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因果

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3部分:第三章


第三章

「韓非を牢に繋げ」
「牢にですか」
「そしてそこから書を書かせる」
 こう命じるのだった。
「そこからな。そのうえでその才を使おう」
「殺されないのですか?」
「それはならん」
 てっきり処刑かと思った李斯は拍子抜けした。だが王はこう決断したのだった。
「韓非の才は失うには惜しい」
「才をですか」
 李斯はそれを聞いて内心舌打ちした。
「そうだ。だから殺さぬ」
「・・・・・・・・・」
 才があるからだというのだ。つまり才がある限り韓非はおり王に使われ続ける。下手をすれば王の気紛れで韓非は牢から出される。そうなっては元の木阿弥だった。
 李斯はここでは王に何も言わなかった。しかし己の屋敷に戻るとすぐに手を打った。日頃目をかけている牢屋の役人を呼びその彼にあるものを手渡したのである。
 それは小さな袋に包まれたものだった。それを見るだけでは何かわからない。受け取った役人もそれを見て首を傾げるばかりであった。
「これは一体?」
「毒だ」
 彼は何か暗いものを背負った顔で役人に対して告げた。
「毒だ。それでこの前は入った者を消してもらいたい」
「韓非殿をですか」
「さてな」
 李斯はその問いには首を左に向けた。そのうえでまた言うのだった。
「金は弾む」
「はい」
「馳走もな。美酒も用意しておく」
「何と有り難い」
「だからだ。抜からないでくれ」
 李斯にはこのことこそが最大の関心だった。
「いいな」
「はっ、それでは」
 こうして韓非は死んだ。その最期は憤死に近かったとされている。しかし彼が死んだのは間違いのないことでこれにより李斯は政敵がいなくなり王にさらに重用されることになった。地位も着実にあがり秦が中国を統一したその時には遂に宰相にまでなったのであった。
 息子達は皆始皇帝となった王の婿となり娘達は皆彼の娘の嫁になった。位人臣を極め最早恐ろしいものはないように思えた。少なくとも秦にとっては欠かせない存在になっていた。
「秦に李斯あり」
 こうまで言われるようになった。
 位人臣を極め最早何も憂いはないように思われた。確かに始皇帝は猜疑心が極めて強く何かあればそれで切り捨てられる。しかし宰相になり国の柱にまでなった彼だけは万全と思われた。だがそれは脆くも崩れ去ることになるのだった。
 始皇帝が崩御した。巡幸中にあえなくであった。不老不死を強く願った彼だがあえなく死んでしまった。その有様はまことに呆気ないものであった。
 その彼が死ぬと宦官の趙高が策謀を巡らせだした。生来残忍で権勢欲が極めて強いこの男は己の権勢を拡大することを狙いまずは始皇帝が生きているとしたのだ。
 無論それだけではなくさらに策謀を駆使した。己が教育係を勤めていた始皇帝の末子である胡亥を脅しすかしたうえで皇帝に就くように薦めたのだ。彼の兄弟姉妹達を殺すように唆したうえで。
 そこに李斯も加えたのである。この趙高は陰謀の天才であった。もっと言えばそういったことにのみ秀でている男であった。中国の歴史において悪宦官は時折見受けられるが彼はそのはじまりとも言える存在であった。
 その彼にとっては李斯を引き込むことすら容易なことであった。胡亥に対して囁いたように李斯に対しても囁いた。このままでは彼の命が危ういと。
「だからです」
「胡亥様を皇帝にというのだな」
「その通りです」
 密室でその嫌らしい笑みをそのままに李斯に囁くのだった。暗い密室で。
「そうすれば貴方は宰相のままで」
「命も永らえられるか」
「若し地位を失えばどうなるか」
 その場合はどうなるか。このことを囁くのも忘れてはいなかった。
「どうなるか。それはおわかりでしょう」
「死・・・・・・」
 秦だけではなく古来から見られたことであった。一旦権勢から離れればそれと共に命を失うことになる。しかも死ぬのは彼一人ではないのだ。
「貴方のご一族も」
「全てか」
「はい。多くの宰相がそうであったように」
 趙高はまた囁くのだった。
「貴方もそうなれば」
「では私は」
「宰相でいたいでしょう?」
 嫌らしい笑みは闇の中からもはっきり見える。男と女が混ざりそのうえで歳を経たような醜悪な顔であった。その顔でその笑みを浮かべているのだった。
「ならば。ここは」
「胡亥様を皇帝にか」
「そうです」
 答えは決まっていた。
「では。宜しいですね」
「・・・・・・わかった」
 彼は遂にこの邪な囁きに頷いた。
「それでは。胡亥様を皇帝に」
「他の皇子様や皇女様には死んで頂き」
「主立った臣達にもだな」
「そうです。我々に従う者の他は」
 消すというのだった。趙高はそこまで考えていた。
「そのように。貴方の為にも」
「わかった。それではな」
 己の命だけは、一族の命までは失いたくはなかった。李斯にしてもだ。だからこそ今こうしてこの囁きに頷いたのだった。止むを得なくではあったが。
 
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