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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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圏内事件 5

「……ねぇ、皆」

 後のことは事件の当事者たちに任せよう――キリトの意見に全員が賛成し、四人が思い思いに時間を過ごし始めていた時。ずっと椅子から立ち上がることなく、ぽつんと佇むレストランを見下ろしていたアスナが、不意に声を発した。もう事件の緊張感から解放されているためか、その口ぶりからいつも攻略会議等で見せている冷たさは感じられない。

「もし……もし皆がギルド黄金林檎のメンバーだったら、超級レアアイテムがドロップしたとき、何て言ってた?」

 アスナの問いに、その場の全員が暫し黙考した。それだけの力を、その質問は持っていた。
 ――この世界の本質はリソースの奪い合いであり、そのヒエラルキーの頂点に立つ僅かな者だけが、強さという絶対的な優位を手に入れることができる。何故強さを求めるかと言われれば、それはただ「他人より上に立つ」という優越感を得たいがため、というプレイヤーが殆どだろう。そして、攻略組というのはそういうプレイヤーの集団だ。つまり、アスナの問いをより正確に読み解くとこうなる。「もしあなたの目の前に、求める強さを手に入れるチャンスが転がっていたとして。そして同時に、その強さを手に入れるに相応しいだけの実力を持ったプレイヤーがいたとして。あなたは。今まで他人を追い抜いて自らの強さを研鑽することに執着してきたあなたは。そのチャンスを相手に譲れるか?」――と。

「俺はギルドに入ったことも、ボス攻略戦以外で大人数のパーティーを組んだこともないからな。他人に何がドロップしようとそれを気にしたことはないし、気にするつもりもない。気にする必要もだ。……まあ、その場で何かを言うとすれば、費用対効果を考慮した結果どうなるか、といったくらいか。売った方が利益になるなら売ればいいし、誰かが装備した方が利益になるのであれば、一番その利益を引き出せる人物が装備すればいい。全てのドロップ品をギルドのものとみなすなら、それが一番合理的だ」

 真っ先に言葉を返したのは、無感情なポーカーフェイスの上に、どうでもいいとでも言うような表情を滲ませたマサキだった。その少し後に、今度は苦笑しながらエミが答える。

「わたしは……売却派に入るかな。アイテム分配でギルドの人たちが言い争うことって、結構見てきたから……」
「もともと俺は、そういうトラブルが嫌でソロやってるとこもあるしな……。SAOの前にやってたゲームじゃ、レアアイテムの隠匿とか、売却利益の着服とかでギルドがぎすぎすしたり、崩壊まで行った経験もあるから……」

 最後になったキリトは、そこまで言って再び黙考する。やがて、小さく首を振りながら「……いや、言えないな」と呟いた。

「自分が装備したい、とも言えないけど、だからってメンバーの誰かに笑って譲るほど聖人にはなれないな。だから……もし俺が黄金林檎のメンバーだったら、やっぱり売却派に入ったと思うよ。アスナは?」

 キリトが訊くと、アスナは目線すら動かすことなく即答した。

「ドロップした人のもの」
「へっ?」
KoB(うち)はそういうルールにしてるの。パーティープレイでランダムドロップしたアイテムは、全部それを拾ったラッキーな人のものになる。だってSAOには戦闘経過記録(コンバットログ)がないから、誰にどんなアイテムがドロップしたかは全部自己申告じゃない。ならもう、隠匿とかのトラブルを避けようと思ったらそうするしかないわ。それに……」

 アスナは何かに想いを馳せるように言葉を切り、窓の向こうを見つめながらも顔の端を少しだけうっとりとほころばせた。

「……そういうシステムだからこそ、この世界での《結婚》に重みが出るのよ。結婚すれば、二人のアイテム・ストレージは共通化されるでしょ? それまでなら隠そうと思えば隠せたものが、結婚した途端に何も隠せなくなる。逆に言うと、自分にドロップしたレアアイテムを一度でもねこばばした人は、もうギルドメンバーの誰とも結婚できない。《ストレージ共通化》って、凄くプラグマチックなシステムだけど、同時にとってもロマンチックだと思うわ」

 かの《血盟騎士団》副団長、《閃光》アスナのイメージからは程遠い――彼女もまた、同世代の女子となんら変わらない、ごく普通の女の子なのだと感じさせるような声。それに動揺したのか、数秒後、約束事のようにキリトが地雷を的確に踏み抜く。

「そ、そっか、そうだよな。じゃ、じゃあ、もしアスナとパーティー組むことがあったら、ドロップネコババしないようにするよ俺」

 直後、ガタンッ! と椅子を倒しながらアスナが立ち上がった。真っ赤に赤熱した顔に幾つもの感情をとっかえひっかえ浮かべた後、羞恥と怒りが混ざり合ったような顔で右手を振り上げた。

「ば……バッカじゃないの! そんな日、何十年経っても来ないわよ! あ、そ、そんなっていうのはつまり、きみとパーティー組む日ってことだから。変なこと想像しないでよ!」
「ぷっく……ふふっ……」
「ち、ちょっとエミ、笑わないで!」
「あはは、ごめんごめん。アスナもそういう反応するんだなって思ったら、おかしくて」

 機関銃の如く怒鳴ったアスナを見て、エミが口元と腹部を押さえて吹き出した。その反応にアスナはつんと顔を背け、流石に少しは傷ついたらしいキリトが口を尖らせて黄昏れる。
 その間に流れる空気はすっかりと弛緩し、交わされる言葉は普段どおり――いや、普段よりいくらか打ち解けたものになっている。しかしその中で一人、マサキだけはその光景を横目に見つつも渋い表情を崩さなかった。より正確に言えば、その会話を聞いて一層眉間のしわが深まっていた。

「……なあ、アスナ。お前、結婚してたことあるの?」

 ――何を言ってるんだ、こいつは。
 唐突に発せられたキリトの不躾も甚だしい質問に、マサキは脳の回転がブチッと音を立てて切れたのを自覚した。呆れ返ったマサキが首を振りながら額を手で支えた時には、既に隣ではアスナが攻撃予備動作でキリトに返答していた。

「うそ、なし、いまのなしなし!! ちがうんだ、そうじゃなくて……お前さっき、結婚について何か言ってたろ? ほら、ロマンチックだとかプラスチックだとか……」
「誰もそんなこと言ってないわよ!」

 両手を顔の前でブンブンと振り、一度は殴られる寸前で最悪の事態を回避したキリトだったが、結局犯罪防止コードが発動しないギリギリの強さでスネを蹴飛ばされてしまった。それを見て、呆れたような苦笑を浮かべていたエミが助け舟を出す。

「プラスチックじゃなくて、プラグマチック。実際的って意味だよ」
「実際的? SAOでの結婚が?」

 キリトが聞くと、アスナは「ふんっ」と鼻を鳴らして答えた。

「そうよ。だってある意味身も蓋もないでしょ、ストレージ共通化なんて」
「ストレージ……共通化……」

 ――『アイテムストレージ共通化』。その単語を耳にした途端、マサキの頭が再び高速で回転を始める。そして、この喉に魚の小骨が刺さったような感覚の出所は、今キリトが口にしたその単語だ。

 プレイヤー同士が結婚すると、その二人のアイテムストレージは完全に統合される。所持容量限界は二人の筋力値の合計分まで拡張され、二人の所持アイテムも、コルも、全て夫婦共有の財産として処理されることになる。それは大変な利便性をもたらすと同時に、レアアイテムの持ち逃げや浪費、結婚詐欺等に遭う危険性も孕んでいる。
 それ自体は、特別な知識でもなんでもない。一般的なSAOプレイヤーなら誰もが知っていること。しかし、その何処かにまだ発見できていない「何か」があると、頭の中で言いようのない気持ち悪さが訴え続けていた。

「じゃ、じゃあさ……、離婚したとき、ストレージはどうなるんだ……?」
「……!」

 キリトの質問が、ハンマーの如き衝撃でマサキの頭を揺さぶった。
 黄金林檎のリーダーは、グリムロックと婚姻関係にあった。つまり、超レアアイテムの指輪は、黄金林檎のリーダーとグリムロック、二人の共有ストレージに保管されていたことになる。そして、そのリーダーは殺された。その時、指輪をシステムはどのように処理したのだろう……?

「確か……幾つかオプションがあったはずだよね?」
「えぇ。自動分配とか、アイテムを一つずつ交互に選択していくとか……わたしも、よく覚えてないけど……」
「……離別じゃない。死別だ。死別の時はどうなる?」

 顔を見合わせて唸る女子二人に、今度はマサキが問いかける。二人は突然マサキまで加わってきたことに驚きつつも、首を捻りながら答えた。

「……基本的にオブジェクト化されたアイテム類は所有者の足元に落ちることが殆どだけど……。ごめんなさい、わたしもそこまで細かくは……」
「でもマサキ君、それがどうかしたの?」

 エミが聞き返すのを、マサキは僅かに目を伏せながらじっと聞いていた。そして、そのまま口元に手を当てて数秒黙考すると、今度は一気に言葉をまくし立てる。

「黄金林檎のリーダーは、グリムロックと婚姻関係にあった。つまり、二人のストレージは共通、アイテムの所有権も二人が保有していた。その状態でリーダーが死亡した場合、ストレージの容量は一気に減るだろう。そこでもし、入りきらなかったアイテムが所有者の足元でオブジェクト化されるとしたら……指輪は、グリムロックが手にしたことになる」
「えっ……じゃ、じゃあ……」
「指輪は……奪われて、いなかった……?」
「……いや、違う。前提条件が仮定でしかないが、グリムロックは、自分のストレージにあった指輪を奪った。グリムロックは、今回の事件ではなく、半年前の指輪事件の真犯人だった可能性が高い」

 マサキが告げると、アスナとエミが目を見開いて驚愕した。アスナが左手に握っていたレイピアが落ち、床に転がって重たい金属音を響かせる。二人と比べてキリトの反応が小さいのは、ある程度この推測が予想できていたからだろう。そのキリトが、再び緊張で重みを増した空気を押しのけて声を出した。

「だとすると……マズいぞ。この圏内事件のトリックを知っていたのなら、その途中で指輪事件の真相を知られるかもしれないと感付くはずだ。それなのに、ヨルコさんたちに協力したということは……」
「……口封じ。半年前の事件を全て、今度こそ闇に葬る腹積もり、か」
「……っ! わたし、団長に死別時のアイテム処理がどうなるか、メールで聞いてみる!」

 叫ぶように言って、アスナはホロキーボードに指を走らせる。が、突然ハッと何かに気付いたように顔を跳ね上げると、はしばみ色の瞳を絶望で暗く染め、頬の筋肉を硬直させながら激しく首を左右に振った。

「……ダメ。多分、団長はまだ装備部との会議が終わってない……もう終わりが近くなってはいると思うけど、それでも後二十分くらいはかかるかも……」
「……さすがに、そんなには待てないな。ヨルコさんたちには悪いけど、現場に行ってみるしかないか」
「でも……レッド、ギルド……の、構成員が来てるかも知れないんでしょ? もし戦闘にでもなったら……わたしたちだけで大丈夫かな……?」
「そりゃそうだけど……確証があるってならともかく、今の段階じゃあな。骨折り損になっても許してもらえそうなお人よしで、なおかつレベルの高い攻略組というと……」

 神妙な顔でキリトたちが話し合うのを、マサキは腕を組みながら黙って聞いていた。頭の中で、幾つかのパターンが並列的に展開され、計算される。
 エミたちの懸念はもっともだった。ここに集まっているメンバーは、間違いなく攻略組でも上位の実力者だろう。が、恐らく足手まといになるであろうヨルコとカインズを守りながらレッドギルドと渡り合うのは――しかも、聖竜連合幹部のシュミットがいると知った上で襲撃を掛けるような――厳しいものがある。
 それに、プレイヤーを“殺す”ことと、所詮プログラムの集合体であるモンスターを狩るのとでは、感じる忌避感に大きな差がある。非常に詮無きことではあるが、マサキはこの二日間で、この三人が気のいい連中で、何処にでもいるような普通の少年、少女たちであることを見てきてしまっていた。
 そんな彼らが、殺人犯(レッド)とは言え、人を斬れるだろうか?
 例え斬れたとして、その後彼らに圧し掛かる罪悪感を、彼らは背負いきれるだろうか?
 その罪悪感を背負ってもなお、彼女は――光沢のある黒い瞳を楽しそうに細め、はにかむような笑顔を浮かべながらいつも玄関先に立っている彼女は。そのままの笑顔を、浮かべ続けていられるだろうか……?

「…………」

 マサキは表情を変えないままに一度肺から息を抜くと、微かに目を伏せるようにして立ち上がる。

「マサキ君?」
「キリト、アスナ。攻略組をできるだけ掻き集めて十九層で待機していろ。ストレージの件が分かったら、インスタントメッセージで結果を伝える。もし予想通りだったら、そのまま現場に向かってくれ」
「分かったら……って、団長は今メールを返せないわ。それに、あなたはどうするのよ」
「決まってる」

 マサキは三人に背を向け、部屋のドアを開けた。そこで立ち止まり、首だけで振り返る。

「メールが駄目なら、直接聞き出すしかないだろう。時間が惜しい。手遅れになる前に、お前達もさっさと動け」

 ほんの少しだけ両目を厳しく細めてマサキが言う。直後、ひゅっ、と空気の流れる音がした頃には、マサキは一階に続く階段を駆け下り、軽い足音と風切り音を本人の体より僅かに長くその場に残しながら宿の外へ飛び出していた。



 空を覆う次層の底を貫くようにそびえる漆黒の尖塔。アインクラッド最強と名高い《血盟騎士団》本拠地の上層フロアを丸々使った会議室。《ブラストウイングコート》の持つ「一日に三十分だけ身体を透明にできる特殊能力」に《忍び足》スキル等、露見すれば非難は免れないであろう非マナー行為を駆使してその前まで辿り着いたマサキは、ギルドの意匠が大きくあしらわれた、趣味の悪い鉄扉を開け放った。
 外観と同じく漆黒の鋼鉄で覆われたその大部屋は、中央に半円形の巨大なテーブルが置かれているだけの寒々とした部屋だった。全面ガラス張りの壁際にはギルドの旗が交錯するように立てかけられている。かつかつと乾いた音を立てて中に入ったマサキに、卓に付いていた全員の視線が集中した。驚愕の色が殆どを占める中、真ん中に座るヒースクリフの真鍮色の双眸だけが、微かに興趣の色を滲ませてマサキを覗いていた。

「なッ……貴様、何者だ! どうやって入ってきた!!」
「マサキ、ソロだ。……お忙しいところ悪いが、あんたたちに用はない。団長殿をお借りする」
「なん……ッ!?」

 向かって左端の丸顔の男が強烈に机を叩いて立ち上がるが、マサキが冷淡にも聞こえる抑揚の少ない声で告げると、男はまるで酸素を欲する金魚のように、顔全体を赤熱させながら口をパクパクと開閉した。その目に驚愕、混乱、そして憤慨が激しく入り混じり、やがて憤慨に固定されたのだろう、怒気を抑えるつもりもない様子で怒鳴り散らした。

「ソロ風情が、戯言もいい加減しろ! おい、誰か! こいつを今すぐつまみ出せ!!」

 その言葉を合図に、近くで控えていたらしい男が数人飛び出してきてマサキを取り囲む。が、マサキはそれに目もくれず、真正面に座るヒースクリフをじっと見続けていた。
 圏内ではアンチクリミナルコードの適用によって、ある座標に自分の意思で静止しているプレイヤーを、他のプレイヤーが強制的に移動させることは不可能になる。もし強引に移動させようと腕力に訴えれば、それをシステムが検知してハラスメント警告を出し、それでも続けようとした場合には被害者の意思で相手を黒鉄宮に送致することが出来てしまうためだ。
 つまりこの場合、マサキを強制的に排除しようとすれば逆に彼らがハラスメント加害者として送致されてしまうのだ。それが分かっている衛兵は、マサキを取り囲みながらも困ったような顔を浮かべる。
 こうなった以上、二度と血盟騎士団の連中とはパーティーを組めないだろうな、などと考えつつも――もとより組むつもりなど毛頭ないが――、マサキはヒースクリフから目を離さない。
 二人の視線が静かに交錯する。
 これが他のギルドであれば、マサキもこのような無茶はしなかっただろう。したとところで、門前払いを喰らうのがオチだ。だが、ヒースクリフは違う。この男なら、怒るよりむしろ面白みを感じて誘いに乗ってくるのではないか――マサキはそんな算段を抱いていた。

「何をしている! さっさと――」
「いや、いい。……装備の調達は方針通りに。私は少し出てくる」
「なっ、団長!? 会議よりこんな奴を優先されるのですか!?」

 案の定、ヒースクリフは席を立ち、真紅のローブで包んだ長身をコンパスのように立てて歩いてきた。先ほどの幹部らしき男はまだ何事かを喚いていたが、ヒースクリフが命ずるとマサキを囲んでいた衛兵たちもその指示に従って下がっていった。

「さて。ご用向きは一体何かな?」
「二人で話がしたい。どこか場所はあるか?」
「それならば、私の部屋に来たまえ。案内する」

 音もなく歩き出したヒースクリフにマサキが続く。案内されたのは、会議室よりさらに数階上がったフロア、この尖塔の最上階だった。会議室と同じく大仰な扉をヒースクリフが開け、中に入る。こちらは部屋中に赤い絨毯が敷かれ、調度品の全てに高級そうな装飾が施されている。先ほどの会議室より暮らしやすそうではあるが、やはりお世辞にも趣味が良いとは言えないなとマサキは思った。

「さて、では話とやらを聞かせてもらえるかな。私に会議を放り出させてまでしたかった話とやらを、ね」

 部屋の奥に設置された執務机に座ったヒースクリフが問う。

「質問を一つさせてもらいたい。異性と婚姻関係にあるプレイヤーが死亡した場合、そのプレイヤーが持っているアイテムはどう処理される?」
「それは、一昨日発生したという事件に関係しているのかね?」
「まあな。で? どうなんだ」

 マサキが食い気味に言うと、ヒースクリフは「ふむ」と呟きながらテーブルの上で両手を組んだ。

「その場合の処理は、戦闘結果(リザルト)時に発生したアイテムドロップが所持容量限界を超えた場合などと同一だ。一方のプレイヤーが死亡した時点でストレージは縮小され、所持容量を超過した分のアイテムは、所有権を持つもう一人のプレイヤー――つまりは死亡したプレイヤーと婚姻関係にあったプレイヤーの足元にドロップする。……これでいいかね?」
「……ああ。十分だ」

 マサキは静かに答えると、切れ長の瞳を厳しく細めた。そして、小さく鼻から息を吐きながら軽く目を伏せる。
 マサキたちの推測は、ここまでは的中していた。つまり、レッドプレイヤーによるシュミットたち襲撃の可能性も高まったということだ。
 マサキは無意識に左手で自分の右手を掴んだ。背中から右手にかけて、何か冷たいものが這い回っているような感触だった。

「忙しい中、協力をどうも」
「ああ、待ちたまえ」

 マサキが足早に部屋を去ろうとすると、ヒースクリフに呼び止められた。一瞬鬱陶しそうに顔を歪めるが、振り返る瞬間にはいつものポーカーフェイスに表情を塗り直す。

「何か?」
「私からも一つ、質問をさせてもらいたい。……大事な会議を抜け出したのだ、それくらいの要求はできて然るべきではないかね?」
「スリーサイズなら断るが」
「それは残念だ。……いや、もちろん冗談だがね」

 マサキが冗談を飛ばすと、ヒースクリフは微かに口元を持ち上げた。すぐにいつもの冷淡な表情に戻すかと思いきや、意外にもそのままの口角で続きを紡ぐ。

「単刀直入に言う。君は何故そこまで、この事件に執着する?」
「……何?」

 ここでようやくヒースクリフの口角が元に戻り、同時にマサキが眉間に皺を寄せた。
 ヒースクリフが続ける。

「かつて私が君を血盟騎士団に誘った時、君はこう言って断った。「他人に深入りするのは性に合わない」。事実君は、その後どのギルドにも属さずに来た。だから、私は今まで、君は他人というものに興味を抱かない人間だと思っていた。しかし君は今回キリト君とアスナ君から要請を受け、直接は関係のない、赤の他人のために事件の解決に乗り出した。……私はそこが気になったのだよ。君は何故今回に限って、そこまで他人のために身体を張る?」

 しんと空気が静まり返った。ヒースクリフが何かを口にすることはなく、マサキもまた、何のいらえも返さない。ただ少しだけ顔を下に向け、軽く目を瞑って考え込んでいた。
 エミ、キリト、アスナ、ヨルコ。今回関わった人間の顔が走馬灯のように駆け巡る。

「……もし今回の事件が本当にコードを無効化して行われたものであったなら、その対策を練ることは俺自身の安全を確保するためになる。自分の命が惜しいなら、協力して損はない」

 ゆっくりと目を開け、マサキは床に敷かれた絨毯の模様を眺めながらぼそぼそと喋った。ヒースクリフに見えないよう、もう少し余計に顔を地面に向け、口角を上げて表情筋を固定する。
 全ての選択肢を否定した結果即興で作り出した嘘だったが、不思議とそれが一番しっくりくる気がして、マサキは自然と笑っていた。

「本当に、それだけかい?」
「ああ。……他に、一体どんな理由が有る?」

 マサキは声のボリュームと一緒に、表面に冷淡な笑みを貼り付けた顔を上げた。
 これ以上なくマサキらしい笑顔だった。
 ずっと、何も変わらない。自分はそういう奴だ。
 
 

 
後書き
 予定より随分長くなってしまいましたが、次話で圏内事件編は(多分)終了です。 
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