鐘を鳴らす者が二人いるのは間違っているだろうか
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
22.光が灯った日
重い瞼が、ゆっくりと開く。
「………………あ、れ……」
鉛のように重苦しい体をゆっくりと起こし、周囲を見渡す。
見たこともない場所の中の簡易ベッドの上に、身体は寝かされていた。
よくみるとそれは村では見たことがない型のテントの中だった。
目を覚ます直前まで何か夢を見ていた気がしたのに、どうしてか内容が思い出せない。
どうしてだろう。思い出そうとして、ズキリと頭が痛んだ。
「いたっ、………?これ、包帯……?」
訳も分からず、少年――ティズ・オーリアは体にかかった毛布をずらして立ち上がった。上半身の服は脱がされ、治療を受けた痕跡がある、横にはいつも歩き持っていたポーチがあり、使い慣れた安物の短剣が装着されたままになっていた。
テントの外には複数の誰かの影が揺れている。テント前に立って何かを話しているようだった。
(誰だろう。僕がここで寝ていた理由を知ってる人かな)
だとしたら、どうして村に住んでいた筈の自分がここにいるのかを聞かなければ。
どうやら怪我もしているようだし、もしかしたら事故に巻き込まれて彼らに助けられたのかもしれない。状況を聞こうと立ち上がってテントの出口へ向かうったティズは、気になる言葉に足が止まった。
「どうだ、他に生存者は見つかったか?」
「ダメだダメだ。あの銀髪のガキ以外は一人もいやがらねぇ……」
思わず耳を欹てる。
生存者――誰の事だろう。銀髪の子供というのは自分の事か。
その声色はどこか言いにくい事を口ごもっているようだった。
「これだけ探してもいないとなると、もう存在しないと考えた方が自然ですね」
「つまり、彼以外のノルエンデ住民は……」
「全滅だろうな。見たか、あの大穴?あれじゃあのガキが生き残ったことが不思議になるレベルだぜ。しかも溢れ出る瘴気……鼻がおかしくなりそうだぜ」
全滅。ノルエンデ。大穴――断片的なワードが、ティズの背中に悪寒を走らせた。
そうだ、僕は――あの光に全てを奪われて――?
「………可哀想」
「アイズ……」
「せっかく生き残ったのに、ひとりぼっちなんて………」
「――ッ!?」
その瞬間、ティズは全てをはっきりと思いだした。
崩れる大地。立ち上る光。手を伸ばして、伸ばして、それでも届くことのなかった弟の――
ティズは、ポーチに差さっていた短剣を引き抜いてテントから飛び出した。
「あっ!?ちょ、キミ!?」
「おいてめぇ!そんなボロボロの身体でどこへ――は、速ぇ!?」
テントの前に立っていた人たちに声をかける暇さえ惜しい。出てみればそこはカルディスラ王国へ続く渓谷のすぐ近く。地図が頭に入っているティズは何の躊躇いもなく飛び出した。月の光が照らす夜道が、自分を導いているような錯覚を覚えさせる。
脳裏に刻まれた悲劇が、一歩一歩歩くたびに頭の中で蘇る。ティズはそれを必死で振り払おうと頭を振った。
「嘘だ……嘘だよな。あんなの夢だよな!」
あんなにもあっさりと村が滅びる訳がない。羊だって家だって、まだあるかもしれない。或いは、自分が生き残ってるんだからひょっとしらら他の誰かが。ありとあらゆる希望的観測が、絶望的な予想と並び立って脳髄を滅茶苦茶にかき乱す。
目の前にコボルドが現れた――邪魔だ。腰からナイフを引き抜き、吠える。
「どけぇッ!!僕は……僕は村に行くんだ!!」
相手が動くより早く、その首を斬り裂いて前へ走る。
体が思うように動かない。全身に鎧を着こんでいるように、足がもつれる。
ずっと眠っていたせいで、身体が衰えていた。
「くっそぉ……!!急げよ、僕の身体!!ティルが……みんながいるかもしれないんだぞ!!」
ウルフが遠吠えをしながら襲いかかってきた――邪魔だ。
震える手でナイフをもう一度握りしめた。
「僕の邪魔を、するなぁッ!!」
すれ違いざまに腹を切り裂く。バランスを崩したウルフは渓谷の谷底へと落下していった。
「まだわからないじゃないか!全滅したなんて、人の話で聞いただけじゃ分からないじゃないか!!生きてるかもしれないだろぉッ!!」
まるで自分に言い聞かせるように、必死に叫び続ける。
喉が張り裂けそうなほどに痛み、全身から汗が噴き出て、とうとう小石に躓いて派手に転んだ。
見覚えのない岩や石が沢山ある。あの大穴のせいで崩れた物だろうか――と、ティズは考えなかった。ただただ、その岩が邪魔だった。もどかしいほど遅く身体を起こし、更に鞭打って走った。
「はぁッ……はぁッ……!!もうすぐ……もうすぐッ!!」
二股に分かれた道の左側を駆けのぼり、曲がりくねった足場を走り抜け、岩によって閉ざされかけた狭い道に無理やり体を押し込む。
この道を抜ければ、ノルエンデを一望できる道へたどり着くんだ。
村の様子が、生存者が、いるかもしれないんだ。
息を切らしながら、ティズは一心不乱に体をよじって岩の向こうへ体を通す。
「あそこ、だ……あの断崖から、よくティルと一緒に村を見渡し……………て……………」
言葉を、失った。
かつて緑に覆われたおおらかな土地だったノルエンデは、どこにもない。
そこにあるのは、どこまでも深く大地を穿つ絶望の影。
土地どころか地形ごとくり抜いたような、巨大すぎる大穴。
禍々しい瘴気を立ち上らせ、生きとし生けるもの総てを無明の闇に葬る奈落が、そこにあった。
何一つ、残っていなかった。
何一つ、村の一かけら、生きていた痕跡すらも全て呑み込んで――大穴だけが、そこにあった。
――本当は、分かっていたのに。
「――嘘だ」
――喪ったものは。
「嘘だ………!!」
二度と帰ってくることはないって。
「………ッ!!嘘だあああああああああああああああああああああああッ!!!」
ただひとり残された少年の慟哭は、ただただ空しく大穴へと吸い込まれていった。
――その日、少年は大切なものを『全て』失った。
= =
一方、唯一の生存者が行方をくらましたことでロキ・ファミリアは蜂の巣をつついたような騒ぎに見舞われていた。
「おい、少年はどっちに行った!?」
「渓谷の方だ!くそっ……夜目の利く奴はついてこい!連れ戻しに行くぞ!!」
「見通しが甘かった……!故郷を失ったんだ!精神だって不安定になるだろうに!」
「いいから急げ!!もうアイズとアニエス嬢ちゃんが渓谷に飛び込んじまったぞ!!」
唯一の生存者――ティズは、容体が安定していなかったために敢えてキャンプで治療を続けていた。ここ数日は容体も安定してきたためそろそろ野外キャンプから王国へと移そうと話していたその矢先の、この騒ぎである。
ここで彼を死なせたとあってはロキ・ファミリアは何のためにこの国へやってきたのか分からなくなる。それは兵士団も同じことだ。何としても、死なせるわけにはいかなかった。
そして、その危機にいの一番に飛び出したアイズは、立ちはだかる魔物を一撃の下に両断しながら前へ突き進んだ。その後ろをアニエスが息を切らしつつ追いかける。
「ごめんなさい、アイズ!無茶を言って着いてきてしまって……!」
「別に、いい!でも、絶対後ろを離れないで!」
――実はこの二人、今日の夜にこっそり大穴を見に行く計画を立てていたりする。
というのも、大穴の存在を危険視したロキがアニエスの大穴行きをきっぱり禁止してしまったのでアニエスは困っていたのだ。そこで一計を案じたアイズは、夜に見回りと称してこっそりアニエスを大穴まで案内する手はずを整えた。
あの看病していた少年の容体が安定したことで二人は安心し、今日まさにあのテント前の会話が終わったら実行しようとしていた。何故ならロキ・ファミリアは既に必要な調査を終了し、あの少年を無事カルディスラに届けたらその役割を終了してオラリオに帰ることになっていたからだ。
ところがそこで起きたのが、なんと少年の脱走である。
彼の看病を買って出ていた二人は思わず飛び出した。まるまる1週間ほど寝込んでいた患者が勝手に魔物が生息する夜の渓谷に飛び出した――それが如何に危険な事であるかは言うまでもない。一歩でも遅れたらあの少年は今度こそ短い命を散らしてしまうだろう。
今、きっとあの少年は自棄になっている。或いは周囲が見えていないのだろう。
辛いだろう。苦しいだろう。認めたくないだろう。
それでも、生きていて欲しい。
「生きていてください……!もう、目の前で失われる命なんて見たくない……!」
「同意する……!」
アニエスもアイズも、奇しくも命の重さを良く知る者同士だった。
………実を言うと、その割には自分の命の重さをいまいち自覚していないから二人で飛び出すという無茶をするのだが。アニエスは言わずもがな、いくらアイズが強いと言っても深夜に見知らぬ渓谷に飛び出して足でも滑らせたらどうする気だと仲間なら言うはずである。
少年の行先はすぐに判った。道に真新しい魔物の死骸や血痕が残されていたのだ。
二人はそれを追いかけて前へ進むが、アイズは内心で疑問を抱いた。
(………恩恵もないし、1週間も眠っていた病み上がりの男の子が、これを?しかもこの周辺の魔物はダンジョン第一階層と同等の強さなのに……?)
倒された魔物はその殆どが的確に弱点である魔石、もしくは再生に時間がかかる頭部を破壊され、他の魔物は崖の下に突き落とされている。ノルエンデにいた頃は魔物相手に戦っていたのだろうか――力の弱い人間が効率よく敵を倒す方法をそのまま実行したような、実戦慣れした動きで戦ったのだろう。
同時に、アイズは戦闘の痕跡から荒々しさと焦燥を感じる。冒険者としてダンジョンに潜っているからこそ、その痕跡から何となく戦った者の心境が分かるのだ。
「彼は、たぶん大穴に向かってる……村の安否を確かめに」
「はぁっ……はぁっ……わ、分かるのですか?」
「なんとなくだけど………うん。やっぱり大穴の方に向かってる」
掟破りの地元走りと言わんばかりに岩の上に微かな足跡が残っている。
魔物の血で汚れた靴のまま岩を駆けあがって最短ルートを進んだらしい。
流石地元の人間、このようなルートを想定していなかったアイズは思わず感心する。
「そんなショートカットが……?ちゃんとした道だと遠回りだし……アニエス、こっちに!」
「は、はい!……ひゃっ!?」
アイズは近付いたアニエスをそのままお姫様抱っこした。
彼女とて伊達にLv.6の高みにいる訳ではないのだから、女の子一人を抱えて数Mの高さを飛び越えるぐらいのことは出来る。今は時間が惜しい。アニエスにこの道は無理でも、自分が抱えればショートカットは可能だ。
「飛ばすよ、アニエス。しっかり掴まって」
「え?え?……あの、アイズ?………きゃあーーーっ!?」
瞬間、悲鳴を上げて必死に掴まるアニエスを抱えて、アイズは跳躍した。
「おい!向こうで女の子の悲鳴が聞こえたぞ!」
「まさか落ちたんじゃ……」
「馬鹿いってねぇでさっさと行くぞ!!」
……その悲鳴が後続のメンバーの不安を大いに掻きたてたことは言うまでもない。
= =
ぱたぱたと、涙が雑草の上に落ちていく。
故郷のように、弟のように。無為に落ちては、無意味に地面に吸い込まれていく。
「そんなのって、ありかよ」
子供の頃からずっとそこで暮らしていた。
弟のティルと共に笑い、喧嘩し、仲直りし、また笑った思い出。
放牧していた羊たちの毛皮を溜めこんだ倉庫。
友達と一緒にかけっこをして遊んだ丘。
木登りをしては大人に怒られた大きな木。
小川のせせらぎ。草原のさざめき。羊の鳴き声。小鳥のさえずり。
村にあった音を、形を、色すらも呑みこんで。
すべては、無に還った。
「こんな事になって……こんな状況で僕だけ生き残って………それで何になるって言うんだ!!」
胸を突き刺されたような痛みが、弱った体を容赦なく抉る。
今、ティズの心にある想いはたった一つだった。
おいてけぼりにされた。
全てを失ったのなら、一緒に自分の命さえ失われてしまえばよかったんだ。
もしそうならば、こんなにも悲しい思いを抱かなくて済んだのに。
「あの時――僕もティルと一緒にあの穴に落ちてればよかったんだ……そうすれば!そうすれば……こんなに苦しむことはなかったのに!!」
自分でも、こんなことを言うのは間違っていると分かっている。
ティルはあの時、自分に生き残ることを望んでいた。
ならば生きるべきなんだろうと、理屈では分かる。
分かる、けれど。
「ふぐっ……う、うう……!!」
その場にうずくまったティズは、暫くその場に蹲って嗚咽を漏らすしかなかった。
自らのみに降りかかった余りにも大きすぎる不幸を、ほんの少しでも受け入れるために。
「………………………」
暫くして、ティズはやっと顔を上げた。
その表情はまだ落ち着いたとは口が裂けても言えないほどの悲しみを湛えていた。
それでも――悲しみを背負ったまま立ち上がった。
きっとそれが、ティズの強さなのだろう。克服も納得も出来なくても、それでも前へ進む事を選ぶ。なぜならば、彼と親しかった人々は決して「ティズ・オーリアの死」を望まないと分かっているから。
だから、皆の為に立ち上がり、自分が出来る事を考える。
例えその心にに、常人なら立ち上がれないほどに大きく深い傷を抱えていたとしても。
そんなティズの眼に、あるものが映った。
大穴の淵に近い場所で月光を反射する、大きな結晶。
人の頭ほどあるだろうか。ノルエンデでは見覚えがない代物だ。
結晶を拾って覗き込むんだティズは、その中にあるものを見て思わず悲鳴を上げた。
「うわっ!?ちっこい魔物!?」
その中には、蝶のような羽根が生えたとても小さな少女が入っていた。
人によってはそれを可愛らしいとか美しいと思う者もいるかもしれないが、世の中には外見こそ可愛らしいがその実狂暴な魔物というのはいるものである。代表的な者としてはリリスやサキュバス、そして魔法使いが邪道に堕ちたウィッチなどがそれに相当する。
しかし、何故結晶の中に――そう考えたティズの眼と、中にいる小さな少女の目が、合った。
『………って失礼ね!わたしは魔物じゃないわよっ!!』
「え………!?しゃ、喋ったぁ!?」
瞬間、目の前の結晶がぴきぴきとひび割れ、中からそのミニマム少女が出現する。
ぱたぱたと可愛らしく灰色の羽根を羽ばたかせてふわりと飛ぶ小さな少女は、周囲をキョロキョロ見渡す。簡素な灰色のドレスと尖った耳が目を引いた。
「ふぅ……無事にルクセンダルクまでたどり着いたみたいね!ちょっと強引な手段だったけど、これであの子を――っとと、そうだ、そこのあなた!こんな可愛い精霊を魔物扱いなんて失礼しちゃうわっ!」
ぷんすかと怒る目の前の自称精霊に、ティズはただ目をパチクリさせるほかなかった。
これはこれで、彼の処理能力のキャパシティをオーバーしている。
そのまま何かを言おうとした精霊だったが、不意にティズの顔をまじまじと見つめる。それは思わぬ幸運に恵まれた様な――それでいて、何か重要な決断をしたような真剣な表情だった。
やがて混乱するティズに、精霊は問いかけた。
「………ねぇ、あなた。わたしと契約しない?」
「けい、やく……?」
「そう、契約。わたしがあなたの手助けをする代わりに、あなたはわたしを護る……そう言う契約よ。精霊と契約できるなんて一生に一度あるかないかの大チャンスなのよっ!!」
「わ、訳が分からなくなってきた……大体君はいったい何者なんだ?」
妖精はその質問に少し考えると、にこっと笑ってこう名乗った。
「わたしの名前はねぇ………そう、エアリー!エアリーよ!」
そして、エアリーと名乗った精霊は次の瞬間――ティズと、その後ろからやっと追い付いたアイズとアニエスの運命さえも大きく変える一言を放った。
「今なら特別サービスで――あの巨大な大穴を塞ぐ方法だって教えちゃうわよ?」
後書き
このシーン、結構重要な伏線があります。
BBDF及びBSELをクリアした人ならかなりの突っ込み所に気付いたものと思います。
……いるのかな、この小説の読者に両方クリアした人なんて?
ページ上へ戻る