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トワノクウ

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トワノクウ
  最終夜 永遠の空(四)

 菖蒲は目の前でくり広げられる光景に失神しそうだった。

 救わぬ神などこの世に要らぬ、と不幸に見舞われた住人が言っている。神を否定し、神を至高の座から引きずり下ろそうとしている。

(私は、こんなことを、くうさんの母親に)

 目の前で、鴇時を引きずり降ろそうとするがしゃどくろは、六年前の菖蒲の姿そのものではないのか。

(その時の私達にはそうするしかなかった! でなければ、あまつきが滅んでいたんだ!)

 菖蒲もまた天網の戒めに絶望し、救わぬ天なら要らぬと、くうの母親に反旗を翻した身である。
 かつての己がした行為は、目の前で群集がしている行為と何ら変わらなかった。

(明日を変える努力ならしてきた。死ねない身体と無力感に耐えて耐えて、それでも何も成せなかったから、私は神に縋るしかなかったんじゃないか)


 ――〝生き死にや進む道を自分で決めたんなら、その結果を神様のせいにすることがおかしいんです! 選んだ結果の責任は自分が取るべきで、その責任を神様に迫るなんて筋違いです!〟――


(なのに今、かつて否定した神の、一人娘の叫びが、胸に痛い)

 ふらついた菖蒲の、背を、誰かが強く叩いた。
 菖蒲は顔を顰めてふり返った。
 背を叩いた手の主は、梵天だった。

「しゃんとしろ。それでもこの世で最初に帝天に挑んだ男か」

 美辞麗句を、とぴしゃりと返そうとして、失敗した。心眼曇った菖蒲とて、友の直截な気遣いは汲み取れた。

 気落ちしている暇はない。
 止られめる可能性は限りなく低くとも、菖蒲には〈銀朱〉という、地位という力がある。

 くうがあれほどに身体を張っているのに、力ある己が燻っているわけにはいかない。





 落ちて行くくうの中を、思い出が駆け巡る。
 初めてあまつきに来た日から今日までの経験が、脳に再生される。

(たくさん傷つけ合って、分かり合えなくて。でも、全然救いがないわけじゃない)

 くうは力を振り絞り、再び飛び立った。
 その身を弾丸と変えて飛翔し、再び鴇時を目指す。

(梵天さんと菖蒲先生が、露草さんと平八さんが、あんなことがあってもまだ繋がってるみたいに、残るものがあるから)

 がしゃどくろが手をかざす。亡者の手の曼珠沙華が咲き、縦横無尽にくうを捕えるべく伸びてきた。
 くうは飛翔の軌道を変えながら全て捌ききり、さらに速度を上げて天空へと飛ぶ。

(たくさん犠牲にしても、全部なくならない限り、それが夢物語であっても!)

 くうは大鎌を呼び出し、思いきり振りかぶり、神を拘束する天の管を全て断ち切った。

 空から解き放たれた鴇時が、がしゃどくろの口へと落ちてゆく。
 くうは天駆けて追い、鴇時に抱きつき、もろともに堕ちた。

 がしゃどくろに呑まれる寸前に横目で見た者たち――露草や梵天、菖蒲、陰陽寮の人々、それに民衆も、妖も、皆一様に声を呑まされ、驚いていた。少しだけ申し訳ない気分になった。少しだけ。

 ただ一人、朽葉だけは、悲しみを湛えた瞳をしていた。







「ひにゃああああああああああああ!?」

 くうは鴇時を抱えたまま、タールのような感触の渦を抜けて墜落した。墜落の衝撃で色とりどりのひらひらが散った。

 そこは美しい緑の草の連なる豊かな土地であり、花の咲き乱れる草原はまるで庭園のようであった。花々は馥郁と香っている。きっと季節は夏だ。肌が風によって爽やかさを感じている。

「いたた……あ! 鴇先生!? ご無事ですか!?」

 くう自身は鳳なので自動回復するが、鴇時はそうもいかない。
 慌てて辺りを見回し、少し離れたところに転がる鴇時を発見した。

「鴇先生っ!」

 駆け寄って、かたわらにしゃがみ込む。

 朽葉たちの恩人、父と母の大事な友人に怪我をさせでもしたら。
 慄然としたくうは両手の平を、大の字に寝そべる鴇時の胸に押し当てた。鳳の再生力を注ぎ込もうとした時だった。

「大丈夫だよ」

 くうの手を、そっと、鴇時が取った。

「これでも帝天だから、怪我なんてしないよ。慌てないで深呼吸。それから相手の状態をちゃんと観察する。大事なことだよ」
「ご、ごめんなさいっ」

 彼岸の鴇時にも同じことを言われたのに、くうは慌てて混乱してしまった。

 言われた通りに大きく深呼吸してから、辺りを見回した。

 真っ先に浮かんだのは、なぜ花畑なのかという疑問だった。

 がしゃどくろは「帝天が救わなかった者たち」で構成されているはずだ。情緒ある生き物の群生体の鬱屈の渦に呑まれたのならば、もっとどろどろとした情景でもおかしくないのに。

「ここは、がしゃどくろの根底にある想いの場所なんだ。情念といってもいい」
「情念」
「幸せな人生への執着や渇望が、この花畑なんだと思う。ここはだから、がしゃどくろの元になった人々の、人生における勝利を象徴する場なんだ」

 鴇時が差し出した両手にくうも両手を重ね、握り合う。鴇時に引っ張られて立ち上がった。

「ここでならしばらくは話ができる。明ちゃんが設計した空間だからね。その辺はあの子も抜かりないや。質問や疑問があるなら答えてあげるよ」

 オッドアイが柔らかく細められた。手がほどけたので、くうは即座に手をぴしっと挙げた。

「はい、質問です、鴇先生」
「はい、くうちゃん」
「鴇先生はどういういきさつで帝天になったんですか?」
「どうして、って聞かないんだね」
「そこは分かりきってますから。朽葉さんが好きだったからでしょう? 動機は多々あれ、決定打は朽葉さんへの恋愛感情だったとお見受けします」

 う、と頬をひつくかせる鴇時に神らしさはない。ただの多感な高校生男子だ。

「まあ、否定しないけどね。今の俺があるのは、帝天になったことも含めて、朽葉のおかげだから。彼女は俺にとって本当に運命の人だった。くうちゃんが朽葉に拾われたときはびっくりしたよ。俺もね、あまつきに来て一番に会ったのが彼女だったんだ」

 どこから話そうか。
 そう言い置いて鴇時は花畑の地平線を眺めた。 
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