藤崎京之介怪異譚
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case.5 「夕陽に還る記憶」
Ⅶ 同日 PM2:45
病気で一変した世界…。そこで彼女は一人ぼっちだった。どこを見回しても、心を癒すものなんてなかったと思う…。
そんな中で、一体誰が彼女の思いを否定出来ただろう…。
- 皆死ねばいい! -
きっと…最初はそんなこと考えもしなかったに違いない。
けれど…長い時の中で彼女の心は蝕まれてゆき、ついには崩壊を始めた…。健康を奪われ、家族を奪われ、良心を奪われ…そして、命まで奪われた…。淋しさが苦しみを呼び、その苦しみが哀しみを作り、そしてその哀しみが憎悪にまで育った…。信仰心の厚かった彼女のこと、きっと毎日祈っていただろう。だが…それすら塗り潰してしまう程の憎悪が、彼女の全てを呑み込んでしまったのだ。
両親の裏切り、自らの躰の裏切り…そして、彼女は気付いてはいけないことに気付いてしまったのだ…。
- 私は…偽者…。 -
今まで知ってはいても、優しい愛を持って接してくれた父。だが、どうだろう…病に冒された途端、掌を返す如く病院の一室へと押し込めた。
- 思い出も…偽物…。 -
全てが偽りだった。
彼女…朝実がそう感じても不思議じゃない。いや、寧ろ当たり前だと言えるだろう。自分が不治の病で、それは他人に伝染する病と知ってはいても…決して許すことなど出来なかっただろう…。
俺達は新幹線で東京へと戻り、新幹線を降りて直ぐにタクシーへと乗り換えた。
「眼鏡君?あなた一体何調べてるのよ…。」
新幹線の中からずっと、田邊はパソコンで何かを調べていた。
「いや…なんか引っ掛かるものが…って、眼鏡君ってなんですか?おばさん。」
「な…なんですって!?私はまだ二十八ですわよ!」
「ああ…充分おばさんですね。」
「失敬ですわ!眼鏡猿の分際で!」
狭いタクシーの中、二人がまた口喧嘩を始めたため、俺は二人へと言った。
「大人げないぞ!美桜、少しは黙ってられないのか?」
「だって…お兄様…」
「だってじゃない!田邊君も、いちいち美桜の挑発に乗らないでくれ!全く…二人共…。」
「申し訳ありません…先生…。あ…!」
その時、田邊は何か見付けたように言葉を切った。
「どうしたんだ?」
俺が問うと、田邊は横にいた俺を見て言った。
「先生。いくらなんでも、ずっと育ててきた子供を見棄てられると思いますか?」
「…?」
俺は最初、田邊が何を言ってるのか分からなかった。だが、助手席へ座っていた美桜は分かったらしく、田邊へと口を開いた。
「何か分かったんでしょ?小野家のことで。昭和初期、小野家は大富豪で、貴族でもあったんですもの。そこから何か見付けたんでしょ?」
「ご明察ですよ。ただのブラコンじゃないようですね。」
「うっさいわね!さっさと話したらいかが!」
「はいはい…。」
この二人、やっぱり意外と仲良しさんなんじゃないかなぁ…。怖いから言わないけど。
そんなことより、田邊が探してたのは、やはり昭和初期の小野家のことだった。
田邊の話によると、小野家には朝実の他に、四人の子供がいた。尤も、この四人は小野夫妻が引き取った養子で、朝実の死後に縁組みをしたのだそうだ。
夫人であるトミイは、朝実を産んで後病にかかり、子供を産めなくなっていたのだ。
「そんな話…佐吉さんとカネさんは一言も…。」
俺は不思議に思い、ぼそりと呟いた。
「そうなんですよね…。でも、これって大戦中のことなんですよ。それも両親を亡くした子供ばかり。」
「でも眼鏡。その四人の子供って、佐吉さんが知らないくらいだから、墓も近くになかったんじゃないの?それっておかしいんじゃない?」
「まぁ…先があるので…って、眼鏡は止めて下さい。」
田邊はにこやかにそういうと、それを見た美桜は顔を引き攣らせて前に向き直ったのだった。
再び田邊の話へ戻そう。この四人は皆男子で、各々婿養子になったという。その一人、当時から続く名門である柳原家に入った耕介という人物が、田邊が今見ているものを書いたようだ。
「耕介氏によると、育ててくれた小野夫妻は、娘の死を自分達の責任と感じて、生涯その哀しみから逃れられなかったそうです。夫妻は朝実が結核になった時、海外にまで医者を探しに行ったそうですが、連れ帰った時には、既に娘は墓の中で、あまりのショックに床へ臥せったそうですよ。これは誰にも語ることがなかったそうなんですが、どうも自らに罰を与えるためだったみたいですね…。」
「罰…?」
「ええ。恐らく…他人に責められることで、自らを罰していたのかと…。そうすることによって、精神を安定させていたのかも知れませんね。」
これが真実なら…全ての矛盾が解かれる。
「お兄様。それじゃ…佐吉さんとカネさんが言っていたこって、半分だけだったってことですわよね?」
「そうなるな。多分、二人も知らされてなかったんだろう。罰してほしかったんだ…娘を守れなかった愚かな親を…。」
なんてことだ…。朝実は…こんなにも愛されていたと言うのに…。両親である秋吉とトミイは、必死になって医者を探したに違いない。他の家族を巻き込むことを避け、娘を一人病院へと送った時の気持ちは…きっと俺には分からないだろう。胸が張り裂ける思い…その表現すら足りない程だったんじゃないか…。
それを…霊は利用したのだ。いや…利用するつもりで…作ったのかも知れない…。俺はそう考えると、はらわたが煮えくり返る思いがした。
「田邊君…真中君に連絡を。もう少しで到着するだろうから、正門に大丈夫そうなメンバーを集めておいてほしいと…。」
「分かりました。」
俺の意を知ってか、田邊は何も聞かずに連絡を入れた。
「お兄様…大丈夫ですの?」
「大丈夫だ。」
「私もやりますわよ。まだヴァイオリンの腕は落ちてませんし。」
「そうだな。」
俺はそう言って苦笑し、窓から空を眺めた。うっすらと夕陽の紅が空の青に掛かり始めていたが、夕と言うにはまだ早い。
「先生…栗山虎雄についても書いてあります。」
「何だって!?養子であるはずの耕介が、どうして朝実の実の父のことを…?」
「これを読む限りでは、どうも小野夫妻が亡くなった後、耕介氏自身が調べたようです。恐らく、朝実の墓の近くに埋葬場所を移動させたのを気にかけていたんだと思います。」
田邊は淡々と話を進めた。柳原家は名門で大富豪…その当主となった耕介は、あらゆる手を使って情報収集したに違いない。
栗山虎雄は、佐吉さんが話してくれたようにピアノを得意としていた。今は貴族ではないが、当時の栗山家は小野家と同等の地位にあった。その家の長男として生まれた虎雄は、何不自由なく育てられた。
彼が四歳の時、その父である兼光がドイツからピアノを運び、毎夜サロンを開いていたのが切っ掛けとなって虎雄がピアノに関心を持ったようだ。
だが、兼光は虎雄がピアノに触れることを許さなかった。
「当時の日本で、ピアノなんてのは道楽でしかありませんでしたし…。まさか次期当主になる長男に、それを学ばせようなんて有り得ませんからねぇ…。」
だが、虎雄は父が留守にしている間、隙を見てはピアノに触れるようになり、数年後にはモーツァルトやベートーヴェンなどを暗譜で演奏出来るようになっていた。それを知った兼光は、当初は怒りの余り勘当を言い渡した程だったが、その演奏を聴いて驚き、その後にようやく本格的に音楽を学ぶことが出来たのだった。
「でも…そんな天才がいたのだったら、どこかに記録が残ってるものじゃないかしら…?」
美桜が不思議そうに首を傾げて言った。
確かに…俺も栗山虎雄の名前は全く知らなかった。十代に入る前に、そんなに演奏出来たのであれば…世間が放っておかないだろうが…。
「それには理由があるんですよ…。兼光氏は音楽を学ぶ条件として、二十歳まで人前で演奏しないことと、それまでに二年の兵役をすることを虎雄に課したんです。貴族ですから、ともすれば兵役はしなくても済んだんですが、兼光氏は家を継ぐ前は海軍に所属してましたから、息子にも経験を積ませようとしたんでしょう。ですが…これが仇となったんです…。」
「なぜだ?」
「駐屯した場所で結核が蔓延し、その土地で亡くなったからです…。」
俺と美桜は言葉を失った…。これは…朝実にも共通するんじゃないか?いや…もしかしたら、朝実も犠牲者なのでは?朝実の思いは、まるで実父である虎雄の思いが写されたもののような気がして、俺は寒気を覚えた…。
まさか、自分の娘が自分の遺した想いに殺されるなんて…彼は考えもしなかっただろうが…。
「お兄様…私、これを偶然なんて思えませんわ…。恐るべき…必然…。」
成るべくして成り、起こるべくして起こった現実…。だが、ほかの小野朝実と虎雄を繋ぐ接点は見付からない。
では、二人の小野朝実は、なぜ墓を同じ場所にと遺言を残したんだろう?それも二人は仏教徒だったんだから、遺言と言えど容易く教会へ埋葬するか?これすら予定の内だったと言うのだろうか…?
「いや…待て。結核が蔓延…だと?あれは確かに伝染病だが、蔓延するほど放置するか?それも軍の敷地内で…。」
「そうですわね…。感染するとは言っても、健康体であれば必ずしも感染する訳ではないですし…。お兄様…!?」
健康体でなければ勤まらない兵士が、なぜ蔓延するほど結核に冒されたのか…。答えは…
「故意に感染させられた…。」
「先生…まさか!?有り得ないじゃありませんか!軍ですよ?確かに色々と噂が絶えませんが、まさか結核を故意になんて…。」
俺はどう考えても、ある一人の人物へと考えが行き着いてしまう…。そうでないことを願うが、恐らく、これは間違いないだろう…。
彼ならば…その膨大な資本力とツテで実行出来たはずだ。だから…実子でなくとも娘を愛していた。いや…疚しいからこそ、娘を愛する…いいや、違う。償い…そう、償いをしていたのだ。最初はきっとそうだったんだろう。それがしだいに愛情に変わり、いつしか実の娘と思うようになったんだ…。
「小野秋吉氏だ。彼しか考えられない。」
「何ですって!まさか…親友だったんじゃなかったの?」
「美桜。いくら親友でも、譲れないものはあるんじゃないか?」
「それは…そうかも知れないけど、沢山の人を巻き込むようなことはしないと思うわ。」
美桜は振り向いて俺を睨んでいるが、俺はそんな美桜に溜め息を吐きながら言った。
「俺達は彼らを知らない。だけど美桜、お前が言ったんだぞ?これは必然だと。だったら、そこには犯人…実行したものが必ずいる。秋吉氏の他に、それを実行出来、尚且つ動機の有るものはいるか?」
「…。」
美桜は未だ納得行かないと言った風だったが、渋々「いないわ…。」と呟いた。
「先生、もうすぐ着きます。」
「そうだな…。」
憂鬱な気持ちで、俺は田邊へとそう答えた。
全く…こんな話を平然としていて、このタクシーの運転手はどう思ったんだろう…。ただ、変な人物が乗ってしまったなと感じているかも知れないな…。ま、それでいい。この運転手にはそれくらいのことなんだからな。
日常と非日常は紙一重だ。俺達の日常は、常に非日常へと誘われているように思える。
だが…何のために?それが解った時、一体何があると言うんだろうか?俺は走るタクシーの中から、ぼんやりとグラデーションがかった空を眺めていた。
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