| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

Impossible Dish

作者:デュースL
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
次ページ > 目次
 

第四食

 
前書き
私日本語ガバガバなので尊敬語に誤用がありましたらご指摘願います。
 

 


「えっと、おじ様、これはどういう……?」

 いつものように厨房の清掃を終え、溜まりに溜まっていた紙束の山を片付け終えたところで、(なおと)は困惑の声を漏らす。
 と言うのも、えりな様に認められる一品を作るという課題が与えられてから早くも一週間が過ぎようとしているけど、それまで忙殺されていたのか一回も顔を見せなかった仙左衛門(おじ)様が唐突に挨拶にいらっしゃったのだ。

 おじ様は日本食界の頂点に座すお方だ。さぞかし多忙な日々をお過ごしでしょうに、わざわざ僕のために週に二・三回ご足労頂いている。しかし時間帯はお仕事が終える22時ころにいらっしゃるのが一般だった。
 だが今回は早朝、加ええりな様を連れていらっしゃったのだ。僕が戸惑うのも仕方のないことだった。
 とは言え無駄に呆けていては無礼だ。釈然としない頭でもてきぱきとおじ様がいつもお召しになられている椅子を持ってきて、えりな様にも失礼ながら僕が使っている椅子をお出しした。

 小さく会釈をして着席されたえりな様を見計らって、おじ様は威厳ある咳払いを一つ入れた。

「うむ。最近顔を出せずにすまなかった。変わらず励んでいるようで何より」
「いえ、過分なる施しを頂きまして恐縮です」
「そこでだなおと、君に一つ頼みごとがあるんじゃが良いかな?」
「喜んで引き受けましょう」

 僕の即答に満足そうに頷いたおじ様は隣に座るえりな様に目配せをした。どうやら頼みごとというのはえりな様からのようだ。一瞥を貰ったえりな様は少し躊躇いがちに目を伏せ膝の上で手を世話しなく組みなおした。
 僅かな沈黙が場に訪れたけど、すぐに通りの良い声が破った。

「私に料理を教えてほしいの」
「……え? 僕が、ですか?」

 あっさりと焼付け刃の礼儀が剥がれ落ちてしまい、身の程を忘れて聞き返してしまった。あまりに突飛な事だったので聞き間違いかと思ったが、えりな様は僕の失礼な態度に紅潮で怒りを示し、咎めるように眉根を寄せた。

「何か文句でもあるのかしら」
「滅相もございません、無礼をお許しください。ただ、未熟に過ぎる身である自分が、果たして教鞭を取る資格があるものかと……」
「その点については問題無い。今のなおとならえりなを任せてられる」

 おじ様に今の腕を評価してもらえて恐縮の至りだけど、やはりなぜ僕がという疑念が蟠る。もちろんえりな様のご指導にあたるのに不服という意味ではなく、ここ薙切家は多くの凄腕料理人を抱えているのになぜ彼らに師事しないのかと思ったからだ。
 疑問が顔に出てしまったのか、おじ様はすかさず言い足した。

「実は身内の者たちはえりなが料理人になることに否定的でな。煩わしい理由が細々固まった結果だが……、儂はそう思わなかった。勿論儂の独断で適した教師を就けることもできたが、今のえりなに必要なのはお前だと思ったのでな」
「自分が、えりな様に……?」

 言葉につられるように顔を向く。えりな様は未だ怒りをお忘れになっていないのか顔を赤くして睨み付けてくる。

「それで、良いのかしら? 悪いのかしら?」
「……僕でよろしければ、是非もありません」

 そう言うと、えりな様はぱっと顔を緩めて両拳を胸の前に作った。

 僕はそのとき酷く驚いた。えりな様が笑ったところを初めて見たからだ。まともに顔を合わせた回数は少ないけれど、僕がその顔を見るとき、いつも氷の氷像のように無表情だった。万事に興味を持たない姫のように儚くも美しい顔だった。
 だけど、同時にのっぺりとした無機質さも感じていた。表情を殺して、殺し続けて、被り続けた仮面のように感じた。その瞳が、あまりにも虚しい光を宿していたから。

 だから、今目の前にある笑顔こそが、えりな様の本当の素顔なんだと思えたのかもしれない。

「……」

 おじ様は人知れず、そんな僕を微笑みを湛えて眺めていた。



 翌日の昼下がり。(なおと)の厨房にて。

「まず包丁の握り方を覚えましょう」
「実際に食材を切ってみましょうか」
「添える手は猫の手のように、軽く握りこむようにすると怪我の防止になります」
「にんじんの皮むきをしましょう」
「では様々な切り方を覚えていきましょう」
「調理器具の扱い方について説明します」

 今まで自分の本心を隠し続けてきた(えりな)にとって、料理をしたいという本音を曝け出すことがとても恥ずかしかった。機械(ゴッドタン)ではなく人間(えりな)であるということを認めて欲しいくせに、人間(えりな)の部分を見られて恥ずかしいと感じるのは我がことながら不思議でならなかった。

 ともかく、恥を忍んで兄に料理の仕方を習うことになった私は早速教えてもらっていた。出された料理を正確に判定するには正しい知識が必要のため、ある程度の基礎はすでに固まっている状態だったから手取り足取り、というわけではない。

 ただ、知っているのと実際に体験するのとでは話は別。例えば初めて包丁を握るとき、握り方や切り方は解っているものの、掌に伝わってくる重さやその刃の切れ味を知っているはずもなく、その初めての感覚が怖くて三秒と掛からず手を放してしまった。
 
「! 大丈夫ですか!? お怪我は!?」
「っ、大丈夫よっ。ちょっと驚いただけで大袈裟ね」
「お言葉ですがえりな様、こういった些細な事故が大怪我に繋がることもあるのです。もし包丁の落ちる先が足だったら、大袈裟な反応だけでは済まないのですよ」

 物心が付いてから自分の言葉を否定されたことが少ない私は兄の注意に反抗しかけた。だけど兄の言うことに非の打ち所が無いことと、私を真摯に見つめてくる目にその衝動は削がれ、しどろもどろに口を濁らせた。

 お怪我が無くて良かったと安堵のため息と共に零しながら兄は落とした包丁を私に握らせると背後に回った。
 流石に二度目は恐怖もいくばか和らいでいて放さず握ることが出来た。ふぅと思わず吐息が漏れたところで、今度はまったく違う驚きが背後から襲った。

「今度は僕も一緒に握りますからご安心ください」

 そんな言葉と共に私の右手に少し大きな手が被さった。

「!?」

 柄を握った指先までぴたりと覆った兄の手は僅かに硬かった。兄の掌は少し暖かく、その熱がうつり私の手の甲が温まる。誰もが崇めるように接してきた境遇だったから、こんなにじっくり手を握りこまれたのは生まれて初めてだ。
 そして私と兄の体格に大きな差は無いため、私の背にも兄の体が密着する。手を伝う腕も、肩も、私の体のほとんどが服越しに兄と接していた。

 今まで味わったことのない感覚と感情の奔流がパンクして、私の意識から放れた手が意図せず緩む。
 あっと声が零れるより先に強い力が私の手と包丁を支えた。

「大丈夫ですよ。僕が控えております」
「あ、や、今のはちがっ」
「大丈夫です。大丈夫ですから」

 刷り込むように耳元で優しく繰り返される声音にいちいち反応してしまう。感情が振り切ったのか露骨な反応が無くなった私を見計らって兄が正しい握り方をレクチャーする。
 実際のところ初めての感覚があまりに多くて右から左に流れていたけど、元々知っていたのとすぐに手が握り方を覚えてくれたお陰で酷い間抜けを晒さずに済んだ。なお、握り方だけでなく違う熱も覚えてしまったけど。

 常に顔に熱を帯びながら手ほどきを受けること一時間。調理を始める前の基礎固めは全て終了した。きちんと覚えているか確かめるテストも難なくクリアしたところだ。

「流石ですね……これだけの量をたったの一時間で……」
「そうかしら? これが普通だと思うわ」
「……三日掛かったなんて言えませんね」
「ま、まぁ、()()()の教え方も一理あったんじゃないかしら」

 私の何気ない返事で泣き出しそうな顔になった兄を見て、何故か狼狽しながら慌ててフォローを付け足した。いつもだったら「それは才能が無いからじゃなくて?」とか返しているはずなんだけど……、と自分らしくない発言に首を傾げながら次の教えを促そうと兄に顔を向けると、そこには目をまん丸に見開いた間抜け面があった。

「何か私の顔に付いてるの?」
「い、いえ、今僕のことを『兄さん』とお呼びになられたものですから……」
「……えっ? そうだったかしら……?」

 言われてもそう言った覚えがまるで無い。たったの三秒で自分の発言を忘れるほど馬鹿ではない。きっと兄の聞き間違いだろう。

「どちらにせよ、そんなことは良いわ。早く続きを教えなさいな」
「……っ、失礼いたしました。それでは再開しましょう」

 呆けた顔を引っ込めて笑みを浮かべた兄は言葉の通り教鞭を持ち直した。だけど、どことなくその笑みは悲しみの色が滲んでいたように見えた。

 そういえば、兄のことを今まで何て呼んでいたかしら……? 
 そんな思考が過ぎったのも束の間、次々と飛んでくる教えの濁流に飲み込まれた。



 兄に師事し始めて早くも一週間が経とうとしていた。一日というのはこんなにも短いものなのかと驚愕したのは新しい。
 前までは自室で教育係りから与えられた宿題を淡々とこなして、何もすることなく適当に読書して、ふと時計に目をやってはまだこんな時間かとため息を付く。そんな日々だった。他はどこかの料理店から依頼される味見役として働くだけ。それも一口含みコメントするだけの、およそ仕事と言えるようなものじゃない仕事だ。
 あとは夜にやってくる拷問もとい兄の料理を鑑定することくらいか。

 つまらなかった。何の刺激のない日々に身を委ねるだけ。さながら機械のように、誰かに言われない限り活動しなかった日々。
 ところが今はどうだ。宿題と並列して兄から譲って貰った参考書を読み漁っては部屋を飛び出して兄の厨房の戸を叩き、ちらりと目に入る時計の針を見てもうこんな時間かと少し落ち込み、早く明日にならないかなと目が冴えながらもベッドに潜り込む。暇つぶし程度にしか感じていなかった仕事が時間の無駄と感じるようになってきて、早く終わらないかと時間を気にするばかり。

 楽しい。すごく楽しい。どうしてもっと早く気づけなかったのかと後悔を覚えるくらい充実した日々だ。鏡を覗き込んでも下がりかちだった目尻が活気を含んでいるように思える。

 どうやら私には味覚だけでなく、料理全般に通じる才能があったようだ。寝る間も惜しんで習ったことを復習したり熟読していたお陰もあって、今では兄に追いつかんばかりだ。まあ、伊達にあの修羅のような厨房を築き上げて篭っていただけあって知識も技術も定着している兄の教えは世辞抜きで上手なのも要因の一つになっている。
 兄も大層驚いており、教えようとしていたことを既知のものと知ると「さすがです」と誉めてくれた。今まで聞いてきた誉め言葉の中で一番心に響く言葉だ。

 午前の煩わしい一般教育を終えた私はいつものように兄の厨房に飛んでいった。今日は何を教えてくれるのかと心踊りながら屋敷の端にある戸の前まで来たとき、いつもはピタリと閉じている戸が少し開いているのが見えた。
 閉めそこなったのかと思って近づくと、中から話し声が聞こえてきた。叩こうとした手を引っ込めて覗き込んでみるとおじい様がいらっしゃった。

「最近えりなの様子が明るくなったと評判だ。よくやってくれているようじゃな」
「恐縮です」

 そんなに顔に表れていたのかとようやく気づき人知れず紅潮した私だったが、次の会話でびしゃりと冷や水を被ったような気持ちになった。

「それで、課題の方はどうだ」
「っ、申し訳ありません、まだ七ページほど残っています」
「ふむ、珍しいな……。まあ良い、お前なら挽回できるはずだ。気を緩めず励むのだぞ」
「はい。ご足労いただきありがとうございました」

 えも言えぬ感覚に襲われながらも、この会話を盗み聞きしていたのがばれるといけない気がして、咄嗟に靴下のまま縁側を降りて壁に隠れた。
 早まる動悸を押さえつけながら壁の向こう側で遠ざかる足音と戸が閉まる音を聞き、ため息を付く。

 七ページ? 与えられてる課題は私に認めてもらうことでなくて? 

 ぐるぐると二人の会話が頭の中でとぐろ巻く。そして、自己申告したときの兄の顔が脳裏に焼きつく。

 恐怖していた。顔を青く染め、脂汗を流し、声を震わせて、怖がっていた。
 誰に? 何に? それは解らない。だけど、必死に縋り付いているものが消えてしまう場面を目撃したかのような、尋常ならざる恐怖に晒されているような緊迫感が兄の顔にはあった。

 途轍もなく嫌な予感が胸のうちを駆け巡る中、ようやく動悸が静まってきた頃に、唐突に隣から声を掛けられた。

「ふぅん、えりなってそんな顔できたんだぁ」
「ひゃっ!?」

 誰もいないと思っていたことも相まって情けない悲鳴を零しながら思い切り飛び退く。上体を後ろに反らして振り向けば、そこには雪のような白銀の髪と肌を持った赤眼の少女が悪戯に成功したと言わんばかりの笑みを浮かべて立っていた。

「ア、アリス、貴女いつの間に……!?」
「いつの間にも何も、私は最初からここにいたわよ。えりなが急に飛び込んできたんじゃない」

 そう言い返されうっと頬が引きつるのを自覚する。

 よりにもよってアリスに見られてたなんて……。

 思い切り苦虫を噛み潰したように顔を歪めてやると、怒ったように少し頬を膨らませた

「何よその顔は! 失礼しちゃうわ! 靴下で外に飛び出してきたのを心配してあげたのに!」

 言われて思い出し、思わず意味も無く片足を地面から離す。裏を見てみると土がしっかり付いており、手遅れなのを確認して地に着ける。

「別に頼んだ覚えは無いわ」
「まあ! 人の情けを無碍にするなんて、ろくな死に方しないわよ!」
「……それ、どこで覚えてきたの?」
「つい昨日やってたドラマよ」
「はあ……そんなことだろうと思ったわ。それで、貴女こそこんなところで何をやってたのかしら?」

 コロコロ変わる表情が私の質問によって一瞬強張る。しかし束の間強張りを隠すような笑みに転変した。

「お散歩よ? 今日はお天気が良いから」
「……そう、ほどほどにしないとせっかくの肌が焼けるわよ」
「ちゃんと日焼け止め塗ってるから大丈夫! ……ってあれ? 今もしかして──」

 面倒な絡みが始まる前に早足で縁側に戻る。壁の向こうでキャーキャー騒いでいるのは無視するに限る。

 最近ちょっとした弾みで誉めの言葉が零れるようになってしまった。それも本音だから余計に恥ずかしい。誰かを誉めるなんて慣れないことをすると違和感しか感じないはずなのに、どうしてだろうと首を捻ってみると原因に思い当たった。

 兄のせいだわ。きっと。
 ちょっとしたことに本気で感心して誉めてくるせいでうつってしまったに違いない。何でそんな部分だけ似るのか、というのは言及するまでもない。

 汚れた靴下を脱いで縁側の端に置いて、改めて戸を叩く。中からいつもの返事が返ってくる。少し不安な気持ちになりながら戸を引くと、その先にはいつもの優しい笑みがあった。
 そのことに安心して私もいつものように兄に声を掛ける。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私はそれに気づけなかった。 
 

 
後書き
なおと:教導する凡才。料理に身を捧げているせいで人情に疎いありがちな主人公。
えりな:師事する天才。ご存知の通り、怒りではなく照れて顔を赤らめていました。

五歳なのにませ過ぎてるような気もしますがそこはホラ、天才だから脳の発達も早いということで(ご都合
もちろんなおとは普通なのでえりなを異性と認識してませんけどね。

アリスは五歳まで同居していたようなので登場させました。そろそろ絡んでくる頃合。

ここまでの流れで察した方もいらっしゃると思いますが、この作品の恋愛模様は少女漫画のような感じになりがちなので、苦手な方はブラウザバックを推奨します。すごい今更感ありますけど。 
次ページ > 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧