菖蒲
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
6部分:第六章
第六章
宴において表面上重要な援軍の話自体はすんなりと決まった。光は出陣の要請に頷いたのである。
「お任せ下さい」
表面上は忠臣として王の申し出を受けた。
「必ずや陛下の心を安んじさせて頂きます」
「うむ、頼むぞ」
王もまた彼の言葉を信頼する家臣として受けた。双方共剣呑なものをその心に隠して。
「ではな」
「はい。ところで」
「どうした?」
ここで光は急に様子を変えてきたのだ。王と腹心達の心に警戒の雷が走る。
「厠へ」
光はそう答えた。
「暫く席を外します。宜しいでしょうか」
「うむ」
王は警戒しながらもそれを許した。怪しいとわかっていても。
「では行って来るがいい」
「有り難き幸せ。それでは」
「我が君」
ここで伍子胥も名乗り出てきた。
「私も御一緒させて頂いて宜しいでしょうか」
「そなたもか」
「はい。宜しければ」
王と腹心達はそれを見て警戒の念を強める。いよいよ不穏な空気になってきていた。
「そうだな」
今の光の言葉が決定的であった。
「それでは一緒にな」
「有り難き幸せ」
「では王よ」
光は何気なくを装って王に顔を向けてきた。
「暫し失礼致します」
「うむ」
王は緊張を押し殺して応える。だがそれは最早気となって露わになっていた。腹心達も兵士達もそれは同じであった。殺気が場に満ちていた。
「ではな」
「はい。それでは」
「これで」
光も伍子胥も席を立った。これで場の緊張は頂点に達した。
「王よ」
その腹心の一人が王の側に来て囁いた。
「御気をつけを」
「わかっている」
王もその言葉に頷く。最早彼等の中ではこれから何が起こるのか明白であった。
「いよいよだな」
「来ますぞ」
「問題はどう来るかだ」
王は小声で言う。
「毒というのも考えられるが」
ちらりと料理を見る。
「それはどうかな」
「確かにそれもあります」
それについては腹心達も懸念していた。だがそれはすぐに打ち消された。
「ですがそれは」
「公子も同じ皿のものを食べていました」
これでその可能性は消えていたのだ。これは古来より中国にある毒殺の防止法であり大きな皿にあえて入れてそこにあるものを一緒に食べるというものだ。こうすれば向こうも毒殺はできない。所謂知恵である。
「それはないかと」
「では。やはり」
「刺客ですな」
「私もそれを警戒しています」
別の腹心も言ってきた。
「やるならば」
「それしかないです」
「そうだな。だがそれは」
ここで王は言った。
「この兵士達が守ってくれる」
「はい」
「ですからそれも。しかし」
それでもだ。警戒を解くわけにはいかなかったのだ。
「公子と伍子胥殿です。何をしてくるか」
「わかったものではありません」
「その通りだ。むっ」
ここで場に誰かが入って来た。すぐに兵士達が彼を呼び止める。
「誰だっ」
「止まれっ」
「料理人でございます」
その者は自分を呼び止めた兵士達に対してこう述べるのだった。見れば確かにただの料理人だった。その手には皿がある。ただ、やけに手の長い料理人であった。
「料理をお持ち致しましたので」
「料理だと」
「はい」
また兵士達に応えた。
「これでございます」
「魚か」
見れば皿の上には魚が置かれていた。鯉である。
「はい、焼き魚です」
料理人はそう答えた。
「只今お持ち致しました」
「それは公子からのものか」
「左様です」
そう述べる。
「王とと共に頂きたいとのことですので」
「ううむ」
「王よ」
そこまで聞いた兵士の一人が王に顔を向けて問うた。
「どうされますか?」
「焼き魚とのことですか」
「ふむ」
王は兵士達に問われて考える顔になった。顰めさせて顎に手を当てている。
「見たところ何も」
「おかしなところはありませんな」
「そうじゃな」
腹心達の言葉に頷く。
「これは問題ないか」
「はい」
「武器になりそうなものは何も」
そうとしか見えなかった。料理人が持っているのは皿、そして皿の上にある魚だけである。とても他に何か持っているようには見えなかった。
「ではよい」
王はそこまで見て遂に決断を下した。
ページ上へ戻る