モンスターハンター 風の弾弓少女
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序章
その飛竜は傷ついていた。空の王者の象徴である翼は嵐に遭った船の帆布のように敗れ、鋭い爪も無惨に折れている。否、鋭利な刃物で切り落とされたのだ。尾の先の棘も切断され、体を守る赤い甲殻を削ぎ落されながらも、彼は尚も戦意を失ってはいない。弱肉強食の理の中に生きる飛竜の意地、そして自分のテリトリーを犯す『外敵』への怒りを力に変え、岩場の上に傷ついた体を支えて立っていた。
対峙するのはまだ少年のあどけなさの残った、人間の若者だ。纏う防具には魚の鰭を連想させる装飾が施され、光沢のある金属の太刀を八相に構えている。モンスターを狩るために作られた長い太刀の切先は天を向いたまま、僅かにもぶれることはない。そのことが彼の技量を示していた。
力を振り絞り、飛竜は首を大きく持ち上げた。鋭い牙の隙間から光と炎が漏れる。
次の瞬間、その口腔から強烈な火球が放たれた。火竜の放つ炎は自身の喉すら焼くほどの高温だが、竜は喉の粘膜が桁外れの再生能力を持っているため耐えられるのだ。だが人間が受ければ、如何に狩猟用の装備に身を固めていても無事では済まない。
「ふっ!」
僅かな呼気と共に、若き狩人は横へ跳躍してかわし、飛竜目がけて走る。太刀を脇構えへと変じ、練り上げた『気』の力を全身に、そして刃に行き渡らせる。
追い込まれた竜が最後の力で飛翔を試みるも、その前に彼は太刀の間合いに飛竜を収めた。
「くたばれ……!」
表情には微かな憎悪が混ざる。鉄刀【神楽】の刃が煌めき、剣光が一閃した。
頭部の甲殻が剥がれた部分に刃が食い込む。続いて返す刀が喉を捉えた。
苦しげに咆哮する飛竜から距離を取り、青年は長大な太刀を背中の鞘へ納める。竜の強靭な脚から力が抜けていき、岩場の上に傷ついた巨体がドサリと横たわった。竜は尚も、深い青色の眼で狩人を睨みつけていた。
しかしやがて、微かなうめき声を残して目を閉ざした。
若き狩人は空の王者の最後を数秒見つめ、やがて腰のナイフを抜いた。その鱗を、爪を剥ぎ取るために。
彼の手首に結ばれた青い紐が、陽光に輝いていた。
……人間とモンスターの共存する世界。人間の生存圏を守るため、そして生態系のバランスを保つために竜を狩るハンターは、数ある職の中でも栄誉ある仕事とされている。だが強大な飛竜を退けて英雄となる者の陰には、志半ばで命を落として行ったハンターも数多く存在する。それでもハンターを志す若者は多く、少しでも彼らの生存率を上げるためのハンター育成施設が存在するのだ。
ノスリ自治領のハンターアカデミーもその一つだ。
「訓練生ルーヴェン・セロ」
円形の会議場の中央で、青年は名を呼ばれた。防具を脱いだ普段着姿で、武器類も携帯していない。しかしその表情は狩り場と同じく引き締まり、周囲の椅子から自分を見つめる教官たちの言葉を待っていた。
この場の長である竜人族の老人は、人間の半分ほどの背丈だった。立派なあご髭を蓄え、細い目の好々爺然とした風貌だ。しかしかつてハンターとして実戦に出ていた証に、腰には今でも剥ぎ取りナイフを帯びている。このハンターアカデミーの校長だ。
「リオレウスの単独討伐を成し遂げたそうじゃの」
「はい」
ルーヴェンは短く答え、老人は彼の顔をじっと見つめる。
「お主の実力は同期の訓練生の中でも飛び抜けておる。だが未だにお主だけが卒業できていない」
その言葉に、ルーヴェンは拳を固く握りしめた。
ハンターアカデミーの生徒は入校後、集団で基礎訓練を受けた後、それぞれが各教官の弟子として修行を積む。そして一定のレベルに達したと判断されると、『独り立ちの試練』として課題が与えられる。それをやり遂げることでアカデミーを卒業し、ギルドから自由に依頼を受けられるようになるのだ。
ルーヴェンの同期生は皆、その試練を与えられて達成し、卒業していった。彼らが討伐できたのは彩鳥クルペッコや水獣ロアルドロスのような、大型ではあるが一流のハンターならそれほど苦労せずに倒せる程度のモンスターに過ぎない。しかし空の王者リオレウスすら討伐できるレベルのルーヴェンだけが、未だ『独り立ちの試練』を受けていないのだ。その域まで到達していないという理由である。
彼は何としても、このアカデミーを卒業したかった。自信の目的を成し遂げるためにはその経歴が必要なのだ。
「お主にはまだ学ぶべきことがある」
校長はそう言って、ポケットに手を入れた。皺だらけの手で取り出したのは半円形の木片で、翼のような模様が書かれている。半分に切れてはいるが、ハンターアカデミーの紋章だとルーヴェンには分かった。
「明朝、この割符を持ってギルド集会場へ行くのじゃ。そしてある狩人の手助けをせよ」
ギルドの集会場はハンターたちが依頼を受ける他、情報交換や仲間集めに使われる施設だ。ルーヴェンも師匠と共に訪れ、アカデミー経由での依頼を受けたことがある。
「その狩人の名はピリカレラ。彼女の狩りを助け、成し遂げ……学んだことを儂に報告せよ」
校長は髭面に微笑を浮かべた。
「納得の行く答えであれば、その場で卒業を認める。これがお主への試練じゃ」
「はい! 全力で成し遂げます!」
ルーヴェンは勇んで返事をした。前へ進み出て、校長から割符を受け取る。
待ちに待った卒業の機会がやってきたのだ。例え相手がどんなモンスターであろうと、必ずや愛刀の錆としてみせる。復讐への足がかりを得るために。
心が熱くなっていく彼の耳に、別の声が聞こえてきた。
「ルーヴェン。何度も言ったことではあるが……」
声をかけてきたのは校長の横に座る、中年のハンターだった。渋みのある声に、額から頬にかけて残る傷跡、そして鋭い目つきが歴戦のハンターであることを匂わせる。ルーヴェンの師匠であるハンター・ナライだ。
「狩り場では常に誠実、謙虚であれ。これを忘れるな。さもないとこの試練の先に待つのは……死だ」
「……肝に銘じます」
師匠の言葉から、この試練が容易ならざる狩りであることは察しがついた。ルーヴェンはナライのことを心から尊敬している。同期生の中でも飛び抜けた剣士となった自身の技量は、同じ太刀使いであるナライの指導無しではあり得なかった。それでも自分がまだ遠く及ばず、またあまり言葉には出さないまでもルーヴェンの実力を評価してくれている師がそう言うのだ。他の訓練生が受けたものより困難な試練であることは間違いない。
校長からの「下がってよい」との言葉を聞き、ルーヴェンは一礼して踵を返した。必ずややり遂げるという固い決意を、そしてかつて自分から全てを奪った竜への、消えない憎悪を胸に秘めて。
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