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山本太郎左衛門の話

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22部分:第二十二章


第二十二章

「槌か」
 見れば外見はごく普通の槌である。
「無論ただの槌ではない」
 山本は言った。
「これには我等の技が込められている」
「あやかしのか」
「そうだ。お主に危機があったならばこれを使うがいい」
「これをか」
「そうだ。まずは北に向かう」
「ふむ」
「そしてそれで柱等を叩きながら我の名を呼ぶがいい。さすれば我はすぐに汝の下に現われよう」
「さようか」
 聞いても現実のものとは思えない。実に奇怪な話ではある。
「しかし」
 だがここで平太郎はあることに気付いた。
「お主は比熊山にいるのであろう。それならばこれは特に要らぬと思うが」
「それか」
 山本はそこで言った。
「我はあの山を離れることにした。九州を渡り南の島々に渡ろうと思う」
「南のか」
「そうだ。家臣と共にな」
 その家臣が今までの妖怪達であることは言うまでもない。
 その南の島というのは琉球だろうか。平太郎はふと考えた。だがそうなると一つ疑問が生じる。
 何故北に向かって槌を振るわなければならないのか。彼にはそれがよくわからなかったのだ。
「それもやがてわかることだ」
 どうやら山本は彼が何を考えているかわかっているらしい。それに対して言った。
「我等の世界はこの世界とは異なるからな」
「異なるのか」
「そうだ。この日之本の国にあるのは同じだが次元が異なるとでも言おうか。そもそも我等の世界は北にあるのだ」
「北に」
 そう言われてようやく合点がいってきた。北には死者の国があると言われている。
「我は死者ではないがな」
 山本はそれにはそう断った。
「配下の者にも死者はいない。だがそこに我等の国がある」
 どうやら妖怪の世界は死者の世界と同じ場所にあるらしい。そして彼等は付き合いがあるようだ。
 そういえば上皇や親王のことを知っている。彼等も魔王だというならば当然そこにいるということになる。
「あの方々はかなり高貴な方々だがな」
 山本は注釈をつけるようにして言った。
「我もそうおいそれをお顔を拝見することはできぬ」
「そうか」
「あの方々は恐ろしい。日之本に禍をなさんと常に考えておられる」
「それは聞いている」
 平安京が出来た経緯も保元の乱のことも知っていた。だからこそ彼等の恐ろしさもよく知っていた。
「我にはそこまでの心も力もない。それは安心せよ」
「うむ」
 魔王にも格があるようだ。そして出自も関係するらしい。
 どうやらこの山本は妖怪の魔王であるらしい。人の姿をとってはいるが妖怪であるようだ。
 そういえば確かに彼の家臣達は皆妖怪であった。魔王といっても色々あるようだ。
「さて」
 山本はここで畏まった。
「随分長居したな。長々の逗留忝い」
 そう言って頭を深々と下げた。これには平太郎も慌てた。
「いやいや」
 仮にも魔王というからにはかなりの身分である。その様な者に頭を下げられて恐縮してしまったのだ。
 彼も頭を下げた。やがて両者は頭を上げた。
「それでは失礼仕った」
「はい」
 最後は礼儀正しく終わった。山本はそのまま居間を出ると庭先に出た。平太郎はそれを見送る。
「いや、見送りは不要」
 そう言うが彼は見送った。やはりそれが礼儀だと思ったからである。
「かたじけない」
 山本はその心遣いに感じ入った。表情は変わらないが彼のそうした行動が気に入っているようである。
「肝だけではないのだな」
 そう言った。彼の人間としての節度も気に入ったのである。
「お主に槌を渡してよかった」
 そしてこう言った。それは心からの言葉であった。
 彼が庭先に下りるとそこに何やら異形の存在が現われてきた。見れば平太郎のところに来た者もいる。どうやら山本の配下の者達のようだ。
「それではな」
 山本は最後にそう言うと化け物達に護られる様にして囲まれた。そして籠の中にゆっくりと入った。
 山本が入った籠はそのまま担がれた。そして化け物達の行列の中央に位置し運ばれて行った。
「ううむ」
 見れば大名行列そっくりでる。違うのはそれを形作っているのが人ではなく、化け物であるということか。そして化け物達は闇の中に消えていった。彼はそれを最後まで見送っていた。
 こうして一月に及ぶ平太郎と化け物達の話は終わった。残ったのは一本の槌だけであった。
 彼はそれを大事に蔵の中に閉まった。そしてそれを取り出すことはなかった。
「まことに強い者になりたい」
 それが彼の願いであった。
「ならば他の者に頼っていては駄目じゃ」
 彼はそう考えていた。だから槌を大事に閉まったのである。
 そんな彼であるから化け物に対しても平然としていられたのであろうか。それともそうだからこそ化け物に出会うことができたのか。それは誰にもわからなかった。
 だが彼はこの一月の騒動でその名を知られることになった。彼に会いたいという者は列をなしその話に聞き入った。そして武芸者としても名を馳せるようになった。
「これが化け物の褒美かのう」
 だが違うと思った。これはまた別だとわかっていた。
 彼は自分の力でそれを得たのだ。化け物と正対しそれを受け入れた肝と度量があったからだ。それにより彼は名声を得たのだ。
 今も稲生平太郎という名は残っている。そしてその化け物達の話も。主のいなくなった比熊山は今も残っている。そしてあの平太郎が座った岩もその場所に残っている。だが彼等は何も語らない。以前あったことを知りながらそれは決して語らないのである。

山本五郎左衛門の話    完


                   2004・10・14
 
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