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トワノクウ

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トワノクウ
  第三十四夜 こころあてに(三)

 
前書き
 原点回帰 

 
 夜も更け、小屋で鮨詰めに布団を並べ、各々が眠っている時間。

 菖蒲は布団を脱ぎ、忍び足で小屋を抜け出した。

 夜空は星に満ち、今が本当に夜であるかを疑いたくなるほど、明るい。

 菖蒲が向かったのは、小屋から離れた物見櫓だった。
 浴室付き小屋の広さに、この櫓。正面には西洋式校舎。菖蒲の前の人間は、何を思ってこんなハチャメチャな学舎を拵えたのか――興味もないが。

 櫓に登って顔を上げれば、ほんの少しだけ近づいた気がする夜空を見渡せた。

「菖蒲せーんせっ」
「わっ」

 背中を軽く叩かれた。誰に。浴衣姿の篠ノ女空にだ。

「よくここが分かりましたね」
「実は小屋を出た時からこっそり尾けてました。すみません」
「貴女も食えない人ですねえ」
「菖蒲さんも目が覚めたんだと思うと、ちょっと仲間意識で」

 目が覚めた。そう、菖蒲はまったく目が覚めたのだ。
 曖昧なもやの中に漂っていた彼の精神は就任式の夜に現実に戻り、己の醜態を明瞭に理解した。

「ちょっとね。考え事を」
「どんなですか?」
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って」

 鶴梅の死を知ってから自閉し、人間を憎むことで己を慰め、梵天に甘えてきた。
 そのような自身を自覚したとたん、梵天が菖蒲をどう感じていたかが怖くなった。

「それを考えたら、どうしても梵天の顔、真正面から見られなくて。逃げ出せたらいいんですけどねえ。どこかいい場所知りませんか? なあんてね」

 半分冗談、半分本心だ。こんな感情を自覚してしまっては、梵天と顔を合わせるのも気まずい。

「――そんなに逃げたいなら、いっこだけいいとこ知ってますよ」

 とたん、くうは菖蒲の両の二の腕を掴み、櫓の縁に押しつけた。軽く腰骨が痛んだ。

「この高さなら助かりませんよ。それで正々堂々、逃避行成立です」
「え? ちょ……なぁ!?」

 くうはぐいぐいと菖蒲を追い込んでいく。

「大丈夫です、くうも一緒に落ちてあげますから! くうだけ生き返っちゃいますけど一回は一緒に死ねますよ!」
「力説しないでください! 明らかに私だけ損ですよねそれ!?」

 くうは本気だ。目が据わっている。

「菖蒲先生はずるい!」
「はあ!?」
「だってだって! 梵天さん生きて目の前にいるのに! 謝るのもお礼言うのもいつだってできるのに! ほんとは今までの自分が急に恥ずかしくなっただけなのに! 自分が嫌われてるって思い込んで逃げ出そうとしててずるいですーっ!」

 もーたすけて鴇せんせえー! と泣き出すくうは、すでに二人の友人を失くしていると思い出す。

「し、篠ノ女さん、落ち着いて……てか貴方そんな性格でしたっけ!?」

 いまだ押す力を弱めない、むしろやけっぱちで腕力が増したくうを、菖蒲は必死で押し返した。

「逃げたいなら手っとり早く逃避行させてあげます! そしたら奥さんにも会えますよ!」

 それを聞いた瞬間、菖蒲はくうを押し返すのではなく、後ろに流すように突き出した。
 しまった、と後ろをふりむけば、菖蒲が押し出したせいで櫓から真っ逆さまに落ちてゆく白い少女。

 どうすることもできない菖蒲が見る間に、地上に叩きつけられる――寸前、誰かが地上から飛び上がってくうを受け止めた。

「梵天……」

 着地しこちらを睨み上げる梵天に、くうは抱きかかえられていた。






「で?」

 一音には、さすが妖の頭領と感じさせるだけの迫力が込められており、櫓から降りた菖蒲は、くうと揃ってガタガタと震え上がった。

「真夜中に騒いで安眠妨害してくれた上に恋仲でもない相手と無理心中をやろうとしていた理由を言ってもらおうか」
「篠ノ女さんが」
「さくっと責任転嫁しないでください!」
「最初に押したの貴方ですよね!?」
「だってあれは菖蒲さんが『逃げたい』なんて言うから悪いんです!」
「逃げる? 何から?」

 まさか目の前にいる貴方だ、とは正直に言えず、菖蒲はつい梵天を見上げた。
 厳しく見下ろす面にあるのは、怒りと、不機嫌さと、一抹の心配。――顔色を読んだ程度で互いの感情が分かるほどには密な付き合いをしてきたのだ。このくらい、分かる

「はは、は」

 菖蒲は顔を覆って乾いた笑いを零した。

「なんだか、ね、ばかみたいだと思って」

 立てた膝に顔を埋めて肩を震わせる自分は、笑っているのか、泣いているのか。

 顔を上げれば、怪訝さを隠さない梵天と目が合った。
 怒らせてしまった、呆れさせてしまった、その事実が今は心地よい。それだけ梵天が自分を案じてくれていた証だから。

(死ぬのはすごくいやだった。まだ生きたいと思える理由があった)

「頭のネジでも飛んだ?」
「ええ、まあ、はは、そうかもしれませんね」

 すぐ、目の前の、友に。

「――ありがとう。くうさん」

 それを気付かせてくれた少女に、菖蒲は心からの感謝を伝えた。






 結局、当事者三名以外に事の次第を知られるのは防げたので、梵天はそれで善しとした。

「さっさと戻って寝ろ。またやったら――分かってるね」
「「はい……」」

 くうが先頭に立ち、静かに小屋の戸を開いた。
 床に就いた朽葉、平八、芹、菖蒲、露草、空五倍子の誰も起きていない。くうが大きく息を吐いた。

 それぞれに小屋に上がり、なるべく静かに自分の床に戻った。

「お騒がせしてすみませんでした。おやすみなさい」

 くうが一番に布団を体に被り、目を閉じて眠りの世界に旅立った。

「――今回はどのような計画を立ててるんですか?」
「何のことだい」
「とぼけないでください。彼岸人の出現。正体が明らかになった夜行。先に〝天〟に変事ありと伝えてきたのは貴方でしょう。くうさんは彼岸人最後の一人。どう担ぎ上げるか、もう決めているのですか?」

 梵天は呆れの色の溜息を落とした。

「今回、俺はくうには鴇時のような働きを期待してない」

 菖蒲は目を丸くした。

「それはまたどうして」
「くうはすでに二度『妖だから』という理由で殺されているからだよ。しかもよりによって彼岸の友人に、だ。その時の心の傷がくうに根深く残って、無意識に人と妖が手を取り合う未来を否定しているんだ」
「そういえば……自分は人と妖関係なく相手に接するとは言いましたが、他者にそれを布教するつもりはなさそうでしたね。くうさんは、私達が過去に起こした最悪の事態を、最初に経験してしまったわけですか。――かわいそうに。そりゃ信じられなくもなりますよね」

 菖蒲は心底悲しむ仕草でくうの銀髪を梳いた。

 驚いた。この短時間での菖蒲の劇的な変化。何年も通った梵天にさえ成し遂げられなかったのに。

(喜ばしいけど、ちょっと妬けるよ、くう。俺がいくらやっても戻せなかったものをこうも容易く。さすが鴇時の後継者)

 くうは暑いのか寝返りを打ちざま布団を蹴った。菖蒲が苦笑し、布団を軽くかけ直した。

「くうさんを御輿に担ぎ上げて対告天の勢力をまとめるのは、今回は無理そうですね」
「世の中そう都合よくできてないってことだろうさ。六年前の鴇時の立ち回りが不自然だったんだ」
「――〝あまつき〟に生きる我々の問題なのに、彼岸の鴇時さんや篠ノ女さんに解決を求めたのが、そもそもの過ちだったのでしょうか」
「銀朱」

 口が滑って昔の名で読んだが、菖蒲は気にしたふうはない。動揺しているのはお互い様らしい。

「すみません。でも、どうしても考えてしまうんです。いえ、考えるようになったんです。私達を取り巻く世界は、鴇時さん達が正してくださいました。でも、六年前から私達あまつきの民は、一歩も前進していない。むしろ共通の敵がいなくなったことで、争いは顕在化し、泥沼化しました。だって今の状況は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んですから」 
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