Muv-Luv Alternative 士魂の征く道
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第三四話 忠信
『君でないとダメなんだ』……それは自分が一番欲しかった言葉だった。
だけど、その言葉は自分ではない他人にかけられた。
それが不快で、羨ましくて、悔しくてたまらない。
「……こんな浅ましい………嫌われちゃうかな。」
零式強化装備から山吹の斯衛軍服に衣装を替えた唯依は一人ぽつりと呟いた。
嫉妬に狂う浅ましい本性を知られてしまえば嫌われる。そう思った。
めんどくさい女だと彼には、彼にだけは思われたくない………そんな気持ち、嫌われてたくないという願望があふれて止まらない。
「……なんでこんな風になっちゃうのかな。」
誰もいない待合室でシミュレーターによる内臓を含めた全身への負荷による気怠さに包まれながら呟いた。
誰かに恨みをぶつけたくはない、そもそもこんな感情自体持ちたくはない。持ってはいけない。
だけど嫉妬してしまう。
「はぁ……」
重々しいため息が唯依の口から零れる。初恋が実ったと同時に生まれるその感情を自分の中にため込む以外の手段を唯依は知らない。
そんな彼女に近づく影があった。
「篁中尉、ちょっといいでしょうか?」
「今井……少尉?」
白き斯衛の軍服に身を包んだ女性士官。結い上げた髪が印象的な忠亮の敬語のために呼ばれた衛士……今、正に唯依が嫉妬の感情を抱いた相手だった。
「今井友絵よ。―――口調はこのままでいいかしら?」
「ああ、構わない。公的の場ではさすがに階級が優先だが……」
「そう、ならこのまま言わせてもらうわ。私に何か恨みでもあるの?」
「……済まない。貴官には何の落ち度もない、不愉快にさせたのなら謝罪しよう―――。」
「別に要らないわ、だって私も貴女のこと大嫌いですから。」
「な……!」
唯依の謝罪を遮って唐突に告げられた言葉に絶句した。
彼女の瞳を見つめる唯依。その眼差しの色はある意味、唯依が最も恐れた憤怒の色だ。
女の殺気は恐ろしく冷たくて熱い……まるでドライアイスのようだ。
「私と甲斐君は幼馴染なの、当然志摩子のことも小さいころからよく知っているわ。実の妹のように接しても居たわ……あの子が戦死して、私や甲斐君がどれだけ涙を飲んだと思う?
そんな中で、あの子と同じ場所に居たはずなのに運よく助け出されて、運よくいい人と巡り合って幸せです?―――そんなの許せると思う?」
「………っ!」
なんてことない只の八つ当たりの逆恨みだ。
それ自体はわかっていても唯依にはそれを跳ね除けることは出来ない。―――理由は至極単純、自分自身もそれと全く同じ感情を罪悪感という形で感じているからだ。
「何故貴女だけ」
何故自分だけ
「何故貴女だけ生き延びて」
何故自分だけが生き延びて
「何故貴女だけが助けられて」
何故自分だけが助けられて
繰り返される彼女の言葉に、自分の中のもう一人の声が重なる。
和音となりてそれは唯依に責め進んでくる。
「何故今、そんな風に要られるの?―――これは逆恨みよ、でもね不平等や不条理を感じ憤るのに理屈なんて要らないわ。だって感情よ、理屈で動くわけがない」
自分だけが生き残り、他のみんなは死んだ。
それは不平等だ、不公平だ。
単に運が良かっただけ、そう云うことは簡単だ。それが現実なのだろう、それで割り切れないのが人間なのだ。
「だから私は甲斐君みたいには許せないし、許す気もない。貴女が泣いて謝って、たとえ死んだとしてもね。」
「―――なら、どうすれば良いんですか。」
「知らないわ、自分で考えなさい。別に貴女が幸福になっちゃいけないとか言う気はないのよ、ただ私が許さないだけ。それ以上に意味はないわ。」
突き放すような言葉。
つまり、唯依が償いとしてどれだけ戦火に身を投じようと彼女は許さないと言っているのだ―――永遠に許されない罪。所在のない罪はそれゆえに許されることがない。
「……許さないのに何もしない…のですか。」
「ええ、そうよ。ただ私は許さないだけ。」
「―――私に復讐しようとは思わないのですか。」
そんな愚にもつかない事を聞いてみる。
しかし、ポニーテールを揺らす彼女は鼻を鳴らしてそれを拒絶した。
「それであの子が帰ってくるの?無意味な問いはやめて腹が立つだけだから。
―――軍人はね、死者の蘇生なんて望まないのよ。そんなことよりもより多くの敵を殺して、味方を生かす方を考える。
それが斯衛の衛士としての私の誇り……軍人としての矜持なのよ。」
「………」
心は自由でもいい、だが立ち振る舞いを自由という大義名分で好き勝手にするのは只の身勝手だ。
彼女、今井智絵はそんな当たり前のことを告げている。
「だから、斯衛の軍人としてあなたの大切な人は守ってあげる……それが私の使命だから。
彼女にそうあるべき姿と教えた私の筋の通し方なのよ。」
「………っ!!」
そうだったのか、と悟った。
志摩子はいつも自分をフォローする行動ばかりだった。だからこそ自分のことが疎かになりやすくなってしまっていた。
自分は彼女が死ぬまでそれに気づかなかった。
内心では見下していた部分もあっただろう、なのに志摩子は最期まで自分に尽くしてくれた。
その主君を支える臣下としての在り方を示し、説いたのは目の前の女性だったのだ。
「泣くのは好きじゃないの。死体に縋って泣いて怒って、そんな醜態を晒す酔漢を斯衛の軍人とは呼べないでしょ。斯衛の軍人としてかくあるべきと口にした私には、離別を胸に、忘れずに、誇りとして生きることしか許されていないのよ。
だから貴女はずっと苦しみなさい―――復讐されないってことは、永遠に許されないってことなんだから。」
背を向け、彼女は言う。
静かでいて苛烈な気を背負う彼女の背はどこか寂しさを含んでいる。斯衛の軍人として彼女が目指し憧れた理想であり続けるためにそれを見せず。
それでもきっと、全部が終わったとき彼女は人知れず涙するのだろう。
愛しき妹分の死をそこで初めて悼むことが出来る。斯衛の軍人としての責務を終えた時初めて……
「―――ありがとうございます。」
唯依は背を向け去っていく彼女に礼を言う。
心は自由でもいい、しかし自分は篁の頭領で、あの人の妻となるのだ。当然、それに相応しい身の振り方というものがある
本当に愛しているのなら、彼が妻と誇れる自分になろう……嫉妬もしてもいい、寂しがってもいいだろう。
だけど、自分が妻として誇ってもらえるような女に先ずはなりたい。
それに気づかせてもらった。
「まだまだ未熟だな、軍人としても女としても……。」
いつの間にか驕っていたのかもしれない。
彼の愛情が永遠に自分のものだと思い込んで、我がままになっていたのかもしれない。―――自分の物だった筈のものが他人に盗られたと感じたから嫉妬という怒りを感じたのだろう。
愛は移ろいやすいものだ。永遠なんてない。
自分が彼に愛を注ぎ続けても、だから愛を下さいとは口が裂けても言ってはならない。対価を要求した時点でそれは愛じゃない。愛とは相手を思いやる感情だからだ、ある意味には殉教の道にも似ている。
だけど、その道を苦労と思ってしまうのなら恐らくきっと……自分には人を愛する資格が無かったという事なのだろう。
「……お母様もこんな気持ちを乗り越えてきたのかな。」
再び一人になった待合室で唯依は誰かと伴に生きることの難しさを噛み締めるのだった。
「―――なかなか損な性格だな。」
「聞いていたのですか大尉。」
待合室を出たところで不意に声を掛けられる。声の方に視線を向けると其処には自身の警護対象となった隻腕の青き軍服を纏う斯衛が一人。
「唯依の様子がおかしかったのは分かっていたからな、どうしたものかと考えていたんだが、己ではあまり意味がないと思ってな。」
「………別に彼女を気遣った、とかそういう気は毛頭ありませんから。」
「そうか。」
青を纏う斯衛……忠亮はそんな様子の彼女に微苦笑を漏らす。
死者に罪悪を感じる、よくあるサバイバーズ・ギルトの一種だ。アイツが必要以上に自身を卑下する傾向にあるのはそれが起因の一つであろう。
そして、この手のPTSDに気の利いた言葉は逆効果となる場合が多い。
寧ろ贖罪を求めている人間からすると、欲しているのはどうやったら罪が贖えるか、
許されるのかだ。
だが、死人に口なし。死んだ人間が誰かを許すという事なんて未来永劫ありえないのだ。
唯依は精一杯やった、その結果がアレだったのだ。
元より大局的視点から見れば彼女のあの状況は不可避だった、仕方がないともいえる。真に責め苦を負うべきはあの状況を招いた、勝てる戦いを逃した無能どもに背負わせるべきなのだ。
しかし、自分の無力に涙している人間にとって、それは何の救いにもならない。
そして………許されないことが救いに成ることもあるのだ。
「まぁ、貴官の言葉が発破になったのには違い無いだろう。夫としてそなたに感謝を。」
「……なんかそうしていると本当に五摂家みたいですね。」
「これでも色々苦労してるんだぞ。……そなたにも苦労を掛けるだろう。」
苦笑いを零す忠亮、今まで一介の衛士であれば良かったのが五摂家への養子入りした身ではそのままではいられない。
そして、人の上に立つという事は立ち続けるために誰かが代わりに傷つくという事でもある。
「……覚悟は出来ています。それに、彼女にあの言葉を掛けたのもいずれ、私が貴方のお世話になる可能性があるからですし。」
「なるべくそうはならんように尽力はするが……すまんな。」
重々しく答える今井智恵、それに対し謝罪を含んだ返答を返す。
諸外国へ赴く五摂家の人間に異性の警護人、その最たる理由はハニートラップ除けだ。
相手がそういう手段を用いてきたのならば、既に相手がいると見せつけなければならない事もあるだろう。
先ほど唯依にそういった言葉を投げかけたのは、篁頭領としてそして仮にも五摂家の一人を夫に迎える妻としての立ち振る舞いを意識させる為だろう。
「謝らないでください。貴方はこれからきっと多くの人を救う。あの子の悲劇を起こさないようにするには貴方の様な人間が必要なんですから。
偉人が偉人として大成するには凡人も必要でしょう。ならばその一翼として尽くすこと吝かではありません。」
「頼りがいのある言葉だ、お前も唯依に負けず劣らず良い女だよ。果報が過ぎて怖くなるな。」
「稀代の猛者が随分と弱気なことを口になさるのですね。」
「そこは謙虚とか慎重とか言ってもらいたいな―――己を支えてくれ。」
「はっ!拝命、承りました。」
膝を着き、首を垂れて臣下の礼を取るは白き斯衛、今井智恵だった。
後書き
( ゚Д゚)イラストで黎明の試作途中の写真を上げました。
完成版はもう色々いじって、赤い部分が青くなる予定です。
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