真・恋姫†無双 劉ヨウ伝
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第160話 黄承彦がやってくる 後編
前書き
文章が思い浮かばなくて五千文字位しか書けませんでした。
「車騎将軍、この度は謁見の栄誉を賜り感謝いたします」
黄承彦は正宗に対して拱手し深々とお辞儀をした。都がある司隷州河南郡の出身だけに彼女の立ち居振る舞いは礼式に則っていた。彼女の教養の高さが伺いしれた。
「黄承彦、よく来てくれた。此度の訪問嬉しく思うぞ」
正宗は笑みを浮かべ黄承彦に言った。彼女の訪問してきたことに難色を示していた人物の表情とは思えなかった。彼は彼女に笑顔を送ると視線を彼女の連れの者に視線を移した。
「鳳子魚と申します。車騎将軍のご活躍を聞き及び参上した次第にございます」
黄承彦の連れの者は自らの名を名乗り仰々しく拱手して挨拶した。彼は鳳徳公だった。正宗は両目を見開き暫し彼のことを凝視していた。正宗が朱里に一瞬視線を向けると朱里は目を泳がせていた。
「荊州でも指折りの名士二人が私の元を訪ねてくるとは、今日は僥倖であるな」
正宗は笑みを浮かべ両名を順に見た後、一瞬にして神妙な表情に変わった。
「黄承彦、鳳子魚。お前達の訪問は嬉しい限り。宴席の場を設けたいところだが。今は皇帝陛下のご下命を受け行軍の途上にあり、お前達を持て成す余裕がない。申し訳ないが日を改めて宴席を設けたいがどうだろうか?」
正宗は黄承彦、鳳徳公を気遣うように声をかけ、面会を切り上げようとした。彼は黄承彦との会話を早く切り上げたいようだった。だが、彼は鳳徳公を士官させたいため、鳳徳公の心証を害さないように気遣う態度を示したのだろう。黄承彦がそれを計算した上で鳳徳公を口説き落して同行させたのなら相当のやり手だ。
「車騎将軍、お願いしたいことがございます」
黄承彦はいきなり一歩進みでて正宗に対して両膝を着き平伏した。正宗と同席している彼の側近達は表情が固くし緊張したものに変わった。黄承彦の夫は蔡瑁の実兄である。彼女が蔡一族の族滅を進める正宗に願いがあるとすれば、三族の中に含まれる夫とその子の黄月英の助命しかない。正宗が前回の蔡一族の納める村の襲撃で虐殺を敢行した直後であれば尚更その可能性が高い。正宗は難しい表情で黄承彦を見た。
「黄承彦、願いとは何だ?」
正宗はゆっくりと口を開いた。
「車騎将軍への恭順の証として私の夫と息子の両目を潰し両足の腱を切りました。つきましては実検の使者を立てていただきたく存じます。また、此度の討伐に私を同行することをお許しいただきたく存じます。微力ながら私兵五十名、食客二百名を引き連れて参りました。車騎将軍のお許しがいただければ兵と食客を呼び寄せたく存じます」
黄承彦は驚愕する話を淀みなく話した。対して正宗達は一瞬驚愕の表情を浮かべた。
「それは真か?」
正宗は直ぐに冷静さを取り戻すと黄承彦に質問した。
「はい」
黄承彦は短く返事した。彼女は自ら夫と息子を傷つけることで二人の命を救おうと考えたのだろう。果断な性格である彼女らしい行動といえたが常人にはできないことだ。
正宗は黄承彦の答えを聞くと沈黙し彼女を凝視した。
「黄承彦。夫と息子の助命が願いか?」
正宗は徐に口を開くと黄承彦に言った。彼から黄承彦の夫と息子の助命の話を振ったことを朱里、伊斗香、桂花は止めることはなかった。黄承彦の行動は徹底した恭順の意を正宗に示しているからだ。
「私は車騎将軍への忠誠の証を立てただけでございます」
黄承彦は正宗に助命の言葉を口にしなかった。正宗の決定に従うという態度だった。しかし、彼女が夫と息子を救いたいと思っていることは間違いないだろう。その証拠に黄承彦は緊張しているのか平伏した状態で肩に力が入っているように見えた。
正宗は視線を鳳徳公に向けた。彼は鳳徳公が黄承彦に知恵を授けたのでないかと考えているのかもしれない。
「黄承彦殿の夫と息子の顔は知っております。実検の使者の役目は私と秋佳にお任せください」
伊斗香が正宗に拱手し名乗りでた。正宗は朱里と桂花に視線を向ける両名とも頷いた。
「伊斗香、お前と秋佳に実検の役目を任せる」
正宗は伊斗香に許可を出した。
「秋佳を呼んで来てくれ」
正宗は陣幕内に控える近衛兵に声をかけた。近衛兵は正宗の命令を受けると陣幕を後にした。正宗は黄承彦に視線を移した。
「黄承彦、面を上げよ」
正宗は瞑目して黄承彦に声をかけた。そして、黄承彦が顔を上げるのを待った。黄承彦はゆっくりと顔を上げると正宗と向き直った。すると正宗は両目を開き黄承彦を見つめた。彼の表情は哀しみを湛えていた。黄承彦が家族を守るためとはいえ、その手で惨きことをさせてしまったことへの嘆きだろう。
「夫と息子の両目と両足の腱を切ったのはお前自身でやったのか?」
正宗は重い口を開いて黄承彦に聞いた。
「はい。このようなことを他人に任せることなどできません」
黄承彦は哀しいさを湛えた表情を浮かべ視線を地面に落とした。彼女は悩みに悩んだ決断なのだろう。正宗は彼女のことを見つめた後に瞑目していたが考えをまとめたのか口を開いた。
「貴公の覚悟は十分理解した」
正宗は黄承彦に敬意を表す言葉遣いに変わっていた。黄承彦の行為は普通の者には真似ができない。自らが家族に恨まれようと生きて欲しいが故に行った凶行だったからだ。
「貴公を疑う訳ではないが、役目上事態を確認しなければならない。許してほしい」
正宗は椅子から立ち上がり黄承彦に頭を下げた。黄承彦は正宗の態度に驚いているようだった。王爵にある者が名士とはいえ無位無官の者に頭を下げたからだろう。端から見ていた鳳徳公も驚いているようだった。
「恐れ多いことでございます。面をお上げください」
黄承彦は慌てた様子で正宗に言った。正宗は暫し頭を下げた後、黄承彦に歩み寄った。彼は布の上に座す黄承彦の前で片膝を着き黄承彦と目線を合わした。
「貴公に頼みがある。聞いて貰えるか?」
「頼みにございますか?」
「そうだ。貴公程の人物を在野に埋もれさせるには惜しい。この私に士官し力を貸してはくれないか? 夫と息子を不幸のどん底に落とした関係者である私の元で働くことは不本意かもしれないが考えてはくれないか?」
正宗は真摯な表情で黄承彦を見た。その表情を見た黄承彦は一瞬沈黙していたが直ぐに平伏した。
「私は只の商人にございます。このような私にお声をかけていただいたこと感謝いたします。車騎将軍のお話謹んでお受けいたします。非才の身なれど車騎将軍の御為に尽くさせていただきます」
黄承彦は正宗の家臣になる意思を固めた様子だった。正宗の家臣になることは家族を救う確率を高めるからだろう。この時点で正宗は彼女の家族の助命すると明言していない。だが、黄承彦はのらりくらりと劉表の士官の要請を無視してきた人物である。家族の命がかかっている状況とはいえ、安易に信念を曲げるとも思えない。彼女の中で正宗の何かが琴線に触れたのかもしれない。
正宗は黄承彦の返事に力強く頷いた。
「車騎将軍、私の真名は『紗耶夏』と申します」
「紗耶夏、私の真名は『正宗』という。これからよろしく頼む」
「正宗様のご期待に添えるように尽力させていただきます」
紗耶夏は面を上げると正宗は拱手した。その様子を鳳徳公はずっと凝視していた。
「車騎将軍、私も貴方様に士官させていただけませんでしょうか?」
鳳徳公は正宗に平伏して士官を願い出てきた。
「鳳子魚、お前が私に士官しれくれることは嬉しい限りだが、私に士官する気になった理由を聞かせて貰えるか?」
正宗は真面目な表情で鳳徳公を見た。鳳徳公の自発的な態度の変化に違和感を覚えた正宗は彼に質問した。
「無礼を承知で車騎将軍に申し上げさせていただきます」
鳳徳公は拱手した。
「車騎将軍は『宋襄の仁』を実践する愚者でないと理解したからでございます」
正宗は鳳徳公の話に苦笑した。朱里は鳳徳公の発言に困った表情で苦笑いをしていた。朱里の様子から普段から鳳徳公はこんな感じなのだろう。しかし、この場に泉がいれば鳳徳公に襲いかかっていたかもしれない。
宋襄の仁とは時と場合を考えずひたすら仁義を通し相手に情けをかける春秋戦国時代の君主である宋襄公の故事に由来する。彼は正宗が宋襄公と同じ部類の人間と思っていたのだろう。
「宋襄公か。手厳しい評価だな」
正宗も鳳徳公が自分の人物評をどのように捉えていたか理解したようだ。
「少々甘き方ではございますが、それは貴方様の慈悲深き性でしょう。車騎将軍はお若い。その心根を大事になされ大いにお悩みください」
鳳徳公は辛辣な評価を下しながらも正宗に敬意の籠った視線を送った。
「鳳子魚、私に士官してもらえるのだな」
「喜んでお支えいたします」
鳳徳公は正宗に拱手した。
「私の真名は『慈黄』と申します」
「私の真名は『正宗』だ。慈黄、これからよろしく頼むぞ」
慈黄は正宗に拱手した。
「正宗様、私は南陽郡太守・袁公路様の補佐をすればいいのですね」
「慈黄、良く分かったな」
正宗は慈黄の言葉に驚いた表情になった。
「情勢からいって正宗様が直接荊州を治めることはないかと考えておりました。そうなれば任せる人物は劉景升様になりますが、ここまでの不始末を為されては荊州の主としては不適格。折を見て首をすげ替えるしかありません。後任で荊州の事情に詳しい人物で正宗様と近き存在となれば袁公路様以外におりません。袁公路様であれば荊州の民を慰撫ことができましょう。そのために袁公路様を血生臭いことよりわざわざ遠ざけたのではございませんか?」
慈黄は正宗を探るような視線を送ってきた。
「慈黄、流石は荊州一の目利きだな」
「恐れ入ります」
慈黄は正宗に拱手した。
「私の私塾に通う若い者達にお役に立てる人材がおります。また、司馬徳操にお声をおかけください。彼女は私にとって妹同然の人物。信用に足る人物にございます。彼女は正宗様のお側に置くことをお勧めいたします」
慈黄は正宗に人物の紹介をはじめた。その中には司馬徽が含まれていた。
「司馬徳操。水鏡と号し私塾を開いて人材育成を行っているらしいな」
「はい。水鏡学院と申します。私の姪とそこにいる朱里は水鏡学院の門下でした。朱里、久ぶりだな。良きお方に仕えることができたようだな」
慈黄は朱里を我が子を見るような視線で微笑んだ。朱里は気恥ずかしそうに慈黄から視線を逸らした。
「二人は既知だったのか?」
「はい。私が朱里に頼んだのでございます。正宗様がどんな方か良い機会でございましたので様子を見させていただきました。噂など充にはなりません。この目で見てみないと判らないものです」
慈黄は正宗に向き直り頭を下げた。
「正宗様を試すような真似をして申し訳ございませんでした。ですが正宗様ならこの程度のこと許してくださると思っておりました」
慈黄は飄々とした表情で正宗に言った。
「食えん奴だな」
正宗は慈黄を苦笑して見た。
しばらくすると秋佳がやってきた。秋佳は紗耶夏の後ろ姿を確認すると誰か直ぐに分かったのかたじろいでいた。
だが正宗に呼ばれているので陣幕から去る訳にもいかず、おずおずと正宗に近づいていき拱手した。
「正宗様、お呼びとのことなので参りました」
「秋佳、紗耶夏の夫と息子が容体を確認する実検の役目を与える。仔細は伊斗香に聞いてくれ」
「畏まりました」
秋佳は紗耶夏のことを一瞬見た。
「秋佳、紗耶夏は私の家臣となった。しかし、家臣となったからといって手心をかけることなきようにな」
正宗は神妙な表情で秋佳を見た。秋佳は正宗の言葉に驚いた表情に変わるが直ぐに平静さを装っていた。
紗耶夏は動揺した様子の秋佳を凝視していた。彼女の視線は秋佳の顔に集中していた。彼女は秋佳が蔡瑁に鼻を削がれたことを人伝に聞き及んでいたのかもしれない。
「伊斗香と秋佳。改めて申し付ける。実検の役目を任せる。騎兵三百を預ける」
「仮にですが。もし、黄承彦殿の発言に偽りがあった場合はいかがいたしましょうか?」
「考えるだけ無駄だ。ありえない話を論じるなど時間の無駄でしかない」
正宗は紗耶夏を凝視したまま、それ以上何も言わなかった。伊斗香は正宗に対して拱手し、秋佳に目配せをし陣幕を去っていった。
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