| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

Impossible Dish

作者:デュースL
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第三食


「……こんな場所に()()なんてあったかしら……」

 翌日の午後、薙切邸の隅っこにえりなの姿があった。彼女の小さな手の上で不安げに風に煽られている小紙は、確かに目の前のポイントを図示していた。
 日本食界を統括・支配する薙切家は当然裕福な家庭だ。そのため自然と屋敷も大きいもので、並の一軒家を数個並べたところでもまだ足りないくらいの敷地面積を誇る。幼いえりなにとって移動が面倒くさく、また家政婦さんも忙しそうだ、くらいにしか思わないのだが、それでも家主であることに変わりなく、家の隅々まで知り尽くしているつもりだった。

 つもりだった、というのは掌の紙に印されている場所は、えりなの記憶が正しければ何も無い場所だったのだが、どういう訳か目の前には一般家庭のリビングほどの大きな倉庫があるのだ。
 薙切は伝統的な武家屋敷の造りをしており、構成物質は木材・石が主だ。見た目はもちろん、内装も体系的に(なぞら)えているはずだが、忽然と現れた倉庫は入り口だけ木材で出来ているものの、他は金属類で作られていた。
 
 家主が気づかないだけあって、不思議な倉庫は屋敷の一番端、極めて言うなら()()()()()()()()()()()()場所にあった。正面玄関から最も離れた場所であり、えりなの私室からも結構な距離がある場所だ。
 強いて推察すれば薙切家の誇る厨房からはそこそこの距離なので、食材を貯蔵しておくための離れ倉庫なのかもしれない。

 我が家のことながらどこか他人事のようにそう考えたえりな。なぜ彼女がここに赴いたのかと言えば、仙左衛門に言われた通り、直接なおとにクレームを言いつけようとしたからだ。尤も、実際には文句はこの紙に印してある場所に行って言いなさい、とだけ言われているのでなおと本人がそこにいるかは解っていないのだが。

 突如現れた謎の倉庫を怪訝に思いつつ、えりなは木戸に手を添えた。倉庫なのだから鍵がされているものだと思っていたが、予想に反して木戸はすんなり口を開いた。
 すっと横へスライドさせたその先は、暗闇だった。晴れやかな外と対照的に陰鬱とした薄暗さに包まれた倉庫内。暗闇に目が慣れていないせいでえりなは倉庫内の全貌を見ることが叶わない。
 灯りがないか適当にすぐ傍の壁に手を這わせるとスイッチらしきものに指先が触れ、迷わずそれを押した。

 カチッ、と小さな音が鳴った次の瞬間、えりなの視界は白に塗りつぶされた。

 紙だ。古紙、藁半紙、上質紙、あらゆる紙が無差別に倉庫内を埋め尽くしていた。壁には隙間が無いほどびっしりと紙が貼り付けられており、一枚一枚に何か文句が印されている。床にも天井に届きそうなほど高く積み上げられた紙束が幾つもあり、倉庫の端に置かれているものの、それでも足りないのか沢山の紙束がそれに習って置かれていた。これほど紙に満たされた空間なのに、不思議と埃っぽいものは何一つ無く、むしろ外と同じような清浄な空気が漂っていることからきちんとした手入れがされていることが解る。

 次いで目に入ってきたものは、なんと厨房だった。こちらには紙が一切置かれておらず、あまりに理路整然と整頓されているせいか、この空間の中で妙な異彩を放っていた。調理台が何台もあり、その内の一つに大量の辞書のような本が置かれており、その隣の調理台には大量のノートと鉛筆と消しゴムが一対あった。開かれたノートは遠くから見ると真っ黒に塗りつぶされているように見える。

「────」

 この()()を見て、えりなは言葉を失っていた。呻きも上げることすら叶わず、えりなの思考は厨房に吸い込まれていた。
 
 一言で言えば異様だった。ただ、その一言では表しきれない何かが、この厨房には満ち満ちていた。莫大な紙が大半を占めるような、人が頻繁に立ち入るとは思えないような空間は見る者に、怪異さではなく、異端さを思わしめた。

 しばらく呆然と眺めていたえりなは、厨房に充満した何かの正体を見つけた。

 狂気。マイナスな意味ではなく、ただ一つの道をまっしぐらに目指す専一の姿勢が、常軌を逸するほど鋭い様子。それを言い表すためには狂気という言葉以外当てはまらない。
 努力なんかでは生ぬるい。この空間に満たされている狂気は、とうの昔に努力という言葉の枠を突き破ってしまっている。そうでなければ圧倒的境地を見た時に抱く「凄み」を感じないはずなのだから。

「えりな様……?」

 倉庫の入り口で突っ立っていると真後ろから控えめな声で呼ばれた。弾かれて振り向くと、そこには身の程を超えた大きさのダンボールを抱えたなおとがいた。

「どうかしましたか?」
「どうもこうも、君こそ何をやって……」

 未だ我を取り戻していないえりなはうわ言のように言葉を紡いだ。厨房の件についてもそうだが、平然とダンボールを抱えているなおとの姿にも呆気にとられてしまったのだ。
 所謂箱入り娘のえりなにとって、自分で荷物を持つというのは考えられなかった。それどころか自分の体重より重いのでは、と思うほど大きなダンボールの中には食材が詰められていた。その細い腕でどうやって持っているのか不思議なくらいだ。
 そして一番理解できなかったのは、その事実をさも当然と言わんばかりに受け入れているなおとの態度だった。一般家庭でも5歳の子供にこんな大荷物を持たせるはずがない。ましてや薙切家のように使用人がいる家ならなおさら。

 常識と現実のギャップが、なおとを囲む環境の惨さを物語っていた。

「僕は食材を厨房に運んでいるところです。……失礼ですが通してもらっても良いでしょうか?」
「え、えぇ」

 言われるがままに入り口から退き、なおとは失礼しますと断りながら横切り厨房の中に入り、清潔に保たれている調理台の傍にダンボールをゆっくり下ろした。そこから持ってきた食材を調理台の上に並べていく。

「君、何やってるの?」
「料理の勉強です」

 えりなの漠然とした問になおとは即答しながら、手際よく冷蔵庫の中に食材を入れている。流石のえりなでも、ここで「どうして君が食材を運んでいるの?」とは聞けなかった。返ってくる答えは「僕しか運ぶ人がいないから」に決まっていた。

 それっきり黙りこむえりなの目の前でなおとは参考書が積みあがっている調理台に寄り、そこから二冊取り出してノートが広げられている調理台へ。そこから先は黙々とノートに書き込むだけになってしまった。
 なおとの調理実習を覗きに来たのに自習を始めてしまったので私室に戻ろうかとも思ったが、部屋に充満している紙に少し興味が沸いたので、厨房の中にもう一つ椅子があるのを良い事に勝手に居座ることにした。咎める声が無いから問題ないのだろう。
 
 なるべく音を立てないように部屋の中を巡回する。壁に貼られている紙には自分に言い聞かせるかのような文句、調理にあたっての心がけ、苦手らしき調理方法の手順や注意点と多岐に渡る。大体が参考書に書かれていそうな文句ばかりだったが、それらに混じって自分が見つけた注意点などもあるので真剣に料理と向き合っているのが見て取れる。
 高く積み上げられた紙束には参考書に載せられている調理手順などを模写したものや、問題を解いたらしき形跡、調理中に走り書きしたのか油が数滴染込んだ紙と、こちらも熱意の塊だった。文字の一つ一つに確固たる決意が感じられ、読み手に訴えかけているようだ。

 それら一つ一つに目を通していると良い時間が過ぎたのか、なおとがペンを机に置いた音でえりなも顔を上げた。

「あれ、えりな様いらしたのですか」
「気づいてなかったのね……」

 お邪魔しますの一言くらい言うべきだったものの、えりなの存在そのものに気づかないほど集中していたなおともどうなのだろう。集中できるというのは美徳だが、今のように周りが見えないほど極端なものだったら考え物だ。

「えっと、お茶を出しますね」
「結構よ。私に構わず、いつものように振舞いなさい」

 我ながら傲慢な態度だと思うものの、なおとにとってこれが最も接しやすい態度なのだろう。ここで変に親しくされても、えりなを目上の人だと徹底的に教育されているなおとにとって困惑するだけ。
 椅子にふんぞり返って待っていると、なおともえりなに言われた通り日課の調理実習に移った。

 その手つきはなるほど生き甲斐と自称するだけあって形になっていた。調理の知識はあるが経験のないえりなは、調理に挑むなおとの背を眺めることしか出来ない。

 ただ、それだけでもえりなはこの場所に足を運んだ甲斐はあったと思えた。

 薙切家の恥晒しと言われ邪魔者扱いされてきたなおとが、あんなにも真剣に打ち込めている姿を見せられているのだから。誰にも必要とされず生きてきた彼が、周りを認めさせるために奮起している姿を見れたのだから。

 きっと、それは過酷な道なのだろう。刻苦な道だろう。届かず悔しがり、時には涙を零し、それでもと食らい付く。認められるまで、自分が納得いく所まで、ずっと不屈を貫き通すのだろう。

 自分は機械なのかと悩むだけで何もしなかったえりなにとって、満身創痍でもなお立ち向かい続けるなおとの姿が美しく輝いて見えた。能動的に動いて、確固たる目標に向かって突き進む姿が羨ましかった。

 自分もあのようになれるだろうか。自分もあのようになりたい。強く、そう思えた。
 凍てついていた心に、小さな灯火が点いた。

 調理実習に入ったなおとはやはり聞く耳を持たず取り組んでいるので、えりなは入室時と同じように無言で厨房を出た。今思えば、まるで隔離されたような場所になおとの厨房があったのはのけ者扱いしているのではなく、周りから逸脱するためにあえて離したのかもしれない。

 家の者に黙ったままなおとにここまで施す人なんて、一人しかいない。

「どうじゃった?」

 だから、その人が見計らったようにすぐ傍の柱に寄りかかっていても、驚くことは無かった。
 きっと、仙左衛門は看破していたのだろう。えりなが自らの才能のせいで自失しかけていることに。
 だからえりなになおとの厨房を紹介したのだろう。えりなに発破を掛けるために。

 日本食界を牛耳る食の魔王は威厳の欠片も無い、悪戯に成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべてえりなにそう問うた。

 全てを見透かされているようで内心忸怩たる思いだったが、同時に()()()として見ていてくれたんだと嬉しく思うと共に、自分の決意を口にした。

「おじい様。私も、料理を習いたいです」

 ただ悩むだけの日々はもうやめだ。ただ羨むだけの日々はもうやめだ。自分より圧倒的に才の無い人があんなにも頑張って食らいつこうとしているのだ、才ある自分が怠けているのはおかしい話だ。

 ──私は機械じゃない。他動的に生きるんじゃなく、能動的に生きる。だから、私は機械なんかじゃない!──

 えりなの変化を見届けた魔王はにやりと口角を吊り上げ、孫娘の頭を撫でた。
 
 

 
後書き
なおと:猪突の凡才。己の夢にまっしぐらに突き進む姿によってえりなに切欠を与えた。
えりな:始動の天才。なおとの背を見て変化を決意するとともに、これを切欠に少し意識し始める。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧