分な理由を得られれば、華琳としても動き易い。不届きの対価として大きな果実を益州から得ることが出来るだろう。
 だが、詠としてはそちらの結果は求めていない。こんな低レベルな言論に刃を持ち出されても……目的の達成には不十分で、秋斗と煮詰めた結果を得るには未熟な対応。
 対価は増やせても縛りが増える。特に……劉璋に対して警戒を与えてしまうのがよろしくない。

――遣り過ぎたな、詠。

 だから、と止めようと動いた秋斗であったが……幸いなことに、焔耶の後方からの怒声で時が止まった。

「動くな、焔耶!」

 凛……と、場を引き締める麗しくも力強い一声。流れる黒髪は絶世と言わざるを得ない美しさ。整った顔の造形は男を魅了すること間違いなし。
 つかつかと歩み寄り、眉間に皺を寄せたままの麗人は……焔耶と顔が付くほどの距離で立ち止まった。

「愛紗、こいつらは――――」
「桃香様からの通達だ。お前は城に戻れ」
「な、何故私が……ひっ」

 突き刺されるは戦場かと見間違う程の殺気が場を包む。先ほどまで焔耶が発していたモノなど児戯に等しく感じられる死を振り撒く殺気が。
 黒髪の麗人……愛紗は焔耶の瞳を覗き込んだまま、詠達に聴こえないように小さく呟いた。

「お前は桃香様の顔に泥を塗るつもりか?
 調練中の鈴々、練兵中の星、文官仕事中の藍々を此処に呼べ。紫苑と厳顔殿も出来れば呼んでこい。大至急で行わなければ二度と桃香様には近付けさせんぞ」

 喉を鳴らす音がいやに大きく聞こえた。
 息をするのも億劫になる幾瞬の後、怯えた子犬のようにか細い声を焔耶は絞り出す。

「……わ、分かった」

 急ぎ走り出した焔耶は脇を通り抜け様、苦々しげに詠と秋斗を見やった。
 ほっと一息ついたのは誰であったか。愛紗も詠もそれぞれに安堵の息を漏らしている。
 黒い髪が頭を下げると同時に揺れる。
 彼は目を細めてソレを見ていた。懐かしい……と無意識に感じながら。

「客人に対し礼を失した行い、心より謝罪致します」
「堅苦しい挨拶も謝罪も必要ないわ。いきなり押し掛けたこっちにも非がある。事前に知らせてたら絶対にあいつを門番になんか立たせてなかったでしょ?」

 分かっている、と優しい声音で話す詠は切り替わっていた。
 焔耶とのことなど二の次、三の次。彼女としてはもっと……もっと抑えなければならない感情の渦があるのだから。

 少女の声を聞いてほっと胸を撫で下ろした愛紗は降ろした頭を上げ……驚愕のままその少女を見つめた。
 使者よりも彼に意識を向けるはずが、その少女の方に意識を持って行かれた。

「え、詠……?」

 白黒のコントラストが映える上下の衣服。掛ける眼鏡は知性を思わせ、深緑の髪が艶やかながら女らしさを際立たせる。
 覚えているモノとは少しだけ様相が違った。
 肩から羽織った“イヌミミフード”の愛らしいコートだけが記憶と違う。
 少しだけ相違であろうと、文官として仕事をしていた時の詠が居たから、愛紗は息を呑んだ。

――嗚呼……。

 対して、瞳の奥底に封じ込めた感情を見せないようにしていた詠が、内心に渦巻く黒い感情を見つめ直す。

――ダメだ……これじゃ……

 表情は動かさず、されどもジクジクと苛む心を抑えるので精一杯。こうして目の前に立ち自身の真名を呼ばれたことで、詠の中で膨らむ想いがあった。

 悲痛な泣き声を思い出す。
 七日七晩片時も離れず、必死になって看病をし続けていた小さな少女は泣いていた。
 何故、どうしてと聞いても答えられないほどの悲哀に沈み、小さな少女は一晩中泣いていた。

 目の前で絶望に堕ちる想い人を救えなかった痛みは、どれほど大きいのだろう。
 憎まれても当たられても、想い人から嫌われても構わない、それでもと彼の平穏を願った彼女はどれだけの痛みを耐えたのだろう。
 これから新しく、自分達の道を歩いて行けると思った矢先……想い人から喪失の言葉を告げられるのはどれだけ……絶望を感じたことだろう。

 やっと想いを伝えあえた愛しい人から忘れられるというのは……どれだけ……

――“アレ”が雛里の最後に出会った秋斗なら……

 ほんの少し前に出会えた想い人の姿を思い出して、彼女の心が締め付けられる。
 絶望の底で壊れた彼は、詠のことを見てすら居なかった。
 あの目を向けられても耐えた“愛しい親友と同じくらい大切になったもう一人の親友”を思い出せば思い出す程に、詠の心にドス黒い感情が湧き募る。

――こいつらを許せるわけ……ないよね。

 高速で回転し始める脳内は、詠の内心と所属勢力の利を同時に得る答えを弾きだす。
 幾分、詠は愛紗に向けて薄く笑った。

「“初めまして”。
 曹操軍よりの使者、“荀攸”と申します。以後……お見知りおきを。ただ……」

 雛里の絶望と、月の悲哀と、彼の苦悩を知っているから。
 詠は一つの決別を投げ渡す。この世界に生きるモノにとって、最大限の屈辱を与える決別を。
 なんのことはないと普通の声音を装いながら、過去の清算を言い渡した。

「覇王の臣にして黒き大徳が友、この荀攸の真名……僅か一寸の時間で預けた覚えは無いのだけど? もし、ボクを“侍女の詠”として呼んだのなら返して貰いましょうか」

 恩知らずと罵られようと、敵対示唆は明確に。
 嘗て雛里が桃香に突き付けた真名の返還をより深く。
 慕うモノが記憶を失い、大好きなバカ共が悲哀のどん底に落とされ、親友二人も絶望を感じた。雛里と同じことをしてもいいと思うほど、彼女達を許せなくなった。

 敢えて愛紗に言い渡した理由は……血の滲む努力を続けて行きた大バカ者共が信じたのに、真に並び立っていたはずの将である愛紗が信じなかったと理解しているから。
 大好きで愛しいバカ共と同じ想いを宿す詠は、共に戦う仲間を信じないモノを許すことは無い。
 秋斗とは違う宣戦布告を一つ。この敵対示唆が必ずや、曹操軍の利となると判断してのこと。

「……っ」

 愛紗は息を呑む。
 初めて直接突き付けられる拒絶の意に、憤慨することもなくただ打ちひしがれた。
 ふいと向けた視線の先、黒の男がため息を漏らす。斜め後ろから詠を見下ろすだけの彼は、なんら咎めもせずに困ったような顔を見せるだけ。
 何処かで、彼なら止めると思っていたのかもしれない。そんなモノは甘い認識だと教えられた。真名の返還という異端な出来事にさえ興味が無いと、その表情が伝えていた。

 視線が合った。
 瞳の中に嘗ての思いやりは無い。
 黒を覗いた。
 自分達に向けられていた信頼もやはり無かった。
 ビシリと痛む胸を抑えて、愛紗は泣きそうな表情に変わる。

 追い打ちを掛けるように、引き裂かれた彼の口から、彼女にとっては受け入れたくない言の葉が綴られた。

「さて……過去の話はもういいだろ? さっきの門番には旧知の親睦をとか言っちまったが……俺達は慣れ合いに来たわけじゃないんだ。
 傍若無人な使者を追い返すのか、それとも俺達と“話し合い”をする勇気があるのか……そちらの御意向や如何に、“関羽殿”?」

 一陣、寂しい風が吹き抜ける。
 心に吹き荒れたその風は、冷たい喪失感を愛紗の心に運び込んだ。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。
短くて申し訳ありません。


名誉の為に補足を。

焔耶ちゃん
嫉妬と自負から突っかかるような感じを出せていたら幸い。
この作品の彼女が男を下に見てるのは劉璋くんのせい。後々その辺り描きたいですね。桃香さんラブは原作通り。


今回はご挨拶なのでとりあえず軽いジャブを。
イヌミミコートを羽織ったえーりんは絶対かわいいと思います。

次話は早いうちに。

ではまた 
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