黒魔術師松本沙耶香 仮面篇
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14部分:第十四章
第十四章
「僕のやり方を」
「だから。出て来てもいいわよ」
声がする暗闇の方を見ていた。そこにあるのはただの闇だ。しかしそれ以上に目に見えないものが存在していた。沙耶香はそれを見ていたのだ。
「わかっているから」
「じゃあ。出るよ」
声は沙耶香のその声にまた応えてきた。
「今から」
「ええ」
こうして何かが出て来た。それは緑の道化師であった。
緑と白、それに赤の道化師の服を着ている。下半身はタイツで靴は真っ赤な先の尖ったものである。頭には赤い帽子をしていて緑の首巻がそれに合っている。
仮面は右半分は笑っていて左半分は同じ顔ながら赤く涙の模様が描かれている。白地の仮面にその涙と紅い唇が実に対象的であった。何処か血を思わせるものがそこにあった。
手もまたタイツに似た白と緑の縦縞の模様の上着に袖を完全に覆われていた。目につくのは右手に持っているもので異様に大きな、反り返った刀を持っていた。何処か死神の大鎌を思わせる、そうした禍々しい形の刀であった。波線が模様になっていた。
「さあ、出て来たよ」
道化師は姿を現わして沙耶香に声をかけてきた。
「君の前で。これでいいね」
「そうね。ダンスの相手を待つのは疲れるから」
口元にうっすらと笑みを浮かべての言葉であった。
「出て来てくれて。有り難いわ」
「それじゃあ。はじめる?」
道化師はこれまでと同じ楽しそうな声で沙耶香に尋ねてきた。
「早くお面が欲しいから」
「生憎だけれど。そう簡単にあげるわけにはいかないわよ」
沙耶香は笑みをそのままに道化師に告げた。
「私の顔は。私だけのものだから」
「それが違うんだ」
道化師は笑ったまま沙耶香にまた告げた。彼もまた笑っていたのだ。
「僕はね、欲しいと思ったものは絶対に手に入れたいから」
「そうして。何人の顔を取ってきたのかしら」
「さあ」
それは自分もわからないといった声であった。
「覚えていないよ、そんなの」
「そうでしょうね、そう言うと思ったわ」
沙耶香もその言葉を聞いたからといって特に驚いた様子はなかった。
「けれど。覚えておくのよ」
「何を?」
「コレクションの数を覚えておくのは。コレクターの基本よ」
「そうなの。僕そんな主義じゃないし」
「そう。じゃあいけれど」
沙耶香もこれ以上言おうとしない。どうでもいいといった感じであった。
「それじゃあ」
「行くよ。いいね」
道化師の方から言ってきた。
「今からね」
「ええ、何時でもいいわ」
沙耶香はズボンのポケットに手を入れたままであった。そのままの姿勢で道化師に対して言うのだった。その態度には余裕と緊張が同時に見られた。
「さあ。来なさい」
「自分から言ってくれるのならね」
道化師はその言葉を受けて身を屈めさせた。そこに力を込めていた。
「遠慮なくね」
そして姿を消した。その直後に。
姿を現わした。それは沙耶香のすぐ上であった。
「もらったよ」
その右手に持つ刀が眩く輝いた。闇の中で白銀の光を放つ。だがその光は禍々しい光であった。血に餓えた魔物の目の輝きと同じ光であった。
「仮面がまた一つ。これで」
沙耶香の頭上に刀を振り下ろす。沙耶香はそれに対して何も動こうとはしない。顔の丁度上に振り下ろす。そのままいけば確実に顔が落ちる。
だがそうはならなかった。刀は沙耶香の身体をすり抜けただけであった。肉と骨を切る独特のあの感触のかわりに空を切る感触だけが伝わるのであった。
「あれっ!?」
道化師はその感触を直接手に感じて声をあげた。おかしいとすぐに感じた。
「これは一体」
「簡単なことよ」
上から沙耶香の声がした。
「それは私であって私ではないの」
「ということはつまり」
「そう、幻影よ」
上から沙耶香の声がした。着地した道化師がその上を見上げると彼女がいた。宙の上に悠然と立って彼を見下ろしていたのである。
「これでわかってくれたかしら」
「ふうん、面白いことができるんだね」
道化師は攻撃が失敗しても特に困った感じはなかった。相変わらず平気な顔をしていた。それと共に楽しむ様子も見せてさえいた。
「幻だけじゃなくてそんなことまで」
「私にとっては大したことじゃないわ」
まだ道化師を見下ろしている。両手はズボンのポケットに入れたままである。
「全然ね。魔術師だから」
「マジシャン?」
「そうじゃないわ」
マジシャンというのは否定した。
「手品はできないわけじゃないけれどもっと凄いのができるから」
「ふうん」
「魔術師よ。覚えておきなさい」
「じゃあさ、魔術師だったら」
道化師は上を見上げていた。見上げながら構えを取りだしていた。
「他にも色々できるんだよね」
「そうよ。見たかったら来なさい」
挑発であった。道化師をあえて挑発してきた。
「見せてあげるから」
「言われなくてもそうするつもりだよ」
それは本音であった。彼も最初からこれで終わらせるつもりはなかった。それは何も沙耶香に対して屈辱や怒りを感じているからではない。楽しいからだ。それだけだ。彼は切ることに対しても『仮面』を集めることにも無常の喜びを見出しているだけであったのだ。
「今からね」
「空は。飛べるのかしら」
「そんなのは簡単さ」
道化師はその無邪気な笑みで沙耶香に答えた。仮面は表情を変えない筈であるが何故かその顔は変わっているように見えた。血生臭い笑みが上から見えたのだ。
「ほんの少しの足場さえあればね」
「足場、ね」
沙耶香は辺りを見回す。見たところ教会の建物や木といったものがある。それを使うのかと思った。
だがそれは違った。道化師はここで思わぬ行動に出たのだ。
「どんな足場でもね」
その手の中に何かを出してきた。それは無数のナイフであった。
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