八条荘はヒロインが多くてカオス過ぎる
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第三十八話 真田幸村その五
「そこで死んだとも言われているよ」
「そうでござるか」
「大坂の陣では多くの人が死んだけれど」
「生きたという説もあるでござるか」
「そうなんだ、あの戦いではね」
「生きていて欲しいでござる」
「又兵衛さんも」
僕はあえてマルヤムさんに問うた。
「この人も」
「そうでござる、拙者は徳川ではなく豊臣が好きでござる」
「幸村さんが好きだから」
「だからでござる」
まさにそれが理由だった。
「生きていて欲しいでござる」
マルヤムさんは幸村さんの像を観ながら僕に話してくれた。そうした話をしてそれからだった、僕に対してだった。
今度はだ、こう言った。
「それではでござるが」
「うん、幸村さんの像は見たし」
「次でござるな」
「次はね」
それはというと。
「もう観るものは観たし」
「なら難波でござるな」
「何か食べよう」
その難波でとだ、僕はこう提案した。
「そうしよう」
「わかったでござる」
「そうだね、難波だったら」
僕はこの場所からだ、食べるべきものを考えた。それは一瞬で答えが出たけれどその一瞬の間に結構考えたと思う。
そしてその答えをだ、マルヤムさんに言った。
「自由軒でカレー食べよう」
「自由軒?」
「大阪にある洋食屋さんでね」
「そこで、でござるな」
「カレーを食べよう」
こう言ったのだった。
「そうしよう」
「カレーでござるか」
「ちょっと特別なカレーなんだ」
その自由軒のカレーのこともだ、僕は話した。
「御飯とルーが最初から混ぜてあるんだ」
「最初からでござるか」
「そうなんだ」
僕はこのことも話した。
「そこのお店のカレーはね」
「何か面白そうでござるな」
「そこのカレーでいいよね」
「お願いするでござる」
興味を感じている目でだ、マルヤムさんは僕に答えた。
「それでは」
「じゃあ今から難波に行こう」
「わかったでござる」
こうして僕達は今度は玉造からだった、また地下鉄を使ってだった。
難波に向かった、そして難波に着いて少し歩いて。
それからだ、僕はマルヤムさんに難波の商店街を歩きつつ言った。難波の商店街は玉造のそれよりも大きかった。
「ここを少しいくとね」
「その自由軒でござるな」
「そうだよ」
色々な派手な看板が並ぶ広い道の商店街を歩きつつの言葉だった。
「もうすぐだよ」
「そうでござるか」
「その自由軒でね」
「そこでカレーをでござるな」
「食べようね」
「日本のカレーは好物でござるが」
「また普通とは違うjから」
玉造で話したことをそのまま話した。
ページ上へ戻る